2011-07-15 第177回国会 衆議院 環境委員会 第11号
真言宗にしても、すべての仏教関係のいろいろな資料というのは、まさに私たちが今拝んでいるものは、東北で金が出たからですね。涌谷町という仙台からちょっと東北の、近いところに、石巻のちょっと西側にあるんですけれども。 まさに、東北と仏教、そして、金は天皇の通貨と当時言われたので、東北と天皇、朝廷。明治維新で千五百年間の朝廷のガバナンスが終わったわけですよね。
真言宗にしても、すべての仏教関係のいろいろな資料というのは、まさに私たちが今拝んでいるものは、東北で金が出たからですね。涌谷町という仙台からちょっと東北の、近いところに、石巻のちょっと西側にあるんですけれども。 まさに、東北と仏教、そして、金は天皇の通貨と当時言われたので、東北と天皇、朝廷。明治維新で千五百年間の朝廷のガバナンスが終わったわけですよね。
儀軌といいますと、大体仏教関係で用いられる言葉としての方がむしろなじみがあるのかなという気もいたしますけれども、ここでいう儀軌というのは、韓国のこの分野の専門家でいらっしゃいます韓永愚さんなどによりますと、儀礼の規範となる書という意味だというふうに説明されております。
二〇〇六年九月には、仏教界を中心にして朝鮮王室儀軌還収委員会が設立をされて、日本外務省に繰り返し要請するとともに、歴代の総理あてにも陳情書を提出するなどの活動が行われてきました。韓国国会においても、先ほど来ありましたが、二〇〇六年の十二月と、昨年、二〇一〇年の二月の二度にわたって、朝鮮王朝儀軌の返還を求める決議が採択をされております。
「民間徴用の朝鮮人遺骨 進まぬ返還」ということで、仏教界が、いろいろ今まで遺骨調査に協力をしていたけれども一向に遺骨の返還が進まない、一体政府はどうなっておるんだと怒っているという記事なんですね。全日本仏教会の総務部長が、遺骨が返還できないのは死者への冒涜だ、仏教者として看過できないということも述べたというふうにこの記事の中にはございます。
仏教の七つの教えの中に無財の七施とあります。言辞施という教えがあります。言葉の教えです。そういうことを考えると、やっぱり菅総理になってからいろんな言葉がありました。仮免許だとか、あるいは国債には疎いと、国債の格付に疎いとか、福島原発が最悪の事態になったときは東日本は潰れることも想定しなけりゃいけないとか、で、今の、昨日のような話になっている。
これは先ほど私が言いました、過去の厳しい経験に照らして世の中が安穏になってほしいという願いから出ておるこれは仏教の言葉でございますので、国民のために、菅総理もお遍路をされたということでございますが、そういう精神でこれからも国のため、国民のためにしっかり頑張っていただきたいと思っております。 どうもいろいろとありがとうございました。終わります。
今、全国の仏教界、お寺での自発的な調査ということも言われまして、私も、硫黄島のことにも触れていただきましたけれども、戦後六十五年が経過した中で、日本人だけではなく、当時日本のためにある意味いろいろな仕事に携われた皆さんが、そうした形で御家族の元に遺骨を返還することは、これは本当に政府としての、国としての責務だと考えて一層の努力をしていきたい、こう考えております。
仏教界においては、戦後早い時期から、個々の宗派や寺院が朝鮮半島出身者の旧軍人軍属の遺骨返還や民間徴用者の遺骨返還に関して個々取り組んでおります。 平成十六年十二月開催の小泉総理と盧武鉉大統領との日韓首脳会談においては、韓国側から、朝鮮半島出身者の旧民間徴用者などの遺骨返還についての協力要請がなされました。
その中で、私も神奈川県選出でありまして、特に平成四年に政府が推薦いたしました古都鎌倉の寺院、神社ほかでございますけれども、これに関しましては、当初、政府といたしましても、奈良県の法隆寺地域の仏教建造物、さらには京都府、滋賀県の古都京都の文化財と並んで、神奈川県のいわゆる古都鎌倉の寺院、神社ほかという形で、三都のいわゆる世界遺産を目指していたというふうに記憶をしておりますし、奈良県、京都、滋賀県と異なりまして
御存じのように、京都仏教会の会長である金閣寺、銀閣寺の住職が、自分が揮毫したものに対して申告をしなかった、二億円申告漏れだったと指摘されました。一般の方は、六百万人も日本のみならず外国から行く、そして感動するあの金閣寺で、その住職がという失望を感じました。と同時に、宗教法人ってそんなものなのかと思われると情けないという多くの人たちもいるのです。
僕は、よく御説明申し上げているのは、かつてあのタリバン政権がバーミヤンの仏教遺跡を破壊しましたよね。あれ、世界中から非難を受けたと。それは、あの仏教遺跡は決してアフガニスタン人だけのものではないし、ましてタリバン政権だけのものではなくて、世界共有の財産だからです。
