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2017-12-21 第195回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十九年十二月二十一日(木曜日)    午後一時一分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         山谷えり子君     理 事                 北村 経夫君                 滝沢  求君                 有田 芳生君                 山本 香苗君     委 員                 青山 繁晴君                 赤池 誠章君                 井上 義行君                 衛藤 晟一君                 島村  大君                 塚田 一郎君                 山崎 正昭君                 大野 元裕君                 白  眞勲君                 柳田  稔君                 石川 博崇君                 武田 良介君                 高木かおり君                 中山 恭子君                 伊波 洋一君    事務局側        常任委員会専門        員        宇佐美正行君    参考人        北朝鮮による拉        致被害者家族連        絡会代表     飯塚 繁雄君                 横田早紀江君                 斉藤 文代君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○北朝鮮による拉致問題等に関しての対策樹立に  関する調査  (北朝鮮による拉致問題等に関しての対策樹立  に関する件)     ─────────────
  2. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) ただいまから北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会を開会いたします。  議事に先立ちまして、一言申し上げます。  去る十一日、拉致被害者曽我ひとみさんの御夫君チャールズ・ジェンキンスさんが逝去され、翌十二日、拉致被害者増元るみ子さんの御母堂の信子様が逝去されました。誠に哀悼痛惜に堪えません。  ここに、皆様とともに謹んで黙祷をささげ、哀悼の意を表しまして、御冥福をお祈り申し上げたいと思います。  皆様、御起立お願いします。黙祷。    〔総員起立黙祷
  3. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) 黙祷を終わります。御着席よろしくお願いします。     ─────────────
  4. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  北朝鮮による拉致問題等に関しての対策樹立に関する調査のため、本日の委員会参考人として北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表飯塚繁雄君、横田早紀江君及び斉藤文代君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  6. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) 北朝鮮による拉致問題等に関しての対策樹立に関する調査議題といたします。  本日は、三名の参考人方々から御意見を伺います。  この際、参考人方々に一言御挨拶申し上げます。  本日は、御多忙のところ本委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。  参考人皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、議事の進め方について申し上げます。  まず、飯塚参考人横田参考人斉藤参考人の順序でお一人五分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員質疑にお答え願いたいと存じます。  また、御発言の際は、その都度委員長の指名を受けることになっておりますので、よろしくお願いいたします。  なお、参考人委員とも御発言着席のままで結構でございます。  それでは、まず飯塚参考人からお願いいたします。飯塚参考人
  7. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) この特別委員会、今までもう何回となく催していただきまして、この拉致問題を何とか解決しようという勢いでやっていただきました。今日は、もう年の瀬もせっぱ詰まったこの日に行われたということは、明日には延ばさないという、そういったことを感じ取ります。  皆様、当然ながら、この問題がもう余りにも長い間掛かってまだ解決ができないということはもう御承知のとおりだと思いますが、やはり我々にとっても当然、家族、そしてまた北で待っている家族含めてもう四十年、あるいは三十年、二十年、十五年と、こういうスパンの長い期間を過ごして今いるわけですよね。それでいまだに先が見えない、これが今の実態でございます。  当然ながら、この問題は、日本人拉致ということからすると、日本政府が責任を持って、我が国民の暮らしと安全を守るためにも率先して解決あるいは奪還、帰国させる当然ながら役割、義務があるはずでございますが、諸般の事情によってなかなか難しい面もあります。だがしかし、私たちはこれを絶対に諦めるわけにはいかないということも事実でございます。  御承知のとおり、待っている方々も亡くなられ、病気になり、だんだんその数も弱体していきます。しかしながら、それよりも一番今苦しんでいるのは北にいる人たちです。また今年、この冬を乗り越えなきゃならないというところも非常に厳しいと思いますが、そういったことに、被害者を含めたこの問題の解決についてはやはりもっとスピーディーにやっていただきたいというのが本当の私たち気持ちでございます。  