1965-04-09 第48回国会 衆議院 外務委員会 第14号
これは鉱物か植物かとか、また、民族的には色彩的に黄色人種であるとか、アジアに住んでいるとか、私はそういうことを聞いているのではなくて、これはやはり、社会学、歴史学的な範疇として日本はアジアの民族とどういう連帯関係になるかということをお尋ねしたのであって、その問題の根本は、色彩学の問題でなくて、植民地として苦労しておった民族が、すなわち欧米に押えられておった民族がいまや目覚めて、そして独立と自治を戦い
これは鉱物か植物かとか、また、民族的には色彩的に黄色人種であるとか、アジアに住んでいるとか、私はそういうことを聞いているのではなくて、これはやはり、社会学、歴史学的な範疇として日本はアジアの民族とどういう連帯関係になるかということをお尋ねしたのであって、その問題の根本は、色彩学の問題でなくて、植民地として苦労しておった民族が、すなわち欧米に押えられておった民族がいまや目覚めて、そして独立と自治を戦い
そういうような点から見まして、何といっても、歴史学あるいは考古学というような一つの科学を中心にした子供たちの教育が今日は行なわれております。教育の体系から見まして、紀元節復活というのは、これはそれにそぐわない体質を持ったものだと私たちは見ておるので、神武天皇が日向の国から大和のほうに東征をして、橿原宮において即位の礼をあげた、そういうような史実というものはない。
この配列を見ましても、国語学、国文学、漢文学、書道、これは人文科学に類するわけですが、その次には国語科教育、こういう教育科学に入るのが出てまいりまして、その次には歴史学、地理学、法律学、政治学、社会学という社会科学に類するものが学科目として出てくる。かと思うと、哲学という人文科学に属するのがその次に出てくる。
ここの法隆寺、東大寺、これは歴史学の上から言っているのですよ。どういうことが文化的な価値があり、どういうような先人の遺業をしのぶかということが問題であって、そういうような政治的な論争の上からものを申し上げておるのではない。
私は歴史学を専攻したわけでもございませんので、皇国史観が何だということを申し上げる資格はありません。ただ、神話であれ、あるいは記紀にいたしましても、千二百年くらい経過いたしましたでしょうか、記紀の内容が今日まで伝わっておることは事実だと思います。
なお三月に入りますというと、これは大臣初め文部省の皆さん十分御承知のように、日本歴史学協会というものが和歌森氏その他と一緒に文部省に対して要望書を出されておる。こういうような昨年の年末以来の経過をたどりまして、現在の国会の文教委員会における問題として取り上げられてきておると、私は一応そういうふうに見るわけなんです。
歴史学そのものの発達の段階から言いましても、聞くところによりますと、最初いわゆる物語的な歴史、その次に問題史的な歴史、その次に時代史的な歴史、こういうふうに歴史学そのものが変わつてきているとさえ聞いておりますのに、またそれに逆行するような歴史観というものが社会科の中に取り入れられるということは厳に私ども警戒いたしております。
それで、結局、和歌森さんを初め、日本歴史学協会、これが要望書を文部省に出しておる。この中で、「おれは知らぬ」などと尾鍋なんという人は言っておる。その中に、欠席した人もあれば、実際決議に賛成だからといって賛成権を委任した者もある。
○加瀬完君 ほかにいろいろ御経歴の方々がたくさんありますが、この方々は学問的な傾向として特に歴史学の上ではお立場が、どういうお立場をおとりになっておる方ですか。
しかしながら歴史学協会が、これも先ほどお話にありましたが、いろいろな申し入れをいたしておる。これはただ何にもないのに、ことさら異を立てて、歴史学協会というようなものが、わざわざ文部大臣に申し入れをするようなことも私はあるまいと思う。
大臣は、そういうことはない、そういう考えはないと言われるが、私どもはそういう気がしてならないし、また歴史学協会がそういうことを指摘したということも、私は一応大事な問題だと思う。
そこで、最近日本歴史学協会ですか、その歴史教育特別委員会が大臣に何か面会されて申し入れをされたそうでありますが、それはどういう点について希望を申し入れたのでありますか、伺いたい。
現にこの部落問題と私らは対照的な立場で考えておるのでありますけれども、日本の憲法の上では国民統合の象徴ということになっておるわけでありますが、やはり明治憲法以前からの天皇制の問題と、いわゆる下級の身分制としての部落問題との間の関連性というものも、私はこれは歴史学上無視するわけにはいかない問題だと思うのであります。
その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。
(拍手) 提案者の言われる、日本書紀の中に辛酉正月庚辰朔、天皇橿原の宮に即位、この年天皇元年となすと記録されていることをもって、神武天皇の即位は二千六百十八年前の辛酉の年なりとするがごときは、今日の歴史学より見て全く根拠のない独断論であることは、多くの歴史学者の主張するところであります。
それは当時何も歴史学が別に発達しておるわけではないから、ただかれは自分の何と申しますか、独断的な成論からわが国の建国は二千五百年前であるということを言っておるのであります。しかし藤田東湖の言っておることは、何ら科学的根拠のあるものではない。いわゆる水戸学派によって提唱された近世勤王論は近世の産物なんであります。大日本史によるそれと日本外史にも影響されておる。
