1947-10-11 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第18号
ロシアのごとく、人民にはまつたく自由を認めず、徹底して強力なる權力を發揮し得るところにおきましては、あるいは權力は生産を増強し得るかもしれませんけれども、しからざる國におきましては、權力の機能は決して生産を増強し得るものでない、かように私は思つております。社會主義の方式は、計畫經濟、統制經濟、この背景にはいわゆる權力がある。これは決して生産の増強にならぬ。
ロシアのごとく、人民にはまつたく自由を認めず、徹底して強力なる權力を發揮し得るところにおきましては、あるいは權力は生産を増強し得るかもしれませんけれども、しからざる國におきましては、權力の機能は決して生産を増強し得るものでない、かように私は思つております。社會主義の方式は、計畫經濟、統制經濟、この背景にはいわゆる權力がある。これは決して生産の増強にならぬ。
それは大体この公務員というものは、一般的に人民が選んで、そうしてその選んだものを決めてこれを使えばいいのであつて、廣い意味ではそういう方式で自由任用というものが基本的なものとして納得される必要があるとこう考えます。ただそういうことが無制限には行われないのでありまして、必要上試驗制度というようなものが必然に出て來るとこういうふうに考えます。
そうしてそのために日本の官公吏が、現在においては終戰後の非民主的な、独善的な態度を、ここにおいてこそはつきり民主化して、人民との接触を十分に持ち、そうして人民との横の繋がりにおいて緊密な関係を結んで、これから人民の公僕としての仕事を果して行かなければならないという段階にあるときに、そういう見地が積極的に認められないということは、この民主化の方向に対して非常に將來一つのマイナスになるのじやないかというふうな
從つて官廳以外の人民に對して、人民を對象とすることは當然できぬではないか。しかるに、本案を見ますれば、この第一條に「關係者に報告をさせ」云々、それから「その事務所」云々とある「その」というのは、これは關係者のことであるから、從つて官廳以外の人民に對して經濟安定本部が仕事をやつていくという建前になるから、經濟安定本部令の一條の趣旨に反するのではないか、こういうのです。
、こういう説明もありましたし、前回の時でしたか、これは人事官でなく一般の公務員の場合ですが、公務員として專心するには政黨の色眼鏡で見ることがないように、色眼鏡で事を處置することのないように 會計檢査院とか裁判所なんかも引合いに出されて説明されたのですが、そういう説明を聽いていますと、政黨或いは政黨の人達がその主義、主張に忠實であるということは、公務員として、或いは人事官として行政の面で仕事を公平に人民
私はなぜ社会党の方で國営人民管理と言わないでも、現在の政治に当つてなさろうとした、現場を重んずるというあの炭鉱の管理、あの方式をなぜ棄てたか、私はそこに非常に遺憾に思うのであります。 水谷君のお答えは深切で要領がよいと言われるが、私は水谷君にお尋ねしますが、現場を中心にした管理案がなぜ出來ないのか。あの点をなぜ主張しないのか。
例えば今共産党から出しておられる人民國家管理、これは理窟の上から申しますならば、或いは徹底した案であるかは知りませんが、併しながらこういうような徹底した案が一体それでは日本の政治の現状に照らしていつできるかというと、これは細川さんも來年再來年できるとは断言できないと思うのであります。
それで共産党は國営人民営理を主張して空論をやつておるというが、今日の客観的な日本の状態というものは國営人民管理が一番よい。併しそれは皆納得しなければならん。それは私らも納得なしにでもやらなければならんというそういう乱暴なことは決して言わない、そういうものより早く眼が醒めて欲しいという主張であります。そこをよくあなたは理解しておいて下さい。
即ちこれまで天皇の官吏であつたのが、これが天皇の官吏でなくして、人民の國民の官吏ということに変化いたしましたからして、これに伴うて官吏制度も根本的に改革をしなくちやならんという趣旨から、この國家公務員法というものが生まれたわけなのでありまして、公務員法もその線に沿うて、諸般の制度を設けたものであるというふうに考えております。
