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7965件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1950-11-20 第8回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 閉会後第5号

そのうちに一月十八日になりまして第百五回の対日理事会が開かれまして、ホジソン英国代表が、濠洲政府もキャンベラのソ連大使館に、日本人抑留者調査に関する提案をソ連側が受諾するよう要請した一月五日付の覚書の内容を発表されたのでありました。この時もソ連代表は退場されたのであります。

武野義治

1950-07-31 第8回国会 参議院 厚生委員会 第9号

これは簡單に御説明申上げますると、正規の医学校を卒業しないで、或いは医師の家に見習いをしておつて医術を修得して医者に転向した者、或いは衞生をやつておりましてそれによつて医術を修得して医師に転向したようなものがございまして、これらのものは各現地において、或いは朝鮮なら朝鮮、満洲なら満洲、朝鮮朝鮮総督府から、或いは満洲の大使館から、或いは中国の大使館等から免許を得ましてその土地において医業を行うことができた

大石武一

1950-07-28 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

大使館に参るということ自体が一つの危険を生むのではないかという懸念から禁止されたという点が重大な点だつたと思うのであります。そういたしますと、私どもの常識で申せば、その集会がソ連大使館に対するデモ等、あるいはソ連大使館訪問等をいたしませんければ、全国代表者の会合であろうと、その疑念はないように考えるのであります。

松谷天光光

1950-07-28 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

さて御質問の第一は、ただいまの御報告を聞いておりますと、先般私御質問申し上げ、さらに他の委員からもいろいろ御質問になりまして、結論として委員長ほか池見委員その他の方々が、ただいま御報告のように御折衝になつた結果を拜聴したりでありますが、そういたしますとソ連大使館陳情参つて、それがたまたま勢いのおもむくところ、大使館の中に入り込んで行くという事態があれば、そこにいろいろの、結論的に申しますとマイナス

玉置信一

1950-07-28 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

若林委員長 このソ連大使館中心としていろいろな事柄が起ることを危虞したわけです。それさえ絶対に起らないということが見きわめがつけば、その心配は理論的にはないわけです。私が先ほど敷衍して申しましたのは、地域的に東京の者だけが、ある事柄について留守家族がお集まりになつても、ソ連大使館に行くということはいけないそうだから、もうよいのじやないかという気持になるわけです。

若林義孝

1950-07-20 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号

それでこのお母さんは周囲の人のとめるのも聞かないで、東京に来て大使館にすわり込みに行つたという事実がある。こういうわけで、もし政府のやり方が不十分でありますと、人間の弱い心持につけ込んで来て、ここに引揚げということがひとつの政治的な意図を持つて来る。先ほど委員の方が、調査というものが不十分だということを言つている、聞く政府の方でもそれを証明されている。

井之口政雄

1950-04-28 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第14号

それから引揚げ促進なり、あるいは死亡者の氏名の通知なり、あるいは残留同胞の状況の通知がわれわれになさるべきことは、御読の通りでありまして、この点については直接日本政府ソ連大使館あるいは国連と交渉してはどうか、またはその道を開くようにという御質問でありますが、受田さんの御承知の通り、ただいまのところ、日本はいわゆる被占領国でありまして、われわれの交渉の対象は占領軍当局であります。

増田甲子七

1950-04-28 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第14号

それから次に、ソ連という国情は、タス通信を通じて公式発表をしておるのであるということを、昨日私は出席いたしませんてしたが、徳田君か言われた、またソ連大使館の方も言われたということをもつて、私に御質問でございまするが、私どもソ連政府か正式にタス通信発表ソ連政府発表とするという公式の意思表示を、連合軍なり、その他の国際機関を通じて受けたことはないのでありまして、われわれは依然として一つ通信社

増田甲子七

1950-04-27 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第28号

○石田(一)委員 それでこれは先ほどの通信等に関する質問でございますが、たとえば徳田証人日本に駐在していらつしやるソ連の駐日代表とでもいいますか、大使館等の役人——役人というのはあるいはないかもしれませんが、軍人あるいは代表のデレヴイヤンコ氏あたりにお会いになつたことがありますか。それからまたお会いになりたいと思えばただちにお会いになれますか、どうですか。

石田一松

1950-04-22 第7回国会 衆議院 本会議 第40号

しかして、その建設用地といたしましては、本国会建物に隣接しております三宅坂の元ドイツ大使館跡をすでに一応入手しておるのでありますが、何分にも、先般来訪のアメリカ使節団の示唆いたしましたごとき廷べ五万坪に及ぶ建物というようなものは、最小限度に見積りましても、これが建築には約五十億円を要するのでありまして、現下のわが国経済の実情から申しまして、その実現には相当の困難が予想されるのであります。

東井三代次

1950-04-13 第7回国会 衆議院 図書館運営委員会 第4号

またこの国会うしろの方は、これも敷地の幅が狹くて、ただちに地形がくずれるというようなことでありましてこれははなはだ見込みが乏しい、そうすれば、この国会の左、つまりもとドイツ大使館中心といたしまして、ここに設計をするということが必要でありまして漸次その歩を進めて、もと建物のこわれたのを含めて、敷地をなるべくわれわれの手に移すことを努力して、漸次その調子が進みまして、今それを大蔵省に移管するという

