1949-04-08 第5回国会 参議院 本会議 第12号
又政治道徳について話がありましたが、私が左派を切るべしということを言つたがために云々というお話がありましたが、この左派切るべしという表現をいたしたかどうかということはとにかくといたして、連立内閣、連立に入つて呉れないかという社会党の片山委員長からの話があつたときに、私は左派のイデオロギーは何かと言つて聽いたところが、これは容共主義であると承知しろ、こういう話でありました。
又政治道徳について話がありましたが、私が左派を切るべしということを言つたがために云々というお話がありましたが、この左派切るべしという表現をいたしたかどうかということはとにかくといたして、連立内閣、連立に入つて呉れないかという社会党の片山委員長からの話があつたときに、私は左派のイデオロギーは何かと言つて聽いたところが、これは容共主義であると承知しろ、こういう話でありました。
第二番目は、最近の民主自由党の政治技術が、日本の國の民主政治並びに政党政治の円満なる発達を阻害しつつあると存じますが、これに対しての総理の御心境を伺いたいと存じます。(拍手)民主自由党は去る一二月解散以前、すでに第二次吉田内閣を組織していた政党であります。
(「同感々々」と呼ぶ者あり) 私は第一に政治の責任であります。近代政治は申すまでもなく責任政治でありまして、そうしてこの政党がその政治を行う上において最も大切なことは、自分のやるということを國民に訴えて、國民が又自分の出しておる税金やら負担をこの人に任せて置けば、ああいつたように使つて呉れるのだからという安心をして任せたわけであります。任せるわけであります。
何もわれわれは政治家として、投書が来たから、嘆願が来たから、それに感じて盲目的に動くというわけではありません。そうではなく、靜かにいろいろ観察した結果、これはやはり委譲してもらつては困るというのが輿論、民論のようであります。
実際の政治の面において、終局に現われますところにおいては、多少のモデイフイケーシヨンはやむを得ないかもしれません。しかしそれは運輸大臣にまかせればよい。当委員会の線において、もう数歩を譲つたことをわれわれは決議する必要はない。われわれ專門の委員会としましては、ほんとうに國家のために事務的にりつぱな案をバツクすべきであります。この委員会が、すでに一歩二歩讓つた線で運輸大臣に申し上げる必要はない。
また道路の面につきましては、もし運輸大臣に最も政治的な性格ありとすれば、この際運輸委員として、運輸大臣としての一番政治的な生命だと思うこの点について、十分な御研究をいただかなかつたということは、実に残念であります。遅れたりといえども、今からでもひとつその点は御研究いただきたい。日本の特來の陸上運輸を考えますときにこの点の結合ができなければ、理想的な態勢ができない。
○小玉委員 私は法律家だから法律的に考えますと、政治的に言う超党派という言葉は、法律的に言えば各委員が独立でその職務を行うのが超党派的の意味だろうと考えております。だれが出たからと言つていることがすでに数にこだわつている。これが超党派的ならば、結局各委員、理事は独立して自己の党派を超越してやるのでありますから、それでよろしいと思います。
質は量に伴うというのが民主政治の建前だ。数を無視して民主政治は成り立たない。そういう意味で超党派的ということは成り立つけれども、超党派的ということは必ずしも数を無視することではない。
政治家か何かだつた……もう一人松村少將、そういうような人に命じまして二人だつたと思いますが、或いは一人かも知れませんが、我々の方も二つに分けましてこういうことを話しました。一つはソ連の憲法についてのお話、三回ございました。それからソ連邦の國家機構と申しますか、そういうような問題について二回ぐらいやつた。
それはどういうことかというと、私共が初めに参りましたときに第四分所というところに入つたのでございますが、暫く兵隊さんのところに一緒に二、三時間おりました、そのときに兵隊の方の委員のような人が出て來まして、これに書き込んで下さい、その一つは前職務は何であつたか、それからどこにおつたかというようなこと、外に、こういうことについてどうであるか、日本の民主政治についてどう思うかとか、それから日本共産党に対してどういう
この機会に、どうしてもあくまでこれで遂行せずんばやまないという具体的な行動が大臣によつてなされることが一つの大きな政治上の重大要素になつているのではないかと思うのでありますが、そういう点に対する大臣の決意を承つておきたいと思います。
教育をはなはだ不完全にするというばかりでなく、政治的にも思想的にも非常に重大な問題であるということは私もよくわかつております。それで私としてはあらゆる手段を通じ、あらゆる機会をとらえまして、この六・三制の危機というものをどうかして乗り切つて行きたい、こういう決意であくまで努力して参る考えでおります。
殊に緑風会に対するところの政治的批判は御自由であつて、それは無所属懇談会にどれだけ政治的結社を持つておるか、御趣旨がお届きになつておるか知らんが、それらの論理的論戰をやろうという氣持はさらさらないのであつて、初めからお理屈を以て臨んでおるから、僕としては理屈が通らないと思います。無所属懇談会こそ一人一党主議であると思うと私は拜見しておる。
