○伊藤孝恵君
国民民主党・新緑風会の伊藤孝恵です。
私は、
会派を代表し、義務
標準法改正案に対し、
賛成の
立場から
討論を行います。
小さな円を描くより、大きな弧を描いて飛んでほしい。卒業の日、そう言って私たちを学びやから送り出してくれた
先生がいました。あのときはよく分からなかった
言葉の意味を、四半世紀以上を経て今、社会の様々な理不尽を知り、損得やそんたくを知り、わきまえずに
発言してたたかれる日もある中で、
思い出すことがあります。きれいになんてまとまらなくていい、ただ精いっぱい挑戦をする、悔いのない人生を。亡き恩師から贈られた
言葉の力を感じます。
我が国の
平成は、まるで小さな円を描くかのような縮こまった三十年でした。国の予算規模は一・七倍、社会保障費は三・三倍になる一方で、文科省予算はおよそ五兆円台でほぼ横ばい。初等
教育から高等
教育までの
教育機関に対する公的支出の対GDP比は、OECD平均が四・一であるのに対し、日本は二・九と、比較可能な三十八か国の中で下から二番目。前回調査までは三年連続最下位でした。科学技術研究費についても同様で、日本が未来への投資を出し惜しみしている間、アメリカや中国は何倍、何十倍もの予算を投じてきました。
特に、中国は、研究開発費そのものを伸ばすだけでなく、基礎研究の割合を一五%以上にすることを目標にするとともに、アメリカやヨーロッパの一流大学に戦略的に自国の若者を送り込み、その研究者たちが国内に戻って
拠点を構えた今、中長期の
産業競争力や、安全保障をも左右すると言われている量子技術の
発展期を迎え、爆発的な躍進につながっています。
失敗を恐れずに挑戦を続け、
子供や若者の
可能性に投資してきた国と、社会保障費の増加を言い訳にそれを怠ってしまった
我が国の差は埋め難く、一九九〇年、
平成二年には世界第一位だった日本の国際競争力は、昨年三十四位にまで転落してしまいました。過去最低です。
一九八九年、
平成元年の世界時価総額ランキングで、上位二十五社中、日本企業が十八社を占めていましたが、昨年はゼロ。最高はトヨタ自動車の四十一位でした。
とはいえ、我々はこの間もずっと勤勉に働いてきました。二十四時間戦えますかと歌っていたあのCMは、
平成元年から三年もの間、茶の間で繰り返し流れてきました。バブルが崩壊したって、コロナ禍の今ですら、この国の働き方は相変わらずブラックです。
日本は怠けていたのではなく、時々刻々と変わる世界のゲームルールやニーズ、デバイスの進化や、それらが人間の二十四時間をどう変化させるのか、怠惰や欲望をどうマネタイズするかの競争に付いていけなかった。デジタルプラットフォームをつくること、デファクトスタンダードを取ることができなかった。
それは全て、技術やサービスは人にしかつくれないのに、人という未来そのものに投資をしてこなかったからにほかなりません。この過小投資のツケを、私たちは今から支払うことになります。
この状況を見てもなお、少
人数学級の
効果は薄いとして、最後まで
法改正に否定的だった財務省に対し、教室内の変化は
子供たちの変化であり、それは日本の未来の変化そのものだと不退転の意思で交渉に臨まれた萩生田大臣及び文科省、自治体、
教育関係者の
皆様に心からの
敬意をささげるとともに、
内容の十全でない点はお伝えし、更なる
措置を早急に検討いただくため、本
法案の
課題を具体的に指摘させていただきます。
第一に、
我が国の
現状を踏まえ、未来を生きる
子供たちはどんな力を備えるべきなのか、保有する
課題に対して従来型の
教育で
対応できるのか、できないのか、評価と逆算から
義務教育の
在り方や授業
内容を考え、その上で
学級規模の位置付けを論じるべきを、それが曖昧模糊としていた点です。
少
人数学級とICT
教育を車の両輪として
実現するとした
令和の日本型
学校教育は、明治、大正、
昭和、
平成を通じて構築されてきた
学校教育を継承しつつも、その単なる延長線上に位置付けられるものではなく、社会の
在り方自体が劇的に変化する中で、必要な
改革にちゅうちょなく取り組むものだそうですが、ならばなおさら、それを遂行できる
指導者、教員の確保をいかになしていくか、同時に策を提示すべきでした。
しかして第二に、今後、最も
