1949-05-14 第5回国会 参議院 文部委員会 第14号
課目を非常に沢山並べられてこれを小きざみに片つ端から取らなくちやいけない、その合計が二十幾つになると、つまり種類を多くして、それを今すぐ要求されますと、いわゆる教員養成を主とする大学においては大体間に合うと思いますが、当分の間はそうでない大学は教育学科、教育学部を持つておつて教職課程をかろうじて満たそうという場合に、実際の講座の内容、つまり講義の内容としましてはそんなに沢山の種類をいきなり揃えることはできないのであります
課目を非常に沢山並べられてこれを小きざみに片つ端から取らなくちやいけない、その合計が二十幾つになると、つまり種類を多くして、それを今すぐ要求されますと、いわゆる教員養成を主とする大学においては大体間に合うと思いますが、当分の間はそうでない大学は教育学科、教育学部を持つておつて教職課程をかろうじて満たそうという場合に、実際の講座の内容、つまり講義の内容としましてはそんなに沢山の種類をいきなり揃えることはできないのであります
この法律の骨子とするところは、医科または歯科の学部を置く大学におきましては、單に練達した技術者を養成するにとどまらず、社会人としてもりつぱな医師または歯科医師を養成しなければならない。そこでこの教育の改善と向上をはかるために、これらの学校の入学資格の程度を特に高め、その目的を達成しようとするのでありますから、まことにけつこうでございます。
但し、特別の專門事項を教授研究する学部及び前條の学部については、その修業年限は、四年を超えるものとすることができる。」という規定があります。
第五十六條の改正規定中「医学又は歯学の学部を置く大学に入学することのできる者は、」を「医学又は歯学の学部を置く大学に入学し、医学又は歯学を履修することのできる者」に改める。 理由はさつき申した通り、内容はかわりませんけれども、この原文の通りでありますると、医学または歯学の学部を置く大学のいかなる学部に入学する場合にもという意味にとられやすいのであります。
全体の学校二百六十七ありますものをまとめまする尺度としての原則、あるいは方針と申しますか、その方針によつて処理いたして参りましたので、全体の見地から総合大学の一学部としてやつて行つていただきたいということをお話しているだけであります。上田繊維專門学校そのものが大学になる値打がないということは、私ども決して申し上げてないので、その点後了承願いたいと思います。
ただしかし、お話にありましたように、これを單科大学にしなければ、繊維産業に必要な学術の研究あるいは教育というものが十分できない、総合大学の一学部としての繊維学部というものでおつたのでは教育ができないという理由は、十分に私にはのみ込めないわけであります。
それから学生のいろいろな点での共通に融通し得る点、図書なんかにつきましても、いろいろ共通に使い得る点も出るでありましようし、いろいろな点からいいまして、何といつても総合大学の一学部としてやります方が、独立した單科大学としてちやんとしたものをつくるよりも、経費が少くて済むということは、これは一般的に言えることではないかと思います。
ただ私はこれは一つ私見としてさように申上げたのであつて、只今説明を承わつたので止むなく御承認するより外ないと思いますが、私がちよつとここで氣付きました一節についての疑義を持つておりますることとして、第五條の第三号にあります「五年以上別に法律で定める大学の学部、專攻科又は大学院において法律学の教授又は助教授の職に在つた者。」
大体は一般教養をやるものを学藝学部と考えておるのであります。教員の養成については、その一般教養を特に重んじなければいけないというのと、それからいわゆる師範学校の昇格運動の場合に用いられた教育大学という言葉は極力避けるという教育刷新委員会の方針から、教員養成を主とする学藝学部というものもできておるわけであります。
○受田委員 その次に第三章の「名称及び位置等」の中にあります学藝学部と教育学部の問題であります。先ほど東京文教大学の名称の問題で種々話題を提供したわけでありますが、教育学部というものと、学藝学部というものがまちまちに各縣でつくられておりますが、これは名称に伴つて内容に相違があるのでございますか、ただ便宜的にその地方の声を尊重して、言葉の遊戯にとらわれた決定であるか、その点ちよつとお伺いいたします。
○日高政府委員 各地方に一つずつ、一般教養を受持つ学部、もしくはそれが十分でない場合には学部か、それの未発達の状態の部かを必ず置く。
○田中耕太郎君 只今議題となりました学校教育法の一部を改正する法律案の改正の諸点は、第一に新制大学の入学資格に関しまして、医学又は歯学の大学につきましては、医師や歯科医の法務の特殊性に鑑みまして、特例を認めて、普通の場合よりも就学年限を長くいたしまして、他の学部又は他の大学に二年以上在学するということを要求いたしておるのであります。第二に、新制大学は原則として四年制でございます。