今般、トランプ大統領が、皆さん承知のとおり、安保理事会の総会で日本人拉致問題を取り上げ言及しました。これはかつてないことで前代未聞のことでありますが、トランプ大統領については今非常に影響力の強い人でございますので、何かにつけてそのインパクトというのは強く感じる、あるいは感じ取られたでしょう。事実、このトランプ発言については国連各国で取り上げて、マスメディアも含めた取組も盛んに行っております。  そして、トランプ大統領におかれましては、ちょうど十一月六日ですか、我々と面談をしていただきまして、我々の気持ち、願い、それをもうつぶさに聞いていただきました。まさに膝を突き合わせた形の車座の中で、そういう雰囲気で、彼は非常にこの問題に対して怒りを感じ、それから、我々の気持ちに対して同情も含め、何とかこの問題を解決しなきゃいけないという意気込みと雰囲気感じ取りました。  彼はこの問題は安倍総理との緊密な連携の下に解決するために努力をしますというふうにはっきり申しておりましたので、私たちはそれを当然ながら信頼し、期待していくわけでございます。問題は、この問題については当然にそういった流れがある中で、単なるパフォーマンスには終わらせたくないと。この流れを実際に被害者帰国に結び付くような対策戦略を具体的に練って徹底してほしいなという気持ちでございます。  また、テロ支援国家の再指定もしていただきましたし、北に対しては相当なインパクト、圧力になっているはずです。これが北からすれば相当困っている状態になっているはずですが、これが我々が望んでいる日朝の実務者協議に引っ張り出せるような雰囲気と事実が今出ているわけなので、そういったことにまずはつなげていきたいなというふうに思います。  委員皆様におかれましても、いろんな面からこの問題はもうほっておけないという雰囲気の中で、もう来年早々、ほかの委員会も含めて、あるいは全ての党も含めて超党派でこの問題に力を注いで、ベクトルを合わせてやっていただきたいというのが今のお願いでございます。  取りあえず、これで御意見に。
  8. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) ありがとうございました。  次に、横田参考人お願いいたします。横田参考人
  9. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) 皆様、こんにちは。今日は参考人として拉致被害者家族の中からお招きいただきまして、ありがとうございます。本当に四十年という年月がたっておりまして、私たちはこんなに長く掛かるとは思ったことがありませんでした。  石高さんがこのことを話しに来てくださったときに、本当に二十年間の年月がたっておりまして、もうどこに行ったか分からない、もうどうしたんだろうという気の狂うような毎日の中で、本当にこんなところに生きていたんだという、その生きていたという思いがもうどんな大きな喜びだったか分からない、あのときのお訪ねくださったときのことを思い出しますけれども。もう二年ぐらいしたら帰ってくるんですよねと思わず言ったんですけれども、いや、まだ五、六年は掛かるかもしれないよと、どういうわけかそういうふうなお返事がありまして、そんなに長く掛かるんですかと。五、六年といっても、もうとんでもない時間が掛かるんだなと思っていたのが、今日、四十年という本当に長い時間が掛かって、まだ彼らの姿が見えない、本当にどこにどうしているのかということが見えない。もう本当に苦しい思いで待ち望んでいると思うんですね。  蓮池薫さんもお帰りになってよく御講演をなさっておりますけれども、私は命以外の全てのものをこの拉致によってなくしましたとはっきりとおっしゃっておりますように、もう返ってこないんですね、彼の青春も返ってこないし、いろんな思い、これからこうしたい、ああしたいと思っていたことも全部もう。十三歳からもう五十三になってしまいましたから、あちらの言いなりに育てられてあちらの仕事をしなければならない中で、必死で歯を食いしばって頑張っていると思っております。  だから、そのような大変な事件が、めぐみや田口八重子さんとか、それから斉藤さんの弟さんとか、もうたくさんの方が、本当に多くの方が次から次からと、こんなに平和な日本国家の中で、この間からもいろんな船が漂着しておりますけれども、いろんな人が乗っておりますけれども、そういうふうないろんな形で北朝鮮人たちが中に入ってきて、それは指令を受けているかもしれませんし、どういう人か分かりませんけれども、本当日本国家がこんなに無防備であって何にもできていなかったんだということに、私たちはこの行方不明になったことについていろんな学びをさせていただきました。  一見本当に平和に見えますけれども、こんなに人間の、国民の命がないがしろにされたままで、お母さん早く来てください、助けてください、お父さん早く、元気でいてくださいってみんなが言いながらどこかで一生懸命待っていることをいつも思うと、もう本当に涙も枯れ果てております。新潟のときのような感じで過ごしていたら、今はもうこの場所に私はいなかったと思います。生きてこられたことが不思議です。八十二年間も、もうすぐ二になりますが、六十一歳ぐらいから始めた活動がもう二十年もたってしまいまして、本当にもう考えられないようなことであります。  たくさんの議員皆様はこのお仕事のために、国家国民を救うために、平和であるためにそのようなお仕事に就いてくださっていると私は信じておりますし、今までも信じてまいりました。だけれども、余りにも、こんなにすぐ近くの国のことなのに、そこにいるのが分かっているのに、帰ってきた人もいるのに、こんなにはっきりとしたことが分かっているのに、何でそれができないんだろうという疑問がいつも頭の中にありまして、それは今も分かりませんが、本当にこのままでいていいのかなというような思いで、いろいろと悲しい思いをいたします。  いろんな発言上で、いろんなことを自分思いで書かれる方とか、新聞とかいろんなところに載せられて、初めて見てびっくりして、こんなことを私は言っておりませんよということがたくさんありますし、そういうふうなことに、家族をこれ以上悲しめないでいただきたいんですね。本当子供たち全部を救おうという一つ国家としての大きな力を結集していただきたいと、それだけもう今日はお願いしに参りました。  よろしくお願いいたします。
  10. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) ありがとうございました。  次に、斉藤参考人お願いいたします。斉藤参考人
  11. 斉藤文代

