2004-05-17 第159回国会 衆議院 決算行政監視委員会第三分科会 第1号
千葉の田舎と言ったら怒られるかもしれませんが、千葉の田舎町におりましたので、エコー検診がせいぜい、マンモグラフィーというのは町の中にも多分なかったんだというふうに思います。
千葉の田舎と言ったら怒られるかもしれませんが、千葉の田舎町におりましたので、エコー検診がせいぜい、マンモグラフィーというのは町の中にも多分なかったんだというふうに思います。
ですから、ちょっとこういう意味では、これは公の要するに都道府県であったりあるいは市区町村であったり、私の小さな田舎町の市にも、駅前に六階建ての有料駐車場がありまして、三階から六階は月ぎめと、一階と二階が時間貸しと、こうやって公社がやっていますけれども、これは余りにもそういうものが増えていきますと、それこそ民業圧迫でもなるんじゃないかと。
私の出身地は兵庫県の丹波篠山というところでありまして、田舎町ではありますけれども、デカンショ節であるとか、丹波のマツタケ、丹波栗、丹波黒、黒豆でありますけれども、そうした特産物に恵まれて、全国的にも名前が知られている。私も東京へ出てきて大変得をしていると思っておりますけれども、だからといって、実際、篠山に行った人というのは大変少ないのが現実であります。
この方々の御意見で、まず、六本木の開発を評価する方々、これは大都市の再開発、大開発でございますが、東京のような超大都市、それから大都市、中都市、小都市、あるいは田舎、町にもいっぱい、いろいろなバリエーションがございます。 その中小都市につきましては、「都市機能の最低水準を達成することが目標だったが、これからは「美しい都市づくり」を目標とすべきであろう。
スイスの貧しい田舎町で、はだしの子供たちが遊んでおりました。その近くで一人の老人が、何か物を拾ってはポケットに入れ、何か拾ってはポケットに入れて、にこにこ笑って子供たちのそばに立っておりました。
もちろん、全部が全部オープンにすることによって、かえって、それをとりに行ったりとかされることがあってもいけない部分ももちろんありますけれども、さはさりながら、やはり文章だけで、何々町にはどういう鳥がいて、またこういう湿地があってというただそれだけじゃなくて、ビジュアルに、小学生、中学生が見ても、ああ、自分たちの田舎町はこういう大切な自然があるんだ、そういう地域自然体験学習とリンクさせる意味でも申し上
田舎町ですら、とにかく焼夷弾が続けざまにその後落とされまして、いっぱい焼死体が出ました。どうしたか。警察の方が全部焼死体を川っぺりに積みまして、これをだびに付すまではそのまま積んであるわけですね。私は住むところがありませんから、その横の防空ごうで一週間寝起きしました。こういう体験を経ているわけです。 だから、結論で言いたいのは、非戦闘員も大変な犠牲をこうむるんだということですね。
いずれにしても、例えば私が先ほど勤めておりましたアメリカの国立研究所というのは、実はパシフィック・ノースウェスト国立研究所と重なっておりましたので、シアトル、アメリカのワシントン州のシアトルから飛行機で一時間余り飛んだところにある砂漠の真ん中のほとんど田舎町の中にあります。そこで現実にはアメリカでのセンター・オブ・エクセレンスの機能が果たせていますので、知恵がそこに集積されているんです。
先日もちょうど、昨年の当選してすぐに、これもまた講演なんですけれども、田舎町に行ってきまして、そのとき、ちょうど台風だったんです。それで、台風で地元の人たちが避難しているところで、その講演が終わって僕は公民館へ行ってきたんです、三つぐらいの公民館。それで、公民館へ行ったときに、人に握手したり、頑張ってください頑張ってくださいと。そこで一生懸命、町内のおばちゃんたちがおにぎりを結んでいるんですね。
大都市、中核都市、そして「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷」と文部省唱歌の「故郷」の一節にもあるふるさととしての田舎町がどうあるべきかという日本の国のグランドデザインがあり、その一環として都市再生があると考えますが、福田官房長官、扇国土交通大臣のお考えをお聞かせ願いたいというふうに思います。 続いて、法案の内容について六点お伺いをします。
