1976-10-15 第78回国会 衆議院 外務委員会 第4号
ところが韓国におきましては、まず終戦後、李承晩大統領による反日侮日政策というものが続いておりまして、私は一九六〇年に日本の外務大臣として初めて韓国へ参りまして、李承晩内閣が倒れた後の張勉内閣、また当時の尹フ善大統領、その人たちといろいろ話をいたしたのでございますが、彼らはそれによって初めて日本に対して目を開いたと言ってくれたわけでございます。
ところが韓国におきましては、まず終戦後、李承晩大統領による反日侮日政策というものが続いておりまして、私は一九六〇年に日本の外務大臣として初めて韓国へ参りまして、李承晩内閣が倒れた後の張勉内閣、また当時の尹フ善大統領、その人たちといろいろ話をいたしたのでございますが、彼らはそれによって初めて日本に対して目を開いたと言ってくれたわけでございます。
ここで張り込んだ相手の人は、張勉内閣の時代の国連大使をやっておられた林昌榮という方ですね。この林昌榮氏は二十三日以降に張り込んだんだけれども、おりてこなかった。ところが数日前に先に着いてしまっていた。都内のホテルを、連日宿泊所を変えて転々とされた。この林昌榮という人は、七月十七日に来られて八月十七日までおいでになった。
張勉内閣になってこれが十億ドルになり、次第に下がって、ここまで下がってきた。日本側としてはまず成功と いってよいかと思いますが、韓国から見れば、それだけに不満、不平であります。こういうことも考えて、まずこの辺でいたし方がないと私は思い ます。
その次には、日韓会談はほぼまとまる、韓国の中に新しい理性の光がさしたといわれておったと思うと、張勉内閣が倒れて、朴政権という二・二六事件のなれの果てのような性格の、仁義の従輩でなければ理解しにくいような、すなわち正常な教育のある人間にとっては理解しがたいような感情と論理と経歴の中に育った政権が生まれた。
だから、きのうのような、学生まで含んで、そうして、かつての李承晩・張勉内閣を倒したあの大衆的な盛り上がりというものが、労働者のストライキと結んで出る可能性というものが根強くあるわけです。この反省を日本の保守党並びに財界の諸君がどう見ておられますか。
たまたま李承晩政権のときには相手にしてくれなかったのですが、軍事政権の前の張勉内閣からだんだんそれが盛り上がってきまして、そうして話し合いを進めておるのであります。私は、日韓両国民の正常化に対するこの悲願を、この願いを実現する場合において、それが民主政権であろうが、軍事政権であろうが、とにかく、あせりはいたしませんが、できるだけ早く正常化をしようというのは私は当然のことだと思う。
だから、朴政権に限らず、その前の張勉内閣のとき、また李承晩のときから日韓交渉を、日韓の国交正常化をやろう、これはもう周知の事実でございます。十数年前から正常化に努力していこう。ただ相手がこれについてこなかっただけであります。それに向かって進んだのは張勉内閣、そうしてその次の朴政権でございます。
張勉内閣があとできたが、これも弱体であった。そうして政界、財界は腐敗をする、貧官汚吏がばっこするといったような、目も当てられない状態というものになって、学生諸君、あるいは教授諸君が決起をして学生革命が起った。その後どうやら幾らか民主化の曙光が見出されたものの、これまた思うようにいかない。青年将校が決起をする、その青年将校は貧困な農村の子弟である。
朴政権は、選挙を通じて正当に選ばれた張勉内閣をクーデターで倒してできた軍事政権であります。しかもなお、政治活動の自由は弾圧され、戒厳令は数日前ようやく一応解除はされましたものの、言論、結社の自由が極度に抑圧されていることは御案内の通りであります。はたして日本が交渉の相手政府として、朴政権が朝鮮国民の意思を代表する正当なものであるかどうか、全く不明といわざるを得ないと思います。
前の張勉内閣のときよりは組織も変わりまして、非常に活発に、しかもこの八六五号艇というのは、妙なことを申し上げて恐縮ですが、非常に成績を上げておる船でございます。
これが最後の政権だなんと考えるのは、やはり浅い考えであって、国民の力によって選ばれれば、過去の問題があったとしても、張勉内閣というのは国民の選挙によって選ばれたのだから、いい悪いは別として、やはりわれわれは、そちらのほうを民主的に選ばれているものと思っていいと思うのです。
なぜかと申しますと、この張勉内閣時代には、南北統一、民族独立運動が自由にできたわけであります。そこで、日本における各大学の留学生なんかが先頭に立ってやった。どこのところでも学生というものはそういう進歩的な先頭に立つものであります。ところが、そのリーダー格になっている者は朴政権にそれぞれ皆どうもリストに載っておるらしいのであります。
南北合同運動なんというのは、張勉内閣のときには自由にやっておった。ほとんど全部こういうものが弾圧せられる。そういう状態ならば、まさに、ここに入っておるところの、本国へ帰っても保護を受けられない、保護を受けることは不可能だ、そうしてまた帰国を望まぬ人々、これに当たる。「現在母国を離れており帰国してその国の保護を受ける事が不可能か、または帰国を望まぬ人々を含む」と書いてある。