金森徳次郎

1950-04-11 第7回国会 参議院 図書館運営委員会 第3号

併し尚今後のこともありますし、只今館長がお述べになつたような理由は全く尤もの理由だと思いますから、そういう理由でこの国会周囲敷地は、国会関係のために使用されることが理論上当然でありますし、殊に国立国会図書館の将来の建築というものは余程今日から立派な計画を持つて進まれなければならないので、只今の問題の敷地ども三宅坂の方は勿論ですが、旧デイツ大使館の方の敷地も完全に国立国会図書館のために確保されますように

羽仁五郎

1950-04-11 第7回国会 参議院 図書館運営委員会 第3号

殊にどこの国の事例を見ましても、国会まわりには相当に緑地帶を持つべきものでありまして、その関係から申しまして、議会まわりには余程こういう建築物には注意しなければならんという考から、大体新しい図書館は、国会建物左則でありまする旧ドイツ大使館の燒跡を中心にいたしまして、そこに二万坪ぐらいの敷地を得て、相当永久的な図書館を作りたい。

金森徳次郎

1950-04-10 第7回国会 参議院 内閣・外務連合委員会 第1号

在外公館とは、大使館、公使館領事官等外務大臣管理の下に、外国にあつて外務省所掌事務その他を行う機関を指しております。在外事務所は、平時におきまして領事館が行う事務のうち、特に限られた範囲事務を行うものでありますが、領事館と同じ建前のものとして外務省在外公館といたしたのであります。次に、差当つて設置される在外事務所名称位置を規定いたしました。  

西村熊雄

1950-04-10 第7回国会 参議院 内閣・外務連合委員会 第1号

カニエ邦彦君 次に第二條の説明の「在外公館とは、大使館、公使館領事館等外務大臣管理の下に」と謳つてあるのですか、従来の大使館、公使館領事館の外に在外公館というものが新らしく殖えたということに解釈されるわけですか、或いは又従来のそういつたものの別にですね、一時的なものとしての設置なんですか。

カニエ邦彦

1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号

これは一方的な宣伝を受けられてそう思われたのだろうと思うのでありますが、これは国会におきましても、毎国会数次にわたり、あるいは引揚連盟などが数十たびにわたつて血の出るような大会を開き、その他あらゆる手段をもつて司令部あるいはソ連大使館にまで、ある夜のごときは徹夜であの寒空にソ連大使館がんばつたようなこともあるのであります。

橋本登美三郎

1950-04-05 第7回国会 衆議院 外務委員会 第14号

在外公館とは、大使館、公使館領事館等外務大臣管理もとに、外国にあつて外務省所掌事務その他を行う機関をさしております。在外事務所は、平時において領事館が行う事務のうち、特に限られた範囲事務を行うものでありますが、領事館と同じ建前のものとして外務省在外公館としたのであります。次に、さしあたつて設置される在外事務所名称及び位置を規定いたしました。  

島津久大

1950-04-04 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第18号

横田委員 その高砂丸の中で、日の丸梯団ができたことについて聞きたいのですが、一乗船されましてから、その船の中には、引揚げ促進のためにソ連大使館陳情行つておるところの写真、あるいはまた交渉しておるところ、そういうような記事がたくさん出ておつて、船中において、一九四一年十二月八日の日本人気持になつて帰ろうというようなことを五、六人が言うて歩いた。

横田甚太郎

1950-04-03 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第17号

内地の方ではもう朝な夕な神仏祖先同胞引揚げということを祈念して、機会あるごとにソ連大使館にも行き、冬には碎氷船までも送つて、やつてもらいたいとソ連政府に対して猛烈な運動をしておつたが、そういうことはあなた方の耳に入らなかつたか。あるいは不利なことは知らされないと思いますが、風のたよりにもあなた方はそういうことを聞かなかつたかどうか、この三つを伺いたいと思います。

田渕光一

1950-04-03 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第17号

たとえばこれは巷間伝えるところでありますから、私はその真実性を存じませんが、ソ連への通信基地日本の青森の海岸にある、あるいはまた北海道の某地点にあるということを、二、三私聞いているのでありまして、その通信なり原稿なりが短波で行くのか、あるいはまた飛行機で行くのか、あるいは密輸船で運ばれるのか、もつと具体的に申しますと、ソビエト大使館の勢力をもつて、何らかそこにやられているのか、あなたは日本新聞

内藤隆

1950-04-03 第7回国会 衆議院 外務委員会 第13号

私の質問した直後に、俄然東南アジア情勢急迫が伝えられまして、バンコック駐在ソ連大使館の強化、アメリカ当局東南アジアの防共の問題が非常にむずかしい。こういうようなことも伝えられておりますし、去る二十九樋、アメリカ議会東南アジア援助計画計画中である。かくのごとく今や東南アジア情勢はいろいろな意味合いで急迫を告げておると思います。

竹尾弌

1950-03-31 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号

しかし留守家族の者は自分がいかなる苦しい生活をしておつても、とにかく家族のものが少しのものを分け合つて一家団欒のうちに暮したいといつて、日夜非常に待ちこがれておるこの気持、それから先般ソ連大使館の前で、陳情に押しかけた老若男女の方々が、涙を流して要請されておるあの気持等から見まして、これが向うさんになかなか通じないでしようから、そうした考えを持つ者もありはせぬかと思うのであります。

玉置信一

1950-03-16 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第15号

その問題については昨年ソ連大使館行つて十一月の五日コテリニコフ顧問にも強くこの問題を申上げた。今又徳田証人からこの問題を、タス通信がすでに言つておるじやないか。ところがタス通信は二十年の、終戰の年の九月の十二日に日本捕虜は五十九万四千人ということをここに発表されておる。その中には百二十八名の少将以上の将官を含むということも同時に発表されておる。

淺岡信夫