2004-11-01 第161回国会 衆議院 外務委員会 第2号
御案内のとおり、大恩ある福田赳夫先生のお孫さんの結婚式でございます。官房長官も重要なゲストとして招待されておりましたことから、待機期間中ではありますが、直前でキャンセルすることは大変失礼との認識もあられたようでございまして、結婚式に出席され、途中退席されたということでございます。
御案内のとおり、大恩ある福田赳夫先生のお孫さんの結婚式でございます。官房長官も重要なゲストとして招待されておりましたことから、待機期間中ではありますが、直前でキャンセルすることは大変失礼との認識もあられたようでございまして、結婚式に出席され、途中退席されたということでございます。
そういう点から総理に質問をしていきたいと思いますが、総理はたしか福田赳夫元総理の薫陶を受けて政治家になった方だと思います。私は、福田元首相と一高、東大、大蔵省で同期であった前尾繁三郎衆議院議長の秘書をやっていた関係で、前尾さんが人生の師でございます。この二人が時々会っていた、食事をしていたという。私聞いた話が、政治家である前に人間であれと、こういうことを二人はいつもおっしゃっていました。
小泉総理は、まず厚生年金の加入歴の問題を申し上げますが、加入歴といたしましては、一九七〇年四月、福田赳夫議員秘書となる。同時期に横浜市三福不動産の社員となる。ここで厚生年金に加入されております。そして、一九七二年十二月、衆議院議員に初当選されました。そして、一九七四年十一月、厚生年金を脱退しております。
一九七〇年四月、福田赳夫議員秘書となる。そして、同時期に横浜市三福不動産社員となる、厚生年金加入。一九七二年十二月衆議院議員初当選。一九七四年、二年後ですけれども、十一月厚生年金脱退と、こういうわけですね。 だから、先ほど言っていた勤務実態、頑張れよ、次の選挙頑張れよということで社員になった。社員になって今度、なって頑張れよということで、見事初当選されたと。
福田赳夫という元、立派な総理大臣がおったんや。私の群馬の出身で、党派は違いますけれども、大先輩ですよね。この人は、政治家の最大任務は何か、それは、絶対に有事というものを招いてはいけない、有事を起こさせてはいけない、万万万が一あってもいけない、それが政治家のやることだと、こう言っているんですよ。
この全方位外交というのはかつて福田赳夫総理がおっしゃった言葉でありますけれども。では、軍隊を持たないで日本が守れるのかということですね。私はそういう御質問があろうかとも思って、自分でまとめてきたものをちょっと御紹介いたします。 全方位外交を展開するためには、私が政治家になったつもりで申し上げます、外務省を充実強化します。
それからもう一つが、その段階ではコードという言葉ではありませんで、たしか番号だったと思うんですが、終生変わらない番号をつける、その番号を見れば、たしか生年それからどこで生まれたかということもわかるような番号だったかと思うんですけれども、これにつきましては、一九七〇年代の初めに国会でも相当議論があったところでありますので、その際に、当時の福田赳夫行政管理庁長官が、これは世界の趨勢、国民のコンセンサスを
何でこういう議論が起こったかといえば、もう先生御案内のとおりで、昭和五十年代の前半に、福田赳夫総理大臣、三原朝雄防衛庁長官のもとで研究が始まった。ところが、一分類、二分類だと思っていたところへ、いや、それだけでは足りないんだと。
そして、福田赳夫内閣のときも、予算委員会でも御答弁をされています。「非核三原則がわが国の不動の国是であること、これはもう一点の疑いもなく私どもはさように考えておる次第でございます。」
「良薬は口に苦し」といわれるが、松永翁も福田先生」、これは福田赳夫元総理ですが、「福田先生も、そして私にもこの語を信じ、これに徹しながら、自分に課せられた職務を遂行していこうとする気持ちが強く存在している。」と、こうおっしゃっていらっしゃいます。 最後にお聞きします。これと同様に改革の強いお気持ちが総理にあるのかどうか、改革に向けた不退転の決意をお聞かせください。
