2017-06-07 第193回国会 参議院 天皇の退位等に関する皇室典範特例法案特別委員会 第2号
私の生まれ育った沖縄本島中部の宜野湾市嘉数も沖縄戦最初の激戦の地であり、祖父母やおじ、おばたち多くが亡くなり、最後の戦場となった本島南部の摩文仁の平和の礎には、当時の嘉数地区の住民の半数を超える名前が刻まれております。 戦後も沖縄は米軍統治とされ、困難は続きました。四七年九月、米側に対し、二十五年から五十年、あるいはそれ以上、沖縄を米国に貸し出す方針が示された天皇メッセージの問題もあります。
私の生まれ育った沖縄本島中部の宜野湾市嘉数も沖縄戦最初の激戦の地であり、祖父母やおじ、おばたち多くが亡くなり、最後の戦場となった本島南部の摩文仁の平和の礎には、当時の嘉数地区の住民の半数を超える名前が刻まれております。 戦後も沖縄は米軍統治とされ、困難は続きました。四七年九月、米側に対し、二十五年から五十年、あるいはそれ以上、沖縄を米国に貸し出す方針が示された天皇メッセージの問題もあります。
同様に、多くの沖縄県民は沖縄本島南部地区に追い詰められるなどして亡くなりました。 沖縄県民の中では、日本軍の配備が戦争を招き、徹底抗戦の玉砕思想が二十万人余の尊い命の犠牲を生んだと理解されています。軍隊が戦争では住民を守らないということも教訓化されました。 総理は、このような沖縄戦の悲惨な戦争についてどのようにお考えですか。
先ほどのお話の中で、さきの大戦で最後の激戦地となった本島南部の南城市の市長さんとして、平和を大切に思うお気持ちが非常にあふれておりました。今回の法整備は、平和を守る、構築するというものでありまして、平和のための制限、歯どめが盛り込まれているということについて、古謝参考人の御意見をいただきたいと思っています。
我が南城市は、沖縄本島南部に位置する自治体で、平成十八年一月一日に一町三村で合併をした、比較的若い市であります。人口は四万二千人余りと小さな町でございますが、琉球民族発祥の地である久高島や世界文化遺産の斎場御嶽を擁しており、琉球王国のグスクや関連遺産群があり、歴史と自然豊かなすばらしい地域であります。現在、市民一丸となって、日本一元気で魅力ある町づくりに取り組んでおります。
ことしも、来週の六月二十三日には、沖縄戦で亡くなられた方々のみたまを慰める沖縄全戦没者慰霊祭が、あの激戦の地であった沖縄本島南部の摩文仁が丘において行われます。二度と悲惨な戦争を起こしてはならない、巻き込まれてもならない。北朝鮮の問題や、イラン、イラク、アフガニスタン等、世界の情勢が厳しい今こそ、世界に発信する日本の平和外交が求められていると思っております。
南部東道路でございますけれども、那覇空港自動車道と南城市を結び、沖縄本島南部地域の産業それから観光の振興を図る地域高規格道路でございます。 このうち、南風原町から南城市玉城に至る約八キロメートルの区間につきましては、委員御指摘のとおり、平成十八年度より沖縄県において事業に着手しております。 これまで、環境への影響を把握するための現況調査を完了いたしました。
お尋ねの南部東道路でございますが、那覇市と本島南部の東部地域とのアクセス向上を図り、南部地域の振興に寄与する事業として重要性が高いと認識いたしてございます。とりわけ、平成十八年一月でございますが、誕生いたしました南城市の観光等の産業振興や地域の活性化に資するものと考えてもございます。
それで果たしてノーザンプランというのが実現するかどうかは分かりませんけれども、仮にという話で恐縮ですが、仮に南の南部地域に、本島南部地域にある米軍基地を北に移す場合、その費用はどこが負担するんでしょうか。外務大臣、お答えいただけますか。
沖縄本島南部の西海岸では、沖縄最大の干潟であった糸満干潟を初め与根干潟、宇地泊干潟、北谷干潟、これが消滅をしました。東海岸でも与那原、川田干潟が埋められました。全部で千百二十七ヘクタールの干潟がなくなっています。さらに、港川、大嶺干潟、それから泡瀬干潟、佐敷干潟、ここで開発計画があります。まさに風前のともしびという状況です。
第三日目は、沖縄本島南部の視察として、まず、糸満市にある沖縄県水産試験場を視察し、業務概要や水産試験場の現況の説明を受けました。続いて、沖縄漁業の中心となっている糸満漁港を視察し、漁港整備長期計画等について説明を受けました。 次いで、沖縄戦終えんの地となった摩文仁の丘の平和祈念公園を訪れ、国立戦没者墓苑で献花し、平和の礎及び沖縄県平和祈念資料館を視察いたしました。