    参考人斉藤文代君) この度は、参議院拉致問題に関する特別委員会参考人質疑出席させていただき、心より感謝申し上げます。  北朝鮮による拉致被害者救出に取り組む家族会、救う会は、本年二月に会議を開き、政府に、拉致問題を最優先とし、今年中に全ての被害者を救出することを求めるという運動方針を決めました。しかし、残念ながらその願いはかないそうにありません。毎年同じ言葉になるのですが、私は体の続く限り拉致問題を訴えていきたいと思いますので、来年こそは政府被害者を救出してほしいと思います。  また、今月十日、熊本県立大学で行われた平成二十九年度北朝鮮拉致問題解決に向けた講演会において、私は被害者家族の声を訴えました。その話の中で、十一月六日、トランプ大統領拉致被害者家族が面会したときのことをお話しさせていただきました。とても良い温かい話ができたと思います。トランプ氏は、家族方々から悲しいお話をたくさん聞いた、拉致された被害者が愛する人々の元に戻ることができるよう安倍総理と力を合わせていきたいと述べられました。  その熊本での講演会でも紹介していただきましたもう一つの本を、お手元にあると思うんです、資料ですね、「とりもどしたい家族の絆」を参議院皆様にも目を通していただきたく、お手元に準備させていただきました。四枚の冊子ですが、私が皆様お話ししていた本を、熊本県知事熊本議員、ボランティアの方々などたくさんの方の協力で形にしていただき、皆様に見ていただくことができました。深く感謝しています。  一ページ目の「薫は家族のたからもの」をちょっと読ませていただきます。  昭和二十八年六月十三日、薫は私たちの五番目のきょうだいとして生を受けました。女ばかりのきょうだいの中で、薫は父からも母からも良いところばかりもらったのか、おとなしく、よく言い付けも守る子供でした。私の両親は共働きでしたので、私たちは少しでも母の手伝いをしようと思い、一緒に青果市場にお掃除に行きました。おじいちゃん、お掃除させてください。いいよ。掃除が終わると、たくさんの大根やひびの入ったスイカというような野菜をいただきました。私たちはそれを持ち帰って、家でしちりんをおこしながら両親帰りを待ちました。夕食は、どんなに遅くなっても父の帰りを待って食べていました。時には十時を過ぎることもありましたが、母が、お父さんはお仕事で働いているのだから待ちましょうねと言って、みんなで待ちました。私たちきょうだいは父の膝に座るのが大好きで、先を争って座っていましたが、最後はいつも薫でした。父は、末っ子の薫がかわいくて仕方がないという感じでだっこしていました。  時間の都合上、ここまでしか読むことはできませんが、拉致はむごいです。薫がいなくなって、父は早く亡くなり、母は数年前に九十二歳で亡くなりました。薫は必ず帰ってくるからと励まし続けましたが、母は息を引き取るまで涙を流していました。残念でした。そのとき、私はこのような別れだけはしたくないと涙がぼろぼろと止まりませんでした。それ以来、薫を助けるまで泣くものかと自分に言い聞かせ、薫を助けるまでは私を生かしてくださいと毎日神様に祈っています。  お願いです、どうか拉致家族が再会できますよう皆様方のお力をお貸しください。参考人としての証言です。  ありがとうございました。
  12. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの御意見の陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  13. 井上義行

