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山城参考人 一般社団法人全
日本視覚
障害者協議会の代表をしています
山城完治といいます。
きょうは、こういう場にお招きいただきまして、ありがとうございます。私
たち視覚
障害者の問題を公的に
発言する場は余りないので、本当にありがたいと思っています。どうぞよろしく
お願いいたします。
さて、私の
自己紹介的なことなんですけれども、私は、沖縄で一九五六年に生まれまして、十五歳まで沖縄の盲
学校で学んできましたけれども、それ以降、一九七二年に東京に十五歳で出てきました。以降、東京に住んでいるんですけれども、一九七九年に私
たちの今の東京の会に入会しまして、それからずっといろいろな活動をしていますけれども、とりわけ九〇年代からは、私
たちはいわゆる
まちづくりと言っていますけれども、安全な歩行、移動の運動を中心に、自分のライフワークかなと思って取り組んでいるところです。
さて、この機会ですから、視覚
障害者の問題を見ていただくために、視覚
障害者の
社会参加、平等を進めるためにというところがありますけれども、私は、学問的なことはわからないですけれども、運動する中で、三つの不自由と三つのおくれを克服していくことが
課題だというふうに考えています。
三つの不自由というのは、歩行、移動の不自由、それから
二つ目、情報の入手、発信の不自由、就労の不自由、これがあると思います。それから、三つのおくれですけれども、制度と技術開発のおくれ、視覚
障害者に対する啓発、
理解のおくれ、それから、民主主義や人権、その土台である平和を求める運動のおくれ。これを総合的に解決していかなきゃ私
たちの
社会参加と平等は進まないんじゃないかなというふうに考えています。
ちょっとだけ言いますと、情報の問題でいいますと、例えば私
たちは今点字を使っていますけれども、まだまだ文字処理というのはなかなか難しいですし、制度的にも、そういう機器などの制度は少ないですし、それから、技術開発的にいっても、まだまだ視覚
障害者の、私
たちの目となるものの開発というのはおくれているというふうに思わざるを得ません。
三つの不自由というのは、
考え方としては、治療でいいますと対症療法だというふうに思います。そして、三つのおくれは根本療法。これを総合的にやっていかなきゃいけないかなというふうに考えています。
さて、本題にだんだん入っていきますけれども、今回、私は、
法案というよりも、視覚
障害者の歩行、移動の実態を知っていただくという面から、とりわけ命の危険にかかわるという点で、駅ホームからの転落の問題、それから車にはねられる事故の問題を取り上げていきたい、そして最後に
法案に対する要望、これは実態に基づく要望ですけれども、これを提起させていただきたいというふうに考えています。
歩行、移動の問題で、これは総論的に言いますと、私は、落ちる、ぶつかる、つまずく、迷う、見えぬ歩行の四バリア、これをなくしていくということが安全、安心な歩行、移動につながるというふうに考えています。
ちょっとずつ書いてはありますけれども、落ちるの問題。この落ちるは大体けがを伴うことですし、そのことをちょっと
一つだけ書いてありますけれども、五段以下の
段差を設けない原則が必要じゃないかなと思っています。意外と、小さい
段差、一段とか、二段とか四、五段まではなかなか
段差があるということがわからないことが多いです。弱視を始め、そういうことがあってけがをするということが往々にあります。
それから、つまずく、落ちる、ぶつかる、これはもう日常茶飯事。
ぶつからずに歩くことはできない、これが視覚
障害者の
状況です。いろいろな道路や駅での構造物、それから人にぶつかることもありますし、いろいろなところがあります。
つまずくというのは、弱視者が、特につえを持っていない人がつまずくということは往々にあるんじゃないかなというふうに思っています。それで、けがをするということにもつながります。
それから、迷う、これが視覚
障害者の
一つの
特徴ですよね。情報がないわけですから、自分が今どこを歩いているのか、視覚
障害者は、自分が今どこにいて、どっちを向いて、どう歩くかというのが問題なんですけれども、どこにいて、どっちを向いているかというのがわからない。
例えば、この部屋にいますと、これは結構広い部屋ですから、広いから入ったときに部屋だと思わないことだってあるわけですよね。皆さんは、人がいて、机があるから部屋だとわかるかもしれないけれども、それをさわらないと、そういうこともわからないというのが現状だということなんですよね。そういうことが歩行、移動に大きく
