2014-11-12 第187回国会 参議院 地方創生に関する特別委員会 第2号
私は八十八か所というのは世界に誇る仏教ルートだというふうに思うんですけど。 そういうようなこととか、中国はどうするかといったら、中国、どうして広島に国連の平和研究センターというのは持ち込まないのか、持ち込むようにしたらいいんじゃないか。
私は八十八か所というのは世界に誇る仏教ルートだというふうに思うんですけど。 そういうようなこととか、中国はどうするかといったら、中国、どうして広島に国連の平和研究センターというのは持ち込まないのか、持ち込むようにしたらいいんじゃないか。
仏教界では、ダライ・ラマ、そしてその次のナンバーツー、ナンバースリーとも言われていますが。一度スリランカに来てくれという前から話があったんですが、なかなか機会ができなかったんですが、今回、九月の十五日から訪問、招待を受けていますので行ってこようと思っていますが。
当時、ずっと朝から夜までオウム報道が続いている中で、麻原彰晃の仏教的ないろんな儀式、それから仏像みたいなものが出てきた。そういうことの影響があったんですよ。そして、決定的だったのは、これから聖なる儀式アングリを行おうと思う。アングリって何かなと思いました。坂本弁護士一家殺害事件を行った六人の実行犯の一人、岡崎一明、当時の名前ですけれども、彼のホーリーネームっていうのはアングリマーラっていうんです。
あの仏教の国の、日本の企業もたくさん進出しているタイ。ここでクーデターが起こって、今、政治が機能を停止しています。一方、ウクライナ。これも、クーデターで、一部が独立をするような事態になっています。そして、あのベトナムと中国。今、海上衝突をして、ベトナム国内で大変な騒乱状態も起こっているように、このアジアにおいても、今、大きな大きな変化の状況になっているわけでございます。
仏教の世界では、生老病死、この四つを四苦と言っていますが、いつの時代でも病気で苦しむということはなくなりません。ましてや、治療法の分からない病気や長い間治療を続けなければならない病気にかかられた方については、経済的にも精神的にも大きな負担となっています。特にお子さんの場合には、学業の問題、精神的な成長の問題も含め、多くの課題があります。
それよりも前の時代というのは、いわゆる仏教が非常に盛んだった、殺生を禁止されていたというふうに言われているんですけれども、実際のところ、例えばイノシシはボタン鍋と称されて、ないしは薬食いというふうに言われて一般にも食べられていたというような時代がございました。
当時、江戸時代はもちろん鉄砲の厳しい狩りもあったわけでありますが、また、仏教では、生類憐みの令といいますか、四つ足を殺しちゃだめだ、そういう法律もあったわけでございますが、しかし、銃は農業生産に絶対欠かせないということで、当時の政府は容認しておったということが言えるんだろうと思います。
さまざまな感情がそれぞれの国にありますが、そういったものも乗り越えながら、基本的には私は、同じ仏教国といいますか、さまざまな、家族であったりとか地域であったりとか、そういったものを大切にする風土であったりとか人間性、共通するものはあるな、こんなふうに思っているところであります。
一千三百年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、一九九三年、法隆寺地域の仏教建物としてユネスコの世界文化遺産にも登録をされております。また、建造間もなく火災に遭って再建された、このような諸説もありますが、年輪年代の測定の結果、法隆寺金堂、五重塔、中門に使用されたヒノキまた杉の部材は六六七年から六六九年頃に伐採された、五重塔の心柱の用材は五九四年に伐採されたと推定をされております。
もともと、このラカイン州における国勢調査で民族名としてロヒンジャと記入することは認めるべきではないという動きが起こりまして、同調査のボイコット運動が行われ、そのボイコットを支持する人々はそのあかしとして建物に仏教の旗を掲揚する、そういう動きが起こったというふうに承知しております。
番組では、仏教関係者に仏事作法の指導や仏具のチェックを依頼していますので、その助言を十分に生かせるような体制を徹底していきたいと思います。 それから二点目の、大河ドラマの制作の方針ですが、大河ドラマの題材については、視聴者のニーズや時代の動きを酌み取り、一年にわたって視聴者の興味を引き付けられる主人公は誰かということを考慮しています。