    井上義行君 自由民主党の参議院議員井上義行でございます。  この暮れの忙しい中に、そして寒さが厳しい状況の中でこうやって参考人として出席していただいたことにまず感謝申し上げたいというふうに思っております。  私がこの拉致問題に出会ったのは、ちょうど二〇〇〇年のときでした。森総理のところに家族の方が来られて、今でもその光景を覚えています。あのときはまだ世間拉致問題に対して、そんなのはない、こういう状況の中で、必死に皆さんが陳情し、家族と会うのが、今でも何かこっそり会っていたような状況思い出します。  そして、この拉致問題に一生懸命取り組んだ政治家がいました。それが今の安倍総理です。私も秘書官として、安倍総理が、こうした世間の厳しい声、政治家の厳しい声を聞きながらも、拉致被害者はいるというところで、何とか政府重要課題にしてほしいと、就任したときに言われた言葉がその言葉でした。  そして、この拉致問題をPTで取り上げてやっている間に、総連の問題、様々ないろんなことを取り上げてきました。そして、小泉総理が訪朝し、拉致被害者の一部の方が戻ってきた。そして、金正日委員長拉致を認め、謝罪をした。そして初めて国民の間にこの問題があるということが分かりました。  あれからもう十五年がたちました。私も、拉致被害者子供たちが離れ離れになったとき、北朝鮮に二回訪朝して、交渉して、第二の小泉総理の訪朝に結び付けました。あのときの経験を話すとすれば、北朝鮮交渉するときには議題設定が一番大事だというふうに思います。北朝鮮は、無条件で話をしよう、こういう提案をしてくるということをよく耳にします。しかし、私が交渉したときには、拉致被害者帰国について話し合おうということで合意をして北朝鮮に行きました。あのときも安倍総理がチームをつくって、そして被害者を奪還するために極秘でプロジェクトをつくりました。そのうちの一人が中山先生でもあり、今の谷内さんでもあります。  だから、私は、安倍総理は、被害者帰国を誰以上に執着を持って、帰国をするためにはどうしたらいいのか、これを念頭に置きながら各国大統領、首相に対して呼びかけ、そしてこの問題の重要性を訴えている、その一つが今回のトランプ大統領に結び付いたというふうに思っております。  よく、入口論出口論があります。北朝鮮は、拉致被害者帰国も果たさない、こういう状況の中で、核は造る、ミサイルはぶっ放す。そうすると、目線がどうしても核やミサイルの方に国際社会は向かっていってしまう。その中で、我々は、その核もミサイルも重要だけど、何よりも今生きている拉致被害者を一番最初にこの議題として設定をしていかなければいけない。だからこそ、この問題は、与党も野党も立場を超えて、日本全体が北朝鮮に向かって、拉致被害者帰国せよ、こういう運動をしているところでございます。  この入口論出口論、様々ないろんな考え方があります。私は入口論にこだわり、そして、北朝鮮との交渉ではその議題に私はこだわってほしいと思っているんです。何回も何回も北朝鮮にだまされる状況をつくってきた。しかし、議題設定をすれば実際に拉致被害者は帰ってきた。だから私はこの入口にこだわっている政治家なんですが、皆様方は、入口だろうがあるいは出口だろうが、拉致被害者を帰ってくればいい、こういうふうに思っていると思います。しかし、私が一番怖いのは、核とミサイル解決したら、拉致被害者なんかもうなかったよ、こう言われるのは、私は、北朝鮮はスケジュールの中にそういう念頭を置いている可能性はあるというふうに思います。  だからこそ、この核とミサイルのその入口の前で、まず拉致被害者を帰しなさいと、こういう交渉をしなければならないというふうに思っていますが、その考え方、そしてこれまで安倍総理がこの問題に積極的に取り組んできたことに対して、それぞれの、飯塚さん、横田さん、斉藤さんから意見をお伺いしたいと思います。まず、飯塚参考人からお願いします。
  14. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) ただい井上先生お話を聞いて、ほぼ、九五%私も同感です。これは、一〇〇というのはないかもしれませんけれども、その可能性を占める割合というのは大事だと思いますし、二〇〇二年の日朝首脳会談反省点も結構あるはずですよね。  そういったことを、今回、例えば安倍総理金正恩と会うとしても、きちっとした段取り確認の下に会うことが望ましいと思います。全く白紙のままで乗り込んでいっても、結局向こうのペースに合わさせられるしかないと思いますし。  今現在も北朝鮮の二〇〇二年の報告がそのまま生きているんですよね。五人生存、あとは死亡ということがそのまま生きているとすれば、それがいわゆる報告書になるわけですから、そういうことは全くあり得ないということの前提で下調べをして、これは活動のやり方としていろいろ、水面下活動ということもありますけれども、全てそういったことを調査した上で乗り込んでいくというようなことが望ましいと思いますし、安倍総理としてもそのぐらいの覚悟は当然あると思います。  私たちは、どんな手段でもいいからとにかく帰国してほしい、帰国させてほしいというのが念願でございますけれども、したがって、難しい戦術、戦略あるいは考え方については、もう総理大臣にお任せするしかないんですね。それから、あと国会議員皆さん先生方にお任せするしかない。私たちは、一刻でも早く帰してほしい、もうこの一念です。  待っている人の年齢も、状態も、北にいる人たちのことも考えれば、我々は今年中にと、本年中に解決せよというスローガンでやってきましたけど、もうあと日がありません。したがって、この今年の活動なり考えを無駄にすることなく、それからトランプ氏の行動、活動も無駄にすることなく、即刻年頭からこの問題に取り組んでいただきたいなと思います。  活動が、我々が見て見えることが安心なんですね。今、例えば参議院特別委員会でこういうことをやっているよと。あちこちでいろんな活動をやっていただきます。それから、党派別でもいろんな活動をやっていただいています。先日も希望の党の特別委員会にも出させていただきました。いろいろ御意見もたくさんあるようです。そういった意見を集約というか、なるべくベクトルを合わせた状態で北に向けて発信していくというのが望ましいかなというふうにちょっと思いました。
  15. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) ただいまいろいろなお話、ありがとうございました。  本当に、井上議員のおっしゃりますように、安倍総理は外交の方で非常に活発に各国拉致問題を提起をしてくださいまして、今までないぐらいたくさんのところに発信をしてくださっておりますし、いろんな形で私たち家族会はみんな信頼申し上げておりますし、必ず私の手でとおっしゃっている言葉本当に信じなければ本当に駄目です。家族がみんな信じて、そして頑張ってくださいと本当に一生懸命にお訴えすることが大事なことだと思っておりますので、私たちはそのような状況で頑張っております。  けれども、この北朝鮮の今の有様を見ますと、初めの頃の、私たちが立ち上がりまして署名活動とかいろんなことに邁進していた頃、本当北朝鮮のことなんて誰も分かってくださりませんでしたね。そんなことって本当ですか、いや、そんなことする国じゃないでしょうというぐらいの言葉をあちこちで聞いて、署名活動の場でももうほとんどの方が通り過ぎていかれて、何名の方だけが書いてくださるという、それが積み重なって今一千万名の署名になったわけです。だんだんそれが分かってきて、そして北朝鮮の中の、今こそ世界中が、もう手が出せないね、あの国はと、どうしたらいいんだろう、本当にあの人さえ何とか分かってくれれば全てがうまくいくのになとみんなが思うようなところまで来ているんですね。  だけれども、どうにもならない難しさがあって、大変危険なものを持っておりますし、それを平気で使おうとするような人間でもありますから、そこら辺をやっぱり世界中がよく見て、破滅に導かないように、向こうだけが壊れてしまうわけじゃなくて、そういうものを使われると本当にもう世界中がどんどんどんどん、何というんですか、やられてしまうような形になっていくという、それはもう本当に間違ったことになりますから、それだけはやめていただきたいと私はいつもお願いしておりますし。  それにはやはり違った難しさがまたあるので、そういうことは私たち庶民には、皆様方のようなプロの方と違って、黙って見ているしかないようなものが父親であり母親であり、助けてください、早くしてくださいと、もうその一念で皆様方を見詰めているだけのもので、自分のできるだけの力で頑張ってはおりますけれども、限界がありますし、だんだんみんな年齢が加わってきましてだんだん弱ってきますので、本当にみんなが元気で、ああ、めぐみちゃんだね、薫さんだね、田口八重子さんだったね、良かったねと一言でも言い合えるようなときに連れて帰っていただきたい、ただもうそれだけなんです、願いは。もうあとは何にもないんです。  そして、拉致被害というこういう恐ろしいことをされ続けてきた日本が、そのことを後の世に残さないように、積み残さないように、きちっと今の皆様方と私たち一緒になって解決して、はっきりとした段階でこれが良かったねと言うことができないと、やっぱり私はいつも思いますが、後の子供たち子供たち子供たちがまだここに住んでいかなきゃならないわけですね、日本の国に。それで、あの国は結局、あれだけみんな、家族がもうあんなに長いこと頑張ったのに何にもできなかったんだねというふうに必ず見ます、世界中が。何て頼りないんでしょうねと。そういうことを思われながらこれからその孫たちが生活していく日本というのは、本当惨めだと思うんですね。  だから、そういう意味で、もう本当にこれだけは一致団結して、みんな一人も、野心があっても、それはもうこのことだけ、帰してもらう、これだけですということでお願いしていきたいと思っておりますので、どうぞ本当によろしくお願いいたします。  ありがとうございました。
  16. 斉藤文代

