1992-04-28 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第3号
それからバングラデシュが、地雷処理のためだと思いますが、歩兵大隊を出していますけれども、ガイドラインに基づき武器を携行ということで、その内容はそれ以上はわかっておりません。マレーシアにつきましても、歩兵大隊を出していますが、自動小銃、それから非武装の運送用の車両、それからブローニングのけん銃を携行しておるというふうに承知いたしております。
それからバングラデシュが、地雷処理のためだと思いますが、歩兵大隊を出していますけれども、ガイドラインに基づき武器を携行ということで、その内容はそれ以上はわかっておりません。マレーシアにつきましても、歩兵大隊を出していますが、自動小銃、それから非武装の運送用の車両、それからブローニングのけん銃を携行しておるというふうに承知いたしております。
それじゃどの部門、まさか歩兵大隊は部門的に言ったってそれは入らないでしょう。これもいいのですか、部隊として行かなければ。あるいは工兵部隊、これもいいのですか。まさかそうじゃないでしょう。
○黒柳明君 丹波さん、これおとといの新聞に出ていまして、UNTACの軍事部門の構成、軍事部門が一万五千九百七十六人、本部要員が二百四名、混成憲兵中隊が百六十人、その下に海軍部隊、兵たん部隊、衛生部隊、通信部隊、航空支援部隊、工兵部隊、監視要員、歩兵大隊、こんなふうな組織図が出ていまして、克明に人数が出ていますけれども、これは外務省もこのようなものは握っているわけですか。
それから先ほど申し上げた八百五十という数字に該当する歩兵大隊を派遣している国あるいはこれから派遣しようとしている国は、インド、インドネシア、マレーシア、パキスタンそれからバングラデシュ、そういう国がございます。
○井上哲夫君 もう一点同じことをお尋ねいたすわけでございますが、PKOの中でも兵力引き離し等のいわゆる歩兵大隊が業務につく部分、まあ今PKF。一方では停戦監視員、かなり位の高い将校クラスの軍人が主に当たっている停戦監視員の二種類にまず分けられるとして、その停戦監視員には例えば退職自衛官を派遣するということは本当は可能ではないか。
全く仮定の話でございますが、左の「歩兵大隊」というのが日本が担当している部隊だというふうに仮定いたしますと、そこには当然部隊長というのがおるわけでございまして、そうしますと、この「現地司令官」から線が、ちょこちょこと曲がっておりますけれどもずっと来まして、基本的に「歩兵大隊」というところにもつながっておるわけでございますが、それがまさに私のこの組織図で理解するところにおきましては指図ということだろうと
陸上自衛隊の東北方面隊第九師団、これは青森に司令部がありますけれども、これを中心とする千六百人、アメリカのカリフォルニア州からの陸軍の第七師団、ここから歩兵大隊、砲兵大隊約千四百人、二週間、これはみちのく84をやったわけであります。これはF4ファントムなども出てきているわけであります。ですから、そういう具体的に取材をする方にも隠しているんだが、いろいろ皆さんの話を聞いていくとこういうことになった。
みちのく84ではアメリカ本土から歩兵大隊、砲兵大隊が派遣されて、フィリピンの米空軍基地のF4が対地支援攻撃のために初参加する。津軽海峡通峡阻止を破ってソ連軍が東北に上陸してくるのを、白河で必死に防ぐなんというようなことになっている。沖縄駐留の海兵隊の初の実動訓練が北海道で行われる。航空自衛隊は統合演習の中で、侵入した仮想敵機へのスクランブルに日米の管制宮が共同して当たるということになっている。
○大高政府委員 ただいま先生御指摘の日米共同実動訓練、こういう名前をつけてございますけれども、本年の九月十八日から十月一日まで、岩手県の岩手山、それから宮城県の王城寺原、この両演習場を中心にいたします場所におきまして、日本側は第九師団の第五普通科連隊、これが中心の約千六百名、それから米国側でございますけれども、米国の第七歩兵師団の第一旅団長の指揮いたします一個歩兵大隊、基幹の約千四百名、これが日米部隊間
○中島政府委員 私どもが説明を受けておりますところによりますと、アメリカ陸軍の関係では、ハワイにありますところの第二五歩兵師団のうちから一個歩兵大隊、これは一部が欠けているそうでございます。それからオクラホマ州にあるところの一個ランス部隊、これも一部が欠けたものだそうでございます。それから在韓米陸軍部隊、これは韓国にあるもの。陸軍関係が計五千三百名ということでございます。
内容は、一個歩兵大隊、一個砲兵連隊及び一個戦車中隊でございます。それは、今大臣の御説明しましたように、演習に来ておったわけでございます。演習が終わったので、予定より少し早く引き揚げたというのが実情であります。
しかし、実際は、塁兵団については兵団長元泉馨が残留の指導をしている、また独立混成第三旅団高級参謀今村方策も残留の指導をしている、それから歩兵大隊では松原大尉という部隊長が指導している、第百十四師団では高級参謀の太田黒大佐が指導している、要するに、各部隊の兵団長にあらずんば、その次にあるところの高級参謀というような人のどちらかが残留の旗頭になって残留の扇動をした、この残留を命じたり、残留の宣伝をしたという
ところがケレンスキー政府を守る力は、当時の士官学校の生徒が若干と、女の歩兵大隊が一箇大隊、これだけしか政府を守ろうというやつがいなかつた。それだから、三時間ほどの間に事もなくやられてしまつた。今何か東京で事を起そうというやつが警視庁を包囲し、放送局を占領し、内閣の首班や、おもなる者をとつつかまえたら、だれが身を張つて吉田内閣——吉田内閣と言うと語弊があるが、国権の中心である権力を守るのだ。
大体新京、奉天を中心にした歩兵大隊、軽重像、それから鞍山を中心にして編成された飛行場大隊約六千三百五十名程がそこに入りました。でこの土地で起きましたところの特別な現象と申しますものは、この十一月の十四日に入りました奉天の三十五、三十六大隊と称しましたものが、この中に憲兵が相当入つておるのであります。
私は輜重隊でありますが、彼は歩兵大隊で、而も彼は主計の少尉でありました。これは私か九月の末に黒河に着きましたときに、彼は一日遅れて黒河に入りました。我我は黒河に確か三泊いたしと思いますが、三泊いたして私が立ちますまで彼も黒河におりました。これは黒河から私達と同じようにブラゴェを越えて入ソしたものだと思つておりました。又事実これは入ソをして一昨年か帰つておると申しております。