1951-09-25 第11回国会 衆議院 図書館運営委員会 第1号
この計画は従来はつきりきまるところまでは行つておりませんけれども、次第に空気を盛り上げるという意味におきまして、あちらこちらに御了解を得ておりまして、国会のすぐわきにありまする元のドイツ大使館の跡に敷地を選定して、ここに何らかの形の図書館をつくつたならば、非常に好都合ではなかろうかと考えております。
この計画は従来はつきりきまるところまでは行つておりませんけれども、次第に空気を盛り上げるという意味におきまして、あちらこちらに御了解を得ておりまして、国会のすぐわきにありまする元のドイツ大使館の跡に敷地を選定して、ここに何らかの形の図書館をつくつたならば、非常に好都合ではなかろうかと考えております。
どうも政府の答弁では納得かできないということから、直接吉田総理大臣、外務大臣に対していろいろ努力をされたようでありますが、いろいろの関係でできないという事情にあつたときに、その次の日、二十七日から留守家族の有志のかたがたが断食を決議せられまして、英国大使館前の千鳥ケ淵公園で確か七十六名だつたと思いますが、あそこで断食を始めたわけであります。
今日は新聞によりますと、英国大使館前の千鳥ケ渕公園の近くにおいて断食をやるということが出ております。 以上のような状況でありまして、この引揚に関する問題は非常に重大な問題としてここに現われて来ておるのでありまして、それで我々としまして考えますことは、政府がかような責任ある発表をした以上は、ただ二つの問題しかないと思うのであります。
千鳥ケ淵のいわゆる英国大使館前、宮城の裏門の所でこれ又留守家族のこれは相当数の人たちが断食、ハンストをやつておるそうでありまするが、我々委員会としては只今の皆さんの多数できめられましたこの気持を伝えて、できるならば国会において吉田首相の所信を述べられるまで静粛にしてお待ちを願つたほうがいいじやないかという申入れをしたいと思いますが、この点をお諮りいたします。 (「異議なし」と呼ぶ者あり)
十四日イギリス外務省及び在英アメリカ大使館は共同コミユンケを発表いたしまして、対日講和条約草案その他すべての主要懸案について、両国間に万全な意見の一致を見たことを明らかにいたしました。
何とかして帰れるように英国大使館に頼んでくれ、その一つの事実といたしましては、同僚であつたドイツ人が奉天まで出まして、そしてそこの英国領事館に頼んで、飛行機に便乗させてもらつてドイツに帰つたという実例があつた。
○中山委員 私が英国大使館に行つた交渉の結果といたしましては、出国証明書をとつて上海まで出て来て、二箇月先の乗船契約をした場合に、あるいは中共から出る人たちがほんとうに日本に帰らないかもしれないというおそれをもつてそれを拒否するかもしれない、その場合には、ここの大使館に連絡をとつてもらえば、この人は必ず日本に帰る人であるという証明をしてやるということをこの間おつしやつていただきましたのでございます。
この点につきましては、昨年の八月に、直接とでもいいますか、参議院の引揚げ委員会で、当時の上海の岡崎大使館参事官、それから土田公使などを御召喚なさつたようでありますが、その当時の考え方も、私が申しましたのと大体同じようなものであつたと承知しております。大体そんなところであります。
びその金額、イ、儲備券一、銀一億九千七百二十三万六千六百七十元、日本金に換数して金五十万円、ロ、一、銀百八十三万一千五百元、金参万円、ハ、一、銀十一万元、金千八百円、五、借入金を提供した年月日、イ、昭和二十年八月三十日、ロ、昭和二十年九月四日、ハ、昭和二十年九月一日、六、添付書類の名称、送金小切手の預り証、七、証拠書類を添付することができない場合は、これにかわる事情の詳細な説明、金五十万円送金の際大使館
同時に野党の代表に会いましたとき、あれを見たかということを言われたそうですが、それは或る程度国会を御信用なさつて、そうして国会の委員会を御信用なさつて、先方との話合を御努力願つて、成るべく速かに新聞に発表されて、某大使館から漏れたというのでなくて、正式に経たものを、但し機密は守り、国会において事実上の審議ができるような事態にならんことを私は強く希望して置きます。