    参考人斉藤文代君) 井上先生ともお会いするのは久しぶりです。本当に長いこと拉致問題に取り組んでいただいていて、感謝しております。  私は地方の方に住んでおりますから流れというものが余り分かりませんし、この東京の方のですね。だけど、自分でできることは何かということをちょっと考えたりして、地方の方でいろんなことを活動して、大きなことは安倍総理日本政府皆様方先生方にお任せして、必ず助け出してくださるという私は希望、もう信念持っていますから、私ができることをやって待っているしかないという気持ちで今は頑張っているわけなんですね。  だから、もう本当につらいことばかりですけれども、泣くことは余りしないようにして笑顔で、私が笑っていれば向こうも笑っているという気持ちで日々暮らしておりますので、早く早く助けて、家族をみんな助けていただいて、みんなで良かったと抱き合える日が来る日までもう私も絶対に頑張っていきたいなという気持ちでまた、今年は短いですけど、来年も自分で体を調整しながら頑張っていきたいと思っていますので、どうか皆様方にも本当にお力を貸していただいて、よろしくお願いしたいと思っております。
  17. 井上義行

    井上義行君 終わります。
  18. 有田芳生

    ○有田芳生君 有田芳生です。お疲れさまです。  私は、まず、質問する自分の立場、スタンス、そして皆さんに対する思いをお伝えをしたいというふうに思います。  鎌倉の建長寺に映画監督の大島渚さんのお墓があります。そこに大島さんが大好きな言葉が刻まれております。明石海人という人の短歌なんですけれども、深海に生きる魚族のように自らが燃えなければどこにも光はない。海の深い底にいる魚たちが、自分たちが燃えることによって周りに光を与えていく、このことは大島さんの人生訓でもあったんですけれども、私は、失礼ながら、被害者家族皆様方のこの長い年月を拝見をしてきて、やはり、皆さん政府あるいは政治家に対してお願いをする立場である、だけれども、同時に、もはや時間がない状況の下でなるべく思いのたけを政府や私たち政治家にも語っていただきたいというふうに思っております。  その立場で、まず横田参考人にお聞きをしたいんですけれども、トランプ大統領皆様方がお会いをしたときに、私が聞いている限りでは一人一分しかお話をする時間がなかったというふうに伺っておりますけれども、横田参考人は、十一月十五日、めぐみさんが北朝鮮によって拉致をされた四十年目の記者会見のときにこう語っていらっしゃいます。被害者には元気でいてほしいので、安倍晋三首相とトランプ大統領が何とか戦争が起きないように考えていただき、ぎりぎりのところで良い知恵が与えられて解決に向かってほしい。そのような記者会見の内容だったんですけれども、今朝の新聞を見ても、今にも米朝が戦争になるかのような本が立て続けに発売をされて、あるいは国際報道としてそういう状況が続いている中で、もしトランプ大統領ともう少し時間を取って話をする機会があったならば、横田参考人はどんなことを大統領にお伝えしたかったんでしょうか。
  19. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) あの日はちょっと、先ほどもお話ししたんですけど、風邪を引きまして、四日前にもう全く声が出なくなりまして、もうその日に大統領お話ができるかなという非常に心配をしておりまして、出かけました。  それで、やっぱり国連でのお話をしてくださったこと、拉致問題について、日本にこのような少女が、拉致をされている人がいるんだということをお話ししてくださったことに対しての、本当に私は感動しましたので、お礼を申し上げましたのと、お忙しい中で今日時間をつくっていただいて、家族に会っていただいてありがとうございますと。そこまでは一生懸命何とか絞り出して言ったんですが、目の前にいらっしゃいますし、せきも出そうな感じですし、余り失礼かなと思って、もうそれ以上ちょっと声が余り出そうにないので、もうこれで結構ですと言いました。そうしたら、もういいんですかと政府の方もおっしゃったんですけど、ちょっと済みませんと言って、もうそれで黙ってしまったんですが。  どういうふうにお話をしていいかとおっしゃると、私も、こんな難しい問題を、どうしてください、こうしたら絶対良くなりますよとか、そんな知恵もありませんし、どうしていいか分かりませんけれども、やっぱり一番怖いのは戦争、戦争にならないことを私は願っております。  どこの国もやっぱり戦争はしちゃいけないと思っておりますので、戦争にはならないようにしていただきたいということと、そして、トランプ大統領も後でおっしゃっていたように、こんなに年少な子供、未成年まで拉致をして自分の国にとどめ置いて帰してこない、姿も見えないようにしている、そして家族人たちは四十年間も悲しみ苦しんでいる、こんなことがあってはいけないとはっきりとおっしゃってくださっておりますので、そういった人道的な意味でちゃんと捉えてくださっていると思っておりますので、その後のことは、やっぱり日本総理大臣、そしてトランプ大統領、いろんな各国大統領も、いろいろと意見の違う方もありますし、国々によって違いますから、非常にこれは一つにしていくのは難しいんだなといつも思っておりますので。  どんなことと言われても、もうただ、皆、犠牲になった者たちの命を助けてくださいと私たちは立ち上がったんです、最初。そんなところに連れていかれたなんて思っていなかったんです。どこに行っちゃったんだろうと思って捜し回っていた子がそこにいて生きていたんです。そして、蓮池さんたちも生きて、一緒になって写真を持って、お母さん、お父さん、みんなと、この子を助けてくださいと署名活動も何度も訴えてやっていた方が本当に帰ってこられたんですね。もう完全な現実なんですね。真実だったんです。そのことが本当なんですということを分かってくださったことがこの間のことだったので、それはもう、一人のお父様として、私たち両親ですから、どの方もみんなそうですから、本当にそんな大事な子供を奪われたままで何にもない、見えない、息遣いさえ聞こえないという四十年というものを本当に御理解いただきたいと思います。  だから、言葉に出して、どう思った、どういうふうに言ったらいいですかとか、そういう論理的な問題で私たちはもう申し上げることができませんし、帰してくださいとただ言っているだけなので、それは政府がしていただくことだと思っております。済みません。
  20. 有田芳生

    ○有田芳生君 本当に限られた時間なので申し訳ないんですが、やはり横田参考人にお伺いしたいんですけれども、十一月十五日の記者会見の中で私驚いた表現がありました。早紀江さんはこう語っていらっしゃる。ありとあらゆることをして訴えてきました、政府は一生懸命知恵を練ってくださっていると思いましたが、四十年たっても何も分からない状況に、一体何だろうか、信じてよかったかの思い家族にはありますと、そう会見でおっしゃっていた。  同じく、十二月六日に神奈川新聞のインタビューに答えられた中で、七日付けなんですけれども、政府の本気度が見えないことが北朝鮮には伝わる、本来なら首相が乗り込んででも解決すべき問題なのに。その流れの中で早紀江さんが、北朝鮮に行けと言われたら最後の力を振り絞ってでも行きたい、そして金正恩に対して帰してくださいと言いたいと、そういうインタビューなんですけれども、やはり政府なり私たち政治家に対する、一体何なんだと、信じてよかったんだろうかという思いというのはやはり率直なところでおありなんでしょうか。
  21. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) これは私一人の意見ではなくて、私たちがあちらこちらで活動しております中で、年ごとに国民方々が今のような形ではっきりとおっしゃることが多くなりました。本当日本って何しているんでしょうねと、こんな大変な問題、大問題だし、もう大変な命の大事な問題、これだけの命が奪われているのに、それが帰りたいと思っても帰れないと。それで、これだけのみんなが活動してみんな応援もしているのにどうして何にも動かないのかということは皆さんのそれは思いなんです、日本中の思いなんです。  私は有本さんのお父様もよくお話ししますが、本当に、北朝鮮に行けと言われたら僕はいつでも行ってでも帰してくれと言いたいよとおっしゃいます。私もそうですよ、同じですよと、元気でいれば、今だったらそれはできますねという話をしておりますようなことを、そのような形で言ったことがああいうふうに書かれているわけです。  そして、もう一つ何でしたっけ、何だかに載っていた、神奈川新聞ですかね。
  22. 有田芳生

