1947-10-18 第1回国会 衆議院 商業委員会 第14号
すべてを新しく始めていきますのに、法律の解釋一つからして研究していかなければならぬような状態でございますので、また事務局の人間を集めますについても、なかなか思うように早急に集めることもできず、最近に至つてようやくその根幹をなすような人間を集め得たような状態でございます。それにもかかわらず、ここに列席しております尾形總務部長以下非常に勉強してくれまして、今日に至つておるのでございます。
すべてを新しく始めていきますのに、法律の解釋一つからして研究していかなければならぬような状態でございますので、また事務局の人間を集めますについても、なかなか思うように早急に集めることもできず、最近に至つてようやくその根幹をなすような人間を集め得たような状態でございます。それにもかかわらず、ここに列席しております尾形總務部長以下非常に勉強してくれまして、今日に至つておるのでございます。
人間にしても大臣から小使まで同じ給料であるということは、これは考えられない。にも拘らず一級品の魚種は十一円で釘付けされておる。十一円で成る程「たい」は來る筈であるが、二百円で賣れる「たい」を十一円で持つて來るわけはない、というところに消費地の集荷に非常に困難がある。
率直に申しますれば、私も全面的にこれは賛成でありまして、実情に副わない、而も徹底してできない統制、これは勿論公定價格も含んでおりますが、而も又人間性を非常に軽んじたこの統制の様式は、決して永続きするものでもなし、これが完全に履行せらるべきものではないと思うのであります。
或いは特殊事情のために係官に特殊の事情の了解を得てやつても一つの告げ口があれば、これは人間だから止むを得ないとはいうものの、二十四團体の中に差別の氣持を以て、こちらは何をしても構わない。よそのやつたことは咎めるというようなこともある。かようなことで、そうでなくてもお姑が多いところへ持つて來て、それでは到底東京へ荷が入るのは、全國で一番無理だ。
それから第三の点といたしまして、二十五万円やつたうち五万円しか返さないというのは関係者等の関係で多少緩る過ぎたのではないかという点でございますが、これはこの前にも申上げましたように当時の関係者といたしましては、この会の存続を少くも二十年度のお終いまでやらせまして、そうして人間も現地から帰つて來、少くも帳面上は年度一ぱい会の生命を続けさせまして、そうして締括りを付けるというやり方も考えられたことなのでありまするが
そのために特徴としては、どの組合をも通じていわゆる理論生計費というものを出しまして、即ち軽労働をする人間にとつては二千四百カロリーの栄養の攝取がなければならない。これに尚蛋白質が幾らなければならないということを附けておるものもありますが、要するに二千四百カロリー取るという点を申しております。そうしてそれが全生計費の中の何%ぐらいであらねばならない。
ところが今の第十一條違反の場合には、とにかく労働委員会で、公開の席上でさんざんやりまして、そうして労働委員会のあの十五人の人間が、これを起訴すべしと決めた事件であります。これを公開されていない檢事局の中で調べて、そうしてそれがうやむやに、これは証拠不十分だということで、不起訴になるということになると、労働者は納得いたしません。
あの五十万とか、六十万の人間を扱つておる運輸大臣は非常にお氣毒で、責任ばかり重くて、実に自由にならない人間を使つて、そうしてやつてる。何か給與制度そのものに……或いは國鉄だの全遞だのの今の経営方法というものでは、今までより良くして行けないのじやないかということも考える。変えれば問題の解決はやさしくなるのじやないか。こういう面があるということを申上げたいと思います。
当時は鉱山局長と言つておりましたが、そこへ参りまして、そこを止めて、岩石坑道を掘進せずに外の切羽にこの人間を持つて行つてやらせろ、こういうことをしつこく言つておりました。そこで数字を挙げて、三十六名を外の切羽に持つて行けば、これくらいの石炭しか出ない。併し今私のやつておる方針通り掘進して行つたならば、その数倍に相当する石炭が出るのであります。
私は炭鉱で生れて炭鉱で育つた人間でありまするが故に、坑木が坑内生活にとつていかに重大なものであるかということはぴんと響いて來るのであります。炭鉱に坑木がないということは、坑内作業をやる坑夫の生命を守らないということであります。どうして坑木がないのだ、こういうことを聞きますならば、幾ら本社に坑木を買つてくれということを請求しても買つてくれないのだ。こういうことであります。
それから職階制の問題でありまするが、職階制はその優れた点もありまするが、同時に職員を職域に釘付けにいたしまして、例えば鉄管の中に人間を入れてずつと下から上まで押出すような工合になるものでありまして、脇の状況が分らないので、職員のいわゆる見解というものが狭くなる虞れがないか。又人事交流の点にも遺憾があるのではないかということを甚だ虞れるのであります。
