○藤野
委員 公正の確保と透明性の向上とおっしゃるんですが、実態がなかなかそうなっていない。実際には、この四十年以上前のマクリーン判決を事実上盾にしてといいますか、その後の国際的な人権諸条約の到達を踏まえない裁量論が、入管の実務でも、そして裁判の実務でも行われているというのが実態であります。
このマクリーン判決というのが余りにも緩やかな文言で広範な裁量を認めているように読めるために、それが実際に、じゃ、その裁量が裁量権の範囲なのか、それとも、それを逸脱して、例えば国際人権条約等に反している逸脱なのかというこの判断が事実上ないがしろにされているという例がいろいろたくさんあるわけですね。それが今の実態だということであります。
やはり、確かに国家に主権はありますし、
法務大臣にも裁量はあると思うんですけれども、しかし、その裁量というのも、憲法や条約、
大臣がおっしゃったような
法律とか省令、こういうものに拘束されるはずでありまして、まして、やはり人権といいますのは、これを緩く認めてしまいますと、今の時代でいえば、すぐにヘイトとか、あるいは排外主義というものにつながりかねない問題でもあります。
ですから、そうした点で、この人権という
分野に関する自由裁量というのを広範に認めるというのは非常に危険な面がある。だから、自由な裁量というのは、この
分野ではあり得ないというふうに思うんですね。
この点で私が注目しておりますのは、マクリーン判決以後、確かに最高裁はこういう判決なんですが、多くの事案で裁量権の逸脱を緻密に事実
認定をして、いや、これはやはり裁量権を超えているねという
認定を下している判決が積み重ねられてきているということであります。
配付資料の一を見ていただきたいんですけれども、この泉徳治さんという方は、今、東京
弁護士会の会員でいらっしゃいますが、元最高裁の判事でもいらっしゃる方でありまして、この方が寄稿されている論考なんですが、黄色く塗っているところを読ませていただきますと、こうおっしゃっているんですね。ちょっと字が潰れていて恐縮なんですけれども。
「行政庁たる
法務大臣は、「国家」とは当然に立場を異にし、憲法、条約はもとより、
法律、政令、省令、更には条理や、そこから導かれる法の一般原理に拘束され、裁量権の行使について、憲法等から導かれる裁量権統制の諸法理を踏まえた個別審査を受けなければならない。」。
その横の黄色いところは、「私が本稿で訴えたいことは、一般論としてのマクリーン基準そのものの変更ということよりも、1、出入国管理
関係処分に関する裁量の審査についても、裁量権統制の諸法理を踏まえた個別審査をおろそかにしてはならず、2、個別審査の際に、同基準が掲げる「事実に対する
評価が明白に合理性を欠くかどうか」、「社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうか」についての
評価をするに当たり、憲法や条約等の
趣旨を判断基準として取り入れることを忘れるべきではなく、3、マクリーン判決後に発効した難民の地位に関する条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約」「等により、マクリーン基準の中身が今日では実質的に変容していることに留意すべきであるということである。」、こういう
指摘なんですね。
この
指摘は非常に興味深いと思いまして、マクリーン基準は確かに、ある
意味、抽象的な裁量論ということなんですが、しかし、その裁量論というのも、ちゃんと個別審査すれば、その後に日本が締結した国際条約等の判断基準に立って、その裁量は実際に裁量権の範囲にとどまっているのかということをやれば、変わってきている。その
意味で、マクリーン基準が実質的に変容しているという表現を、この方はされております。
これは、この論文でも極めて具体的に紹介されておりまして、これを全部紹介するわけにはいかないんですが、少しだけ、ちょっと時間をいただいて紹介しますと、例えば事実
認定の過誤。事実
認定は裁量と
関係ありませんから、かなりの判例が蓄積されているんですね。
例えば、これはちょっと読むとあれなので、こちらで紹介しますと、離婚の意思がないのに離婚するつもりだといって処分してしまったケース、これは大阪高判、九八年十二月二十五日です。あるいは、重婚
関係ではないのに重婚
関係だと
認定して処分してしまったケース、これは名古屋地判の二〇〇六年六月二十九日。こうしたものがあったり、あるいは国際人権規約や難民条約で、福岡高判の二〇〇五年三月七日は、裁量権の逸脱があるというふうに、そういう条約に照らして
指摘をしております。
あるいは、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮しているというのが資料の二枚目の二十三ページ以下にあるんですが、これも、考慮すべき事項を考慮したかどうかというのは、裁量とは余り
関係ないんですよね、事実
認定の問題ですから。
ここでは、例えば、長期間平穏かつ公然と日本に在留し、善良な一市民としての生活基盤を築いていることを考慮しなかったということで、東京地判がこれは裁量権の逸脱だと
認定しております。脳腫瘍摘出の手術を受け、術後五
年間は
経過観察を受ける必要がある点を考慮しなかったケースとか、いろいろあるわけですね。
あるいは、平等原則違反、比例原則違反、適正手続違反ということで、実際には多くの判例で、マクリーンのような、もう
司法審査はありませんとか、もう裁量は全部行政にお任せですとか、そういうことではなくて、個別のチェックが積み重ねられてきているという
指摘であります。これは大変大事だなというふうに思うんですね。
この
指摘は、
大臣、この泉さんの
指摘は
司法に関する
指摘なんですが、私は、これは行政にも当てはまるんじゃないかということで、
大臣にお聞きしたいんですね。
ここで言っていますのは、二十一ページにあるんですけれども、「マクリーン判決自体が、以上のように、
司法審査を実質的に放棄したともいえるような問題を露呈しているのは、」、ここからなんですけれども、「あまりに概括的な表現で
法務大臣に広範な裁量を認めるマクリーン基準を一般論として掲げることによって、それを楯に個別審査をなおざりにし、憲法による基本的人権の保障を軽視したからである。出入国管理
関係処分であっても、同基準が掲げる一見抗し難い抽象的原理に麻痺して思考停止に陥ってはならないことを教えている。」、こういう
指摘をされております。
ここで
大臣にお聞きしたいんですが、これは
司法に対する
指摘なんです、確かに。
司法に対して思考停止に陥ってはいけないよという
指摘なんだけれども、しかし、マクリーン基準が一般的で、
大臣に余りにも広範な裁量を与えているという点では、これは行政にも当てはまるのではないか。
だから、行政としても、やはりこうした思考停止に陥ってはいけないという点では同じなんじゃないかと思うんですが、この
指摘、どのように受けとめられますか。
〔石原(宏)
委員長代理退席、
委員長着席〕