1947-07-26 第1回国会 衆議院 本会議 第18号
よかれかしと思うて政府においてやりました結果、それが好結果をもたらさなかつたのでありますけれども、しかし、消費者並びに労働者に対して地方的に与えました印象というものは、非常に好結果を得ておるのであります。
よかれかしと思うて政府においてやりました結果、それが好結果をもたらさなかつたのでありますけれども、しかし、消費者並びに労働者に対して地方的に与えました印象というものは、非常に好結果を得ておるのであります。
それには、労働者に一向責任を感じない人があるとかいうことがありますが、さらにこれを掘り下げて考えてみますと、日本の今日の人心が非常に險惡になつておる。責任を感せず、ただ労銀を高くしようということのみを考えて、もつと能率をあげようということを考えていない。当局もさような方面に力を盡していない。
とうもろこしだけの配給を受けた労働者の主婦が、こんな食えないようなものが配給されて、背に腹はかえられない、人の畑のものでも掘つて食べるよりほかにしかたがないと話しながら帰つて行つたということであります。ラジオや新聞などで、食べ方の指導もしていただきますと好都合だと思います。 最後に、私は現下の食糧と文化の問題とについて、ぜひとも皆樣の御注意を喚起したいことがあります。
そこで最近の問題を見ると、たとえば國鉄と全逓に対して労働者に加配米を配給するといつたふうなことをやつている。この前のときに、平野農林大臣は、食糧問題を政爭の具に供してもらつては困るといつたふうな発言があつたと思いますが、われわれがこれを見るならば、このことそのことが、いまの平野農政のある政治的な意味を含んでいないかどうかということを、率直にお伺いしたいと思う。
即ち遅配欠配という深刻なる悲劇、この悲劇と同時に余剰があるという矛盾した珍現象が一方にあるということは、政府の政策が今日まで労働者、耕作農民、一般勤労大衆の生活を眞劍に考えてはいなかつたという証拠であると存ずるのでございます。
そのために約八万人から十万人くらいは、この條件の変更によつて、すなわち労働者の幸福を、また衛生状態を考えるときに、当然殖やさなければならぬという時代的要求が、ここに加わるのでございます。 またわが國の現在の環境におきまして、國内事情でない関係から、相当臨時的な人員が殖えております。この数字が大体四万人。
○加藤委員長 実は先日打合会で、政府から提案される予定になつている労働省法案であるとか、失業保險法案であるとか、労働者の生活保障法であるとかいうような案についての概略だけは説明を聴いたのであります。案はまだその時にもできておらぬようでありました。しかし今までのそういう参考類を御希望でありますれば、早速議長を通じて政府の方へ請求することにいたします。どんなものが御入用ですか。
周知のごとく、労賃は幾万或いは幾百万とありますところの物價の一種でありまして、労賃とは労働者に必要な生活資材を値段で計算したものであります。現在のインフレ下における物價問題の根本的問題は、一つは先ず闇價格があつて、それが一般物價をどんどん上げて行くという点にあります。更に又消費資材が主として闇價である。そして生産資材の方面は主としてマル公で抑えられておる。
(「そんなことは知つている」と呼ぶ者あり)それから労働者の関心は、名目賃金ではなくして実質賃金であるとおつしやいましたが、政府としても勿論その立場を執つておるのであります。それから賃金釘附けということは、私共は一言も申上げたことはございません。左樣に御了承を願います。 〔國務大臣平野力三君登壇〕
○中西功君(続) 労働者の実質賃金を抑えたということをはつきり言われておりますが、併し、若しも今後現在の千八百円平均を遥かに突破したときに、政府はこれを……(「降壇々々」と呼び、その他発言する者多し)
働く者という言葉、それを西尾君は労働者ばかり……(「登壇」と呼ぶ者あり)これが既に間違つておる。働く者、國民の九五%の者が民主政治を行なうことが第一である。これを行わなければ民族的危機が本当に起る。それについての実際の政府の腹はどうだ。それを問うております。それで、このことは同時に西尾君が言われるような、ゼネストなんというものは、ただ起るものではない。誰もすき好んでやるものではない。
尚社会党のやり方がとかく自由党の線に顛落するのではないか、生ぬるいのではないかという御意見がありましたが、概ね細川君の論拠とされる点は、労働者階級の利害を忠実に実行しろ。