これは新聞に発表されたのは、ワシントンにおいて或る公使館か、大使館から出たという話があります。併し私に渡されたときに、日本政府に渡されたときは、これは当分祕密にして置いてもらいたい、こういう條件付でもらつたのでありますから、公開いたしません。又只今お話の成るべく国会に見せるようにというお話でありますが、これは條約進行の途中において、できるだけそういう計らいをいたしたいと思います。
それが到底千二百フランではパリーでは生活できないので、日本大使館の一員としてその補助を受けておつた。又理事には大使なり、参事官が出ておられる。これは無料で働いて頂いたのでありますが、そういう形で漸く繋いで来たという状態であります。今日と違いまして、これが五年、十年たつた後には国際、対外的な文化事業が今日のような国のあり方に密接な関係を持ちませんためにユネスコが忘れられておるだろうと思います。
それにつきまして一、二伺いたいのは、第一に、従来外国におきましては、そのときの余裕もございましたためでもございましようが、殊に戦争直前にあつては、各省が盛んに在外事務所を作つて、大使館なり、公使館なり、領事館を認めないで自己の活動をされるということが非常に多く、農林省とか、内務省とか、或いは大蔵省とか、商工省がどんどん自由な事務所をほうぼうに必要な所に置かれまして、外務省は極く形式的な仕事をむしろやられるということに
実はその点が非常に欠けておりますると、日本は結局分担金を出すにとどまつて、そしてユネスコが又日本に働きかけるべき仕事、或いは予算のうちで、日本に使つてくれるというものがだんだん等閑に付されて行くということもあるかと思いますので、従来、これはユネスコと同一には考えられないかも知れませんが、国際連盟の一翼で丁度ユネスコと同様の働きをいたしておりました学芸協力委員会がパリにございましたのが、フランスの大使館
これはソビエト大使館に終戦前に事務所があつたくらいで、これが日本で相当活躍しておつた。日本ばかりではございません。各国でこのヴオツクスほ相当顯著な活動を続けておつた。
西ドイツの状態よりもむしろこの権限と申しまするか、範囲というものは低いんじやないかというような御懸念が相当おありだと存じますが、この点につきまして、政府といたしましても、成るべく仕事の範囲を拡大したいことを希望しまするけれども、現在はこのような状態になつておりますが、更に今お話のありまするような、将来大使館とか公使館というような方面に行くという報道等もあるやに思いますが、これは講和になりますといづれこの
○曾祢益君 先に御質問があつたかと思いますが、新聞の報道によるとロンドンの問題が交渉中のようなんですが、この間イギリスの誰ですか、外務次官か何かの発表によると、西ドイツのほうは総領事館と大使館の間ぐらいのところで、日本のほうは総領事館或いはそれ以下というようなことを発表されたようですが、そういつたような話があるのではないか。
○並木委員 先ほどのイタリアの大使館、公使館ですけれども、調査局関係の方は、今日おられないのでしようか。資料がないとのことですが、どなたか御存じの方ありませんか。
○並木委員 日本は講和後、当然大使館とか公使館というものの設置が行われると思いますけれども、こういう在外事務所というものは、その場合に切りかえられて行くものであるかどうか、もし切りかえられて行くとするならば、大使館、公使館の方面に切りかえられて行くのか、あるいは領事館になるのか、こういうような点について質問をいたします。
更に兼岩議員からの御提案のありました西ドイツ或いはアメリカその他の国のこともよろしいが、ソヴイエトのあれも研究する必要があるのではないかという申入れもありましたし、これは各国の法案を研究して、そのうちから日本でどれを適用して行くかという面を研究するために、先般森崎君と私と一緒にソヴイエト大使館を訪ねまして、文化部長に会いまして、ソ連の戦争の犠牲者に対する立法或いは実際行なつている状況を聞いて参りました
それから第二点につきまして、借り入れた先、借入者は一体どう分布されているかということについて、請求書につきまして一応事務局で調べましたところによりますと、これは中国地区の大使館、公使館、領事館などのあるところは、それをもちろん含みますが、ああいう混乱した事態でありまして、それ以外の、在留民のみあつて公館の手の及ばなかつたところでも、借入金が行われたと見られるところもあると思うのでございまして、そういう
