1949-08-01 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第29号
○新井證人 そういうことは一連の先ほどお話したと同じようなことで、私は政治家でありませんから、それは國会の方でおきめを願いたい。
○新井證人 そういうことは一連の先ほどお話したと同じようなことで、私は政治家でありませんから、それは國会の方でおきめを願いたい。
それほどに農民というものはもう政治家に、あるいは政府に信頼し切つている。その信頼し切つているところの農民を裏切るような、こういう法律案というものは、私はこれはどうしても撤回されなければならないと考えているのです。今農民は國会がお休みになりまして、議員各位が地方に帰えられて、このような農民のために不利なる法律案が継続審議されているということを知りまして、非常に驚いております。
甚だどうも私はあなたに対して敬意を拂つておつたら、政治家になろうとしている。技術やとして日本の國土は我々が守るという信念を飽くまで貫いて行かなければならん、私は建設省の技術やに非常なる同情を持つておる。苦しい予算の中で國土を護つておられると思うから敬意を拂つておる。その敬意を拂つておるあなたが災害は天災なりと片付けられて、日本の國土を如何にしますか。天災じやないのです。
而も税務官吏は金儲けではない、そうして又余り政治家になつてもいけない、そういう非常に矛盾した面を持つおるために、いろいろな世上に論議されるような不正も、或る程度そういう外部の條件によりまして出ざるを得ないような環境に置かれておる。これが税務行政の非常に最近特に顕著になつた問題であります。
それが決して実際の政治家が出す結論よりも、権威のあるものではないのであります。そういう実際的な政策というようなものになりますと、理論的な研究から客観的な権威のあるものはなかなか出て來ない。
そういうように同姓の場合には、全國区の場合には非常に候補者には不利な影響を與える、当落の運命になるということでありますが、これは誰でも考えて、これは駄目だといつても、ここは研究の場所であるから、研究として申上げたのでありますから、その投票を半分分けするか、候補者が、或いはその人が自分の在住する縣の分はそれの三分の二ぐらいは有効とするというような、比率的にこれを投票を割つて行くというようなことも、我々は政治家
この点、あなたが民意を代表して当選をされ、民主的な政治家として立つておる今日、少くともこの事実をあなた方が認め、アメリカやその他大きな農業國のように、一つの農業を企業的な採算の上に考えるのと、日本のような零細的な、やつと家族が生活をする、しかもそれはほとんど全部家族の勤労の集結によつているという事実から、ここに新しく扶養家族を控除するの新制度をこの税の上で見出すことが必要じやないかと考えますが、これは
副議長はみずからあの責任を感じて辞任せられることが最も政治家として正しい処置でありましよう。併しながら今尚何らの態度を表明されていないことは、副議長の椅子にどんな状態が起つても噛り付いていたい、この汚い意思を持つておられることは誠にお氣の毒に思うのであります。
政治家が寄つてただ審議をする。いわゆる、どのくらいにしようかという、それで結構であります。そこでカニエ君の問題は分りました。すでに……。最初カニエ君がこちらから参りましたときに、誰か守衞の一人が間を開けたのです。その間を開けたときにすべり込んだ男があるのです。この守衞が、カニエ君が議長の前に突込んだと言つて北村一男議員に報告したのであります。
ところがこつちは政治家ですからもつと大きい。今御説明の百五十六万九千トン硫化鉱は、肥料の百万トン計画にいるに違いない。去年は九十八万トンの生産をしており、ことしは二万トンしかふえていない。これはほかの方から御説明を受けてもよいが、硫安工場の生産能力は百四十万トン、これを助成すれば百六十万トンないし百七十万トンになるのです。
これが政治家である。私は諸君にどうか冷静になつて、戰前のいろいろの経驗を経て來た、痛い経驗を経て來た、そのことに鑑みて、猛反省なさることを私は願わなければなりません。私はこういうことを申すというと、何だか一身上の弁明から逸脱するように、又議長から注意があるかも知れませんが、これはそうじやありません。これこそが大事なところであります。あなた方は思い出して見られるでしよう。
誤報の記事をそのまま採つて趣旨弁明とするならば、草葉君が政治家として誠に幼稚至極なものであると断ぜざるを得ないのであります。(「その通りだ」と呼ぶ者あり)新聞の誤報か否かを確かめてやるべきだし、草葉君等が若し記事を提供したと仮定するならば、惡意ある作爲だと言わなければならないし、この記事も当夜の議長、中野君、鈴木清一君及び傍聽者によつて必ず私は否定されるに相違ないと思う。 又草葉君は言つた。