影響していくというふうに思います。
次に、各論ですけれども、まず転落事故の問題です。
転落事故の
状況を、こんなにまだまだ転落事故が後を絶たないんだということを資料一と二に掲げてあります。
資料二というのを見ていただいてもいいですか。資料二には事故件数が書いてあります。
これは、国土
交通省が二〇一〇年からまとめていますけれども、それに私
たちの情報を加えたものですけれども、接触を伴わない転落事故が六百六十九件、そして、接触、まあ死亡ですけれども、二十件もあります。国でいうと、これは九年間ですから、毎年六十件から七十件ぐらい、平均すると事故が起きているわけなんですね。大体一週間に一度は全国どこかで視覚
障害者がホームから落ちているということになります。これは私は異常事態だと思います。ホームというのは欠陥商品じゃないかと思うぐらいのことではないかなと。これを
改善するということが
社会の大きな
課題だというふうに考えます。
次に、なぜ落ちるかということが書いてありますけれども、見える人は、ホームを歩くときに縁を見て、そこに自分で壁をつくっているんです、落ちちゃいけないと。落ちちゃいけないという壁をつくって、それを持つことができるんですけれども、視覚
障害者にはこれができないわけですよね。だから落ちるわけなんです。ちょっと例をかえて言いますと、酔った方、酩酊した方がホームから落ちるというのはそういうことだというふうに思っています。だから、視覚
障害者にとって、可動式のホーム柵がなければ、落ちるというのは防げないというふうに思います。
次に、なぜ可動柵が必要かということを書いてあります。
これは
事例に基づいていきますけれども、資料の一ですね。一番目に書いてあるのは、一の七十二番、最近の日暮里の事故ですけれども、日暮里というのは、
一つのホームに電車が両方から入ってくる島型ホームというホームなんですけれども、片方はホームドア、可動柵がある、そしてもう片方はないわけなんですね。このあるかないかというのが視覚
障害者にはわからない、ということによって落ちる。例としては、恐らくこれは夜に起きている事故なんですよね。こういうこともありますので、恐らく、違う、いつも使わないホームを使ったんじゃないかと思われるんです。これはあくまでも思われるですけれども。ですから、自分がこのホームには可動柵があるんだなと思って落ちたのではないかというふうに思われる例です。
それから二番目の例は、七十番、押上の例だとか、六十九番もそうですけれども、これらは、自分のホームで電車を待っているとしますね。そうすると、自分が乗る方じゃなくて向こう側のホームに電車が来た。それで、これを自分の方に来たと。まあ、勘違いですよね、わからないわけ。どうしても、誤認せざるを得ないということもあるんですけれども、それを自分の方だと思って乗り込もうとしてホームから落ちるわけです。
この押上の例は典型じゃないかなと思っているんですけれども、階段の近くなんですね。階段をおりて、おりたらホーム。そうしたら、おりたらすぐ向かい側のホームに電車が来ているんですよね。そうしたら、当然、おりたら、自分の側に電車が来たんじゃないかなと思っちゃうんですよね、
流れとして。ですから、これは防げないという
二つ目の例です。
それから
三つ目は、四十四番の例、これは目白であった例ですけれども、彼は大塚駅という割合幅の広いホームをいつも使っていたんですね。それで、その日はなぜか山手線の内回りに乗っていて、電車を乗り越しちゃったんですね。乗り越したら、次は池袋ですから、普通は池袋でおりますよね。だけれども、池袋でおりるとホームを変えなきゃいけない、階段を上りおりして。ですから、次の目白駅に行ったわけです。目白駅は、大塚と違ってホームが狭いんです。端っこは特に、彼が落ちた目白側は特に狭い。足を、股を広げると点字ブロックが両方に触れるぐらいの幅なんですね。それを恐らく彼はいつもの大塚のホームと思ったわけですね。それで落ちた。
奥さんが一緒に歩いていたということらしいんですけれども、奥さんは後ろからかばんを持っていたらしいんですね。そうしたら、突然彼がいなくなったんですよ、ぽとっと落ちて。そしてホームから電車にはねられて亡くなったという、そういう事故なんですけれども、これらは全てやはり可動柵がなければ防げない事故なんですね。そういうことをぜひ御
理解いただきたいというふうに考えます。
余り時間がないですけれども、固定柵の問題があります。
固定柵も、柵というから落ちなくなるのかなと思いますけれども、固定柵というのも、あきっ放しですから、落ちるんですね。私が知っているだけでも東急で三人はいます。そういうふうに、落とし穴のある
