1955-09-19 第22回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号
ハリマン知事は御承知の通りに民主党の人でありまして、ルーズヴェルト大統領の信任を得ていた外交通、ロシア通でございます。そうして次の民主党の大統領候補に立つのではないかとうわさされておる人でございます。このハリマン氏が私をニューヨークに着きますときに迎えに特に見えまして、そして話をしたいということでございました。
ハリマン知事は御承知の通りに民主党の人でありまして、ルーズヴェルト大統領の信任を得ていた外交通、ロシア通でございます。そうして次の民主党の大統領候補に立つのではないかとうわさされておる人でございます。このハリマン氏が私をニューヨークに着きますときに迎えに特に見えまして、そして話をしたいということでございました。
ハリマン知事は、御承知の通りに民主党のルーズベルト大統領の非常に親任を得ていた外交通、ロシア通でございます。そうして次の民主党の大統領候補にはこの人が推されるのであるというふうにもっぱらいわれている人でございます。例の日露戦争後に満州の鉄道問題であるいは御記憶のハリマン氏の息子でございます。日本には子供のときにお父さんと一緒に来たことのある人だそうでございます。
領土問題、それからして帰還の問題をやっているのですが、津軽海峡あるいは対馬の自由通峡、ロシアの軍艦が自由に通峡する、北鮮の軍艦が自由通峡するというような問題、それからしてソビエトと支那が同盟を日本に対して結んでいるにかかわらず、日本がよその国と同盟を結んではならぬという問題、これらはまことに重大な問題であって、今それらの問題をどういうふうにお話になっておるかは知りませんが、私は日ソの国交が正常化することを
ところがこんなことを一つも聞かないで、一体ロシアに兵隊はどうしているか、共産軍はどのくらいいて、大砲はどうだとか、どこが基地だとか、そういうようなことばかり聞いたというのです。これはこの人ばかりではない。当時呼ばれた人は七人ある。下平富士夫、浦田雄喜、桜田角治、粟野正夫、梅津恒男、推名二郎、猪俣富作、これらがみんな文通し合って、なんてへんちくりんなんだろう。
それに日露戦争の話が出ておりますが、「だから、中国の領土へせめこむのは、日本もロシアもおなじことなのに、日本国民の多くは、これは正しい戦争だと思って、戦いをつづけました。しかし、国民のなかには、戦争に強く反対する人たちもいました。」—ここで堺利彦とか幸徳秋水等が書いてあります。
そこで日露戦争後にわれわれがロシアに行って非常に歓待も受け、日露の国交が急に回復したというのは、そういうところからです。また外交上はたとえ国家が敵であっても、そういうことは十分に考慮しなければ、戦争は永久にあるわけじゃない、戦争が済んで平和のときになると、すぐつまずきが来るのでありますから、それは厳に私は成しめて来たのであります。
私は欧州で、西ヨーロッパで、ロシアを除いてはあすこがイギリスに次いで第二番目に大きな空軍勢力を持っておるということは、これは確かにその通りだと思って見て参りました。特にその点でどうこうというつもりはございません。
現在の憲法はとにかく自衛のためには戦力を持ってもいいという解釈はできるとは思いますけれども、その解釈によって現在の憲法をどこまでも無制限に、自衛のためならば、それならば仮想敵国ロシアを考えるならば、ロシアが攻めて来た場合に自衛といってロシアに匹敵するだけの自衛力を日本が増血していっていいかという結論にいくわけですから、そういうような解釈は現在の憲法は許さない、またそういうふうな解釈を許すような憲法の
しかしながら、いやしくもソビエト・ロシアを相手にして国交を回復せしめんとするときに当りまして、お前の国をおれは大へん疑っているんだが、何とか話し合いをしようじゃないかというような態度で話ができるとは考えませんから、政府当局のその点においての苦心のあることも十分常識上判断できることであります。
というのは先ほど大久保さんのお話があったように、私は満州の三河というところでロシア人のコサックが農業をやつておるのを見た。その付近に中国人が農業をやつておりましたが、中国人は非常に勤勉であり、コサックの人々は端的な言葉でいうならば非常になまけ者が多いのです。しかし一方は百デシャチンぐらいの大きなものを持っておる、そうして経営組織が非常によろしい、それだから非常に高級な生活をしておる。
