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1321件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1958-12-18 第31回国会 衆議院 議院運営委員会 第2号

それでは、各党よりお手元に配付の印刷物にありまする通り、委員として、山浦貫一君、中御門経民君、芹澤彪衛君、山崎廣君、松村眞一郎君を、なお予備委員として、近藤英明君、小島憲君、藤牧新平君、岡崎三郎君、赤木正雄君を推薦して参っておりますので、この方々を指名することとし、本日の本会議において議題とするに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

江崎真澄

1958-10-30 第30回国会 衆議院 国土総合開発特別委員会 第3号

        官       河本 敏夫君  委員外出席者         総理府技官         (北海道開発庁         企画室長)   古村 次郎君         総理府事務官         (経済企画庁総         合開発局長)  浅村  廉君         総理府技官         (経済企画庁総         合開発局特別地         域開発課長)  和里田新平

会議録情報

1958-04-22 第28回国会 参議院 建設委員会 第24号

後藤新平さんが生きていた時分に東京市というものを考えられた。これだって今の計画の何十分か何百分の一の計画です。日本経済力、今日の経済力国民生活程度、ましてや何ら生産をしない自衛隊をまたことしも一万人もふやして、どこに何をしようとするのですか。全く絵にかいた計画なんです。従って、年度計画であるところの整備委員会事業計画をお出し下さい。

田中一

1957-05-14 第26回国会 参議院 建設委員会 第32号

どもは、これはほんとうに新世紀に相応する頭脳の持ち主、たとえば、過去の政治家後藤新平みたいな、あらゆる方面に新機軸を出すというような人が審議会委員になることが必要じゃないかというようなことを痛感するのですがね。どうか一つ観光資源開発などにも十分意を用いていただきたい、こういうことをお願いしておきます。

中山福藏

1957-04-03 第26回国会 衆議院 逓信委員会 第18号

かつて、今より四十数年前になりまするが、後藤新平さんというすぐれた政治家があって、台湾の開発をあのようにいたしました。国内においても、あの天才的ひらめきが日本の産業に示唆したところ少くありません。あれだけの偉才であって総理大臣になる機会を失いましたけれども東北出身の実に偉大なる人であったと思う。この人は当時日本広軌鉄道を用いろということを非常に主張された。

粟山博

1956-11-27 第25回国会 衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会 第9号

ここにおいて、後藤新平伯は、昭和二年モスクワに乗り込みまして、スターリンと会見して、これを抗議したのでございますが、これに対して、ソ連は、コミンテルンとソ連政府とは別個であるという、この紋切り型で逃げを打ったのであります。もちろん、その当時と今日におきましては、ソ連国内事情も著しく違って参っております。

石坂繁

1955-07-30 第22回国会 衆議院 法務委員会 第45号

それが何しろ片方は医者であり、そうして役所と病院と結託して見のがしておるようなことをやっておるから問題にならなかったたけで、相当人権侵害を今までやってきたのではないか、これは有名な後藤新平相馬事件以来非常に重大な問題であります。こういうことが現代においても私は行われておるということをこの東女史の問題で初めて痛感してきて、これは容易ならざることだと思うのです。

猪俣浩三

1955-07-19 第22回国会 参議院 法務委員会 第18号

どうしてもそういう考え方がある、その根本考え方が実は非常に大事な問題である、女は今、藤原さんのおっしゃったように物ないし物以下に考えるような形ですね、御承知の江藤新平娼妓解放令のときには、芸奴はもとこれ牛馬に異ならずという、あれを出している、だから人より牛馬に物を与えて、それより返還を求めるの議なしというととで前借金は棒引きにするということを言ったのでございますが、あれは江藤新平氏の機知で、売春婦

中川善之助

1955-06-02 第22回国会 参議院 運輸委員会 第12号

これが私どもが教えを受けた後藤新平先生の大家族主義根本精神だと思うのであります。多数の従業員自身一大家族であるがごとくに、親が子を思い、子が親を思うように、お互いに辛苦をともにし、責任を分ち合っていくというのみならず、その従業員を包容しておる家庭までがこれに協力をする、これが大家族主義だと思うのであります。

十河信二

1955-06-02 第22回国会 参議院 運輸委員会 第12号

と同時に、大家族主義という、ずっと昔の総裁である後藤新平が言っておられましたような言葉は、非常にこれを賞揚されておられるようでありまするが、この両立いたしました、また並立いたしましたこの問題を、一体どういうふうなことでその指導方針にしておられるかどうか。この点からまずお尋ねいたしたいと思います。

内村清次

1955-05-24 第22回国会 参議院 運輸委員会 第9号

私、初めて国鉄に就任いたしました当時の後藤新平総裁が、国鉄のごとき大きな企業を経営するには、どうしても職員一同家族のごとく一丸となって当らなければならぬ。また、職員だけでなく、職員を送り出しておる家庭におきまして、家庭が融和しなければ従ってその職員が職責を完遂することに支障を来たす、家族もまた国鉄職員と同様に、一致団結して協力しなければならぬ。

十河信二

1955-05-10 第22回国会 衆議院 予算委員会 第9号

かつて後藤新平氏は、ヨッフェを呼んで、その当時の日ソ国交を開く糸口を作られたのでありますが、私は今度の鳩山首相のお仕事は、もっともっと大きな歴史的な意義を持つ事業だと思いますから、もう一、二年くらいは健康が大丈夫だと言われる首相の悲壮なお気持に同情いたしまして、首相の御事業の成功を祈ります。  

田中稔男

1955-03-31 第22回国会 参議院 予算委員会 第5号

松岡外交の愚を繰り返しませんように、第一次大戦後の国交回復等後藤新平が初めて手をつけましてから、なかなかあの手この手を数年ほど講じてやっと道が開けたのであります。私はこういうことは選挙の宣伝にお使いになったり、きのう言うたことをきょうお忘れになるような、しかもそれが国民に非常な、国民だけでないに世界に影響を与えている。

左藤義詮

1955-03-31 第22回国会 衆議院 外務委員会 第2号

○稻村委員 実は私総理大臣に質問したいのですけれども、時間がありませんから、外務大臣日ソ国交回復に関する所見をお伺いしたいのですが、鳩山内閣日ソ国交問題を取り上げたことは、私は後藤新平氏がヨッフェと交渉して、日ソ国交回復したと同じような、それよりも重大な問題だと思うのです、日本の平和と自立のために。そこで日ソ国交回復は、これはもうどんな場合でも日本のためにはマイナスにならぬと思うのです。

稻村隆一