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29124件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1949-05-14 第5回国会 衆議院 観光事業振興方策樹立特別委員会 第2号

次に戰後における観光事業の現状につきまして申し上げますと、戰爭終熄後幾ばくもなくして日本の経済的、文化的再建のために、観光事業振興をいち早く取上げまして、官民の鬱蒼たる声に答えて戰後わずかに半歳にして、戰時中休止の状態にありました地方観光機関が自治的にかつ民主的な形体をとりまして、復活または新設されまた地方観光事業会社も各地に出現して参りました。

薮谷虎芳

1949-05-14 第5回国会 参議院 厚生委員会 第23号

政府委員小島徳雄君) 兒童局の分課の問題につきましては、分課規程を後程資料として提出いたそうと思いますが、分課規程といたしまして、企画課と、兒童課と母子衞生課があり、それぞれ仕事の内容が違うのでありますが、御承知のように兒童福祉法改正に伴いまして、或いは兒童文化の問題でありますとか、青少年の不良化の問題でありますとか、そういうような問題につきまして相当大きな改正を加える関係におきまして、機構を

小島徳雄

1949-05-14 第5回国会 衆議院 本会議 第29号

戰爭犠牲のでこぼこを是正することなく、いたずらに文化國家と永遠の平和をうたいましても無謀でありましよう。遺族年金も與えず、遺兒の育英も考えず、生活保護法に特例も設けられず、職も與えず、むしろ男子世帶同樣の税金を取上げ、供出をしいて來たことは、はなはだしく差別的であり、不平等であると言わねばなりません。遺族年金による一律の救済策を講じ、人たるに値する生活をこの哀れな遺族に施さるべきであります。  

堤ツルヨ

1949-05-14 第5回国会 衆議院 運輸委員会 第19号

しかして本路線の開通は、現行線志佐駅より吉井駅に達する距離に比して十一キロ弱、所要時間において四十分を短縮するものであり、さらに現行線傾斜勾配千分の三十三に比して千分の九に緩和し、燃料の節約、輸送力の増強と相まつて、沿線の炭鉱開発物資輸送観光上等地方産業発達文化交流に寄與するところ甚大でありますから、すみやかに本鉄道を敷設されたいというのであります。

西村久之

1949-05-13 第5回国会 衆議院 文部委員会 第17号

從いまして、そういう事情の違いから來る違いはやむを得ないのでありますけれども、これがために日本の学術なり、文化なり、教育の水準が落ちはしないかという点についての御心配があるように思いますが、むろん新しい制度が実施されます場合には、その轉換、切りかえの時期におきましては、多少の摩擦混乱は免れないものでありまして、おちつくまでには相当の時間がかかります。

高瀬荘太郎

1949-05-13 第5回国会 衆議院 文部委員会 第17号

大体において、学校を建てるのには人口との割合を考える必要がありますので、人口のことは十分考えまして、地方産業文化のことも、しろうとでありますけれども、若干は考えて立てたわけであります。旧制の中等学校の数等は、およその見当はついておりますが、それを嚴格には取上げなかつたことを昨日申し上げたわけです。

日高第四郎

1949-05-13 第5回国会 参議院 本会議 第26号

根本的の立場として、かような医学上の技術を單なる科学の進歩の結果だとして、文化國家だから、そういうものを採用しなければならんとかいうようなことで簡單に考えられては困る。科学技術というものは利用もされれば濫用もせられるのであります。我我はその利用を考えることが本当の文化國家の一員であるというふうに考えるのであります。

田中耕太郎

1949-05-13 第5回国会 衆議院 本会議 第28号

しかしながら、水力資源は太陽のある限り無盡藏の水力資源を合理的に開発いたしまして、現在むだに放流されておりますところのエネルギーを生産財として、アルミニウム、肥料その他の化学製品生産を増強するとともに農村電化普及発達をはかり、食糧の増産と農村生活文化的向上を促進する、こういうことは目下の急務であると固く信ずるものであります。

多武良哲三

1949-05-13 第5回国会 衆議院 本会議 第28号

そうして、その生活はきわめて健康的であり、かつ文化的であるのであります。わが國の憲法におきましても、その二十五條に「すべて國民は、健康で文化的な最低限度生活を営む権利を有する。」と規定されているのでありますが、現在のわが國の國民生活、特に労働者の現実の生活から見るとき、この憲法第二十五條はまつたく空文にひとしく、むしろ重苦しい夢でしかないのであります。