私は一個の政治家として、一個の國会議員として、私を選んだ人々から負託された任務を果す点において、そのために眞劒に身を粉骨して鬪う点において、私は自分の義務を徹底的に果したと思うのであります。私は私のそのような行動が完全に正しかつた、天地に恥じない行動であるということをはつきり考えております。併し懲罰の問題に関しまして、主観的に私がどうであろうとも、いろいろ客観的な評價もあり得ましようと思います。
○井上(良)委員 大臣は少くとも政治家でございますから、そういうことは考えないと思いますが、本年農業方面に対する公共事業の経費の削減の一つの性格変化が行われている。それは個個の農民の利益を対象とする補助事業については補助しない、こういうことが本年の農業方面における政府の処置として現われて来たわけなんです。
○吉川委員 また供出のリンク物資に関してお尋ねするのは、非常にしつこくで恐縮に存じますが、神田にあつた纎維局を虎の門へ移されたり、新宿のボス退治をやられたりするような、今までのいわゆる政治家に見られない、果断をもつて対処されております有田政務次官が、私の二十二日の質問に対して一つ明確を欠くお答えがあつたのであります。その点をこの際明らかにしていただきたいと思いまして、もう一應お伺いするわけです。
この不当な利益に対してピユロクラット、日本の官僚主義者達がこれと協力しておるということはオープンシークレツトであつて、そうして多くの政治家がここから政治資金を得ておるということも公然の祕密である。結論として政府はこういうようなポリティカル・カラプシヨン、政治的不腐の原因であるところの競馬というようなものを奬励するつもりではないか。そうして國民の利益を犠牲にし、納税者を犠牲にするつもりであるか。
公僕であるならば、少々の風邪引きぐらいは押して、無理をしてでも出て來ると、この國政のために倒れてこそ、政治家としての本懐ではないか。
由來、労働関係諸法立法の根本というものは、社会立法として單に勤労者の諸権利を守らんとしたものであるに止まらず、日本におけるあらゆる保守的、反対的、独裁的諸傾向を粉碎して、眞に民主的な平和國家を再建するために、そうして又戰爭挑発者としての軍閥、財閥及びこれと結託した官僚や政治家共を國民輿論の立場からこれを排撃するために、その民主勢力の中核体としての労働者の経済的、社会的、政治的地位の向上が要請されたものである
それで中山君さんがやることを前提として、あとは横田君の方は場内交渉というような、味もそつけもない、政治家に似合わないようなことを言わないで、相談してやつてもらう、こういうふうにしようじやないですか。
これを要するに、今次の行政整理は、政府の整理基準が分明しないこと、退職手当は四箇月がほんとうか三箇月がほんとうか、いまだにわからないこと、第三に予算の節約額が分明しないこと、そうして最後に失業対策が極めて貧弱であること、以上の四点から見まして、いかなる角度から見ましても、いやしくも良心ある政治家は、かくのごときでたらめな法律に対して賛成ができないことは、これは常識でございます。
殊に終戰後の惨憺たる中に、あるいは草をはんで廳舎の中に雨露を凌ぎながらも自立と再建の希望を捨てず、あらゆる困苦欠乏と戦いながら、一方には選良を國会に送つて再建の政策樹立を期待し、一方にはその極度の貧窮の中から國費を醵出したのでありますが、一切は裏切られて、官僚は巧みに政治家を籠絡し、幾多醜惡なる地獄事件を白日のもとにさらし、國際の信義を失うとともに、惡税とインフレによつて奈落の底に追い込まれた國民が
しかしその政治家が再び官僚の籠絡するところとなりまして、皆さんが御承知のように、幾つかの醜惡なる事件を巻き起しておるのであります。今回の選挙によりまして、國民がひとしくあらゆる情勢におきまして最も関心を持つたのは、この行政整理を強行いたしますところの点であります。ここにおきまして國民が民主自由党の諸君に絶対多数を託して、これを敢行させようと考えておつたのであります。
ここにおられる、最も政治家であるといわれている逓信大臣は、なおこの上に首を切ろうとしているのであります。このような事実によつて、今吉田内閣の手によつて日本の通信機構や日本の運輸機構というものを、われわれみずからの手によつて破壞に追い込まんとしているのである。
或いはその中に將來の大政治家なしと誰が断言し得るか。立派な学者、或いは学校の先生、或いは科学者、或いは文化人、そういう立派な素質を持つておる者があの多数の青少年中にいるということを考えましたときに、我々はそのまま放任して置くことはできないのであります。即ちこれは社会の罪であり、又政治の大なる責任であると痛感をせざるを得ないのであります。
○柏原政府委員 ボスの話が出ましたが、古い型のボスとか、古い型の思想家とか、政治家とか、あるいは弾圧的な人を講師に頼んで講演をしたりする場合もありましようが、しかし現在の日本におきましては、もうそういう古いボスで青年層を指導しても、ついて行かぬくらい一般の思想は高まつておりますので、そういう古いボスを持つて來て講演でもやらせましたら、聽衆は來ぬ。しかし新しい型の人が行けば聽衆は來るだろう。
官吏やあるいは政治家とかいうものも当然含まれると思うのですが、どんなふうにお考えですか。