    ○有田芳生君 はい。
  23. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) それが今のことですね。私が自分で行きたいと思っていますと言ったわけじゃなくて、政府がそういうような形で、家族が本気で言うように、一緒に行こうというようなことでもあれば喜んで行きますと言ったことがああいうふうに載っているので、それは違うんじゃないかということで、抗議をしなさいと息子からもメールが来ていたんですけど、もう面倒くさいことをぐちゃぐちゃ言いたくないので、もう何を思っていただいても結構ですよということで私は何にも言いませんでしたけど。  そういうふうに、一つ一つ言葉を私たちはもう本当に必死で言っていても、いろんな形でそういうふうに取り上げられなきゃならないような状況の中におりますので、何十年もそれをこらえてきました。  本当に、でも、良くしていただいてきたと思います。皆さん方に本当に助けていただいて、温かい御支援の中で今日までが来られたということは本当に感謝しております。
  24. 有田芳生

    ○有田芳生君 飯塚参考人に、最後になると思いますけれど、お聞きをしたいんですけれども、安倍総理が最近出たある雑誌のインタビューの中で、トランプ大統領と会ったときのことをこう語っておられます。トランプ大統領来日時に、拉致被害者家族方々ともお会いいただきました。その次なんですけれども、これは、被害者の救出に米国が明確にコミットしてくれたということだと思っております。  被害者救出に明確にコミット、関与をする、参加するという約束をしてくれたと総理はインタビューに答えていらっしゃるんですけれども、トランプさんとお会いしたときにそういう発言というのは実際にはあったんでしょうか。あるいはサジェスチョンのようなものは感じられたんでしょうか。
  25. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) 安倍総理がそういうコメントをしたということは、安倍総理思いがそのまま出たというふうに私は思っています。  私の印象としては、その言葉は直接聞かなかったですけれども、実際に聞いたのは、安倍総理と緊密な連携を取りながら日本日本人拉致問題を解決するべく努力をしますということをはっきり言っていました。だから、その言葉に私たちはある意味期待と信頼は持っているわけです。  そうはいっても、お互いに言った言わないという話もありますけれども、そういった一連の流れが、単にこういうことがあった、ああいうことがあったというだけで、それから、こうやったああやったということだけに終わらせることなくて、やはりお互いのその気持ちを含めた、あるいはそういった発言を含めた上での対策を具体的に練ってもらいたいというのはもう気持ちなんですね。  ですから、言葉の端々にはいろいろ疑うべきことがあるかもしれませんけれども、総じてこの問題は安倍さんと連携して努力するというふうにはっきり言っていましたので、私たちは、いや、そうじゃないだろうということは全く言えませんし、あるいはそれについて細かい質問やら意見やらは出せない状態ですし、その言葉を信じて注視していくしかないというふうに思っています。
  26. 有田芳生

    ○有田芳生君 斉藤参考人お話伺うことができなくて申し訳ありません。  終わります。
  27. 石川博崇

    ○石川博崇君 公明党の石川博崇でございます。  本日は、三名の参考人皆様、お忙しい中、また肌寒い中、遠路よりこの参議院特別委員会にお越しをくださいましたことを改めて感謝を申し上げたいというふうに思います。  ただいま三名の皆様からまさに悲痛な叫びにも似たお訴え、胸をえぐられるような思い、ここにいる委員一同共有をさせていただいたというふうに思います。改めて、一日も早い拉致被害者皆様の全員の帰国家族皆様との再会に向けて全力を尽くしてまいりたい、その決意を新たにしたところでございます。長い年月、余りにも長い年月を経る中で、被害者皆様、また御家族方々も高齢となられていることもありまして、もはや一刻の猶予もならないというふうに思っております。  今日は、この一年、年末、十二月でございますので、振り返って、今年一年間の活動、そして歩みというものを総括をして、来年の運動、また活動、また政府の取組に生かしていく、そういう場に是非させていただきたいというふうに思います。  本年は、めぐみさんが拉致されて四十年、また家族会が結成されて二十年、そういう節目の年でもございました。また、二〇〇二年に五名の被害者の方が帰国されてからちょうど十五年という、そういう年でもありました。残念ながらそれ以来一名の方も御帰国されていない、そういう状況にあるわけでございますが、日米間におきましては、今年二月に日米首脳会談が行われて、拉致問題の早期解決について完全に一致をして、日米間の文書として、首脳間の文書として初めて拉致問題の確認が行われました。  また、先ほど来話が出ておりますとおり、アメリカとして北朝鮮テロ支援国家に指定があり、九月のトランプ大統領の国連総会一般討論演説における拉致問題への言及、そして十一月の大統領訪日時の御家族皆様との面会、国内でも拉致問題が大変大きくクローズアップされた年ではなかったかというふうに思います。  そうした年を振り返りまして、三名の皆様、お伺いをしたいわけでございますが、まず飯塚参考人にお伺いしたいのは、先ほども出ておりました、今年二月の新運動方針の中で今年中に拉致被害者を救出することということを初めて盛り込まれたわけでございます。  残念ながら、この今年中という期限がもはやあと僅かになっているわけでございますが、ここに至った現時点でのお気持ちと、そして、今年一年を振り返って、来年の新運動方針、まだちょっと早いかもしれませんけれども、どのようなことを考えていきたいか、家族会の代表として御意見をお聞かせいただければと思います。
  28. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) 私たち活動、救う会全国組織と一緒に毎年方針を決めながら、具体的な活動も決めながらやってきました。毎年、今年こそはという言葉を付けていたんですけれども、もう言葉がなくなりました。今年は、本年中に解決をという強い要望を前に出しまして、これを受けまして、各国会の議会の先生方も、それから政府筋も、それから内閣府も含めて、何とか今年中にという言葉活動の中に入っていたということを私は実感しています。したがって、そのおかげで通年よりはこの問題を何とかしなくちゃという気持ちが表れた年ではないかと思います。  また、来年、もう一月の二十一日にまた総会やって方針決めますけれども、その中では、どういう言葉を使うかまだちょっと問題は残っていますけれども、やっぱり今年のこの盛り上がった活動をうまく利用してというか使ってというか、あるいはてこにして、来年、即効果のある活動にしたいということは考えています。  当然ながら私たちにできることは限られていますけれども、いろいろ要請するに当たっても、我々の気持ちしか言えないながらも、若干こうした、前回まではこういった経験があってこれは失敗したと、ここのところはこうした方がどうですかねぐらいの話はできると思うんですね。  その大きな一つは、二〇〇二年の小泉訪朝のあのときの状況ですね。あれは私としては失敗だったと思っています。というのは、あのおかげでその他の被害者が全部消えてしまったわけですね、切られてしまったわけです。その後、何の協議も進展もなく今日まで来ちゃったわけです。あれをひっくり返さなきゃならないわけですね。  そういったことも含めて、具体的にこれから政府が動くとしたらば、そういう今までの苦い経験もあるはずなので、そういった面からでも、ちょっとした御意見も申し上げながら携わっていただきたいと、しかも早くという思いで、今年の経験を来年に即生かすという気持ちで今います。
  29. 石川博崇