仏教では、正直に方便を捨てなさいと言っております。 二年前の衆院選のマニフェストは、実現不可能なばらまきマニフェストで、いわば政権をとるための方便ではありませんか。マニフェストを見直しする以上、まず国民におわびをすべきです。その上で、もう一度国民に信を問うのが正しい道筋ではありませんか。
私も、ちょっと古い話ですが、お大師さんの関係で青龍寺というところを訪れたことが西安でありますけれども、そういう日本から仏教関係の人もかなり中国に行くようになりましたし、そういったあらゆる階層等を通しての交流をやっていきたいと。
我が国はまた、絹の道の終点で、仏教文化が最後にたどり着いたところでもありますが、はるばる海を渡ってきた文明、文化、宗教は我が国の風土の中でそれぞれ変容を受けました。そしてまた、我が国はアジアの中で最初に近代化し、高度成長を実現いたしました。
そして、何かしてあげたらしゃべるなよ、何も自慢するなよという言葉があって、これは仏教用語だと思いますけれども、その言葉が好きで、大臣になったときも、何ですかというと、受けて忘れず、施して語らずと言いました。 アメリカインディアンの言葉でも、ドゥー・グッド・アンド・フォーゲットという言葉があって、いいことをしなさい、そして忘れなさいという言葉がやはり世界じゅうであるんですね。
例えば、これは発達障害ではございませんが、横浜に仏教慈徳学園というのがございまして、親の愛情には全く恵まれないんですけれども、私がゼミの学生を連れていきましたら、ちょうど前の日に四十五年前に卒園した人からの電話があったと。先生の話を忘れたことがない、こう言いました。
儒教的な教え、漢字、仏教等々あるわけで、これは当時のこれを推奨していたマイケル・グリーンなりアーミテージなりに私は個人的に申し上げたのは、これはもろ刃の剣ですよと、価値共通と言ってしまうと日中の接近ということもあり得るんじゃないですかと。
よくアメリカの人たちが、文明の衝突という論がはやりましたけれども、キリスト教と儒教とイスラム教、三つの三大宗教が、まあ仏教と言ってもいいんですが、やっぱりキリスト教文明圏から見て、儒教・仏教圏とイスラム教圏が握手するというのは彼らにとって悪夢以外の何物でもないわけであって、そこは非常に慎重にやらなきゃいけないと。
私が言う宗教心というのは、仏教に、「如何なるか是れ仏法的々の大意」という質問をあるときにある和尚にしました。趙州和尚にしたんですが、答えが無と言うんです。どういう意味かわかりません。本には書いていなかったんです。
今度、道としては三つ目だけれども、もちろん四国八十八カ所だから、仏教の、特定の宗教はお寺としてはあります。 しかし、四国八十八カ所をめぐる四国のみちというのは宗教と関係ないんです。およそ何億人、何十億人という人が、仏教徒でなくたって、キリスト教徒だって、ムスリムだって踏み締めたんです。みずからの人生を悩みながら、人間関係に悩みながら、家族関係に悩みながら、会社に悩みながら。
私はちょっと認識が違うかもしれないんですけど、以前はというか今までは国王中心、仏教中心の、どちらかというと社会主義的な国であったかなと、いろいろなことが保障されていたと。
一つは、やはりチベット仏教の考え方というものが全国民、もちろんネパール系の方もおられますので宗教的な違いもございますが、ただ国を形作る上での基本にはチベット仏教観がございます。その中で、先ほど話の中で出てきておりますような相互依存関係性というものを重んじるという考え方がございます。
また、総理御自身も御就任前から、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」「外国人参政権は愛のテーマだ」「仏教の心を日本人が世界で最も持っているはずなのに、何で他国の人たちが地方参政権を持つことが許せないのか」と、外国人参政権の付与には積極的なお立場で発言をされております。 さらに、先月一月十六日の民主党大会で、総理は、政府として法案提出を検討すると意思表明されました。
漢字と仮名、公家と武家、神道と仏教、あるいは江戸と上方、東国の金貨制と西国の銀貨制といった複合的な伝統と慣習、経済社会制度を併存させてきたことは日本の文化の一つの特徴です。近現代の日本も和魂洋才という言葉のとおり、東洋と西洋の文化を融合させ、欧米先進国へのキャッチアップを実現してまいりました。
漢字と仮名、公家と武家、神道と仏教、あるいは江戸と上方、東国の金貨制と西国の銀貨制というように、複合的な伝統と慣習、経済社会制度を併存させてきたことは日本の文化の一つの特徴です。近現代の日本も、和魂洋才という言葉のとおり、東洋と西洋の文化を融合させ、欧米先進諸国へのキャッチアップを実現してきました。