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羽藤参考人 京都工芸繊維大学の
羽藤由美と申します。よろしくお願いいたします。
私も、
英語四
技能及び
英語で話す力は極めて重要と考えています。実際、勤務している
大学では、独自の
英語スピーキングテストを開発し、
AO入試の一部でも利用しています。本日は、このような実績を踏まえて
意見を述べさせていただきます。
まず、今回、
共通テストへの
英語民間試験導入の
延期の決断がここまで遅くなったことによって、
受験生、
高校現場、
民間試験団体、そして
文部科学省の皆さんが大きな痛手を受けることになり、極めて残念に
思います。本
制度の実現が困難であることは、複数の
民間試験を利用する
方針が固まった二〇一七年五月の時点でほぼ見えておりました。それ以来、関連分野の多くの研究者が問題を指摘してまいりました。しかし、耳を傾けていただくことなく、ここまで来てしまいました。
今回、萩生田
文部科学大臣は、二〇二四年に向けて、
大臣御自身の下に検討
会議を設け、今後一年をめどに結論を出すと発表されました。どうか、再度同じことが起こらないように、広く専門家や現場の教員の
意見を聞き、結論ありきではない、現実的かつ緻密でオープンな議論をしていただけますようお願いいたします。今回の騒動に失望した若者
たちがいます。その若者
たちの信頼を回復できるような結論の導き方をしていただきたいと
思います。
さて、ここからは、その検討の際に御留意いただきたいこと、言いかえれば、今回の挫折の原因になったことについて述べさせていただきます。
まず、
民間試験団体は営利で成り立つ事業者であることを前提にしなければいけません。
試験団体にとっては、利潤の追求とテストの品質や
公正性、
公平性の向上との間には、トレードオフ、言いかえれば、あちらを立てればこちらが立たずの関係があります。
例えば、一回の受験料が二万五千三百八十円の
IELTSと、六千八百二十円の
GTECが同じ品質のテストであるとは考えられません。採算に合ったことしかできないんです。
例えば、
スピーキングテストの採点についても、機械採点が得意とする問題を多く使えばコストは下げられますが、しかし、現在のAIの技術ではテストの質が落ちます。一方で、すぐれた
資格を持つ採点者を雇い、十分な訓練をして丁寧な採点をすれば、コストがかさみます。
そのほかでも、複数回の
試験の結果を比較可能なものにするための標準化、あるいはトラブルや不正の防止、
障害のある
受験生への
対応など、どの面をとっても、質を高めようとすれば費用がかかるのは当然です。
今回、
GTECや
英検などが
最後まで具体的な
試験会場を確定できなかったのも、採算を考えたからです。顧客、つまり受験者の数が予想できないのに、
会場設営、パソコンやサーバーなど大きな投資はできません。幾ら費用をかけてもよいのなら、どの
試験団体もすぐに
会場を確定できたでしょう。
このように申し上げると、この
試験会場の問題を国の支援で
解決すれば、今回の
制度のマイナーチェンジで二〇二四年度を迎えられるとまだ考える方がいるかもしれません。しかし、それは不可能です。同じことの繰り返しになります。
民間試験団体は、一方では、絶対数が決まっている受験者、それも今後は必然的に数が減っていく受験者を、みずからの生き残りをかけて奪い合わなければなりません。そして、もう一方では、
大学入試としての
公正性、
公平性、セキュリティーを求められます。その上に、今回は
文部科学省から、
検定料を上げるな、むしろ下げろと求められました。
すると、必然的に起こるのは、
試験の質を下げることです。実は、既にそういうことが起こっていて、一部の
試験では採点の質の担保や標準化が危うくなっているのではないかと懸念しています。実は、多くの専門家が同じような懸念を共有しています。しかし、今回の
制度では、ブラックボックスとなっている
試験の作成や品質管理の実態をのぞき込む権限を、
文部科学省も
大学入試センターも持っていませんでした。今後も、企業秘密の保持の関係で、査察や監査をすることは難しいと思われます。
ですから、複数の
民間試験に
大学入試を丸ごと委ねる
制度では、
試験の質や
公正性、
公平性を担保することは困難です。その結果、大きな問題が発生したり、逆にトラブルが隠蔽されたりする可能性が極めて高いです。事業者が悪いのではありません。そうせざるを得ない
制度なのです。
さらに、
民間試験を利用するという今回の
制度では、内容や目的の異なる
試験の
成績を比べるという無理難題が生じます。
今回
資料として提出させていただいた各
試験、
検定試験とCEFRとの対照表は、極めてでたらめな手続を経て
文部科学省から発表されたもので、目的や内容の異なる
試験の
成績を比べるという致命的な誤りを隠蔽するためにつくられたものと言っても過言ではありません。
ならば、
一つの
民間試験に絞れば
共通テストとして使えるだろうと思う方がおられるかもしれません。決してそうではありません。やはり
英語以外の科目と同様に、最低でもテストのデザイン、つまり、何をどこまでどのようにはかるか、そしてその品質については、
大学入試センターなどの公的機関が管理する必要があります。
ラーニング・アンド・アセスメント・ゴー・ハンド・イン・ハンド、
指導と
評価は手を携えてとよく言われます。
指導と
評価が適切にかみ合ってこそ
学習の成果が上がります。
評価を
民間に投げてしまったのでは、そういう工夫をする手だてが一切なくなってしまいます。
ここまで、複数であっても単数であっても、
共通テストを
民間試験に丸ごと委ねることはできないこと、それから、今回の挫折の原因がこのことであったこと、それから、仮に
スピーキングテストやライティングテストを加えるとしたら、必ず
大学入試センターなどの公的な機関が中心的な役割を果たす必要があることを申し上げました。
なお、新聞報道によれば、今回の導入
延期を受けて、いらっしゃいますけれ
ども、柴山前
文部科学大臣は、既に
大学の三割が
民間試験を使っており、今回の導入によって更に三割ふえる、
受験生にとってはありがたい
制度だとおっしゃられたそうです。
揚げ足をとるようで恐縮ですが、これまで三割の
大学が
民間試験を利用して、それによって期待した効果が得られたのでしょうか。二〇〇三年の「
英語が使える
日本人」の育成のための行動計画から十六年、
民間試験の
活用を推し進める政策を続けた結果、
大学の三割が利用するようになりました。それによって期待した効果は得られたのでしょうか。効果を裏づける十分なエビデンスはあるのでしょうか。もし期待する効果が出ていないなら、そのやり方を見直す方が先のはずです。
英語四
技能の育成は重要です。しかし、
教育のインフラとも言える
共通テストを
民間に委ねるということは、国にとって重大な
判断です。それによって得られるものと失うものの大きさの比較検討が一切なされていません。
財や名をなした素人が、どこか高いところに集まって個人的な経験や感想を言い合い、その中で決めた現実味のない
教育政策が、推進に無批判に
協力するごく少数の研究者や教員を利用する形で、そのまま現場におりてきます。この現状こそ、どうぞ
改善してください。
この国には、
英語教育、言語テスト、テスト理論など、能力の高い研究者がたくさんいます。
教育現場にも、地道に研さんを積み、着実な成果を上げている
先生方がいらっしゃいます。どうか、その人
たちの専門知を結集して、
入試に頼らない
教育のあり方も含めて、実現可能な最適解を探す
努力をしてください。今回の検討
会議がそういう
会議となるような御
配慮をお願いいたします。
ありがとうございました。(
拍手)