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3866件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1951-05-17 第10回国会 参議院 文部委員会 第35号

矢嶋三義君 もう一つ、これはほんの念のためにお伺いしたいと思うのでありますが、立花さんとそれから公立学校先生関係と両方のかたから承わりたいと思います。現在は公立大学は都道府県における所管知事になつておるわけでありますが、この所管教育委員会所管に一本にするということについてどういう御見解を持つていうつしやいますか、立花さん並びに公立大学先生関係から承わりたいと思います。

矢嶋三義

1951-05-17 第10回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

 同(井出一太郎紹介)(第一九二八号)  同(有田喜一紹介)(第一九二九号)  同(吉川久衛紹介)(第一九三〇号)  同(田中重彌君紹介)(第一九三一号)  同(鈴木茂三郎紹介)(第一九三二号)  同(石田一松紹介)(第一九三四号)  戦傷病者に対する恩給増額等請願菅家喜六  君紹介)(第一八二〇号)  元軍人老齢者恩給復活に関する請願青柳一  郎君紹介)(第一八四四号)  公立学校教職員

会議録情報

1951-05-15 第10回国会 参議院 文部委員会 第34号

と申しますのは、例えば補助の場合を見ますと、第十八條の二項に「前項に規定するもののほか、国は、公立学校設置者に対し、予算の範囲内において、左の各号に掲げる経費について補助するものとする。」更に一項にも掲げてありますが、一定の基準というものが一体奈辺に定められるかということが、今度のこの法案自体で行きますと、地方教育審議会というものが基準を定めるということになつて来るわけです。

槇枝元文

1951-05-15 第10回国会 参議院 文部委員会 第34号

そうしない場合には、到底私立学校独自の立場に立つてそうして予算をとるとか、或いは内容均一化公立学校とレベルをひとしくするという努力を払つても、これは不可能なんです。現在の私立学校は実にこれは苦しい立場に立つておりますので、私どもは先ほど松野さんからもお話がありましたが、私の考えから言えば、私立学校委員会直轄下に置くというとこが一手にやりやすりいのじやないか。

高橋通亮

1951-05-15 第10回国会 参議院 文部委員会 第34号

矢嶋三義君 最後にもう一点お伺いいたしたいと思うが、それは国立大学並びに私立大学がこれは文部大臣所管になつておるのでございますが、地方公立学校地方教育委員会所管になり、私立学校公立大学だけがまあ地方の首長の所管になつておる。従つて先ほどあなた様の御意見の中にもありましたように、地方審議会が両股にかかるような形になつておる。

矢嶋三義

1951-05-11 第10回国会 参議院 文部委員会 第33号

ここに公立学校につきましては確かに地方費で立つております学校でありますから、結局各地方公共団体が負担すべきことになるのであります。けれどもそれは義務付けでなしに、そこの地方公共団体がみずから必要を認めた場合に準備をして来ましたものと睨み合せて国庫が補助金を出してやろうと、向うのヴオランタリーな活動を前提とするということになつております。

石井つとむ

1951-03-31 第10回国会 衆議院 文部委員会 第22号

従いまして、国が公立学校に対し、あるいは私立学校に対しまして、国費を投じて、この欠陥を補わんとする趣旨においては、何人も不同意はなかろうと考えられます。  この際に特に考えなければならぬことは、そういう産業あるいは職業の教育を振興助成せしめるという助成法をつくります場合には、わが国の文教政策全体との比重をいかに考えなければならぬかという大きな問題が、私どもの双肩にかかつておるかと考えます。

笹森順造

1951-03-31 第10回国会 衆議院 文部委員会 第22号

それというのも、あとで委員長ともお話ししたいのですけれども地方における公立学校助成をする場合の、意見を求めたり、関係するのは教育委員会地方私立学校は、これを知事と読みかえるとなつておりますが、私立大学は、全然知事とは、教育のいろいろの運営上関係がない、こういうぐあいに考えておりますので、この私立学校法による私立大学審議会というものがここへ出て来るのでなければ、私立大学のいろいろなものを運営して

笹森順造

1951-03-30 第10回国会 衆議院 文部委員会 第21号

たとえば、管理法というふうなものと結びつけて考えられるかどうかわかりませんけれども人事院公平委員会でなく、やはり教育公務員——これは私立大学とか公立学校とか、いろいろなものまで考えると、非常に複雑になるのでありますが、学術研究者であり、かつ教育者であるところの大学教授、もしくはそれに準ずるような者の身分上の決定が一応なされた場合に、それがはたして公平であつたかどうかということを審理するところの客観的