張勉内閣時分には、別に抑制されておらなかった南北統一運動、こういうことが、朴政権になりましてからは、いろいろな法律によりまして、徹底的な弾圧を受けておる。たとえば反共法というような法律、この法律は、南北統一論者に対して、何げなく手紙を出した者さえ全部処罰するというような、極端なる法律であります。
そこで、これらのいろいろの政変下において日本に脱出してきた人たち、ことに学生等で、この朴政権下に帰りますと、人身の自由その他生命の危険さえ脅かされる者が相当出てきたのでありまして、現にずっと李承晩政権あるいは張勉内閣当時から国家の補助によって日本に留学していた学生が、朴政権に反対運動をやったということで相当人数奨学金の停止処分を受けている。
○猪俣委員 それから、これは申し上げるまでもないのでありますが、李承晩内閣時代あるいは次の張勉内閣時代といえども、まだ南北の統一の運動をしたということだけで直ちに刑罰に処せられたというようなことはなかったわけですから、日本における連中も、自由にそれをやっておったわけです。
すなわち、今回委員長も報告に及びましたとおり、日韓交渉一つ取り上げてみても、御承知のとおり、軍事クーデターによりまして、一応選挙によって選ばれた張勉内閣が倒れて、そうして張都暎軍内閣ができ、皮肉にも彼は死刑の判決を受け、無期懲役になり、先日、御承知のように、尹大統領もこれまた辞職する、こういう事態を引き起こしているのであります。
そうしたら、当時張勉内閣の時代でしたが、これはもうまことにごもっともで、当然置くべきものだ。ただ、置きますと、これは代表部を置いたら大使館というものは当分できないという印象を与える。で、われわれ——というのは韓国側が言いますには、われわれは至急日韓会談を妥結させて、日本の大使館を迎えたいので、ちょっとの間だからしんぼうしてくれと言われているうちに、政権がかわってしまったわけです。
○大森創造君 李承晩がああいういきさつでやめられて、それから張勉内閣ができた。そしていわゆる、われわれの側の言葉で言いまするというと、コーリアン・ロビーの方々が、自民党の代表の方々が、張勉内閣崩壊寸前に韓国を訪問されて、いろいろ調査をされてきた。
そこで、この革命政府の合法性と申しますか、前の内閣との継続性があるかどうかという問題になりますと、張勉内閣時代の大統領であった氏がそのまま留任しておる。これは継続性を示すものだ。ところが、その間一年たちまして、そうして国家再建非常措置法という法律ができまして、これはユン・ポソン大統領の治下でできた。これの第十一条に、ユン・ポソン大統領の事故のある場合を規定しておる。
それを一応合法政権だと認める根拠は、張勉内閣当時からの国家首席である、国家の元首であるユン・ポソン大統領が一応依然として国家の最高元首としての地位にある、その地位のもとにおける政権の交代であるから、そこに前政権との法的なつながりが認められるということになるわけなんです。
○小坂国務大臣 今お話しになりました金外務部長ですか、それからアンカークの委員会の決定、これなどはみな、前の張勉内閣と今度の朴政権との間の継続性、合法性、その問題を言っているわけです。ところが、今度はユン・ポソン大統領がやめたあとどうなるかということを議論しておるわけです。
失業者が増大して李承晩、張勉内閣時代よりはるかにひどくなっている、こういうことを聞いております。そういう政情不安、さらにこうした朴の悪政に対して当然人民は立ち上がらざるを得なくなった。南北の統一を目ざす人民の闘争は非常に底から上がってきている。そうしてそれとともに、南朝鮮人民の反米機運もまた急激に高まって、最近こういう事件が起こった。
にもかかわらず、この張勉内閣に何ら劣らない、その後の政情も全く権力による弾圧によってのみ維持されておる政権である。国民生活を見るならば、革命が行なわれましてから後に一そう悪くなっておる事実をわれわれは指摘することができます。そういうものに対して日本の経済的並びに国際信用をかけてこれに乗り込もうとしておる政治的意図は、一体どこにあるのか。
この前、去年の参議院本会議で、わが党の野坂議長が池田総理に対して、どんなに日韓会談を急いでも、そのときは相手の張勉内閣はなくなっているだろうということを予言しましたが、今日ではそのとおりになっています。朴政権が同じ轍を踏まないという保証は何もないのです。池田総理は一体最近朝鮮の三十八度線における切迫した怪しげな雲行きがアメリカを中心として作り出されている事実を知っているのですか。
その人がさらにクーデターを断行して、張勉内閣をクーデターで倒した人をさらに倒して現在の政権に至っておる。そうすれば、その間わずかな年月の間にネコの目のように変わっておる。今後二年間に韓国に革命が、こういうクーデターが起こらないという保障はだれもせられないと思う。これはあなただってせられない。できるということは言えない。