    ○石川博崇君 ありがとうございます。  ちょっと時間も限られておりますので、横田参考人斉藤参考人に併せてお伺いをしたいと思います。  先ほど申し上げましたとおり、今年は日米間でも大きな動きがあり、また文書でも初めて確認されるなど、また被害者皆様トランプ大統領との面会等がございました。トランプ大統領との面会等を通じて、また今年一年間の動きを通じてどのようなことを率直に感じておられるか、また、政府の様々なサポート体制あるいは情報提供体制、こうしたことについて御要望等があれば率直に御意見をいただきたいというふうに思います。
  30. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) 先ほども申し上げましたように、私たちはもう長い年月、この救出活動に携わって直接頑張ってまいりました。家族会と救う会と国民皆様と一緒に立ち上がってきましたが、本当に初めの頃の無関心さというか、北朝鮮がそんなことをする国じゃありませんよと、全くそんなことは信じられないことですよというところから始まった。  そのときに、こんなことが起きているのに、これだけの人がいなくなっているのに、どうしてみんな国民はこんなに無関心なんだろうともういたたまれない思いで叫んでいたのを思い出しますが、それからずっとこの長い年月の経過を見ますと、やっぱりワシントンに行ったりジュネーブに行ったり、スイスのジュネーブ、拉致のことを訴えるために行ったりとかいろんなこともさせていただきながら、あらゆることをして頑張ってきたことが、国民の方と一緒に動いてきたことが、この拉致問題ということが実際に本当にあったことで、大変なことが起きているんだということが今はもう本当にほとんどの国民の方は分かってくださって、中学校とか大学にも講演会なども行かせていただきましたし、本当のことだけを私はお知らせしたいというだけで生きてきました。  だから、自分が経験した、こんな悲しいことが本当日本で起きているんですよ、どうお思いですか、あなたがもしこうだったらどうなさいますかという訴えからして、一人一人が、みんな日本人ですから、あなたのお子さんがこうだったら、四十年でも五十年でももう何も考えないで助けてあげてくださいと運動なさいますかと、いつもそれは話します。もういいですよ、もうあの子は、五人も兄弟がいますから一人ぐらいもうしようがないです、こんな運命だからと諦めますかということも訴えていますし、そこのところで私たちはもう、その子を取り返したい、何であんなに一生懸命生きていたかわいい子が、元気だった子が、みんなに優しかった子がこんな目に遭わなきゃならないのかというこの悲しさがいたたまれないんですね。もっと苦しいんです、向こうは。何でこんなところに入れられているんだろう、どうしてこれ以上物が言えないんだろう、何で朝鮮語ばかり話さなきゃならないんだろう、日本の国って何にもしてくれてないのかなと思っていると思うんですね。  だから、その点は本当にもういつも思いながら来たわけですが、あの頃から思えば、長い四十年でしたけれども、本当に今一つの大きな形に、拉致問題、北朝鮮問題がしっかりとみんなの目に、世界中に捉えられるようになったということは非常に有り難いことだと思っております。
  31. 斉藤文代

    参考人斉藤文代君) 私も一年を毎年振り返りながら考えて、次のことを考えて生きているんですけれども。  熊本県に私は住んでいますので、震災がありまして、拉致問題にもとても皆さんが関心を持ってくださっていて、もう一番ここからやりどきだというときに震災に遭ってしまって、皆さんとお会いできることがもう少なくなりましたので、今度は、じゃ私は、被災地、皆さん仮設住宅に住んでいますので、応援してくださっている県民の方たちがですね、だから、私のできることは、何もできないけれども、県民に忘れられる、震災だけのあれでやっていかれると私たち拉致問題というのは忘れられちゃうんじゃないかな、もうみんな無我夢中で生きることに一生懸命になっていますから、拉致の話を持っていくのもとても何か、いいのかなとか考えたりもしましたけど、勇気を持って、週に二回ぐらいは私も主人と一緒に皆さんの被災されているところに行って、またお話をしながら、喜んでくださいます。それで、涙も流してくださいます。私以上に泣かれます。何で片付かないんだろうねと言って泣いてくださいますけど、あなたもつらいのによく頑張ってくれているから、総理もお見舞いにも、皆さん来てくださっているから、議員先生方、絶対いいことあるから、拉致被害者も頑張るし、あなたたちも一緒に頑張りましょうねというような気持ちでこのまた一、二年暮らしてきております。皆さんもう復帰が早くて、心の切替えもとても早い。でも、中には亡くなっていかれる方々もおられます。そうするときには本当に胸が痛いです。  北朝鮮家族本当に元気にしているのかなとか考えたりして、大丈夫かなということも考えたりもいたしますけれど、くよくよしていても、もうこれは、今年でこの問題も片付かなかったんですから、来年はまた一から私もしっかりと、拉致被害者拉致を助けていただくために、皆さんが忘れないでいてくれれば必ず助かる、帰ってこれるというその皆さんの温かい気持ちをいただきながら頑張ってやっていきたいなと思っております。
  32. 石川博崇