而もごの自覚は何であるか、つまり過去の官僚制度の仲において彼等自信が権力の下に縛られ、服從を強いられ、がんじがらめにされ、そうりして貧血に陷り、人間的な基盤を失い、積極的な姿をとつていたことに対し、これに対しましての基本的な人権の復活を目指し、豊かなる人間性を回復し、人間革命をなさんとするところの熱意の表現であると思うのであります。
この生ける人間をしてほんとうに増産がわれわれ労働者に必要なものだ。生きるためには増産をしなければならないと考えるような形態にしなければならない。増産することが炭鉱労働者のためであり、全労働者のためであり、全民族のためであると知つたときにおいて初めて増産は可能となるのであります。増産するかぎは、この生ける魂をもつた労働者が握つておるのです。
でありますからこの点においては明らかに、人間一人当りの生産量はどれだけなんだ切羽においてはどれだけなんだ、掘進においてはどれだけなんだとすべての作業部面全体にわたつて、作業標準の設定をすることこそ、日本の炭鉱の能率向上の最大な原因だと考える次第であります。
本日はすでに第一國会も、あとそう長くありませんし、是非とも大臣の本当の人間性によりまして、この問題をば明確に、この委員会が本当に明るくなるような明確な回答をば、心から希望する次第であります。
併しながら帰つて來て冷い眼、冷い言葉、角の立つた待遇、何一つ生業への資金さへも恵まれないという境遇に置かれたとき、よしんばそうした生死巌頭に立つ体験を持つた人であろうとも、逆轉して恐るべき一つの、祖國を呪い、民族を怨むところの人間に轉換することの可能を私は信ずるものであります。
この問題をここに持ち出すまでに、この問題についてはもうすでに縷々述べられましたし、当局におかれましても十分御承知のことと思うのでありますが、私が特に脇目より時間を多少頂きたいと申出で書きました所以は、これは我々引揚者が何を措いても一番大事な問題でありますために、大臣に対して多少地方の実情をば述べさせて頂きまして、事務的処理でなくして、むしろ本当の当局の人間性に愬えまして、この問題をば解決をつけて行きたいと
何となればこんな人力畜力による、馬車を引いてみたり、荷馬車をつくつてみたりするようなものを判斷するのが一縣に一人の人間である。その一縣に一人の人間が高い政治政策を定めるというような考え方であるならば、實際その下の方の實情がわからない。
從つて主任大臣がこれは處罰してくれとか、あるいはこの人間は及第させてくれというような注文をつけないで、むしろその試驗委員なら試驗委員に公正にやつてもらう。その報告を受けてそれを所轄していくというような建て方があると思います。そういうものはいわゆる獨立的な機關になつてまいりますが、こういうものもあえてまた憲法は禁じていないところだと考えております。
今田中君の言われるような御答辯を聽きますと、その點がまだ業者があまりに變なことに見られるように考えるから申し上げたのて、そうなれば政黨人も變になつてくるし、もうひとつ碎いて言えば、委員になる人間がなくなるということにもなります。
官吏も人間なのであります。人間である以上、彼らの政治的な意思発表を十分に伸暢するの方法を開いてやるのが当然であります。われわれは、官吏と政党との関係を峻別し、これを嚴禁しておるところの本法案に対しては、この点についても反対するものであります。 その次に、公務員法においては、労働組合活動については一言も述べていない。
最低の生活を保障しなければ、窮鼠猫を噛むの譬いの通り、人間が生きて行くためには適当な方法を考えざるを得ない。こういう場合に政府は綱紀の肅正、吏道刷新ということに対して然らばどういう対策を持つておるかということをお伺いしたいと思います。
現在のままの待遇としては、人間として幾ら努力を盡くしましても、全力を盡くしても、結果から見た場合、官公吏の仕事はいい加減なごまかし的な仕事しかできない、これでは新憲法の下におきまして、公僕になつたといいましても、実質は公僕として懇切に公平に仕事はできない、今申上げました千八百円案も極めていい加減なものでありまするが、これから見ましても十一月には赤字が出るということを認められている。
町村制、市制、都道府縣制に関係のない人間は日本の國民にはない筈です。シテインシツプがあれば皆関係しておるわけですから、これはこういう言葉を法文化するということは私は意味がないと思うのです。そういうように政治、行政を解釈して行くべきもので、現わされた御趣旨は他にあるのだろうと思う。少くともこの言葉だけは意味がないと思います。御答弁は後で結構です。
