1996-04-15 第136回国会 参議院 予算委員会 第6号
それにつきましては、先ほど来お話しになっています総理が大変な御苦労をなさって、総理のイニシアチブのもとに実現されました普天間飛行場の全面返還を含めまして、ニけたの施設を対象としていろいろその計画を決めたわけでございます。
それにつきましては、先ほど来お話しになっています総理が大変な御苦労をなさって、総理のイニシアチブのもとに実現されました普天間飛行場の全面返還を含めまして、ニけたの施設を対象としていろいろその計画を決めたわけでございます。
○上田耕一郎君 普天間飛行場の返還は、やっぱり沖縄県民の強い要求がかち取った譲歩だろうと思うんですよ。 それから、同時に重大な問題がある。首相が発表した合意の最後に、危機が起きたとき、米軍による施設の緊急使用を日米両国は共同で研究を行う、そう書いてある。これは何を意味しているんですか。
例えば普天間飛行場と嘉手納飛行場を、私は軍事専門家ではありませんからその面からの評価はできませんが、一体、一緒に共用できないのかというような問題。 あるいは、この機能の問題をとってみましても、普天間ではヘリ、空中給油機KC130、ギャラクシー等、嘉手納では要撃戦闘機あるいはP3Cのパトロール機、そしてまた対地攻撃機F18とかハリアー、AWACSもありますね。
その十万のプレゼンスの中で、日本の基地に四万七千、沖縄に二万七千、その中で、普天間飛行場をいわゆる核として、基地として使っております海兵隊が一万七千おるわけで、まさにアメリカの前方展開の核であるのは非常に機動性に富んだ即応力のある海兵隊である、こういうことでございます。
また、沖縄県から一番要望が出されている点は、皆さん御承知のように、普天間飛行場であります。我が党といたしましても、何とかこの普天間飛行場の返還ということを努力できないか。
○石井(一)委員 普天間飛行場の返還ということは非常にシンボリックな、実は二月二十三日の橋本・クリントン会談でも一言出た、こういうことであり、今後これは沖縄にとりまして致命的なものだと思いますが、どうも残念ながらトラブっておりまして、秋に先送りというふうな状況になるのではないかということを懸念しております。まあ騒音等々の問題は解決しておりますが、これは沖縄として余り大きく評価はしておりません。
それからもう一つ、時間もございませんけれども、普天間飛行場の問題が具体的な問題としてございます。
引き続いて、普天間飛行場、さらには那覇港のコンテナターミナル等を視察してまいりました。
○国務大臣(池田行彦君) 御指摘の普天間飛行場につきましては、先般、沖縄県から御要望のございましたいわゆるアクションプログラムにおきましても非常に高い関心をお持ちであるということをよく承知しております。
○島袋宗康君 沖縄県内で基地の返還というものが一番最重点の施設・区域はやはり普天間飛行場だと思うんです。政府としては普天間飛行場というものを本腰で対米折衝なされているのか、また予測される面についてちょっと御説明願いたいと思います。
特に最後に、普天間飛行場、嘉手納飛行場等の騒音防止協定の問題があります。これは既に、日本では厚木、横田でこの騒音防止協定が出されて、騒音の軽減に向けて大変効果を上げている。
そうしますと、先月橋本総理がアメリカでクリントン大統領と会談をした中で、普天間飛行場の返還問題が議題となったと聞いていますが、その返還問題をどうするのかということが大きな課題になるのではないかと私たちは認識しているのですけれども、この普天間飛行場の返還問題について、防衛庁としてはどのように認識をされて、その会談に対してはどのように臨まれようとなされているのか、現段階でのお考えをお聞かせいただきたいと
この普天間飛行場というものが、沖縄県が先般提示されました基地返還アクションプログラムの素案の中におきましても、一番早い時期に返してほしいという大変強い御要望のあることは私自身よく存じております。
ただいま先生から御指摘のございました嘉手納及び普天間飛行場の騒音規制に関する問題につきましては、地元沖縄県等から横田飛行場や厚木飛行場と同様に合同委員会での合意を求めたいというふうな旨の要望があるということは承知してございます。
沖縄の米軍基地の整理統合・縮小についてでございますけれども、我が党が党内でまとめたものは、クリントン大統領が来られるまでに、沖縄の過度の基地の集中というものをできるだけ是正をするためにこの整理統合・縮小については一生懸命に取り組もうというのが我が党の主張でございまして、特に沖縄県から要望の強い普天間飛行場の全面返還というものについて、我が党ではまず与党に対して提案をさせていただくことにさせていただいております
その第一は、米軍の基地の縮小・整理統合の具体的問題でございますが、先ほどからも御意見がございましたように、当面の具体的問題として、十四事案の一つである普天間飛行場の問題について、先般総理とクリントン大統領の話の中でも既に具体的に名前が出されておるわけでございますけれども、この普天間飛行場の具体的な問題について今日どのような状況にまで話が詰められておるのか、どういう展望があるのか。
私が大変うれしかったのは、この橋本総理とクリントン大統領との会談の中で、特に沖縄の普天間飛行場、この問題が取り上げられまして、この飛行場の返還に総理が期待を示した、このことは大変私自身うれしく思いましたし、国民の皆さんも、とりわけ沖縄県民の皆さんが高く評価されたものだろうというふうに思います。
○仲村委員 くしくも総理が訪米された二月二十三日の新聞に、アメリカは普天間飛行場の機能を岩国へ移転する用意があることを日本政府に対して非公式協議の中で提示をした、さらに米側は沖縄の北部訓練場の全面返還に応じる方針であることも日本政府に伝えた、こういうふうに報じているわけでありますが、橋本総理が記者会見で、クリントン大統領との会談の後、よいシグナルがあった、こういうことの説明の中で、例えば普天間飛行場
