1995-03-17 第132回国会 参議院 労働委員会 第7号
私ども、そういったものを受けて、平成七年度には自己啓発推進有識者会議、そういったものを設けて、今後そういった施策をどういうふうに進めたらいいか幅広い論議をお願いしてまいりたいというふうに考えております。
私ども、そういったものを受けて、平成七年度には自己啓発推進有識者会議、そういったものを設けて、今後そういった施策をどういうふうに進めたらいいか幅広い論議をお願いしてまいりたいというふうに考えております。
○山口(憲)政府委員 推進本部の関係いろいろお話ございますので、まとめてお話しさせていただきますが、推進本部につきまして、確かに九回有識者会議を含めてございまして、三回大臣御出席になっておりまして、私は、もうもちろんでございますが、ずっと出席をさせていただきまして、その都度大臣にもいろいろ御報告をし、先ほどからお聞きいただいておりますように、大変御意見のある大臣でございますから、いろいろ御指示もちょうだいをいたしまして
○河村(た)委員 大臣、副本部長をやっておられますので、じゃ、そういう非常に意義のある会議に、こんなこと生意気で申しわけない、後で怒られるかわかりませんけれども、何回ぐらい御出席されて議論をされたか、一有識者会議というのをやっておるのは私は伺っておりますけれども、やはり政治家として、政治レベルとして、どのくらい参加されてやられたのか、ちょっとお伺いしたいと思います。
○石田説明員 アジア歴史資料センターの設立検討のための有識者会議というのが現在設立されておりまして、先生御案内のように現在検討が進められております。現在までに四回この会議が開催されております。それで、ここの主な議題と申しますのは、センターの事業内容、それからもう一つは運営や組織のあり方といったものでございます。
○石田説明員 アジア歴史資料センターの設立を具体的に検討しますために、内閣官房長官のもとにアジア歴史資料センター設立検討のための有識者会議というものが設けられております。この座長は、前慶応義塾長の石川忠雄先生でございます。この検討テーマの柱は大きく二つありまして、一つはこのセンターが行うべき事業の内容、もう一つは運営や組織のあり方でございます。
これを私ども、懇談会の取りまとめという言い方をしておりますが、それから、ほぼ同時並行的に、今度は、国土庁長官じゃなくて、内閣総理大臣の主催する首都機能移転問題を考える有識者会議、座長が平岩当時経団連会長でございましたが、これが平成二年十二月に発足いたしまして、平成四年の七月に一応の取りまとめをいただいたということでございます。
これを受けて、このセンターの事業内容、運営のあり方などに関しまして広く各界からの有識者の御意見を伺うため、私のもとにアジア歴史資料センター、これは仮称でありますが、その設立検討のための有識者会議を開催することといたしまして、これまでに三回会合を開催している次第であります。本有識者会議には、本年の六月を目途に提言の形で御議論を取りまとめていただきたいと考えております。
昨年の八月、過去の歴史を直視するため、歴史図書・資料の収集、研究者に対する支援などを行う歴史研究支援事業を交流事業とともに、二本柱の一つとする平和友好交流計画を発足させておりまして、現在、この計画の中にございますアジア歴史資料センターの設立について官房長官のもとで有識者会議を設けて検討中でございます。(拍手) 〔国務大臣与謝野馨君登壇、拍手〕
そこで、UXをめぐる疑惑報道がなされる中で、とりわけ――その前に、今の防衛庁長官の有識者会議、私はこれを再検討委員会と申しておりますが、有識者会議の報告を聞いておりまして一つのことを連想いたしました。つい最近、新進党という新しい政党ができました、この党首選びを私は思い出したのであります。
またそういう議論を踏まえて閣僚懇談会でも一部議員から御発言等がありまして、私どもといたしましてはそういうことなども踏まえて、本来、防衛庁長官を中心に防衛庁で、それは公正な機種選定の作業が行われたものであるというふうには思いますが、なお国民の疑念というようなものが残ってはいけないものでありますから、そこで念を入れるというような思いで四閣僚による会合等も持っていろいろ相談をしながら、かつ防衛庁の内部には有識者会議
本部は、総理を本部長といたしまして、郵政大臣、官房長官、そして私が副本部長を拝命し、閣僚全員が本部員になっておりますが、さらに高度情報通信社会推進につきまして意見をちょうだいするための有識者会議を設置いたしております。 九月二十日に第一回の本部及び有識者の合同会議を開催をいたしましたが、その後三回の有識者会議を開催してまいりました。