小川半次

1949-05-13 第5回国会 参議院 商工委員会 第15号

大阪工業試驗所國支所設置につきましては、四國に於ける工業は全國生産量に対しまして、塩化バリウムは第一位、硫化曹達は六割、苦汁工業は五割、石灰工業は三割、製紙は三割を占め其の他化学工業及び窯業等夫々全國屈指地位にあり乍ら、四國は政治経済産業交通及び文化等の点からみまして從來稍々もすれば近畿、中國の從属的地位に置かれ、資源は相当豊富であり産業振興の余地多大であるにも拘はらず、未だ開発されないものが

小林英三

1949-05-13 第5回国会 衆議院 商工委員会 第14号

大阪工業試験所國支所設置につきましては、四國における工業は全國生産量に対しまして、塩化バリウムは第一位、硫化ソーダは六割、苦汁工業は五割、石炭工業は三割、製紙は三割を占め、その他化学工業及び罷業等それぞれ全國屈指地位にありながら、四國は、政治経済産業交通及び文化等の点からみまして、從來ややもすれば近畿、中國の從属的地位に價かれ、資源は相当豊富であり、産業振興の余地多大であるにもかかわらず、

有田二郎

1949-05-13 第5回国会 衆議院 運輸委員会 第18号

承知のごとく、長崎は文化発祥の地でありまして、戦時中あるいはその前におきましては急行冨士も通つたところでございまして、その後いろいろな客観的な諸情勢から、準急に切りかえておられる。私が個人的に先般小西運轉局長とお会いしましたときに、これは八月からやる。また坂田政務次官その他にも非常に協力していただきまして、やるという話があつたのでありますけれども、まだその実現を見ないわけであります。

坪内八郎

1949-05-13 第5回国会 参議院 大蔵委員会 第26号

私が賛成いたしかねるという理由の第一は、この法案趣旨根柢医療保健に対する國庫の負担を減少するという意図が含まれておると考えるからであるということ、そうしてこの考え方は、いうところの社会福祉増進根柢をなすところの健康、或いは文化國家の基盤をなすところの社会全般の健康というものの増進に有害であると信ずるからであります。

石川光昭

1949-05-12 第5回国会 衆議院 内閣委員会 第19号

こうした村に公共企業の恩典を、しかも文化発展に非常に影響のある逓信事業を供與しないことは私どもとしては忍び得ない。そういう趣旨からこの千八百の村を大体目標といたしまして、簡易郵便局法という法律案を御審議願うことになつております。この簡易郵便局法案精神は、決して昔の特定局精神ではないのであります。

小澤佐重喜

1949-05-12 第5回国会 衆議院 文部委員会 第16号

日高政府委員 学問や、文化の向上のためには、それに携わる者の自主的な自律的な活動及び創意くふうが必要であることは、文部省も十分認めておりますので、現在の法制において許される範囲においては、できるだけ自治を重んじて行きたいという方針をとつておることは、明言してさしつかえないと存じております。

日高第四郎

1949-05-12 第5回国会 衆議院 文部委員会 第16号

その当時私もお願いしたことがあるのですが、仙台東北文化中心であつて隣接縣である福島縣從來たくさんの学生がおせわになつておる。北海道を認めるならば東北七縣でも、たとい人口は少くても、だれが見ても仙台東北文化中心になつておる関係上、二つの大学を認めていただきたいという念願を持つておつたのですが、それがどうしてできなかつたのであるか、その辺の事情をお伺いしたい。

圓谷光衞

1949-05-12 第5回国会 参議院 労働委員会 第12号

併し殊に法体系ということを考えて行きますと、これはあなたのお説では法律を條文化すということは非常に困難ではないか、こういうふうに考えるのであります。この点御見解を……  それから労働組合全体の趨勢から考えて行きますれば、労働組合法がこれは桂さんの言われるように、終戰直後一定の想定の下に作られたものであつたから、不備な点があつたということが三年間で分つたというのです。

原虎一

1949-05-12 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

それから組織部下部機関といたしまして文化、調査宣傳、講演、アジプロ等、こういうものがある。それから管理部の方では作業、営繕、宿舎、給與、糧秣、被服それから日直、こういうものがある。そこでこれらの管理部の方の最初の部長は鬼島という部長でありました。それが今度は次には駒場という中尉なつた。その後任が小山という軍曹になつて來た。こういうふうに私共は考えておるのであります。

天田勝正

1949-05-12 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

ついては中に藝術文化方面のことも必要だろうということで、結局今朝日新聞におられるとか聞く石川雅男氏、元中尉、それから松本少尉田辺中尉そういうような方、それから薬剤の某中佐、これは文化方面を担当することになりました。そうして一應顔ぶれができたのでありまして、そうしますと新聞を出せ、結局いわゆる壁新聞なるものが初めて発行されたのであります。併しソ側の方は、そんなものは壁新聞ではない。

増渕俊一