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6742件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1955-09-19 第22回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号

ハリマン知事は御承知通り民主党の人でありまして、ルーズヴェルト大統領の信任を得ていた外交通ロシア通でございます。そうして次の民主党大統領候補に立つのではないかとうわさされておる人でございます。このハリマン氏が私をニューヨークに着きますときに迎えに特に見えまして、そして話をしたいということでございました。

重光葵

1955-09-14 第22回国会 参議院 外務委員会 閉会後第2号

ハリマン知事は、御承知通り民主党ルーズベルト大統領の非常に親任を得ていた外交通ロシア通でございます。そうして次の民主党大統領候補にはこの人が推されるのであるというふうにもっぱらいわれている人でございます。例の日露戦争後に満州の鉄道問題であるいは御記憶のハリマン氏の息子でございます。日本には子供のときにお父さんと一緒に来たことのある人だそうでございます。

重光葵

1955-09-14 第22回国会 参議院 外務委員会 閉会後第2号

領土問題、それからして帰還の問題をやっているのですが、津軽海峡あるいは対馬の自由通峡ロシア軍艦が自由に通峡する、北鮮軍艦自由通峡するというような問題、それからしてソビエトと支那が同盟日本に対して結んでいるにかかわらず、日本がよその国と同盟を結んではならぬという問題、これらはまことに重大な問題であって、今それらの問題をどういうふうにお話になっておるかは知りませんが、私は日ソ国交が正常化することを

野村吉三郎

1955-07-30 第22回国会 衆議院 法務委員会 第45号

ところがこんなことを一つも聞かないで、一体ロシアに兵隊はどうしているか、共産軍はどのくらいいて、大砲はどうだとか、どこが基地だとか、そういうようなことばかり聞いたというのです。これはこの人ばかりではない。当時呼ばれた人は七人ある。下平富士夫浦田雄喜桜田角治粟野正夫梅津恒男推名二郎猪俣富作、これらがみんな文通し合って、なんてへんちくりんなんだろう。

猪俣浩三

1955-07-29 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号

それに日露戦争の話が出ておりますが、「だから、中国領土へせめこむのは、日本ロシアもおなじことなのに、日本国民の多くは、これは正しい戦争だと思って、戦いをつづけました。しかし、国民のなかには、戦争に強く反対する人たちもいました。」—ここで堺利彦とか幸徳秋水等が書いてあります。

山中貞則

1955-07-28 第22回国会 参議院 内閣委員会 第36号

そこで日露戦争後にわれわれがロシアに行って非常に歓待も受け、日露国交が急に回復したというのは、そういうところからです。また外交上はたとえ国家が敵であっても、そういうことは十分に考慮しなければ、戦争は永久にあるわけじゃない、戦争が済んで平和のときになると、すぐつまずきが来るのでありますから、それは厳に私は成しめて来たのであります。

重光葵

1955-07-26 第22回国会 参議院 内閣委員会 第34号

現在の憲法はとにかく自衛のためには戦力を持ってもいいという解釈はできるとは思いますけれども、その解釈によって現在の憲法をどこまでも無制限に、自衛のためならば、それならば仮想敵国ロシアを考えるならば、ロシアが攻めて来た場合に自衛といってロシアに匹敵するだけの自衛力日本が増血していっていいかという結論にいくわけですから、そういうような解釈は現在の憲法は許さない、またそういうふうな解釈を許すような憲法

鳩山一郎

1955-07-23 第22回国会 衆議院 外務委員会 第35号

しかしながら、いやしくもソビエトロシアを相手にして国交を回復せしめんとするときに当りまして、お前の国をおれは大へん疑っているんだが、何とか話し合いをしようじゃないかというような態度で話ができるとは考えませんから、政府当局のその点においての苦心のあることも十分常識上判断できることであります。

松岡駒吉

1955-07-16 第22回国会 衆議院 外務委員会 第32号

というのは先ほど大久保さんのお話があったように、私は満州の三河というところでロシア人のコサック農業をやつておるのを見た。その付近に中国人農業をやつておりましたが、中国人は非常に勤勉であり、コサックの人々は端的な言葉でいうならば非常になまけ者が多いのです。しかし一方は百デシャチンぐらいの大きなものを持っておる、そうして経営組織が非常によろしい、それだから非常に高級な生活をしておる。