それから歴史学研究会の三島一先生、その他奈良女子大学の門脇禎二先生、金沢大学の遠藤元男先生というような方が歴史学者として反対をされている方と承知いたしております。
○纐纈委員 だんだん歴史学の研究も進んで参りまして、考古学等もあれし、出土品等によっていろいろ研究がされておりまして、さような意味合いから、歴史学の立場から日本の古代の歴史を研究されていくことについては私どもはぜひこれは学者の立場としてやっていかれることを希望します。
○淡谷委員 あなた方の主張される根拠は、歴史学としての定説として日本書紀をお使いになりますか、あるいはまた歴史学としてでなく国民の伝説としてお取り上げになるか、この点を明らかにしていただきたい。
私は教育上の見地から言っているので、ここで考古学や歴史学について論争しようとは思わない。ここは衆議院の文教委員会ですからね。で、この紀元節の制定そのものは、やはり明治政府の一つの皇室中心主義、政治的意図に出たことが今日明瞭です。
伝えられる歴史であろうが、伝承される歴史であろうが、史実にかかる歴史であろうが、それはすべて遠い過去のものでありますから、これを否定することもあるいは肯定することも、これは考古学あるいは歴史学の部類に属すると思います。そのことをあえて論議しても私は結論がつかないと思う。
那珂先生の意見が非常に重要視されて参っておりますが、しかしそれに対しましても反対の議論があり、これでもってまだ那珂博士の説を信ずる人が多いですけれども、近ごろの新しい歴史学の中に、まだ反駁が出ていないのであります。
さっき申しましたように、私ども歴史学をやっておって一番感じますことは、ものの続くということなんです。親孝行を、感激して三日間やったって意味はないのです。ものが続くというところに価値があるのでありまして、日本の国体が、この二千数百年にわたって天皇と国民の対立もなく仲よく続いてきておる。歴史は厳粛で、続くのには続く理由がある。
それでありまするから、この誤まりを再びしてはいけない、そうするためには、日本のほんとうの建国の精神がどこにあるかというようなこと、これは歴史学上、歴史教育の問題でございまするが、それを明らかにして、そういう建国の平和精神を回顧する、そうして新しい人類の先頭に立って、原水爆もやめさせ、そうして平和世界を顕現するといったような新しい意味を持った建国記念日の再興ということは必要ではないかと思うのです。
さっき神武東征論について侵略ではないというお話を両先生から伺いましたが、今度の日本の敗戦を招いた満州事変、あるいは大東亜戦争等に対するあなた方の歴史学の立場から見た戦争の性格ですが、これもやはり神武東征と同じように征伐ではなくて、単に満州あるいは中国へ行ったというふうにお考えになっているかどうか、その点を一つ伺いたい。
今は、言論の自由で、古代史の研究は自由にできるし、いろいろな学問が発達しているんだから、発達した歴史学の観点から日本書紀とか古事記とかいうものをいま少し検討して、それから具体的な事実を引き出して建国祭をきめるべきであると私は思う。明治政府が勝手に作ったものを、今またすぐ復活しなければならぬという理由は少しもない。
こういうふうなことは、少しでも歴史をまじめに考えた者はわかるわけであります、その歴史のまじめな検討をしないで、かつて不敬罪とか大逆罪によって日本の歴史学の発展を妨げた、その限られた範囲における歴史によって、神武東征を中心として建国記念日を記念するということは、これは間違いですよ、日本の将来に害悪を残します。
○田畑金光君 先ほどの私の質問に戻りますけれども、これは大臣から特に承わりたいと思うのですが、やはりこれは自然科学以外の部門においても、私は人文科学と、こう申しましたが、こういう面において、あるいは法律学においても、あるいはまた、歴史学においても、哲学においても、技術の面においても、こういう一般の入文科学の面においても、私は日本はまだ立ちおくれておる、こう考えておるわけです。
日本の歴史を扱う場合でも、世界の歴史を扱う場合でも、これはすべて、今日の歴史学の成果によって得られている研究の成果というものが当然尊重されていなくてはならない、こういう建前から、しばしば戦争中ないしは戦前において行われたような時代区分、科学性のない時代区分というものをこじつけて、いまだにそれを公教育の教材に持ち込もうとするような意図が露骨にあるかどうかということは十分見なくてはならないという意味で、
○佐藤証人 あなたのおただしの趣旨を適用いたしますと、今日の世界中の学問というものはすべて諸領域においてマルキシズムということに断定されるおつもりかどうかわかりませんが、そういう断定については、私自身の研究においては、今日の歴史学や社会科の扱うべき素材や目的や、そういうものから言いまして、そのような論定そのものについては、私は学問が浅いためか論定できません。
学問の領域は日に日に進展しておりますから、とどまることはないわけでありますが、今日の経済学のものではなしに、私自身も歴史を専攻しておりますが、歴史学の立場から言っても、むしろ歴史学の今日の段階から言って、社会の進化ということについて、全世界的なものを統一的に把握しながら、その中で個別的大衆の文化生活というものを全面的に生かす努力というものが克明に立証されなければならないという今日の問題そのものでございまして