1947-08-16 第1回国会 参議院 司法委員会小委員会 第2号
○松村眞一郎君 甚だ私は大臣の答辯は不明瞭であると考えます。私はそういうデリケートなことを言つておるのじやない。端的なことを言つておる。いろいろの状態から見て被疑者が犯罪人であると思うことが尤とも思われるとき、それを裁判所が無罪とやつたときに賠償の義務があるかないかという、具體的の問題でもなんでもない、理論を聽いておるのです。
○松村眞一郎君 甚だ私は大臣の答辯は不明瞭であると考えます。私はそういうデリケートなことを言つておるのじやない。端的なことを言つておる。いろいろの状態から見て被疑者が犯罪人であると思うことが尤とも思われるとき、それを裁判所が無罪とやつたときに賠償の義務があるかないかという、具體的の問題でもなんでもない、理論を聽いておるのです。
○松村眞一郎君 それでは極めて不明確であると思います。今大臣のおおせられたことでありますると、この程度なれば犯罪の疑があると思うことが正當であるという、そういう判斷を裁判所ではできないと思います。この程度であるならば犯罪あることが疑あるというような裁判は司法裁判所ではできないのでありまして、裁判所が裁判をするのは、有罪か無罪かということしか判斷いたしません。その行爲が疑あるかどうかというようなことは
○松村眞一郎君 私は只今の大臣のお答えでは了解いたしかねます。その意味は、違法にということと、適法にということについての解釋が、私は大臣と御所見を異にいたしておるのであります。大臣は只今の御答辯では、犯罪ありと考えることが一般的に根據ありと思わるるときは適法行爲である、こういうことを今おつしやいました。一般的にそれが根據ありと認むることは、誰が決めるのですか、それを伺います。
○松村眞一郎君 司法大臣の司法権に対しまする大変に熱烈であり、眞摯なお心持及び態度は十分了解いたしました是非その方針によつて強くお進み願いたいと存じます。我々國会人としてはそのお考えに共鳴する以上は、できるだけの協力をしなければならんという考えで、責任を痛感いたします。それは深くここに自分でも感じますから、それを申上げて置きたいと思います。ただ立法、司法、行政の関係につきましては、これは法律論でありますから
○松村眞一郎君 私は先程申しましたことを尚追加いたします。私は司法省の方、司法省と申してはおかしいのでありますが、司法官の方から解放しなければならんということの意味は、最高裁判所の裁判官なり、長官を選ぶ範囲の中に、私今此処に明文を持つておりませんが、少くとも十名は司法出身の者でなければならんという規定があります、これを靜かに眺めますというと全部は司法官出身でもよろしいということになります。これは司法省
○松村眞一郎君 私只今の御質問に対しまして、私の感じますことを、突然今私の感じましたことでありますが、それを一つ申上げたいと思います。何が故に從來司法の関係者が冷遇されておつたかということはこれは深く考えなければならんことと存じます。只今お話のあつたことは多年日本において唱えられておるところであります。曾て大木伯が司法大臣になられてときに司法官化石ということを論ぜられたがその当時世論囂々でありました
○松村眞一郎君 私のお尋ねするのは妻の立場で夫を見る考え方ぢやないのです。夫に不貞行爲をさせる女性が外にあるわけです。その女性に対してどういうお考をお持ちになつておりましようか。
○松村眞一郎君 私は増田さんと久布白さんにお尋ねしたい。この姦通罪という問題を妻という立場から貞操を紊るものであるという眺め方の外に、私は外から眺める関係において女性の方はどうお考えになるか、そう言う意味は、男の姦通が今日に行われております。その刑法で罰しております姦通が行われました場合に、処罰されます者は、妻の外に間男という男がおります。婚姻関係は夫婦の関係であります。併しながら外の男が犯して來るということは
○松村眞一郎君 條章に触れないという御議論は、第二十條の解釈がやはり決まるわけであります。それは大臣と同じ解釈をしておられるだとの思います。宗教というものは法律が保護してもよろしいという思想になるわけであります。それは私は根本問題として考えなければならんという立場であります。この憲法の趣旨は、宗教は宗教で行こう、法律で國家は宗教というものに全般的にいろいろな特権を與えないというのが憲法の趣旨だと思います