尾高朝雄

1951-03-30 第10回国会 参議院 本会議 第34号

宗教免許状私立学校のみについて有効としたのは、公立学校には憲法條章等との関連から教科を置いていないが、私立学校では宗教教科を置くことができるということりになつておる関係からであること。宗教科目に関する教員養成方法としては、国立一、私立十七、私立短期大学八の学校に講座が設けられておること。

堀越儀郎

1951-03-27 第10回国会 参議院 文部委員会 第28号

先ほど梅原委員からは、教育においてその是正すべき一端を具現すべしという御意見がございましたが、今回の教育免許法の一部改正によつて私立学校において宗教免許科目の中に加えられましたことは、これは結構なことと思うのでありまするが、併しこれは国立学校及び公立学校については、この免許の適用は甚だ私は表面的なことであつて免許法改正によつて宗教という科目免許科目の中に加えられたといたしましても、その教

高橋道男

1951-03-27 第10回国会 参議院 文部委員会 第28号

只今お話のありました恩給制度全般に関するマイヤー氏という人の勧告を具体化するために、目下人事院研究中でございますが、それにつきまして文部省といたしましては、この勧告のうちにも地方公務員については包括加入ができるというような、強制加入、或いは任意加入という問題もあるのでございますが、是非公立学校先生はこのうちに、国家公務員に対する恩給制度のうちに、加入できるように人事院と交渉中でございます。

相良惟一

1951-03-27 第10回国会 衆議院 文部委員会 第18号

国立学校教育公務員の例に準じて、すべての公立学校教育公務員について実施する」という規定がなされておるわけですが、政府答弁では、何だか国家公務員職階制が実施できるようならば、あるいは公立学校教育公務員にもやれないことはないのではないか。このような至つて消極的な答弁であつた。職階制を、どのような職務内容の区分をやるのか、基準をどこに設けるのか、そういう点が、具体的にはつきりしておらない。

松本七郎

1951-03-24 第10回国会 参議院 本会議 第29号

第二点に申上げたいことは、第二十一條の二において、公立学校教育公務員について職階制を実施すると相成つておりまするが、政府委員説明によれば、教育公務員職階制を実施すべきかどうか、又可能であるかどうかとの根本的問題がありますが、国の場合一応実施する建前になつておる関係上、これに倣うこととしたのでありますと説明されています。

矢嶋三義

1951-03-24 第10回国会 参議院 本会議 第29号

例えば地方公務員法によりますれば、人事委員会設置有無によつて当該地方公共団体の設置する公立学校教育公務員につきましても、その職階制の実施の有無、その方法についての区別が生じまするので、すべての公立学校教育公務員について国立学校の場合に準じ職階制を実施することといたしまして、又その給與については、当分の間、国立学校教育公務員給與基準として定めることといたしておるのであります。

堀越儀郎

1951-03-24 第10回国会 参議院 本会議 第29号

第一点は、公立学校校長及び教員結核休職期間に関するものであります。公立学校校長及び教員結核性疾患による休職期間現行法上二年とされているが、この期間は必ずしも十分と認められない。そこで療養上必要なる期間を確保して、校長及び教員現職復帰を可能ならしめるため、三年まで休職期間を延長できることとした点は賛成をいたすのであります。

加納金助

1951-03-23 第10回国会 参議院 本会議 第28号

政府の提案の理由とするところは、義務教育費無償という理想の、より広範囲な実現への試みといたして、地方公共団体に対し昭和二十六年度に公立学校に入学する兒童教科書給與を奨励し、以て兒童が国及び地方公共団体の一員としてその援助の下に教育を受けているという意識を明確にするため、教科書給與に要する経費の二分の一を国が補助することとしたいということであります。

加納金助

1951-03-23 第10回国会 衆議院 文部委員会 第15号

これはあたかも、私立学校公立学校との面における、その連携の仕方も考慮いたしましようし、また事柄が、宗教という面は、これは特殊な存在でありまして、教育に結びつけることが、ある場合においてはよろしいが、ある場合においては行き過ぎの場合がある。こういう面もありますので、かたがた宗教法人の性格というものが、一種の公益法人、あるいは公益目的とする広い面があるわけでございます。