総理府では、既に婦人問題担当室を仮称ですが男女共同参画室に変更することを決めていますし、婦人問題企画推進有識者会議を男女共同参画審議会にというように、婦人問題を男女共同参画型に変えると十七日の新聞で拝見をいたしました。その理由として、名称変更や組織を強化することで家庭や職場で男女が共同して担う社会づくりの実現を強力に推進していく方針であるとうたっています。
基本部会の審議に当たりましては、私も可能な限り出席させていただきましたが、国土庁の首都機能移転問題に関する懇談会取りまとめや内閣の首都機能移転問題を考える有識者会議の取りまとめの議論、その他従来からあるもろもろの学説や論調等をも踏まえつつ、移転の意義と効果を大きく八つの観点から検討をいたしました。
基本部会の審議に当たりましては、私も可能な限り出席させていただきましたが、国土庁の首都機能移転問題に関する懇談会取りまとめや、内閣の首都機能移転問題を考える有識者会議取りまとめの議論、その他、従来からある種々の学説や論調等をも踏まえつつ、「移転の意義と効果」を大きく八つの観点から検討いたしました。
これは竹下内閣のときに政治スキャンダルが起こりまして、そして六十三年の十二月に政治改革をやろうという方針を決められて、そして平成元年の一月から数カ月、竹下首相のもとに政治改革に関する有識者会議というものが開催されて、我々も参画をいたしました。それから引き続いて第八次選挙制度審議会、ここにも私は参画をいたしましていろいろ議論を求めました。そうして、海部内閣のときに三法案が提案された。
そういう関係から、平成元年に竹下首相が政治改革に関する有識者会議というのを開催されまして、そのメンバーに呼ばれまして、約半年勉強させていただきました。そして、竹下首相が御退任になりました後、御承知のとおり第八次選挙制度審議会というものが設けられまして、私もそのメンバーといたしまして二年間、日本の政治の問題について勉強したのでございます。
なお、今御指摘の平成元年、政治改革大綱をまとめる前の、曽野綾子さんたちがメンバーだったことを記憶している有識者会議におきましても、リクルート事件の中で、竹下、宇野、海部と続く中での出来事ですけれども、政治改革と言われても、まずこのロッキード事件の反省としての政治倫理の確立があればこんな事件は起こらなかったはずであるということが、当時の委員の皆さんの初めての会合で盛んに議論されたということも記憶をしているところでございます
有識者会議は四月ごろだったと思いますけれども、政治改革に関する有識者会議というものが設置をされたという経過だったと思いますので、今日的な意味での言葉が使われ始めたのはこのころ以降ということではないか、こういうように記憶をしております。
実は、社会経済国民会議という経済界、労働界、学識経験者三者構成の研究機関がございますが、ここで政治問題について数年来いろいろと勉強してまいったのでございますが、そういう関係から、私個人といたしましては、竹下首相の時代の政治改革に関する有識者会議にも参画し、また、第八次選挙制度審議会には、きょう一緒に参っております内田さん、堀江さんと御一緒に参画をいたしました。
有識者会議をやったってそんな話は一回も出ないです。衆参の大蔵委員会でその法案を質問したとき、たまたま私が偽造があったらどうするかと言った。私も偽造なんかあると思っていなかったですよ。だから全体がそういう仕掛けとして甘さがあったんじゃないか、そういう反省をせにゃいかぬよ、そういうことを申し上げたんです。 もう一つは、大蔵省の製造技術の問題の観点から考えてくれと。
昭和六十三年暮れ、竹下総裁は、後藤田正晴氏を長とする政治改革委員会をみずからの直属の機関として設置する一方、その一月後には民間有識者から提言をいただくため、総理のもとに政治改革有識者会議を発足させました。私は、その意を体して、これらの準備、円滑な滑り出しに最大限の努力を傾けたところであります。
ごく最近では、国土庁長官主催の首都機能移転問題に関する懇談会というものができまして、その取りまとめが本年六月にまとまりましたし、内閣総理大臣が主催する首都機能移転問題を考える有識者会議というものがございましたが、この取りまとめも本年七月にまとめられたところでございます。 以上のようなことが主なことだと思います。
竹下内閣のときの政治改革に関する有識者会議のメンバーでありました経済同友会の石原俊代表幹事が、これは日経新聞紙上で言ったことですが、「政治改革大綱で私が一番問題にするのは、企業の個々の議員への献金、あるいは派閥への献金をまだ認めているようなところだ。これは絶対にいけない。企業が議員に何のために金を出すのか。