○日高政府委員 ただいまのお説は、医学及び歯学については、履修する学生の人格的な、また基礎的な研究を十分にした上でしなければいけない、そういう趣旨よりも、それは他の方面でも同様ではないかという御質問だと思うのでありますが、むろん程度の差は幾分あると思うのでありますが、他の方面でも同じようにそれに願わしいことだと思うのでありますが、現在の日本の状況といたしましては、すべての学部を医学や歯学と同じように
○稻田政府委員 東京大学に入るといたしましても、事実問題といたしましては、いすれかの学部に入学することになることはもちろんでございますので、この條文の解釈といたしましても、医学部または歯学部に入学する場合におきましては、その大学あるいは他の大学における他の学部に一應入りまして、二年を修了してから医学部または歯学部に入るというふうに解釈いたすほかはないわけであります。
「医学又は歯学の学部を置く大学に入学することのできる者は、前項の規定にかかわらず、その大学の他の学部又は他の大学に二年以上在学し」、云々となつておりますが、おそらくこれが大学の医学部または歯学の学部に入学することができる者はという意味じやないのですか。
を有するかどうか、或いは教養を有するかどうかということを第一次試驗で判定するということになるわけでございまして、第四條の第一号が「学士の称号を得るのに必要な一般教養科目の学習を終つた者」となつておりますのは、必ずしも卒業しなくてもその大学における一般教養科目の一定程度の部分を終了しておればそれでよいという建前でありまして、例えば或る大学におきましては、この一般教養科目というものを設置しまして、教養学部
先ず第一に、新制國立大学については、各大学の名称、位置及び学部について規定し、併せでそれぞれの國立大学に包括される旧制の学校を掲げました。第二に、各國立大学に附置される究の名称、位置及びその目的について規定いたしました。 第三に、各國立大学の学部に附置される研究施設を掲げました。
次に、新制國立大学の学部編成等について特に考慮いたしました点は、第一は、学芸学部及び教育学部は、教員養成の必要から最も重点を置いて計画したということでございます。 第二に、学部各科の編成は、現存の組織を基礎といたしておりますが、全國的も考慮して計画いたしました。 第三に地元の希望があり、國立大学編成上適当と認めたものについては、公立專門学校を國立大学の一部として合併いたしました。
まず提案の理由でありますが、医学または歯学の学部を置く大学におきましては、單に練達した技術者を養成するにとどまらず、社会人としてもりつぱな医師または歯科医を養成しなければなりません。そこでその教育の改善と向上をはかりますために、これらの学校の入学資格の程度を特に高め、その目的を達成する必要があるのであります。
○兼子政府委員 先ほども申し上げました通り、今度の新制大学におきましては、どの学部を出るにつきましても、その学部の專門科目以外に相当の一般教養科目を履修しなければならない建前になるのでありまして、從つてどの科目という專門を問わず履修しなければならない程度の一般教養科目を、ここにいわゆる大学卒業程度の一般教養というように考えたものであります。
ただいま東大の附属病院の厚生女学部の看護婦さん、いわゆる看護婦養成所を卒業なさつた方々が、成績不良のゆえをもちまして、十三名が不採用になるということを聞きまして、五名がハンストに入つておるのでございます。
○河野正夫君 この條文を離れて、一般的に大学の学部の構想というものを承つて置かないと了解ができないと思うのであります。つまり理学部なら理学部を四年間やる、この中には教養学部的のものがあるだろうと私は思つておる。或は文学部にも同様じやないかと思うのであります。農学部にもそう、工学部にもそうだろうと思うのであります。
○河野正夫君 そういたしますると、この一般教養をやる、いわゆる教養学部とでも申すものが設けられていないとすると、例えば文学部で理学部に入つてそこに二年をやるという意味に取つてよろしいか。そうでないといたしますとどんな学部を通じて、とにかくそこに二年なら二年の教養学部というものの存在を予定していなければ、何だかこの條文がはつきり掴めないような気がいたします。
○政府委員(稻田清助君) 他の学部において習得すべき各課目といたしましては、自然科学として物理、化学、生物、数学その他人文科学、社会科学というようなものにつきまして一定の單位を習得することでありますが、御承知の如く現在予定いたしておりまする國立大学につきましても、各府縣にそれぞれ学藝学部或は教育学部というような設けもございまするし、外に理学部、文学部等も設けられておるわけでございますので、それらの学部