課題になるのは教員の確保と養成であることは明白です。にもかかわらず、定額働かせ放題の給特法、形骸化している免許更新
制度、処遇の
改善や、
公立小中
学校でおよそ一六%、
公立高校でおよそ一九%となった非正規教員の
課題は放置する一方で、教員に求める資質、能力として、使命感や責任感、
教育的愛情、教科や教職に関する専門知識、実践的
指導力、総合人間力、コミュニケーション能力に加え、今年からはファシリテーション能力やICT活用
指導力、これを臆面もなく掲げているところです。
この十五年間で教員の賃金は七%も低下しています。二〇一六年に文科省が実施した実態調査によれば、過労死ラインを超える教員は、小
学校で三三・五%、中
学校では五七・六%を占め、こんな長時間労働の中にあっても休憩時間は小
学校で三分、中
学校で四分と、もはや教員の崇高な使命感ややりがいを搾取して帳尻を合わせる域をとうに超えています。
今回の
法改正により、五年間でおよそ一万三千五百人の教員が新たに必要になる見込みですが、教員採用試験の受験者及び倍率は年々減少傾向にあります。その根本原因は何なのか。それをひもとき、指さし、
改善することでしか、
子供たちの学びを支える唯一無二の
学校に、
思いのある若者や社会で培ったあらゆる経験や感覚を有する多様な転職人材を招き入れることはかないません。
第三に、幼稚園から
高等学校、特別支援
学級に至るまで、更なる少
人数学級の
実現に向け、附則第三条に示されている
効果検証結果の運用が不明確だった点です。
財務省との交渉はこれからも続きます。三十五人
学級の有効性を示すための調査については、
参考人質疑でお話を伺った専門家の方々は異口同音に、少
人数学級の
効果を、間違っても学力向上などという指標で評価しようとするのは、適切な
教育観ではない、そんなものは学力フェティシズムの行き詰まりでしかないとおっしゃっておりました。同感です。
しかし、その現実は、その正しさは横に置いて交渉に臨まなければなりません。財務省は、まずは三十五人
学級の
効果検証を見てからでしか次には進まないとの
立場です。であれば、
効果を測るため、最低でも、ターゲット、ゴール、評価指標、KPI、トレース、この五つの設定は必要で、特にトレースは、施策の前後で実施しなければ差異が見えませんので、現時点でもし戦略が策定できていないとすれば、それは既に交渉に負けていると言っても過言ではありません。
戦略とは、戦いを省略することです。
子供たちに投資をすることの是非など、語る道理はありません。不要な折衝を回避するためにも、是非運用を
早期に確立してください。
以上、本
法案の残された
課題について申し述べました。
最後に、
子供たちの心、孤独についてです。
小中高生の自殺者は、昨年、一九八〇年の統計開始以来最多となりました。先進七か国で若者の死因の第一位が自殺である国は日本しかないと言われるたびに、時の
政治家がこれを放置してはいけないのだと強く
思います。
ステイホームの中で、児童虐待件数は過去最多となりました。DV相談件数も過去最大、親の暴力や暴言を目の当たりにする面前DVなど、心理的虐待は僅か七年でおよそ八倍に膨れ上がっています。
子供たちの生きづらさは逃げ場所がないことです。その意味で、
学校という居場所は
子供たちの逃げ場所でもありました。一斉休校などによって奪われた
学校行事や部活の大会、友人との時間は、大人が思う何百倍も
子供たちにとってかけがえのないものだったからこそ、絶望も大きかったのだと
思います。
これから私たちは、コロナ世代の
子供たちをじっと見詰め、長く見詰め、守っていかなければなりません。助けてと言えない
子供たち、発達障害や外国をルーツとする児童生徒、不登校や引きこもり、ヤングケアラー、こういった特別な伴走が必要な
子供たちにとって、周りの大人たちのまなざしと声掛けこそが生きることにつながる最後の一縷です。
小さな円を描くより、大きな弧を描いて飛ぶことは、時に不格好で傷つくこともあるかもしれません。でも、弧のようにしなり、折れない心を養って、
子供たちには幸せに巣立っていってほしい。この
法案がそれらに資するものであるように、そんな切なる願いを申し上げ、私の
討論を終わります。(
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