小泉総理は、揮発油税などの道路特定財源をほかの項目にも使えるようにと法改正を目指す考えを示しておられますが、元々、道路特定財源は、昭和四十六年、私たちの生みの親であります福田赳夫先生が大蔵大臣、田中角栄先生が幹事長時代の話であり、当時の議事録によりますと、昭和四十六年度予算では、道路財源不足から一般財源として受け入れることにした。
国民一人の命は地球よりも重いと言ったのは今の官房長官のお父さんの福田赳夫総理ですから、そういうことをあのせがれさんは受け継いでいないんじゃないかとしか思えない。やっぱり、これ、取り戻すためにはどんなことを、例えば裏で金が必要だといえば、その金だって国民は恐らく了承するでしょう。
思い起こすと、私の生みの親は、扇大臣もそうですけれども、福田赳夫先生で、育ての親があなたのお父さんの安倍晋太郎先生でした。ちょうどアフガンでいろいろ問題が起きていますけれども、当時、安倍外務大臣の随行であなたと一緒に、野上徹代議士と一緒にイラン・イラク戦争のさなかに行きました。いろいろ御苦労はあると思いますが、一生懸命頑張っていただきたい、こう思います。
故福田赳夫先生にゆかりの者として、小泉純一郎総理大臣の誕生を心からお祝いを申し上げるところであります。 福田先生と親しくさせていただきまして、人の悪口を全く言わない方でありました。その中でも、私は、期待をしておった人物がだれだったかよくわかっております。一人はまさしく小泉純一郎さんであり、若手では、我が党に今おられる鹿野道彦さんを大変評価していたということを知っております。
そうやりまして、地球の温暖化にきちんと対応することをやっていただきたいと思うんですが、これは総理、いかがですか、福田赳夫先生のまな弟子だったんですから。
大分前の話かもしれませんが、福田赳夫先生、安倍晋太郎先生のもとで、党風刷新連盟、そういう政治活動をともに一生懸命やっていた。その中にあって、小泉総理は、まあ我々若者の兄貴分、こういうところで、私どもも一緒にその政治活動をやっていたわけでございました。
私、小泉さんの答弁を聞いていまして、やはり福田赳夫元総理のお弟子さんだなと思います。福田さんは昭和元禄とかいろいろ造語の名人でございまして、小泉さんのキャッチフレーズは余りオリジナルはないんですが、連発をされております。聖域なき構造改革、構造改革なくして景気回復なしとか解党的出直しとか、キャッチフレーズの使い方が非常にうまい。私は本当に、そういう点で小泉さんを見習いたいと思っております。
かつて、大臣も私も福田赳夫先生のところでお世話になって、福田先生が総理大臣になるときに行政改革と政治改革、これを訴えて総理大臣になられた。派閥解消だと、私が当選してきたときは清和会はなかったんですから。よそは政策研究会とかなんとか遠慮しながら残しておったが、今ごろは花盛りになっちゃっている。
かつて、森総理自身の師である福田赳夫元総理は、金で日本国総理のいすを買い取るようなことがあってはいかぬのだと、あなたをどなりつけたそうですね。今日、自民党全体が金のために政治を売る体質に堕しているのではないか、与党議員一人一人の胸に問うものであります。(拍手) 第二に、国民生活を破綻させている森自公保政権の経済失政であります。その象徴が一万二千円台の株価です。
赤字国債を出すに当たって、森総理の師であられる福田赳夫先生は、全治三年のためにやむなくやられたけれども、大変お悩みになられたと思いますし、歴代の総理、公債を出すに当たっては、大変慎重な姿勢をとられたと思います。
的確に、短い言葉で福田赳夫先生も答えられていた。軽妙な言葉で時にはお答えになって、確実に自分の気持ちが、考え方が国民に伝わるように、効果的に伝わるようにというお話の仕方をされたと思います。
きょうの新聞を見ますと、もはや自民に政権は重荷じゃないか、瀕死の政治という記事が出ていたり、あるいは、もう官房長官は退席されましたけれども、自民党幹部が解党的出直しというものを口にし、四半世紀以上も前、森喜朗総理の師匠の福田赳夫氏が田中角栄内閣を飛び出すときに、既に出直し的改革を唱えていた。