しかしながら、貿易再開の場合に、私どもがまず最も寒心にたえないことは、技術者、いわゆる、技師、労働者の体得しましたるところの、從來長年培つてきておりまする日本の技術の、はなはだしい低下であります。この技術の低下を、私どもがいかに食いとめ、維持し、これを育成するかということは、最も喫緊欠くべからざるところの重大問題であると、私は確信いたします。
労働者に至つては、一月が百八十四円でありましたのが、三月には約二倍に上りまして、三百四十一円になつているにもかかわらず、四月には、うんとよくなつて、今度は黒字五十二円七十五銭というものが出ております。 これはまことに不思議な数字である。かくのごときは、四月に非常に労働者の賃金が上つたものと見なければならない。しかし二・一ストライキ以後、大体賃金の高騰は止まつているのである。
この数字は、労働者の家計の数字でありますが、これは物價廳でやりまして、東京の労働者所帶の二百二十四円をとつた、その数字の結果であります。三月と四月に非常に違つておりますのは、これは大量の放出食糧があつたことが、最大の要因であります。(徳田球一君「それは選挙用の放出だな」と呼ぶ。)
道徳を昂揚せられる現内閣は、特にこの労働者、農民というような我が社会の重要な生産を担当しておる人達の関係の是正に努めなければならない。食糧問題も根本的には増産の問題でありますが、この増産の問題のためには、どうしても今までに既に行われておるところの農地制度の改革というものを本当にまじめに行わなければならない。第三次農地改革制度というようなものは空景氣をあげることではない。
又日本の労働問題についてはやはり労働者の自主性に待つのが当然だと私は考えるのでございまして、日本の労働者が世界労連に加盟する、或いはこれと連絡を取りたいという將來のことについては、政府は‥‥これから先は私の私見でございまするが、恐らく政府といえどもこれに対してなんらの條件を附けるということもないだろうと思うのでございます。
○國務大臣(米窪滿亮君) 羽仁さんの私に対する御質問は、労働者の社会人としての地位及び権利に対する確保とでも解釈すべき点だと思うのでございます。
社会民主主義に至つては、労働者、農民を彈圧して、そうして社会党の看板を掲げて、労働者、農民、一般人民諸君を、この資本家に奉仕させようという、驚くべき社会民主主義である。 なるほど、彼らは社会主義の建設の政策を全部放棄しておるのではないか。実際これはたびたび示される通り、公約に完全に違反しておるのである。片山君は、参議院において、公約を実施するのは時期の問題であると言われておる。
それから労働の生産性の低下の点につきましては、私の説明の中にも、ただ單にこれは労働者の責任だけではなくして、資材が乏しく、また原料も乏しく、施設自体が老朽になり、経営者側の熱意もないということをあげていることをご承知願いたいと思うのであります。
そうして現在の苦しい経済再建を、労働者に協力してもらうのだと言つておる。これは何だ。これは結局するところ、乏しさに耐えろという、片山君及び和田君の言うところである。結局するところ、社会党に進展する途を捨てて、そうして大資本家、金融資本家に奉仕せんとする、この労働者に対する攻勢の武器となろうとしておるではないか。
(「そうじやない」と呼ぶ者あり)過日首相官邸に組織労働者の代表を招かれて、そうして経済緊急対策八項目について、御説明になつたようでありますが、ただああいう項目を棒讀みにいたしただけでは、何らそこに感激も衝動も生じて來ない。心の底から協力しようという氣持は出て來ない。(拍手)そういう感想は組織労働者代表の方々の僞わらざる御意見であつたのであります。
併しながらこれを民主的に観察いたしますると、経済界とは経営者並びに労働者、科学技術者、配給業者、又消費者をも含めて一役を演ずるところの、これら生産諸要素の綜合体であります。然りとするならば今後の経済施策は、これらの諸要素の積極的意見を採り上げ、これらの意見を綜合的に採り上げることが必要であろうと存じます。経済復興会議は経営者並びに自覚ある労働者の民主的強力な機関として生れました。
経済復興会議が労働者諸君、経営者の諸君或はその他の人達によつて、下から盛り上つて日本の経済の復興について大きな貢献をしようとされておりまする熱意につきましては、敬意を表しておるのでありますが、ただ私は願くは今の経済復興会議がもつと強化されまして、現実に末端まで中央で決められましたことが滲透しまして、事実上民主的な組織として動いて行くようになることを欲するのでありまするし、政府は又そういうような経済復興会議