教育が最も大切だという点から言うと、芸術大学の一学部に入れてこれをりつぱなものに仕上げるということが、最も日本の文化を高めるゆえんである。かように私は考えるのでありますが、この点に対する御意見をお伺いいたします。
能樂を初め琴、三絃のすべてを芸術大学の学部から抹殺するということは、文化國家として復興すべきわが國の國情からして、まことに悲しむべきことと存じます。校長は学者の研究と保存のみを主眼として研究所案を主張しておりますが、邦樂人に高い教養を與えなければ、古典の保存も正しい研究も望み得ないでありましよう。学部に邦樂の講座がないのに研究所だけ設けても、芸術の発展上無意味であると思います。
大体そういう方針によりまして、東北大学に新たにできます教育学部の一環として宮城師範学校とあわせで教育学部をつくる方針をとつて参りました。両方の学校の間に相当意見の食い違いもございまして、十分なる了解点に到達することは困難な状態でございましたが、最近に至りまして、両者の間に十分な了解点に到達いたしましたので、東北大学の教育学部の一翼として宮城師範か入ることに決定いたしております。
またただいま局長が指摘いたしましたもう一つの問題というのは、総合大学の一学部としてやればさしつかえない。これは文部当局の考えでありまして、学校当局やあるいは繊維産業の各部門の代表者も参りまして、また縣の立場といたしましても、縣会におきまして、すでに三べんもこの問題を取上げまして、信州総合大学はけつこうである。
二、新制國立大学における学部又は分校は他の府縣に跨らぬものとする。 三、各都道府縣には、必ず教養及び教職に関する学部若しくは部をおく。 この三は、今度の大学の特徴に基きまして、各都道府縣に一般教養あるいは基礎学科をやるような学部もしくは部を置くのと同時に、各地方の教員養成のために教職の学部もしくは部を置くという趣意であります。
それから上田繊維専門学校を大学にしないという意味でもございませんし、ただあとで御説明申し上げたいと思うのでありますが、十一の原則を立てまして全般の処理をいたす建前から、信州大学の一つのりつぱな学部として出発してもらいたいというのが文部省の願いであります。
各府縣單位に教員養成ということも考える、これには名前を或いは学藝大学或いは縣單位の総合大学の中の教育学部、こんなふうにしてあるということでありますが、これとても必ずしも学藝大学という名前には私は賛成しておりません。教員養成ならやはりそこに学藝というような散漫な言葉じやなしに行つて欲しいという氣がしておる一人であります。
と言いますのは最初の二年で教員が養成され、その分は余り問題がないのでありますが、その上の二年の学部における教養、そういうようなことをやりますときに、一般から募集されて來て、そうしますと從來の東北大学の大体の慣例としては、東北と常磐の水戸高校あたりの高校の人達が非常に多く集まつて來たのでありますが、恐らく今後もそういうような傾向を辿るのではないか。
○政府委員(日高第四郎君) 今の場合、三つの場合が考えられておるのでありまして、二つの学校をいわば学部のように考えまして、一人の共通の、いわば外から持つて來た学長でまとめるという場合もありますし、奈良の女高師の轉換する女子大学の学長が他方を兼ねる場合、学藝大学の学長が女子大学の学長を兼ねる場合と、大体三つ考えられておるのであります。
それから鹿児島の水産專門学校を、今度の大学においては水産学部としてこれを立てるように考えまして、それを助長するようにはからつております。それから函館の水産專門学校は、從來の主として技術的な研究に学問的の裏づけを與えたいというようなわれわれの希望といたしまして、北海道の大学の水産学部というような形であれをできるだけ発展させて行きたいと考えております。
次に田村角太郎は、昭和六年十二月に中央大学法律学部を卒業いたしまして、貴族院の属になり、それから貴族院守衞副長、守衞長、それから理事官になりまして、昭和二十一年には書記官となつて、一應退官いたしまして、今嘱託として在勤しておるのであります。昭和二十二年に法制部に移つて、現在の法制局に引続いて勤務いたしておる者でありまして、これは二級官たる資格があるということであります。
○証人(砂原季也君) 十六年に東北大学の法部学部法科を出まして、三菱鉱業に入社いたしました。二十一年の六月か七月かはつきり覚えはありませんが、右退社いたしまして、八月頃日本水素に入りまして、二十二年の三月に日本水素を辞めまして、昭和電工に入りました。入りましたのは四月であります。昭和電工で社長秘書を勤めて現在に室つております。
邦樂というものは音樂として存在しているが、それを今すぐ学部として発展させて行くためには、その基礎がまだない。基礎のないものを学部としてやるのはむりがあるから、一應研究所をつくつて、そこで基礎固めをやろう。そうして將來学部にまで持つて行くように努力しよう。こういう意向のように察せられるのですが、そういうふうに解してよろしいでしようか。