○松村眞一郎君 私はこの二十四章について、前に司法大臣に御質問いたした際の司法大臣の御答弁が憲法の解釈に觸れて來ると思うのであります。これは非常に重大な問題でありまして、憲法の第二十條の解釈が今日まだはつきりしておらない、立法の当時においても、十分に論議を盡さなかつたのであろうかと思いますが、大臣の御説明によりますと、この礼拜所というようなものも、特に或る宗教に対して保護するのでなくて、全体の宗教に
○松村眞一郎君 今の天皇、太皇太后皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に対する関係は、大体御説明があつたわけでありますが、七十四條の第二項の「神宮又ハ皇陵ニ對シ」という関係は後の二十四章でやるというわけでありますか。不敬罪というものがこの第一章と二十四章にあるわけであります天皇の関係は一般の人と同じようにする。神宮又は皇陵に対する関係は二十四章によると、こういう意味であろうと思いますが、それで大体よろしいというお
○松村眞一郎君 今の五十八條の規定は削除し放しては疑義が生じないのですか。今の刑事訴訟法の三百七十五條にあります手続は、この規定を受けてできておるわけであります。ですからこの五十八條を受けて刑事訴訟法の処罰があるのでありますから、ただ削り放しでなくて、実際再犯というものが確定後に発見した場合はもう問わないのであるという趣旨であれば、明文を置く必要があるのではないのですか。むしろ削り放しにしないで、前條
○松村眞一郎君 やはり大体は順序を追つておやりになつたらどうかと思う。或いは章なり纒めて、各論を全部通じてということよりも、やはり各論の第二編になりますれば二編の中、委員長において適当にどこまでとお切りになつた方がよくはないですか。便宜上何章までというように……余り第二編の初めから、終いまでやつておりますと、前に行つたりうしろに行つたりしますから、適当に区分しておやりになつたらいかがですか。
○松村眞一郎君 私は全部法律でやれということを申したのではありません。どうしても或る部分を強制するということをおつしやつておりますから、強制ということは法律上の責任としての強制という意味からお話をしておるのであります。全部こんなことを強制して法律でやるということは毛頭考えておりません。或る部分は我々が租税を出すような心持で眺めるもよいではないか。そういう意味におきまして或る部分は法律に移し、或る部分
○松村眞一郎君 私は只今食糧供出の問題について根本的な政府のお考を決めて頂きたいと思う。いわゆるどこまでが法律的責任か、どこまでが道徳的義務であるかという區別が明確でないと私は思います。先程おおせられたところによりますと、一應正確に決めた以上は、それは強制するとおおせられておりますが、強制は法律的強制であるのか、一體道徳的強制であるのかということをよく頭に入れなければならないと思います。道徳的であるならば
○松村眞一郎君 そうするとその経過は、この立法の際に參考にされたのでありますか。つまり道義の経過がどんなような工合になつておると結論になつたのでありますか。つまり私がお尋ねするのは、有夫の婦の姦通というものをもう無罪にしてよい、罪と見ない方がよいというほど道義が進んでいるという判断であるのかどうか。その方の判断をまず決めて、女を罰するならば男も罰することを必要とする。こういう平等論が出て來ると思うのでありますが
○松村眞一郎君 只今の姦通罪の問題は裁判に現れておる何か経過はないのですか。経過といつてはおかしいが、資料はないのですか。年々どういう形において現れているのか……。
○松村眞一郎君 議論になりますからここで申上げることは避けますが、第二編の第一章の不敬に関する罪はお除きになつたのでありますが、これは根本的に今年の改正される不敬と礼拜所に関する不敬ということはどういう程度に軽重がありますでしようか。礼拜所の不敬は存置しなければならんという程の問題かどうかということを、不敬という字がありますから、私はそれについて実は考えておるのでありまして、やはりこれは一應考慮する
○松村眞一郎君 司法大臣のお話によりますというと、この度の改正は憲法が改まつたについて應急と申しますか、それに即應した部分の改正に止めた、こういう御趣旨であつたのであります。そういたしますとこの度の憲法で特に著しい改正として認められておりまする一つに、政治と宗教の分離ということが非常に明瞭になつております。その関係から申しますというと、刑法の中の礼拜所に関する罪というようなものについては、何か改正の