○堀眞琴君 矢野君の御意見として、数の政治が民主政治だというのは、それは多数の横暴ですよ。民主政治である以上、少数の意見を尊重するということが必要なんで、ただ單に意見を聽いて置いて、あとは数で以て押して行くというのでは多数の横暴ですよ。
○矢野酉雄君 それは一應のお理屈として承わつて、民主政治を非常に主張しておられますが、民主政治は数の政治ですから、一應お理屈として承わるということにしていいと思うのです。
そういう意味合いからしても、われわれはアメリカの立法その他の政治運営を調査して、そして日本の衆参両院に勧告するということは、最もよき機会であり、またよき材料を得ると思うので、この際好機逸すべからずという意味から派遣をする意味があると思うのでございます。
その上さらにここに非常に抽象的な反民主主義的な團体というものを持つて來て、この反民主主義的だということの解釈が時の政治権力、あるいは時の権力者によつて自由に解釈されるということになれば、これが再び反動的な政府が政権を取つた場合、反動的に解釈される危險があるので、われわれとしては解釈上どうにもなるような非常に抽象的なものをむりにここに入れる必要はないと思います。
從つて封建社会の建設を綱領とする團体は、これも反民主主義的であり、一方独裁政治を企図せんとするものも、これも反民主主義的である。そこでもし共産党が労働者、農民の独裁政治をかりに企図したとして、その片鱗が現われたときは反民主主義的團体といつてさしつかえないものであると私は解釈する。
更に又これは均衡論でありますが、最近の政党或いは労働組合というものが非常に発達いたしまして、これがいろいろ政治的の活動をいたしまして、これが選挙に際していたします運動というものは、これは選挙運動と区別するということは実際上不可能なのであります。
又学者の言われたことで、学者の説を聞かれることも結構でありますが、政治学者の説というものは、数十年來政治運動をしております私などから見ますというと、学者というものは、実際家が知らんようなことをよく知つているのでありますけれども、一面において又書斎にばかりいるのでありますから、本当のその政治の実体というものを知らないでいることが非常に多い。
その時期はいろいろに考えられるのでございますが、大体政治資金規正法などの面から考えまして、一年ぐらいの期間の選挙事前の選挙運動だとしたものの費用は公開する、こういうより外方法がない。その公開につきましては、これが果して正しいものであるかどうか、あれだけ使うのはひどいではないかというようなことは、これは國民が判断すればよいだろう、こういう氣持を持つております。
○吉田國務大臣 私は腹の底から主義、政見を同じゆうする政党政派と一緒にやりたいという考えで、それで單独というものが、單独の独なるものがどういうものか、定義にもよりますが、いやしくもわれわれと政見を同じゆうしておる政治家は、かりにそれが民主党であろうと、あるいはその他の党であろうと、政党政派を区別せず、國家のためこの経済危機を乗越える、あるいは日本の復興のために協力して参りたい、こういう考えでおります
ゆえに近く戰爭があるとか、あるいは平和は維持できないというような考え方をもつて政治家が國民に臨んでは、世論をしていたずらに危惧の念を起さしめ、ようやく安定せんとしておる日本が、安定を欠くというようなことになりますから、いやしくも代議士諸君、國民を指導せられる政治家諸君においては、言論を慎重にお考え願いたいと思う。
それではどうしてこしらえるか、これは先ほど申した通り、こね上げるわけにも行かず、人為的にこしらえるわけにも行かず、強制してこしらえるわけにも行かず、自然に日本の政治の流れがそこに帰着するということ、これらがすなわち民主政治であろうと思いますが指導する政治家諸君が、そういう二大政党論が正しいと考えられるならば、そういう方に輿論なり、國民なりを導くように御協力を希望いたします。
これは私は飽くまでも日本が民主政治に徹底いたし、民主政治の國々とよい関係を持ち、又民主政治の國々が、日本は眞に平和を愛好するのであり、又日本は世界の平和に飽くまでも貢献するという國民が決意を持つておるということを示すことが、日本の今日において先ずとるべき態度ではないか、こう私は考えるのであります。故に日本における民主政通の確立には飽くまでも努力いたしたい。
でありますから、日本の復興なり、日本の再建、民主政治の確立という点においては、何者の党であるかは別として、社会党その他にはそれはないと思いまするから、話はでき得ると思います。
○伊東隆治君 私の質問の第一点は、現在におきまする我が國の政治のあり方について、吉田首相の所見をお伺いいたしたいのであります。
なお民主自由党の資本論は古典的であるからして、中道政治論に改めてはどうかという御忠告でありますが、この点に対しては遺憾ながらお断りをいたします。また人口問題についていろいろお示しがありましたが、私は総合してそのお示しになつたすべてを実行いたして、人口問題を解決いたしたいと思つております。 また警察制度についてはまことに不完全であることは御同感であります。