最初はやっぱり何かすられるんじゃないかとこうやって腕を組んで心配して歩いていたけれども、そのうち何の警戒心もなくなったのは世界広しといえどもあそこの国とある発展途上国の田舎町の二つしかなかったんですが、そこで私は常々、今度のイスラム原理主義というものを怖いものだと理解しちゃいけないので、むしろその底にあるのは非常な温かさというものなんだよということを人によく話しするんですが、それはある意味でかなり間違
江戸時代から既に、山村から田舎、町というものが一体となっていたわけです。しかし、高度成長以降にそのバランスが壊れてきたというのが事実です。 それに対して、今御質問の、アメリカなんかを中心にして、モニタリングあるいは環境アセスメントという思想が出てきまして、それぞれの場所においてどのようなことが行われているか、そして、それが結果としてどのような影響を及ぼすか、このアセスメント。
そういう中で、私は熊本県の南の方の小さな田舎町に住んでいるものですから、地域に地域コミュニティー、優しさというのでしょうか、みんなで子供に注意したり、あるいは三世代住んでいる家庭があったり、そういうものがまだまだ残っています。そういうところの例えば介護とかの問題と、都市部のばらばらとなった、単身の家が多いとか、そういうところとはおのずから物すごく違うと思うんですね。
○峰崎直樹君 私もびっくりしたんですが、一般国道とかあるいは県道、市道、市町村道、道路にはたくさんあるわけですが、それらを合計したよりも農道の方が総延長数が長いというデータを見たとき、確かに農業というのは日本にとって重要なあれではあるけれども、そんなに日本の農道の方が、しかも舗装率、結構高まっていますが、どうしてそんなことが起きているんだろうなということを、北海道で私いろんな田舎町を走るときに農道を
ただ、これは文部科学省の方にお伺いをしたいのですが、平均をとると、実は私の生まれた町、愛知県の小さな田舎町でありますが、佐久島という島があります。そこに小学校があるのです。この間ちょっとお話を聞きましたら、ことしその小学校の六年生が一人卒業する、こういう話であります。だから結局、片や四十人近くを抱えていて、片や一人。
私は、九歳の子供と十一歳の子供と一緒にアメリカの田舎町で二年間暮らしたことがあったんですけれども、公立の学校に子供をやったんですが、そのときにキャリアといいまして、授業といっても勉強じゃなくて、職業を考えるという科目が中学に一年からありまして、毎日ではない週一なんですけれども、その科目があるんです。
実は私も、昭和四十四年に千葉県の銚子という田舎町から東京の武蔵野にある中高一貫教育の高校に入学してきました。まだできて二年目の高校でしたので、高校三年生がいません。中学三年生もいませんでした。そういう中高一貫校に入ったので、中高一貫のいいところと、まだできたばかりでなかなか機能していないというようなところを経験しております。
ここにおられる議員の方々は御承知だと思いますが、例えば人口十万ぐらいの町でありますと、十人以下の職員というのでしょうか従業員の企業が大体商工会なんかの加盟は九割ぐらいがそうでありまして、なかなか五百人以上とかそういう企業は田舎町にはありません、市役所ぐらいのものだ、こんなことではなかろうかと思います。 なぜ人事院で百人を五百人にしたのか。
その中で、九州のある田舎町に住んでいた当時二十歳の青年の例を挙げて迫害の実態を説明していらっしゃいます。 彼の住んでいた小さな町では、彼が血友病であることを多くの人が知っていました。もちろん、親戚の中で知らない人はありませんでした。エイズは恐ろしい病気だといううわさが広がっていきました。
私も、田舎町に住んでおりますから、七十ぐらいになって免許証を取り上げられると、私自身も交通弱者の一人で今度は苦労するかなと思ったりするわけでございますけれども、それ以上に、やはり危険を一方で抱えているわけですから、何歳がいいかわかりませんけれども、ある程度の年齢に達したらもう免許証は返納するような制度はできないかなというふうに思いますので、その辺はお考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。