これは全く日本政府といたしましては寝耳に水の驚きをいたしましたので、直ちに総司令部並びに英国の大使館、更に又当時向うに滞在しておりました民間関係者を委嘱いたしまして、いろいろ陳情をいたし、又引上げの理由を調査いたしたのであります。その結果南アの関税引上げは結局最恵国、並びに特恵国以外の国だけを対象としたものでありまし丁、特に日本を対象としたものでないことは明白になつたのであります。
従いましてその最も障害となるべき関税に対しましては、これ又特段の関心を持つておるのでありまするけれども、先ほど来申上げましたごとこと、日英通商会談におきましても、しばしば大臣から申入を出したのでありますが、更に又正式に司令部、又とちらの大使館を通じましてもいろいろ引下げの陳情をやつて来たわけであります。その結果が五十から二十五になつた、要するに半額になつたのであります。
私は、かような観点から官房長官にお尋ねしたい点は、従来外務省の出先機関である大使館なり、あるいは領事館というものがあつて、そういうものを通して国際的ないろいろな交渉なり、あるいはいろいろな話合いをやつて来ておつた。ところが今後の日本の外交というものは、私は單にかような出先機関の人のみによつて行われるべきものではない。
ところがまだ日本では領事館を置くに至つていないで、在外公館、在外事務所というような中途半ぱな形で行われているわけでありまして、その点西ドイツと比べましても、日本の在外政府機関の地位というものは非常に弱い、こういうふうに思うのでありますが、政府におかれてはこの在外事務所というものを——もちろん講和條約ができますならば、これは大使館なり、公使館、あるいは領事館になると思うのでありますが、講和條約締結前においても
ただいま会計課長から御答弁申し上げましたように、事実経費は不十分であり、かつ直接においでになつた場合、ことに以前大使館、公使館、領事館等を御訪問になつて、昨今さらにおいでになつて、その状態を比較されると、なおその感が深いと存じます。
なお私ども切にお願いしますのは、大体国際條約ができまして、各国と対等の対抗ができるようになりましたならば、各地の大使館なり公使館なりにサイエンス・アタツシエを設けていただきたい。科学官が駐在いたしましていろいろの情報を交換する、こういう仕事を始めていただきたい、こういうふうに思うのであります。
これについて内藤委員の、何ら関係がなかつたかという先ほどの質問に対して川上君はないとおつしやつておりまするけれども、あの一月二十七日の国会の本会議議場における外交官の傍聽席に、ソ連の大使館の二十幾多が来て、川上君の質問を━━して川上君の質問が終るやいなや、ただちに議場から引揚げたということをわれわれはこの目で認めておるのであります。
○池見委員 それであれはわれわれも今までソ連大使館ないしはそういつた関係方面に要請したことと同様の言動であると了承してよいのですね。
そうして司令部あるいは議会方面に参つて、最後にソ連大使館に参つた。ソ連大使館に参りますと、ソ連大使館の門衛は中へ入れさせない。つばぜり合いをしていた。そうするとそこへ日本の警察官が十二、三名やつて来てお前たちは連れだつてここにおつてはいけないということで、非常に強く解散を命じた。だがしかしその来た人たちは、ほんとうに命がけで来ておるので、そこで強くソ連大使館の人たちに面会を要求した。
こういう問題が起りまして、いろいろ考究をいたしますと、この附近全般の道路の形、建物の在り所というものも或る程度変更を加えるものとして、かつこうよく設けるように考えますると、今の国会の横でありまするところの旧ドイツ大使館のあつた所が一番適当であろうと、こういうふうに考えたわけであります。
なお、ちよつと申し残しましたが、国会図書館をドイツ大使館のあとに造るという計画を持つておる点は、両院自身にちやんと通知してあるのでありまして、私どもが意見を作つたのではなくて、建築委員会の意見としてきまつておるのでありますが、ただあの敷地につきましては、両院のみずからの運営委員会によりまして、他のものに充てるというような計画も曽つてきめられたことがありまして、その点の関係がやはりあいまいになつておりまして