篠原義雄

1951-03-22 第10回国会 衆議院 文部委員会 第14号

数量的には、非常に公立学校教員需要が多うございますので、きまつた供給源から参ります教員の配当、あるいはそのほか教員需要を考える場合には、どちらかと申せば、教育委員会の方が知事を支配しがちだとは思いますけれども、しかなしがら、教育委員会といえども私立学校の問題を全然その利害関係のほかに置いて考うべき筋合いのものではないので、こうした問題につきましては、十分両者の合意が成り立ち得るものだと考えます

稻田清助

1951-03-22 第10回国会 衆議院 文部委員会 第14号

私立学校の方には、臨時免許状を二年にする必要はない、ところが公立学校の方では、どうでもしなければならぬというような場合において、知事意見によつて教育委員会の方の意見が無視されるようなことがあつたら、これは問題だと思うのです。そういうような点を考慮すれば、二つが別個の立場で考えても、さしつかえないのではないかと思うのですが……。

小林信一

1951-03-22 第10回国会 衆議院 文部委員会 第14号

○稻田政府委員 今回の改正によりまして、教育委員会権限を狭めて、知事の方を拡張するというわけではございませんので、顧みれば、これは教育委員会法制定の当時にさかのぼるわけでございますが、申すまでもなく、教育委員会法におきましては、教育委員会公立学校に関する関係のみを所管いたしまして、私立学校につきましては、教育委員会権限が及ばない、これは知事であるとされたわけであります。

稻田清助

1951-03-22 第10回国会 参議院 文部委員会 第24号

高橋道男君 私はこの法律に表わされておるところの宗教という表し方、この表し方ならば、別に或いは国立公立学校に適用されても弊害は起らんと私は思うのでありまするけれども、殊に今の禁止條項となつておる憲法なり、或いは教育基本法ですか、あれの趣旨によりますると、特定宗教のための宗教教育というような文句で表わされておりますが、これは特定宗教の信仰を強要するような宗教教育という意味であつて特定宗教

高橋道男

1951-03-22 第10回国会 参議院 文部委員会 第24号

高橋道男君 今度の改正によつて免許状を授與される科目宗教科を取上げられたことは誠に結構なことでございますが、これは私立学校にのみ適用するということになつておりますが、国立或いは公立学校に適用されないということは、これは憲法のあの禁止條項によつて来ておるのか、或いは又国立公立学校において教授となるべき適当な人を得られにくいということによつておるのか。この点を先ずお伺いいたしたいと思います。

高橋道男

1951-03-20 第10回国会 参議院 文部委員会 第23号

学校経営の上において、公立学校、私立学校の別が存すること、これは当然だと思うのでありまして、その私立学校補助については幾分、或いは多分の国家からの援助の面において差等があることは当然だと思うのでありますけれども辻田政府委員の言われた、この法案の対象は児童であつて学校ではないということを伺いますれば、なお更のこと国民たる児童に差別を与える、国家の恩恵の差を与えるということは、国民養成の上に非常な汚点

高橋道男

1951-03-19 第10回国会 参議院 文部委員会 第22号

特に公立学校については給与するわけでございますので、その場合に一カ月か二カ月か、何カ月かたつたときに止むを得ない事情で転校したという場合には、甚だ転校した人に対しては気の毒でありますが、それに一つ一つ新らしく給与して行くということになりますると、財政上の観点から言いましても相当の負担になるわけでもありまするし、又それを予算上積算して置くということも非常に困難な事情もございますので、この際は止むを得ずそこまで

辻田力

1951-03-19 第10回国会 参議院 文部委員会 第22号

高橋道男君 只今の御説明によりますと、法案趣旨は任意的になつておりますけれども、大部分は、大部分というはりも全部が公共団体においてその公立学校生徒図書を無料配布するというような御見解でございますので、二十六年度においては国立学校、或いは私立学校生徒にはそういう恩典が受けられないというような見通しのようでございますが、それならば先ほどからお話のように、二十七年度においては是非とも何とかして小学校

高橋道男

1951-03-19 第10回国会 衆議院 文部委員会公聴会 第1号

今日安藤正純君を参考人として出ていただきますのは、今委員長が言われたより以上まだ目的があるのでありまして、多年の間宗教連盟理事長とし、なお明治三十二年小学校においてあるいは公立学校において国立学校においては、宗教情操教育を施してはならぬという政令があつたのを非常に多年の苦心をせられまして、遂に昭和十年であつたと思うのでありますが、宗教情操教育小学校公立学校あるいは国立学校においても堂々とやつてよろしいというところまでに

若林義孝