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石塚参考人 石塚幸子と申します。
本日は、意見を述べる場を与えていただき、ありがとうございます。
私は、匿名の
第三者の
精子提供、AIDという技術で生まれました。同じく
精子提供で生まれた人たちと
当事者のグループというものをつくっています。
私が生まれたAIDという技術は、一九四八年に慶応義塾大学で始まり、既に七十年以上の歴史があるものです。
提供者は匿名であり、その事実は子供に秘密にすることがよいとされて、ずっと行われ続けてきました。そのため、長い間、問題は起こっていないと思われてきていましたが、最近になって、私のように、生まれた
当事者が声を上げ始め、これまで秘密と匿名のもとに行うことがよいとされてきたこうした技術が、実は、そのことによって
親子関係を崩し、
当事者に大きな喪失や痛みを与えているということが報告され始めています。
本日は、私の体験をもとにしながら、この技術で生まれた
当事者が、そしてその家族がどのような問題を抱えているのかということを知ってほしいと思っています。
まず、私が事実を知ったのは二十三歳のときで、父の遺伝性の病気をきっかけに、自分への遺伝について悩み、その結果、母から告知を受けました。
現在私たちのグループにいる
当事者のほとんどは、親の病気や離婚などをきっかけに事実を知るケースがほとんどで、子供にとっては、まず家庭内に何か問題が起こった上の告知になるため、二重にショックを与えていると言えます。そうした告知であるからこそ、事実を知る時期が非常に遅く、三十代や四十代になってから知るということも少なくありません。
私が母から告知を受けたときに聞いたことは、父親と血がつながっていないということ、昔、慶応大学でそういうことをやっていたということ、
提供者についてはわからないということだけでした。
自分の出自を知り、まずは父の病気が遺伝していないことに安心したものの、その後すぐに、なぜこんなにも大切なことを今まで私に言ってくれなかったという思いが湧き上がってきました。信頼していたからこそ、言ってくれなかったということが非常に悲しく、裏切られたというようにも感じてしまいました。そして、何よりも、自分の二十三年間の人生が母のついたうその上に成り立っていたものであるかのように思えてしまい、何が本当で何がうそなのかがわからなくなり、自分が一体何者なのかということがわからなくなってしまいました。
しかし、
母親にとってもこれは想定外の告知でした。技術を
実施するときに、私の両親は、子供には言わない方がいいと医師に言われ、それでうまくいくと信じてやってきたからです。
しかし、父の病気もあって言わざるを得なくなった結果の告知であり、結果、親と子の
関係は崩れ、その後、母は、この問題に触れたくないとか、公にしたくないというような態度をとり、そうしたことに私は傷つき、親がそんなにも後ろめたく隠したいと思っているような技術で自分が生まれてしまったのかと感じ、それは、親にすら自分のありのままの存在を認められていないと感じてしまうことで、とても悲しいことでした。自分の感情をコントロールできず、体にも不調があらわれ、涙がとまらなかったり、眠れなかったりするような状態になり、私は、結局、告知を受けてから二カ月後には家を出てしまっています。今も、親との
関係は完全に修復できたとは言えません。
私が
当事者として問題だと感じていることを主に三つにまとめてお話ししたいと思います。
まずは、告知の時期が遅いということです。
私の例がそうであったように、告知を受ける時期が遅くなればなるほど、親に隠されていたと感じる期間が長くなります。そのショックは大きくなります。こんなにも長い間、親にだまされていた、隠されていたと感じ、親に対する信頼が大きく揺らぎます。また、AIDという技術そのものを隠そうとしたり、周囲に打ち明けてはいけないこととして扱うことで、子供は、自分の存在自体が親にとって後ろめたく恥ずべきことであるかのように感じてしまいます。
親子の
関係において、子供が親に自分の存在を認めてもらえていないと感じてしまうことは、子供が自分自身を肯定して生きていくことを非常に難しくさせてしまっていると思います。
二つ目は、アイデンティティーが崩れるという体験のつらさやその衝撃です。
私が告知を受けた後、自分の人生は親のついたうその上に成り立っていたと感じてしまったという感覚は、多くの
当事者に共通しています。人はさまざまな経験や体験を積み重ねて自分を形成していきます。その土台の部分には自分の出自というものがあります。それが、それまで自分が信じていたものと突然違うと言われてしまうと、その土台が崩れ、その上に積み重ねてきたもの全てが崩れてしまいます。何が本当で何がうそなのかということ、自分が一体何者なのかということもわからず、大きな不安にさらされます。事実を知る時期が遅ければ遅いほど、それまで自分が行ってきた選択というものが多く、それが崩れることは、そうした選択に自信が持てなくなることにもなります。そして、それはとてもつらいことです。
私たちのグループの中には、結婚や
出産など、人生の大きな決断をした後に事実を知ったという方も少なくありません。知らなかったとはいえ、自分が新たな世代を生み出してしまったこと、四分の一ルーツがわからない子供をつくってしまったことで、子供やパートナーを自分の問題に巻き込んでしまったことに、皆さん、非常に悩みを持っています。
三つ目が、
提供者情報がわからないということです。
一度崩れてしまった自分を再構築するには、さまざまな
情報が必要です。AIDという技術自体について、そこにかかわった人の思いや
提供者の
情報など、人により知りたいことはさまざまに違っていると思います。しかし、自分が知りたい
情報を、うそではない真実の
情報を一つずつ確認し、自分の人生に改めて組み込んでいくという作業が必要です。そこには、
情報だけではなく、その作業を支えてくれる人の存在も必要です。しかし、現在、私たちには
提供者を知るすべがありません。崩れてしまったアイデンティティーを再構築したいと思っても、私たちの中には一生埋めることのできない空白があるのです。
提供者情報がわからないということは、自分の遺伝
情報がわからず、医療受診の際にも不安を抱いたり、同じ
提供者の
精子から生まれた別の異母兄弟だったり
精子提供者自身の子供だったりと近親婚の可能性があるという問題も実際に生じています。
提供者情報を知るということは、自分を確立し、自分を肯定して生きていくために絶対に必要なことです。過去があることで今の自分があるということを確認し、それによってこれから先の未来について考え、生きていくことができるのだと思っています。
私たちが
提供者情報にアクセスするためには、まずは、自分がそうした技術で生まれた子だということを親に告知される必要があります。そして、親から早期に告知される、しかも、それが積極的な告知であることで、少なくとも
親子の信頼
関係は保つことができますし、それは子供にとって、とても重要なことだと思います。
親からの告知と、知りたいと思ったときに知りたい人が
情報にアクセスできる環境というものを、この技術を今後も続けていくのであれば絶対に必要だと思っていますし、それが整えられないのであれば、私はこの技術はやめるべきだと思っています。
今回の
法案では、出自を知る
権利は、その後の
検討課題とされるにとどまっています。しかし、その後の
検討期間とされる二年間の間にも、私たちと同様の子供は生まれ、
権利が保障されぬまま、
情報も、保管も
管理もされず、将来的に今の私たちと同じような悩みを抱えてしまうことになりかねないと思っています。一刻も早い出自を知る
権利の保障と、そのための
提供者情報の保存、
管理をぜひお願いしたいと願っています。