対策というふうなことを書きましたけれども、固定柵はやはりかえって危険な面もあるというふうに御
理解いただきたいと思います。
それから次に、可動柵の問題はありますけれども、そうはいってもなかなかできてこないという
意味でいうと、駅員さんや係員さんの役割というのは非常に大きいと思います。やはり転落するものだという前提に立って、どういうところで落ちるのか、落ちたらどういうふうに助けるのか、そういうことも実践的な
研修などがぜひ必要です。
ここで資料一の五十六というのと五十七を見ていただきたいんです。
五十六は新京成の駅で落ちている例ですけれども、これは駅員さんがいなかったんですね。これは恐らく、この落ちた人は女性なんですけれども、網膜色素変性といいまして、ちょっと暗くなると全盲になっちゃう、そういう、幾ら視力があっても、ちょっと暗くなるとすぐ全盲になってしまうというような眼疾なんですね。そういう中で、駅員さんがいないところで、私が見に行ったら暗くなっているところでしたけれども、それが要因になって、駅員がいないということと合わさったんじゃないかなというふうに思われます。
それから、五十七番の例は、これは錦糸町で、私
たちの仲間ですけれども、駅員さんが助け上げてくれた例です。これが
一つ目。
それから、私の体験というのも書きましたけれども、これは詳しく説明する時間がだんだんなくなってきますけれども、要は、私も、随分前ですから少し視力もよかったし、よかったというか、ちょっと見えて今よりよかった、それから体力的にも元気があったというのもあって、おりて助けたんですけれども、二人では助け上げられないなということを痛切に感じました。それともう
一つは、駅員さんがいてくれて電車をとめてくれれば、もっと安心してやれるのになというふうに思いました。三人目が来ていただいたので上がりました。
これと対比するようですけれども、二〇〇一年にあった新大久保の事故、これは三人亡くなっているんですけれども、だから、私が言ったのと同じで、二人では上げられないんですよね、なかなか。たしかこの時間は七時ごろでしたから、電車の来る頻度が大きい。だから、私も、その時間だったら恐ろしいなと思って今さら怖い思いになるんですけれども、そういうことがあるので、駅員さんによる
対策というのは非常に大きいなというふうに考えています。
駅に関する要望はいいことにしまして、次に、自動車事故のところに行きたいというふうに思います。
自動車事故、これも命にかかわるという点では私
たちにとって重要な問題です。
資料三に十件の事故の
事例を挙げました。これは国交省の資料に私が聞いたのも入れて十件になって、二〇一〇年からのものですけれども、まず国交省は視覚
障害者といって調べるわけではないですので、まだ制度的に調べる制度がないということがあります。これは半分は、私、知っている仲間なんですよね。だから、
特徴は、これは氷山の一角だというふうに思っていただきたいというのが一点です。
道路横断による事故、車にはねられる事故をなくすために、まず、道路を横断する横断歩道の機能を視覚
障害者が十分使えるようにならなきゃいけない。そのためには、最低、音響式信号機とエスコートゾーンが必要です。
音響式信号機があることによって、私
たちはまず、そこに横断歩道があるということがわかります。それから、信号の色、青信号がわかります。それと、大まかな渡る方向が、ピヨピヨと鳴りますからわかるということです。そしてエスコートゾーンは、その渡る道筋をきちっと示すわけですね。特に道路が広いところだと、私
たちも
調査したこともありますけれども、曲がりくねって結局戻っていたとかぶつかったりして戻っていたとか、そういう悲惨なこともたくさんありました。
そういうことがあって、横断歩道を私
たちが使えるような機能、そのためには、音響式信号機、エスコートゾーンを横断歩道の設備の
基本としていただきたいというふうに思います。
私の体験を次に書いておきましたけれども、あるときに、横断歩道を渡ろうと思ったら、自分と同じ方向で車が動いたので、あっ、青だなと思って渡ったら、向こうに行ったら何か人がいるみたいで、しまった、信号無視しちゃったなと思ったんですけれども、ちょっと待てよ、私は信号が見えないから信号は無視できないなと思って、ああ、無視しているのは、設置する行政が私の存在を無視しているんだなというふうに思い至ったという
経験があります。これはやはり人権の問題でもあるのかなというふうに私は思います。
たくさん要望を書きましたけれども、この中で、視覚
障害者の参加の問題をぜひ、私
たちの声を反映させる
仕組みを取り入れていただきたいというふうに思っています。
ちょっと長くなりましたけれども、どうもありがとうございました。(拍手)