また、沖縄の本島南部の翔南製糖におきまして、工場の集約に伴う従業員の解雇について、これも進められているということでありますが、特に沖縄の北部製糖と県経済連の統合、これもやられておりまして、平成四年十二月に沖縄県本島地域における製糖企業の合併合理化の基本構想が提示されまして、それに沿って、沖縄県経済連と北部製糖は、平成十年七月に、共同出資によりまして、本島中北部の経済連具志川工場及び北部製糖羽地工場を
米軍の沖縄進攻作戦は昭和二十年の三月二十三日、つまりきのうから始まり、そして、きょう三月二十四日は、沖縄本島南部の具志頭村の港川に米軍が艦砲射撃を始めた不思議な因縁の日であります。今さらとも思いますが、米軍の沖縄進攻作戦は、米軍にとっても日米戦争の勝敗を決定する覚悟で、米軍の総力を結集したと思います。
それが、今かんがい排水施設が、復帰のときはほとんどゼロでございまして、宮古も今地下ダムをやっておりますし、本島南部は五カ所ほど国営のかんがい排水をやっておりますが、水が来ているのは石垣を含めまして一四%ぐらいでございまして、まだほとんど来ておりません。
続いて、本島南部の糸満市に移動し、国立戦没者墓苑及び平和の礎に参拝いたしました。 第二日目は、まず、宜野湾市の中央部に位置する米軍普天間基地を訪れました。普天間基地は海兵隊の航空基地であり、昨年十二月に出された沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の普天間飛行場に関する最終報告において、今後五ないし七年以内に十分な代替施設が完成し運用可能になった後、返還されることが示されております。
これらの建設促進を図る上におきましても、本島南部における農業用地下ダムにもこれまた着手しておるのであります。さらに、離島においてもダムの建設、農業用水源の開発、海水の淡水化等の需要に即した水資源の開発を進めているところでございます。
沖縄本島で申しますと、本島南部の国営かんがい排水事業あるいは県のかんがい排水事業、あるいは北部の方の羽地のかんがい排水事業というようなことを行っております。 私どもは、農家が非常に特色ある営農を展開できるようなそういう基盤整備を今後とも一生懸命やっていきたい。
そのほか、本島南部地区におきましても現在やっておるということでございます。
の整備でありますとか、あるいは那覇新都心の建設計画でありますとか、あるいは中城湾港のところの総合的な整備計画、浦添市の西海岸の埋立計画を中心とする整備計画、そして古宇利島の架橋、伊良部島の架橋あるいは八重山小浜島の架橋問題、さらには読谷から糸満に至る西海岸の湾岸道路の建設計画、そして今、南風原でとまっております縦貫道路を那覇空港までつなげていく南進道路の問題あるいは北部の北信道路の問題、あるいは本島南部地区
国営のダム等につきましては、宮古、それから本島南部等についての現在の工事なり計画を進めたいと考えております。 それから、一具体的にお話ございました、河川整備の際に農業用水をためることを考えてはどうかということでございました。
さらに、沖縄本島南部の糸満、具志頭地域でも地下ダム計画がありまして、今調査中であります。久米島でも地下ダムをつくろうという構想が出てまいりました。これもたしか調査費が計上されたはずであります。このように、県内各地で割合大がかりな農業用水確保のための計画が進められているのでありますが、現時点では、現実に農業用水として活用できる量はまだわずかであります。去年、ことしと二年連続して干ばつに遭いました。
まず、最初のお示しにございましたように、石垣の底原ダムあるいは名蔵ダムあるいは宮古の地下ダムというものを進めておりますし、さらに来年度からは、本島南部に同じような地下ダムの建設に着手したいと考えております。いずれにしましても、建設の懐妊期間がかなり長いものでございますので、三次振計の中に入っていく事業でございます。積極的に進めたいと考えております。
○喜屋武眞榮君 次にお尋ねしたいことは、先ほど来も尋ねられましたが、水資源の抜本的解決なくして沖縄の本当の開発はあり得ないと私は信じておりますから、この水資源開発に向けての取り組み、特に新規事業である大規模海水淡水化施設及び国営かんがい排水事業、沖縄本島南部地区の地下ダム等についての計画はどのように進めておられるかお聞きしたい。