組織労働者でない彼等、殊にかよわい女性の中には、既に相当困つておる者もあるということであります。 政府は既にかくの如き弱い者いじめをしておるのでありまして、これでも人道主義と言われるのでありましようか。(「違う、違う」「もつと賢こいことをしやべろ」と呼ぶ者あり)朝に立つ者は声なき巷の囁きにも耳を蔽うてはならんのであります。
そのためには労働者大衆に働き易いような立場を與えて行かなければならない。企業家には不自由を忍んで貰わなければならない場合もありましよう。これらの問題を調節しつつ産業の発展を図つて行かなければならないと考えておるのであります。こういう意味を各方面に徹底せしめたい。
第二の労働者の配置転換のお尋ねでございまするが、この労務の配置転換を國家の企画においてやつたらどうかということについては、既に和田さんから御説明がありましたですから、私はこれを省きます。ただ私が一松さんに申上げたい点は、労務の配置転換が企業内においてはどうである。
御指摘の通り、今日の経済危機を突破するためには、労働者の生産性を高揚するということは、もちろん必要でございまするが、それと相並んで、産業の合理化もまた必要でございます。この産業の合理化を断行するためには、当然ここに企業整備を行わなければならないことは、これまた当然のことでございます。
学校の教育とともに、社会教育においても、勤労大衆の青年の教育というものは、特に重視いたしまして、社会教育のあらゆる場面、殊に労働者教育を通して、あるいは通信教育という制度も設けまして、これらの人々の教育に十分な力点をおいていきたいと存じております。
よく聴け、ところがソ連のごときは、あの困難な五ヶ年計画を建てるにつきまして、労働者側より進んで土曜労働、日曜労働を提供しておるという事実がある。勿論経営者側におきましても、産業を合理的或いは民主的に改善せねばならんことは沢山あります。これは当然であります。併し労働者側におきましても、この勤労意欲が向上せざる限りは、我が國の現状は労資共倒れの結果になるのであります。(拍手)。これは当然の運命である。
即ちストライキは労働者に與えておりまする大きな権利である、こういうことを認めなければならないと思うのでありますが、但しストライキを行うに当たりましては、きわめて合法的にして且つ合理的であつて、又産業の発展、國民生活の隆盛を來さしむる、こういう見地に立つて進んで行かなければならないと考えておるのであります。
(「分つておる」「よしたらいいじやないか」と呼ぶ者あり)その生活を通じて、片山君が社会運動に従事して來られたところの動機と考えというものは、私の考えるところ、そうした社会主義の理論というようなものや、或いは労働者の生活実験というようなものから根差して來たものではない。
御言葉のごとく、今日資金方面において非常なる梗塞をみまして、また生産資材の方面においても、ほとんど底をついておる、窮迫しておる今日の日本において、眞にこの経済危機を突破し、産業の復興をはかるためには、一に労働者の生産性を高揚するよりほかに途はないのでございまして、この意味において、この加藤君の言葉をかりて言えば、いわゆる資本主義経営の犠牲となり、そうして今日、目睫に産業、企業整備の犠牲となつて失業者
また労働者の災害予防も不完全であつたために、世界に類例を見ない高率の災害死傷者数を出しているのであります。たとえば、石炭百万トン当りの災害による死亡者の数は、英米等におきましては、わずかに二人ないし四人程度であるのに、わが國のそれは、実に十一人ないし十四人という、驚くべき高率を示しておるのであります。負傷者の数も、労働者三人について二人という、驚くべき数字を示しております。
さらにまた加藤君は、その管理の方式といたしまして、あくまで官僚統制を排撃し、その目標は、労働者の勤労意欲を奮い起さすことが第一番であるという御説は、至極同感でございます。言うまでもなく、石炭増産は、資金、資材、労働等、各般の生産要素を充足に存するのでございますが、わが國の実際の状況から見ますと、労働者の生産協力が最も必要であるということは、加藤君とまつたく同感でございます。
労働者諸君が進んで意欲を発揚し、技能の練磨に努力されましたならば、海外諸國に対しまして恥かしからん能率を実現するだけの素質は我が日本民族は十分に持つておると信ずるものであります。勿論労働生産性の低下は、決して勤労者諸君だけの責任ではございません。労働力と結びつかなければならない原料資材や生産設備にも原因はあります。