1977-04-06 第80回国会 衆議院 法務委員会 第8号
私どもは、いろいろな一般の御意見あるいは国会での御議論等からして、ある程度犯罪被害補償についての制度のイメージというものを持っておるわけでございますが、果たしてしからばこれが一体どの程度の予算を食うものか、その予算がいまの財政事情のもとでどの程度まで広げられるものか、あるいは狭めなきゃならぬものかというような点、あるいは他に補償あるいはこれに類似の制度、既存の制度または将来早急につくるべしと要望されておるような
私どもは、いろいろな一般の御意見あるいは国会での御議論等からして、ある程度犯罪被害補償についての制度のイメージというものを持っておるわけでございますが、果たしてしからばこれが一体どの程度の予算を食うものか、その予算がいまの財政事情のもとでどの程度まで広げられるものか、あるいは狭めなきゃならぬものかというような点、あるいは他に補償あるいはこれに類似の制度、既存の制度または将来早急につくるべしと要望されておるような
国民の多くの人が、あの人は公正ないろんな考え方を出す人だろうというふうに思う人を会長に大臣が任命されて、初めてやはりイメージも違ってくるんじゃないかというふうにも思います。それから構成その他を見ても、たとえば税調の場合には、私も全部賛成じゃありませんけれども、それなりのいろんな作業その他も実際に行っている、それは敬意を表しております。
あるいは、さらに大きく申しますれば、御指摘のようなニコノミックアニマルというふうな、もっぱら経済のみに関心があるというイメージを除去していきますために、文化交流でありますとかそういった面での努力も必要であろうかと思うわけでございます。
それから政府開発援助でも非常に有利な条件のものを与え、または技術協力で海外青年協力隊を送るなど、要するに経済的な投資活動とか利益を求める活動以外の分野におきまして、政府として本当に援助を受け取る側の国民のためになる、そういう援助をやることによりまして対日イメージなり排日感情というものをやわらげるということで、毎年援助の増加も図ってまいったわけでございます。
しかし、実際問題として、これだけの新しい構想、整備された団地というものができてくれば、これはいままでの工場のイメージから言うと非常に違ったものになってくるでありましょうし、また、それをねらいとしたものがこの中核工業団地の一つの取り組みでもあろうかと思うのです。
この問題は、私はここに米沢の分のパンフレットは持っておりますけれども、これを見ましても、これから受けるイメージとしては非常にすばらしい工業団地だというイメージです。それが財政の問題もさることながら一つ一つ外されていって、実際はここに述べられているような性格を備えた団地にならなかったというようなことになれば、これは大変な問題だと思うのです。
一体何が整備され、たとえばダムの操作についてはどうするんだ、埋め立てについてはどうするんだ、この鏡川のたたえる水はこれだけの量だ、それに対してはこういうふうな工事が必要だというような、そこそこのイメージがわかぬような技術会議をやられたんじゃかなわぬわけですよ。
そして大学は、普通の場合は三カ年で大体のことはいいということでありますれば、今日の短大卒ぐらいが実は大学出ということになるわけで、それ以後はもう今度昨年できましたあの専修学校の規則を活用しまして、もう大学というのはみんな三年で終わってしまう、それ以外は専門学校で、学問、研究に携わる人はもっぱらそちらへ行ってやるということで、いわゆる大学というイメージを少し国民に変えさせるような制度をつくっていったらどうか
だからメーカーは待ってましたとばかりに整腸剤というようなイメージでお医者さんに売りまくる。お医者さんの方は、そんなに言うのだから、忙しいし一々勉強する暇もないし、相当使ってもよいのだなということで患者さんに投薬をする。そしてスモン患者が大量に発生をする。これは明らかに、メーカーはもとより、厚生省にも大きな責任があると私は言わざるを得ないわけです。
東北あるいは上信越あるいは北海道地方の方々は、東北新幹線あるいは上信越新幹線のおくれというものはまた従来のそうしたイメージにつながるのではないかということで非常に心配をいたしておるわけでございますが、大臣の答弁で大変明るい希望を与えていただいたことに感謝を申し上げる次第でございます。
しかも、これからの新鉱開発は北海道内陸あるいはまた海底炭鉱でありますから、従来のような炭鉱鉱害という陥没鉱害のイメージは全然ないわけであります。そういう意味から言っても、積極的な新鉱開発が必要であるが、新政策では地方公共団体もひとつ参加をしなさい、そして第三セクター的な方式でやろうじゃないか、きわめて不明確な方針が出されておるわけです。
そういうものがなければ、国民の価値観が非常に多様化しておるわけですから、あるいはまたエネルギー問題に対する国民の一つのイメージというものもなかなかわいてこないし、そういう意味でこれからの基本問題である、重要問題であるエネルギーに対する国民の合意をも得ていくということはむずかしいんではないか。