一方、あの仏教を中心としたのどかな国が一挙に開発されることによって、国民性のいいところが少し失われていく可能性があるということは、心を大切にする、ほほ笑みの国のミャンマーの人たちがもしかするとお金というものに惑わされる、そういう人たちが多少出てくるのではないかと。
○谷垣国務大臣 刑罰は何のために科すかと、えらい大上段に振りかぶって申し上げてなんでございますが、仏教の方では因果応報なんて申しますが、仏教の因果応報とはちょっと違いますが、応報というのは一つ刑罰の目的というか理念でございます。そういうことをやるとその結果に応じた責任を問われるぞという応報。
ただ、スリランカに対しては、日本は最大の援助国の一つでもあり、また、私も大変に印象的な言葉として、サンフランシスコ講和条約の際に、スリランカの当時のジャヤワルダナ大蔵大臣が、恨みは恨みによって報いるものではなく、慈悲によって報いるべきである、そういった感動的な演説を行って、対日賠償請求に沸き立つほかの国々、ほかの仏教国のアジアの国々に対して大変に崇高な意思を示すことによって、日本にとっても大変にありがたい
そのとき、終戦直後にローマ法王庁の駐日代表、バチカン公使代理も務めたブルーノ・ビッテル神父さんという方がいらっしゃって、この方がマッカーサーに対して、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務がある、そして、今、靖国神社は神道の単なる霊廟ではなくて国民的尊敬のモニュメントだ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教、いずれの宗教を問わず、国家のために死んだ者は全て靖国神社にその
以前、私、ローマ在住の作家の塩野七生さんとお話をしておりまして、彼女が、東日本大震災に際して、一年とか二年限りでいいから、復興のための宗教法人課税というのを考えてはどうかということをおっしゃいまして、一年、二年であれば、本当に人道的な見地から、宗教上の観点からも、これは御賛同いただけるんじゃないのかなということを私が月刊文芸春秋の誌上で申しましたところ、仏教界あたりから大変怒られまくったんですけれども
その後に仏教の教えが入ってきまして、慈悲の心というものが日本に広がり、そして儒教の教え、仁義というものがこの日本国に寺子屋を通して浸透していったというわけでございます。神道と仏教と儒教、そこからくる勤勉さ、謙虚さ、さらには慈悲の心、そして仁義というものが日本人の心根となったわけであります。 この日本の心根をつくるそばには、常に天皇がいらっしゃったわけであります。
そのほか、例えば後七日の御修法、ちょっと難しいのでございますが、仏教行事で、一月七日までは宮中の新年の節会をやりますが、その一月七日が終わった後に、国家の安寧あるいは陛下の御健康を祈念して真言宗の仏教行事が宮中で行われておりましたが、廃止をされております。
この言葉の意味は、袖触れ合う、本当に通りすがりの方でも、ぶつかった方でも、多生、つまり、未来そして過去をさかのぼれば、子孫でもそして先祖でも、さまざまな方が何かしらの関係がある、御縁がある、だから、思いやりやいたわりや、お互いさまを持ちましょうという仏教のとうとい言葉でございます。それを誤解されている方がたくさんいらっしゃる。私が好きな言葉なので、まず説明をさせていただきました。
仏教の言葉をおかりすれば、他力本願でしか方法はない。もう自力本願は尽きているというわけでございます。 そうすると、今、韓国は中国に随分踏み込んでおりますから、日本に対して再びロシアは、極東の開発のために熱いまなざしを今後も向けてくることは間違いございません。 この二つは、日本にとって非常に有利な今後の国際情勢の展開でございますが、ただ、残念なことには、今ではないんですね。
つまり、自然が守られてあること、そして人々のチベット仏教を本とするその考え方というものを大事にしながら発展をさせていくんだという国の根本方針の中から、やはり文化、そして宗教、言語、この辺は何をしても守らなければならないという強い意識が感じられました。
これは、やはり日本の文化や国民意識を形成していく裏づけは神道と仏教でありますから、これらの二つのいわゆる文化の根底には、神から選ばれて、神の命令に従って生きるという発想はないわけであります。何といったって、神道はやおよろずの神で、八百万も神様がいるわけでありますから。