稻村隆一

1955-07-15 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第13号

ロシア政権共産主義のイデオロギーに基いて政権ができた。イギリスは、現在は保守党が政権を握っておるが、これは自由主義世界観に立っておる。ここに、私は、一つ社会中心運営というものについて見ると、結局デモクラシーというものは最大公約数によって生み出されてくるとすれば、その運営は結局社会がきめる。社会がきめるといったって、その多数できめる。

松岡松平

1955-07-08 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第10号

「そのころのロシアは、皇帝がたくさんの軍隊をもって、あちこちに手をのばしていたので、世界じゅうからおそれられていました。だから、中国領土へせめこむのは、日本ロシアもおなじことなのに、日本国民の多くは、これは正しい戦争だと思って戦いをつづけました。」、こう書いてある。つまり、正しいと思ったのは間違いだというのですから、間違っていた戦争だと、こういうことになるわけです。

石井一朝

1955-05-27 第22回国会 参議院 商工委員会 第10号

日本がアメリカの関係で一切買わないという方針から、イギリスロシア並びに、チェコからだいぶ入った。それでその翌年に山本熊一君が行き、その後いろいろ交渉がありまして、一昨年はやっと四万台の注文をとれるようになった。それで見返り物資関係で向うの方でもだんだん利口になって参りまして、見返り物資のむずかしいことを言うために、とうとう四万台のうち五千台しかとれなかった。

大蔵公望

1955-03-28 第22回国会 衆議院 予算委員会 第4号

ことにヤルタ協定においては――これが正しい協定なりやいなやは世界の論議のあるところでありますが、かりにこれを正しいものと考えましても、南樺太については、これは返還という言葉を用いている協定の精神からいえば、南樺太ロシア領土であったのを返還することになる。ところが千島の問題については引き渡すという言葉があるから、これは日本領土を引き渡すということになる。

相川勝六

1954-12-19 第21回国会 参議院 外務委員会 第4号

よく真意を確めて、確めつつ行くということが今後必要であつて、そういうことがロシアとの交渉については各国とも定石になつておるのであつて、やはりそれによつて進んで行つたほうが私は日本の利益になる、こう思つておるわけであります。それから私ははつきりとそれに対して意思表示をしておるのでありまして、これは一つの前進であるということをはつきり言つておるのであります。そのくらいの程度で私はいいと思う。

重光葵

1954-12-18 第21回国会 参議院 外務委員会 第3号

一九一七年にロシア革命があつて社会主義ソ同盟に起つて、あときにトロツキー一派世界全体が社会主義の仲間にならなければ一国で社会主義ができない、つまり資本主義社会主義というものとは両立できない、平和的に共存ができないと、こういう立場をとつてつたものであつけれども、その反対に、レーニンたちは一国社会主義というものが可能だと、即ち資本主義社会主義というものは両立し得る、資本主義世界の中に取りかこまれながら

大山郁夫

1954-05-31 第19回国会 参議院 法務委員会 第51号

地主も全く財産税、税金、売買した場合の売買登記料取得税、その他いろいろなものを払いまして、そういうふうに来ているわけであつて、成るほどもう地主というものは価値がないのだ、借地人、使用人というものの天下であつて、全然地主階級家主階級なんというものは云々だというような、例えばソビエトロシアのごとき或る種の理論が出て参りますれば、これは別でありますが、まだ現在の日本においては私は資本主義世界であろうと

湯沢光行

1954-05-28 第19回国会 参議院 法務委員会 第48号

帝政時代ロシアが丁度そういうふうにしてしまつた。それから警察のほうでは、地下に潜つた共産党を追おうと思えば秘密活動秘密警察というものになつてしまう。第三に最も困るのは、潜れない批判的な、自由主義的な人が非常に困る。一般国民も困る、何か政府に対して批判をすれば、それは共産党と同調する者であるというふうに思われれば、それ以上のことは言われませんから、黙つてしまう。

羽仁五郎