総理は普天間飛行場問題についても触れていただいたようであります。同飛行場の問題解決をきっかけに沖縄の軍事基地の整理縮小の具体化を進めていただきたいと思うのであります。 総理、沖縄県民を初め日本国民が、四月のクリントン訪日を明るい期待を持って迎えることができるのかどうか、日米会談における総理の心証をお尋ねいたしたいと思います。
さらに、本日の一部新聞報道によりますと、普天間飛行場を岩国に移転してもよいとの米国の意向が伝えられたようですが、総理のお考えとして、在沖米軍基地の整理・縮小という場合に本土への一部移転が含まれているのか否か伺います。 また、防衛庁長官には、在沖米軍基地の整理・縮小についての交渉内容を伺いたいと思います。
ただいま先生から御指摘のございました普天間飛行場につきまして、沖縄県知事の方から先般のアクションプログラムにおいて返還要望が出されておるということはもうそのとおりでございますが、一方では、現在米軍の、運用といいますか、配置を考えました場合、極めて重要な施設であるというような認識もございます。
ですから、これはもうある意味では絶対的なものだとか、これはもう聖域だから手がつけられないとかいうことではなくて、今度のクリントン大統領訪日の折に、この普天間飛行場の問題について何らかのものを出す気持ちがあるのかどうか、まずそこを、できれば両大臣の方からお聞きをしたいと思うのです。
また、普天間飛行場におきましては、那覇防衛施設局長の説明とともに、諸施設を視察いたしました。 最後に、那覇東急ホテルにおきまして在沖マスコミ十一社との記者会見を行い全日程を終了いたしましたが、今回の派遣に際し御協力いただきました関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。 なお、別途詳細な報告書を委員長に提出しておりますので、本日の会議録の末尾に掲載されますようお取り計らいいただきたいと存じます。
また米軍機のトランスポンダーによるところのノイズ、それから嘉手納基地から出ていると推測されるノイズ、普天間飛行場からのノイズ、あるいは米軍機からと思われる自動車電話基地局に三十秒程度の繰り返しの混信、消防無線への英語による混信などなどがあるのですね。 いずれにしろ、航空管制用のレーダーや無線への妨害、混信が沖縄では突出しているというこの事態を放置することはできないと私は考えるわけです。
普天間飛行場の返還はもう決まっているのですか。最優先させろと言っているけれども、これはどうするのですか。そのかわりはどうするのですか。こういうようなことについての方向性ぐらいはもう少し明らかにされてもいいのではないでしょうか。何か期待して待っておれと言われたって、何を期待したらいいのか、さっぱりわからぬですね。 日本側はどういう主張をされるのですか。
普天間飛行場をどうするのかとか、具体的に今回の準備を、どういう項目でどういう作業をしてどういう準備をしているのですか、その辺をもう少し私に説明していただかないと、何のためにこの橋本訪米があるのか、クリントン訪日があるのか、さっぱりわからないですね。
○古堅委員 普天間飛行場は宜野湾市のど真ん中にあります。その飛行場を囲むような形で住民の居住地域と市街地が展開されております。その普天間基地を抱える宜野湾の桃原市長は、この異常な状況について、人間でいえば心臓と胃をえぐられたようなものだ、人間なら生きていけない、都市なら活力は出ないということだと説明しています。
特に、米軍基地といたしましては、普天間飛行場、嘉手納飛行場、読谷飛行場、キャンプ・ハンセン、那覇軍港、そういったところを視察したわけでございます。 私は、既に戦後五十年たっているわけでございますけれども、沖縄は五十年間変わっていないのではなかろうかと、こういうことを思いました。昨年は戦後五十年、あるいはまた広島出身の私からすれば被爆五十年という大きな節目の年でございました。
普天間飛行場が市の中心部にある宜野湾市の桃原市長は、「人間でいえば、胸から腹にかけてえぐりとられたようなもので生きてはいけない」との表現で深刻に訴えていました。嘉手納飛行場のある嘉手納町は、町の八三%が基地であります。飛行場の周辺部の狭隘な地域に住民がひしめいて住んでいるのであります。これでどうして経済の振興や町づくりが可能なのでしょうか。
その御要請の中に今御指摘の普天間飛行場の問題も入っておりますのでありますが、御要請をいただいておりますもの一つ一つを慎重に私ども検討いたしまして、どういう対応ができるか、つまりアメリカとの間でどういう交渉をするか、あるいはその順番をどうするかとか、あるいはこれらの問題についてどう考えるべきかということも含めてさまざまな対応を目下検討中でございます。
○三浦一水君 それでは、若干個別の問題になりますけれども、まず普天間飛行場の返還問題についてお尋ねしたいと思います。 今、御説明の中にもありました七施設十事案のうちの一つとして普天間飛行場がございます。この普天間飛行場は、宜野湾市の中心部に位置しておりまして地域振興の大きな障害にもなっております。
軍転協、沖縄県から、嘉手納飛行場及び普天間飛行場周辺における航空機騒音の軽減に関する措置として具体的に出ているじゃありませんか。これに基づいてやるんですか、やらないんですかを聞いている。やるとするといつまでにできるんですかと聞いているんです。 韓国には韓国の立場があるでしょう。何でボン協定のことは皆さん言わない。ドイツではやっているんです、ちゃんと改正を大幅に。
さらに今度は、県の協定案に関しては、平日は午後七時から午前七時までの間は飛行を中止する、こういうような要求をしているというふうに聞いておりますけれども、嘉手納、それから普天間飛行場の騒音防止協定は具体的にはいつごろ締結されるというふうな見通しをお持ちになっているのか、お伺いしたいと思います。