教育の基本は知育、体育、徳育、まあ徳育という問題になると、すぐ道徳、あるいは戦前のならわしのようなものがイメージとして映るので、左翼陣営からは非常に反対がある。そこらにいろいろ問題もあるわけですが、体育を広めるということでは、今日は国民の合意が得られると思うのです。 そういう意味で、知育、体育という並立の関係をもっと強く推し進める行政をやっていただきたい。
そうしますと、仮に佐世保へ持っていけばこれは「させぼ」と改名するのかもしれぬ、横須賀へ持っていけば「よこすか」と改名するのかもしれませんが、仮に「むつ」をどう改名してみましても、これは欠陥原子力船という名とイメージはついて回るんです。十年後この船を引き受ける船会社なんというものが一体あるんでしょうか。
もし先生の御判断でこれを中学生三年に教えるとしたら、それは間違った日本のイメージを与えることになる。そういうことで、悪いものは悪いとはっきりした判断を下し、そうしてそのルートを通じて勧告することが当然だと思う。 もし必要があれば、郵政大臣の御決断のもとに、少なくとも文部大臣、労働大臣、あるいは厚生大臣も加えたらいいかと思うのですね、非常に福祉の面にかかわったことですから。
月収の五・五分の一を超えてはならないということと頭金三〇%以上ということから考えてみて受けるイメージと、非常に実は違うというのが現実だと思うのですけれども、その所見を伺いたいと思います。
また全国に約二百のテレビやラジオの送信所をつくるあるいは全国に八百七十のビデオセンターを建設する、そして年間の予算、最大時規模においては二百九十億円を要する、あるいは資本的な投資の総額は八百七十億円を要する、こういう構想のように承っているわけですが、そうした構想は、本年度の予算はこう使うというような説明を土台として、一体いつごろから学生募集というようなスタートをイメージとして持っておられるのでしょうか
大臣も御就任早々、また直ちに本格的にやれという御指示を出したやに伺っておりますが、許認可の問題というのは、これは大変運輸省には厳しい言い方になるかもしれませんが、特に出先でいろいろな話を聞くにつけ、運輸省の許認可事務というのは非常に多いし、それからまたその運用がどうも現在ある、既存の人々の方に回ってしまっていて、公正なものというイメージをなかなか与えていない部分もかなりございます。
それではそういう状況の教育界にあって物・物・物から温かい心の交流する人間へと、そういうイメージが実現できるはずがないと私は思うんですがね。大臣の見解いかがでしょうか。
○高橋誉冨君 大変そつのない答弁で結構だと思うのですが、なぜ私がこんなことを質問するかというと、私は学校長の会長なんかをやっておりまして、たくさんの校長の経営を見ましたが、いろいろなことを並べ立てた学校経営案をやる校長と、おれはこれをやるのだという一つの夢、イメージ、こういうものに全身全霊体をもってぶつかっていく校長と、こう二通りに分けますと、やっぱり校長がまんべんなくいろいろなことをかけ並べた校長
多少の落ちこぼれはあっても、所信表明ともなれば人の胸を打つ大きなイメージとか、夢とか、これがおれの大臣としての命がけで取り組んでいる問題であるというような、一つの大きな柱がほしかったような気がいたしました。それは、若い、将来日本を背負って立つ人物かなという期待を持っていたものですから。
あとはもうこれはいずれをとるかという価値観と申しましょうか、松というのはどうも日本人にとっては独特のイメージの木のようでございまして、片方では自然保護ということで松を守れと言われ、片方では虫を守れということで非常に二律背反しておりますが、まあ環境庁としては、条件をつけた形でこれに私同意した次第でございます。
これは一般外国人から見て、他の見なれた外国から見ますと、日本人というのは非常に集団を組んで女性をあさる、きわめて日本人のイメージを悪くしております。日本の国というものを、大変とエコノミックアニマルからセックスアニマルという形の中にこれを言わしめる大きな原因になっておると指摘をされております。外国のいろんな新聞にも書かれております。
これは単に郵政省という枠の中にあっていわゆる収支の問題だけを考えて物を考えるのじゃなくて、国民はいまいろいろな問題で機械化というものに惑わされてきて、人間というものを見直さなければならない、人間情緒の問題を少しく呼び起こさなければならない、こういう時代になりまして、郵政省自体もその中に飛び込んでいって、手紙を書く人と人との交流、こういう情緒的なものをもっとPRすることによって、郵政省自身の持っているイメージ
その結果は、非現実的な野党というイメージをつくり、実りのない対決の政治、あるいはいつもたてまえと本音を使い分けるわかりにくい日本の政治をつくってきたことも否定できません。ところが、事態は大きく変わって、新しい政治状況に与党も野党もその対応を迫られているのが実情です。