ここ数年に亙つて國民はこの官僚政治を人民の政治にしますために非常な努力を拂わなければならん。今過渡期であろうと観察いたします。そういうような歴史的背景の下におきまして、管理委員会並びに石炭管理機構というものにつきまして、十分にして、深刻な檢討が加えられ、そしてこれが民主的に運営されるような形になつておりません。名は國家管理と申しましても、実は官僚管理ということになるのではなかろうかと存じます。
程大臣結構でありますが、この法案を通覽して見ますと、どこにもこの石炭局長なり、或いは石炭廳の長官なり、或いは大臣が責任を負うという明確なる規定がどこにも見当らない、即ちいつでも、或る種の法案を審議して、それが実施されて、これが惡法であつた場合、或いは地方の自治体において、市町村において、或る種の取り決めをして、それを実行に移した場合に、それが惡法であり、惡い施設であつた場合に、その損害を被る者は時に人民
○細川嘉六君 今質問に入るところです、私は今日の炭鉱業の危機、日本の経済危機の根本は國営人民管理でなければならんというところの主張でありまするが、現に新鉱の開発、この問題だつて、これはもう今の企業ではどうしてもやつていけない、將來非常に心配になる。
從來我々もこの詳細なる必要経費等について調査しておりますから、これはいつでも提出いたしますが、是非各縣から必要経費を調査せられて、人民の声を聽いて決定せらるべきものだと、こう考えております。この点について、どうお考えになつておりまするか、お尋ねしたいと思います。
○政府委員(井上良次君) 大分むずかしい理窟ですが、私にいわせますと、新憲法によつて人民に主権がある。これは当然でありますが、その人民から選ばれた政府に人民から委託をされた主権があるのであります。これは從來の政府とは違うのでありまして、民主的にでき上つた政府でありますから、從つて当然人民から委託された政府である。
○板野勝次君 今御答弁がありましたが、いずれも私の話と答弁とが堂々廻りをしているようになるのですが、本質的な点は結局今度の新しい憲法によつては、人民主権というものが確立されておる。人民を信頼し、人民を中心にして問題を進めて行かなければならないのに、こういう行き方では、人民には一應主権があるけれども、政府が一つの案を立てたら、なんでもかでもそれを押し付けて行く。
こういうことに對してわれわれは斷じてそれを承認することはできぬのでありまして、原則として主權が人民にある今日、その人民主權の最高の府である議會が、その權限を決定する場合に、だれがこれを憲法違反と言うことができましようか。それぞれ法律によつて定められた權限を守つて、立法は立法の府、行政は行政の府、司法は司法の府として、それぞれ法律の根據に基くその分野を侵すというのでは微塵もないのであります。
人民管理局でもこしらえますか。それ以外にはありません。われわれは現在の法律を活かすこと、この法律がどうしてもいかぬ。こんな法律では役に立たぬというなら、別な法律をこしらえてもよい。この法律に缺點があるというなら、この法律を補充したらどうですか。それにもかかわらず新しく安本が代つて出なければならぬという、この理由がわれわれにはわからない。
この根本の考え方になつておりますのは、新らしい憲法によつて新らしく日本が本年五月三日に出発したわけでありまするが、從つて総ての人民は基本的な人権を保障されて、國民としての生活を始めたわけであります。然るに戰爭に敗けた後國内におきまする國民は何人といえども戰爭による犠牲を大なり小なり受けておるわけでありまするが、その間に著しい不均衡があるのであります。
そこで問題は法文解釋のとかあるいはしちめんどくさいことを考えないで、あるいは立場が惡かつたならば、外務委員會というようなものに質問されるとかされないとか、言葉じりをつかまえられるということを考えないで、もつと大らかな、朗らかな氣持でそちらから呼びかけてこられて人民代表の名においてどんどんとこちらがお手傳いをしていく、協力していくという態勢をとつていくことが、非常に大事なことではないかと考えておる次第
新憲法によりまして、人民の意見を尊重するという意味において、請願を重要視しておるわけであります。討論だというような意見もありますが、委員長といたしましては相當反對意見をある程度聴き入れた方が妥當と考えてこれを許した次第でございます。なお大體におきまして原案反對の意見も、要約いたしまして出盡したと認めます。
