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田中(英)
委員 お昼からは一般
質疑ということで、このたびこの
質疑の機会をお与えい
ただきました
理事の皆様方、また、同僚の皆様方に感謝を申し上げたいというふうに
思います。
一般質問の中で私自身今回取り上げさせてい
ただこうと思ったのは、河川、これの整備や管理のあり方についてお伺いができればと
思います。
いろいろと
地元地域に戻ると、これまでの台風や大雨によって各地いろいろなところで災害があって、私の
地元京都でも数年前にありました。そういった意味から、
地元の皆さんのお声を少しでも届けられればと
思います。
実は、先週金曜日に
地元に戻るときでありますけれども、東京駅の放送で秋田県行きの新幹線は本日はないというようなアナウンスが流れていて、何でなのかなと思うと、秋田県では大雨が降っていて実は新幹線が動いていなかったということで、後でいろいろとニュースなんかで見させてい
ただくと、雄物川が氾濫して、これは昨年に続いてということであったらしいのでありますけれども、浸水被害というものを引き起こしていたということでありました。
お聞きすると、昨年も同じような形であり、そして、堤防の氾濫防止の工事をそろそろ始めようかと言われるようなところでのこういった災害であったので、大変
地元の皆さんからすると、残念といいますか、一日でも早く本当はそういった整備ができていればなという
思いが多分あったというふうに
思います。
まだまだこういった災害、記憶にあるところで言いますと、二十七年の九月には栃木県鬼怒川の堤防決壊、これは本当に広
範囲における浸水で、残念ながら命を落とされるといった方もおられるほどの被害であったというふうに
思います。
この間いろいろと本当にこういった災害が起こっているわけでありますけれども、命を落とされた皆様方には御冥福と、また、まだまだ回復ができていない地域があるやと
思います。一日も早い回復を願うところでもございます。
そして、ちょうど五年前でございますけれども、京都でも同じように台風十八号によって水害が起こったわけであります。実は、その前二年間も同じように京都の南部で宇治川が氾濫するということもあり、そして、北部の方では由良川、そして桂川という、京都の中の、ある意味で、一級河川、大きな河川が氾濫するということが実は続いておりました。
実は、嵐山という地域が特にテレビで映った印象が皆さんにもあるかもわかりませんけれども、あのときの実は対応というのは、その数年間、十年の間に実はほかにも起こっておりましたので、水がついたとき、特に観光地域の旅館なんかは、どのようにすればお客さんに安全に退避してもらうかなんということも考えておられたので、速やかな対応をとっておられたということに、ある意味では教訓を生かしてい
ただいているんだなという
思いと、また、掃除をして翌日からすぐ営業するんだというそういった強い
意思を持ってやられていた姿には、本当によくよく知る方もいるので、目頭が本当に熱くなる、そんな
思いであったことを私自身も覚えております。
ああいった行動がとれたのも、やはり、全国のああいう旅館をされている方々、いろいろな地域で災害が起こった際にそれぞれが助け合っておられる姿や、また、お客さんからも、一日も早く復活をして、営業再開をして観光に行けるようにしてほしい、そんなお声もあったとも聞いております。
二十五年の台風十八号、この被害によって京都では、災害対策の緊急
事業推進費として五年間で百七十億円の予算をつけてい
ただき、実は、ちょうどことしが丸五年になるわけでありますけれども、下流域から掘削を始め、築堤や、堆積した土砂を撤去する、また、井堰も撤去するなど、河川の整備が行われてきたところであります。本当におかげさまでこれまでの危険な状況が今までよりは改善をされ、嵐山を始めとする桂川流域の安全、安心を次の世代の皆さんにも何とかつないでいけるんだということを示すことができたものと感謝をも申し上げるところであります。
しかしながら、なぜ、ではこういった災害が起こってしまったのだろうということを地域の皆さんはやはり考えることがあるというふうにも聞きます。そういった災害が起こらないことや起こらないようにすることが、また、未然に防ぐようなことができることを、やはり、これはどんな地域の方々でも望まれることであろうかと
思います。
ですからこそ、このような災害が起こってしまった理由はどこにあるのか、また、どうしても起こってしまってから集中的に改善を図っていくということをするわけでありますけれども、できれば本当は事前にやってい
ただければなという、やはりその声は絶たないわけであります。
そこででございますけれども、実は、役所の方にもお聞きしましたし、地域の皆さんにもお聞きしました。桂川の水域というのは大変長いので、下流域の方ではいろいろな整備をしてきてい
ただいたということは承知をいたしております。
ただ、水についた、災害が起こったそういった地域、その周辺は、例えば河道の掘削なんかもしてい
ただいていたのかなという、実はそういった風景も見たことがないというふうにもよくおっしゃっておりました。
そういった意味では、長年、河道掘削というものもあの周辺でされていたのか、若しくは、されていないのであればどうしてなのかということや、また、実際はやっていたと言うのであれば、これまでの取組をお教えい
ただければなと
思いますので、お願いします。