ロシアの政権は共産主義のイデオロギーに基いて政権ができた。イギリスは、現在は保守党が政権を握っておるが、これは自由主義な世界観に立っておる。ここに、私は、一つの社会の中心運営というものについて見ると、結局デモクラシーというものは最大公約数によって生み出されてくるとすれば、その運営は結局社会がきめる。社会がきめるといったって、その多数できめる。
「そのころのロシアは、皇帝がたくさんの軍隊をもって、あちこちに手をのばしていたので、世界じゅうからおそれられていました。だから、中国の領土へせめこむのは、日本もロシアもおなじことなのに、日本国民の多くは、これは正しい戦争だと思って戦いをつづけました。」、こう書いてある。つまり、正しいと思ったのは間違いだというのですから、間違っていた戦争だと、こういうことになるわけです。
○関口参考人 いかに十年の間とはいえ、小さいロシアの鉄窓から見たソ連の実況はあるいは一方的であると言われるかもしれません。
日本がアメリカの関係で一切買わないという方針から、イギリス、ロシア並びに、チェコからだいぶ入った。それでその翌年に山本熊一君が行き、その後いろいろ交渉がありまして、一昨年はやっと四万台の注文をとれるようになった。それで見返り物資の関係で向うの方でもだんだん利口になって参りまして、見返り物資のむずかしいことを言うために、とうとう四万台のうち五千台しかとれなかった。
ことにヤルタ協定においては――これが正しい協定なりやいなやは世界の論議のあるところでありますが、かりにこれを正しいものと考えましても、南樺太については、これは返還という言葉を用いている協定の精神からいえば、南樺太はロシアの領土であったのを返還することになる。ところが千島の問題については引き渡すという言葉があるから、これは日本の領土を引き渡すということになる。
よく真意を確めて、確めつつ行くということが今後必要であつて、そういうことがロシアとの交渉については各国とも定石になつておるのであつて、やはりそれによつて進んで行つたほうが私は日本の利益になる、こう思つておるわけであります。それから私ははつきりとそれに対して意思表示をしておるのでありまして、これは一つの前進であるということをはつきり言つておるのであります。そのくらいの程度で私はいいと思う。
一九一七年にロシア革命があつて、社会主義がソ同盟に起つて、あときにトロツキー一派は世界全体が社会主義の仲間にならなければ一国で社会主義ができない、つまり資本主義と社会主義というものとは両立できない、平和的に共存ができないと、こういう立場をとつておつたものであつけれども、その反対に、レーニンたちは一国社会主義というものが可能だと、即ち資本主義と社会主義というものは両立し得る、資本主義の世界の中に取りかこまれながら
又政治関係については、元来日英同盟条約は、帝政ロシアの太平洋進出を阻止する考えから、又進出を阻止したいという両国の希望からでき上つたのであります。今日は再び共産ソヴイエトなるものが東洋に進出いたしで、そうして共産勢力の浸潤ということに対して重大な事態を引き起しておるのであります。
ただ特殊の語学を要するもの、例えばスペイン語でなければならん南米方面、或いはポーランド語、ロシア語というようなヨーロッパの内部のほうの国、こういう人は戦前から経験のある、語学のできるような人を主としてやつておるわけであります。
地主も全く財産税、税金、売買した場合の売買登記料、取得税、その他いろいろなものを払いまして、そういうふうに来ているわけであつて、成るほどもう地主というものは価値がないのだ、借地人、使用人というものの天下であつて、全然地主階級、家主階級なんというものは云々だというような、例えばソビエト・ロシアのごとき或る種の理論が出て参りますれば、これは別でありますが、まだ現在の日本においては私は資本主義の世界であろうと
非常に頭のいい、ロシア語に対する……、今の事情については経験はどうか、知識はどうか知らんけれども、昔は相当のロシア通なんです。私はよく知つておる。併し近頃の軍事情勢についてももう少し研究をしてもらいたい。実を言うと見方が違う。よほど見方が違う。
帝政時代のロシアが丁度そういうふうにしてしまつた。それから警察のほうでは、地下に潜つた共産党を追おうと思えば秘密活動、秘密警察というものになつてしまう。第三に最も困るのは、潜れない批判的な、自由主義的な人が非常に困る。一般国民も困る、何か政府に対して批判をすれば、それは共産党と同調する者であるというふうに思われれば、それ以上のことは言われませんから、黙つてしまう。