○堀眞琴君 今岡田君も話されたのでありますが、この沖繩の処理問題はこちら側の意向もありましようけれども大体講和会議の席上で決められる問題だと思いますので、こつち側としては、沖繩の人民の意向が全般的にそうだということになれば、それを講和会議の席上で発表することもできましようけれども、私も岡田委員の意見に賛成で、一應こういう沖繩縣人の有志から陳情があつたということを政府に傳えるくらいの程度で、それ以上政府
次に第二の理由といたしましては、官吏を人民の思うように使いたいということは、國民が切望しておるところであります。その線に沿つて官廳労働組合では官廳の民主化ということについて先刻來非常な努力をして來たところであります。併しいまだ現実において十分なる成果を挙げる域に達していないのであります。甚だ残念といわざるを得ないのであります。
なんとなれば人民の奉仕者でない方向に能率が向つた場合には、人民は塗炭の苦しみになるということは、終戰前の日本におきます特高警察等の能率というものは、世界無比な能率であつたともいえましよう。併しながらその能率は人民にとつては甚だ不愉快な能率であつたのであります。
而もこれらの負担は全部人民の租税負担となつておるのでございまするが、この請負事業の中には、工事自身、材料や技術のごまかし等もありまして、これも亦今回の水害の大きな原因を成しておると思うのでございます。 我が党は、これらの欠陥を除きまして、土木事業を新しい角度から行なつて参らなければならないことをここに提案したいと存ずるのでございます。
ですから、これは全人民にとつて、かかる制度というものは徹底的に破壞しなければならぬ惡いものだ。(「イデオロギーが惡い。」と呼ぶ者あり)そこでイデオロギーが悪いというのがいかぬ。イデオロギーはよい。イデオロギーがなければいかぬ。イデオロギーがなければ骨抜きだ。水谷君、君はイデオロギーを云々するのではないと言うけれども、イデオロギーのない人間は骨抜きだ。
すなわち、國営人民管理をもつて初めてこれは成功するのである。すなわちこれは、國営を前提とするところの國営人民管理をやらなければならぬ。 社会党の諸君、社会党の自説をもつて目標とせらるるならば、われわれと、この点においてまさに一致する。
併しながらこういうような形においては果してこれは人民の公吏である公務員、その元締であるところの人事院そのものが、果して人民の意思を反映するような適当な機関たり得ることができるかどうか。そういう点について、ともするとここに独裁的な一つの新しい権力の発生が現在から予想されておる。
人民としての人民の機能を知り人民と同じ階級、人民と同じ列における一つの生活環境を持つて、それから與えられる所の官吏の職責を果すところに、そこに私は新しい吏道というものが起ると信ずるのであります。從つて現在の段階においてこの人事院が強力な権力を発生するというのは、その権力の下に再びぶち込まれて、域いはもつと以前より、もつと卑屈なところの官僚が発生するところの弊害が私は考えられる。
そうだといたしますと、公務員を人民の公僕とするためには、公務員に對する國民からの直接の意見とか、あるいは註文というものを聽くようにしなければならないと思います。官僚制度とか、あるいは官僚に對する反感というものは、國民が接触していた職場、特にまど口においてもたれたものであると思います。
こういうのは檢事さんの管轄下であつて、人民のそういうことは取締まらなければならぬ。議會が何と言おうが、總理大臣がそういうことを命じようが安本の役人はやつちやいかぬ。やるようにしてくれという法律を出しておる。まだ可決にもなつていない。しかるに早くもやる。それだから安本は人にきらわれる。權利のないのにそういうことをする。
數千人の勞働者が命のつつかい棒と頼む坑木が腐りはてても一顧みもしない炭擴資本家、數千萬の人民が日夜往來する道路にウソツバチの公約スローガンが風ふかれてなびいていても見向きもしない官僚共が、われらの象徴の往くところ、地下千數百尺の黒闇地帯から、オメシ軍が一瞬疾驅し去る街頭の一角、建物の壁に至るまでナメルが如く、佛が如く、たちまちにして變る美しき町、美しき村。
こういう特別なる緊急なる際であり、殊に人民を一日でも早く救わなければならぬ。あるいはこれが一日遲れれば人命に對してこういう問題が起きるということは承知しておられるのでありまして、こういう際においては、運輸省として絶えず緊急的な對策は運輸省の立場においてこれを處置し、取上ぐべきではないかと考えておる次第でありますが、この點につきまして運輸省當局のお考えを伺いたい。