國家がやるいろいろのことは、大体に申しますと、國家の立てられることですから、理路整然としていかにも筋は通つておるだろうと思いますが、しかしこれを左右するお方々は、比較的経驗の少いお上の方々でありますから、理論上では左右はできますけれども、実際の面においては、人間というものは複雜で、二二が四、三三が九の通りに割り切れるものではないから、これはなかなか筋の通りには動かない。
長くこの炭鉱の経営状態を見ますと、あたかも私はこれを人間にたとえますならば、一つの炭鉱は人生と同じものを経てきておるのではないかと思うのであります。発見の当初が幼年時代であれば、それが少年、青年、中年、老年となつて、いよいよ廃坑になるまでの間には、ちようど同じような径路を経てきておるのであります。
官公廳におきましては、人間としてでき得る限りの全力を盡しましても、幾ら努力をやりましても、現在の待遇のままでは結果から見ましていい加減な仕事、不公平なる仕事に終らざるを得ないと思います。大体政府におきましても、綱紀の蕭正とか吏道の刷新とかいうことを叫んでおりますが、現在のままでは吏道の弛緩を黙認しておるようなものであります。
勿論こういう説明でも、これに反駁する理由は出て來ると思いますが、何しろ人間のやることで、なかなか完全無欠というわけに行かないのです。いろいろの意見も出て來るが、一番マイナスの出て來ない方式を取つておるのです。
○國務大臣(鈴木義男君) この第一の御質問の即時に今からすぐこの第二十九條のような標準時間で働かせるようにせよ、誠にその通りでありまして、できるだけそういうようにいたしたい趣旨でありまするけれども、遺憾ながら仕事が生きた人間を扱うことでありまして、時間が過ぎたからそのまま放置して帰つてよろしいというようなわけに行かない種類の仕事でありましてどうしても人員を十分に充足いたしまするまで、多少のこの超過労働
できるだけ労働者の仕事に携わる人間らしい人間を一つ監督官に任命して貰いたいという声が方方にありまして、実は各地方の基準局長にも申しまして、できるだけ民間からも有能な方を監督官に入つて貰うようにした方がいいということを指示いたしております。
保護いたしております人間が二百七、八十万人、金額にして一ケ月二億数千万円ということになつております。これが七月の一日にも基準を引上げましたし、八月の一日にも基準を引上げた。從つて引上が地方に行きますと若干ずれて参つておりますが、そういうふうな関係で金額が今後増すだろうという見込でございます。
連れて行かれた、又は強制徴用された、留用されたこれらの人間は、満洲ではソ軍当局が当時在満兵力を捕虜として向うに連れて行つたのでありまするが、その捕虜の中から或る数が欠けまして、即ち予定の数に達しないために、これらの数を補足するために一般市民を終戰後多数に動員されて、これをソ連領に連れて行つたのであります。
で説明しましたようにあり得ないのだから、つまり政府その他の機関がなすべき義務を盡して、こういうものに対する取締を執行するという権利義務を否認しない限りは、こういうものはあり得ないのですが、現実には例えば、日本共産党に関して、共産党はこの日本における民主主義の革命の平和的達成の可能ということを力説しておるけれども、それは表看板で、実は暴力で破壞する肚を持つておるのだというふうなことを、相当責任のある人間
それもいたし方ございませんが私の一番惧れますのは日本の官吏が何人あるか存じませんが、とにかく相当大勢の人間がありますが、その人達の運命を極く少数の三人や五人の人事官によつて決められるとすれば、私は非常に心細い思いがいたします。
し來たり等、各般の問題を睨み合せまして、適当な処置を政府でも考えておるのでありますが、一概に政策問題を取上げて、直ちにそれでその人間の責任を追及するというようなことは、過激ではないかと考えております。
資本主義自由経済が、その弊害の極まるところ各種の独占形態を生じ、ここに本來人間に從であるべきところの経済が、人間を隷属せしめるに至り、営利のために人類の幸福を犠牲に供するに至つたことは、われわれのひとしくこれを認めているところであります。しからば、それが集中せられるときに初めて働きをなすものでありますが、しかも、その集中が度を越す場合には、常に弊害を伴うこともまた事実であります。
その間われらは坑木がないといたしますると、天井を囲わずに炭を掘れば上から落ちてきて下の人間は死ぬのでございますから、そんなことはできません。政府がマル公で渡してくれる坑木だけを頼りにいたしておりましたならば、いたずらに水ばかり上げて、ずつと炭鉱は開店休業の形でおらなければならないのであります。
はつきりと増産意欲を高めるやり方としては、やはり現実に即したやり方がいいのであつて、人間の経済活動というものは、最小の努力で最大に收獲を得ようとするのが本能であろうと思います。下品な言葉で言えば、なるべく樂をしてなるべく高い金をもらおう、こういうのが人間の本能としてあることは動かせません。