次に六・三制予算の獲得のために、内示案による公共事業費の操作について関係方面と折衝しておる点に関し御意見がありましたが、今日の政治的経済的制約のもとにおきましては、まつたくやむを得ないことと考えております。
○野坂委員 これは西尾流の個人という言葉を思い出すのですが、こういうことはここで議論しても意味はないと思いますけれども、少くとも政務次官という重要な地位におられる近藤さんが発表される意見として、これは個人と言われても、政治的に重要な問題だと思います。
これがぶつきら棒にやるならば、憲法第七十三條で内閣それ自体がこの処置を或る程度やり、或いは事前、或いは事後事三号によつて國会の承認を経るというような手続をすれば宜いのでありますが、いろいろな政治的の外交的の処置が拂われて、そうして芦田内閣によつてそれが終末せずして現吉田内閣にこれが持越された。
いかなる場合でも法規の精神に照しまして、ことに日本の今日の民主政治のもとにおきましては、民主主義運動に対しまして彈圧を與え、あるいはこれを妨害するとかいうようなことは毛頭考えておりませんのみならず、さらに進んでこれを助長して、正しい組合運動はますます援助したいという考えを持つて進んでおります。
これはわれわれ生産者も政治家も、またあなた方お役人も、一体となつてほんとうに解決しないものをどう解決するのか。この面はどんなに泣きついても、すがつても解決してもらわなければならない、そういうことに対してどの程度の努力を拂われておるか。私は最近、はなはだ失礼な申分でありますか、その点に対して大なる疑義を持つているのであります。
私ども、生産者大衆のいろいろな声を聞いておりまするがゆえに、政治の面で働く者として、これを黙過することはできない。
未亡人の実態調査なぞをするならば、その救済策をどうするかという具体策を立て、それを政治の上に現わして行こうということを婦人少年局がするのかしないのか。そういうこともはつきりいたして置かなければならない。関係の各位から一應承わりたいと思うのであります。
三月の二十八日におけるこの問題は、労働者、農民、市民その他一般大衆が、税金に対する問題、労働組合法規改惡に対する反対、及び吉田内閣の政治に対する反対、こういう意味合いの大きなる集会を、扇町公園で開いたのでありますが、大会無事終了した以後、デモ行進を始めた。それに対する警察の不法きわまる暴圧事件、職権濫用事件であります。
かようなわけでありますので、かかる役所のごときものは、官僚の手では絶対に廃止ができませんから、吉田総理のごとき独自の見識を持たるる政治家にして、初めて戰時中できました無用の役所を廃止することができると思うのです。(「そうだ」と呼ぶ者あり)この点吉田総理の御意見を伺いたいのであります。 次に、今日公務員にしてその職務を果さざる者がどうも沢山あるように見受けるのであります。
(拍手)而して政党政治の信頼を擁護する義務を負うべきであります。然るに施政演説によつて示された政府の政策は、総選挙当時の民自党の政策的な性格乃至公約とは著しく変質しておることは極めて明瞭であります。首相は、今回提出した予算案は九原則並びにドツジ氏声明を了承し、政府の責任においてこれを具体化したものであると言つておるのでありますが、九原則はすでに選挙前に示された原則であります。
若しこれをやらないにおいては、ただ彌縫策で、いよいよ水害となれば、お互いが苦難に苦しまなければならぬのでありますから、この点を私は特に吉田総理の政治的手腕によつて、更にGHQにも交渉して……災害復旧は一昨年から名ばかりで金は出ておらんのです。
現在のような莫大な外國援助に頼つていたのでは、いつまでも政治的独立も望めません。結局將來において國民全体がみじめな状態に陥つてしまうおそれなしとしません。この際は何としても國民総耐乏によつて、できる限り多くの輸出を行い、一日も早く経済的自立に到達せねばなりません。
われわれは、いうところの武士道精神——(発言する者あり)その流れをくみ、かような時勢ではありましても、あらかじめこれを放棄いたしまして、この多大な援助に報いなければならぬとともに、すみやかにいわゆるアメリカの経済的援助を受けて、日本の再建がいつときもすみやかになされんことこそ、今日われわれ政治家として、努力いたさなければならぬところであると確信するものであります。
われわれはここにおいてこれだけ今日の國情の回復に対しましては、滿腔の感謝をささげることにやぶさかではないのでございますが、しかしながらそれと‥‥(発言する者あり)それと、國民が有する権利の放棄とは、政治は峻烈に区別しなければならないと存ずるのであります。(拍手)本阿波丸の事件は、これはアメリカ政府におかれましても、自己の過失を承認せられておるのであります。
席に檢察事務のごとき渉外事件頻発する労働事犯乃至政治事犯等、福岡本廳に檢事正の指揮を仰ぐ要あり、通信連絡の不円滑より敏速を欠きその機宜を失する虞れあるのみならず、控訴抗告等の事要についても福岡本廳に往復せざるべからざるごとき、急迫を要する権利の伸張、防禦にその機を逸すること例少なからず、その不利不便は局内官民の深く遺憾とするところであります。