    ○石川博崇君 大変ありがとうございました。  我々もしっかり頑張ってまいります。よろしくお願いいたします。
  33. 武田良介

    ○武田良介君 日本共産党の武田良介です。  今日は、三人の参考人皆さん本当に大切なお話ありがとうございます。午前中から続きで大変かと思いますけれども、よろしくお願いをしたいと思います。  先ほど来のお話も聞かせていただいて、私も前回の、五月だったと思いますけれども、この参議院拉致特の委員会参考人皆さん来ていただいお話しいただいたそのときのことを思い出しながら、お話聞かせていただきました。  そのときにも、横田参考人も、どうしてこの子がいなくなったんだろうといつも食堂の椅子を眺めて、何でここにあの子がいないのと言いながら、毎日泣きながら、畳をかきむしって絶叫して泣きながら過ごした新潟時代でしたというようなお話、私も子供もおりますので自分にも重ねて聞かせていただきましたし、斉藤参考人も、今日も資料ありがとうございました。たしか五月のときにも、母から薫はどこにいるのと聞かれて、海の向こうで元気にしているからと答えたら、それから母が毎日バス、電車を乗り継いで海岸に行って、暗くなるまで海を見詰め、テトラに座っておられたと、その後亡くなられたというお話までしていただいたかというふうに思います。そういった思い、しっかりと私も受け止めて頑張らなければいけないというふうに思っております。  横田参考人に最初にお聞きしたいと思うんですが、各地の講演だとか、それから著作などでも、今日もお話ありましたけれども、やはり親ならば子供を何としても助けようとするというのは本当に当然だろうということも訴えておられました。今、北朝鮮の情勢めぐって、非常に緊迫したそういった情勢がある中で、めぐみさんの身を案じるその思いというのは非常に大きなものがあるかなというふうに思います。改めてその思いについてお聞かせいただければと思います。
  34. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) めぐみのいる場所とか北朝鮮にいるということは一応分かって、元気で生きているという情報は何となくどこかいろんな方から入ってくるんですけれども、実際にその証拠はないんですね。私たちには証拠はもたらされておりませんから、生きているんだと信じておりますし、生きていると思います。  だけども、いろんなことが起きるたびに、今回もそうですけども、もしも何かそういう大きなことが起きたときに、拉致をされている人たちが今どこにどういうところに置かれているのか、もう本当にどこか山奥の方のどこか収容所のようなところにでも入れられているのか、それともまともに暮らさせられながら拘束されているのか、どんなふうな暮らしをしているのかというのが分からないんですね、家族は誰も。だからいつも何かが、こんなことが起きたらどうするだろうと、どういうふうに逃げていくんだろうとか、もう一遍にぺっしゃんこになっちゃうんだろうかとか、そういうことは親はもう毎日のように考えておりまして、本当によく潰れないでいると自分でも思っております。
  35. 武田良介

    ○武田良介君 親としての思い本当に私も受け止めたいというふうに思っております。  拉致被害者の御家族皆さんが亡くなられていくという訃報もありました。心から御冥福をお祈りしたいというふうに思いますし、解決待ったなしという思いを強くしているところであります。家族と共に暮らしたいという思いは当然の思いだというふうに思いますし、その家族、命ということについて私も考えざるを得ないというふうに思っております。  飯塚参考人斉藤参考人にも、その家族、そしてその命ということで思いが、今、横田さんからもありましたけれども、思いがあろうかと思いますので、飯塚参考人斉藤参考人にお伺いしたいと思います。
  36. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) 待っている家族がだんだんいなくなるということは、これはもう自然の法則、自然の事実ですね。年がたてばたつほどその現象はあからさまに出てくると。  私はよく講演のときに話するんですけど、近いうち被害者が帰ってきたと。ところが、誰も迎えに来ない。お父さんお母さんどうしたの、誰も答えられない。兄弟は、いない。これは全く悲劇ですよね。悲劇の場面です。そういった場面をつくってはいけないという私は信念は持っていますが、これ自然の成り行きで、黙ってほっておけばそうなるんです。ですので、もう一刻も早くという言葉がつい出てくるんですけれども。  まあ私の例でいけば、私の、八重子が残していった子供、耕一郎、あれは私が育てた養子なんですけれども、今はもう四十になりました。いまだに母親の印象が分からない、声も香りも何もかも全部分からない、それをお母さんと呼ぶのは酷だというふうに言って、今、田口八重子さんという名前で呼んでいますけど、ああいう場面はもう私は悲しくて見ていられないですよね。それが、近いうち帰ってきて抱き合う日が来るでしょうけれども、そういうときに初めて自分の実感でお母さんという言葉が出るんだろうなと私なりに思っていますけれども、そういうふうに、これほっておくと大変なことになるんですね。  ですので、この一刻も早くというのは、もう我々が思いを短縮した言葉で、飾りも何もない。それを理解して認識していただけるかどうかが問題なんですが、いつも言うように、私たちは、私たち思いしか言えない、それからお願いしか言えない立場です。ですので、長年、例えば四十年間というこの長い月日、この重みを皆様方がどう思っているかなんですね。あるいは、我々、活動始めてからもう二十年もたっても結果が出ない。それから、日朝交渉が終わってからは十五年たっても、その後は全くぷっつり切れて何もない。どんどん年がたって、月日がたってしまうと。それをどう思ってくれるかなんです。まあどうせ延びたんだから少しぐらいいいかというふうに皆さん考えておられるのか。これは失礼な言い方ですけれども、そういう場面もなきにしもあらず。  ですので、私が言っているように、日本国である以上、政府、国会含めて、一緒になって束を太くしてベクトルを合わせて、もう最優先という姿を是非見せていただきたいなと思います。
  37. 斉藤文代

    参考人斉藤文代君) 私も、いろいろと母のことを言われるとやっぱりちょっと涙するんですけれども、母がテトラとか行って座って、駄々をこねて帰らないときは連れて帰りますけれど、そうすると、玄関を入ると、もうとてもとても悲しくって悔しくってということが母はありまして、私を、もうぱっと傘を握って背中を何度もたたかれたことあります。  でも、これは思い出で、悔しさがこれだけあるんだということを自分の体に母が打ち込んでくれたんだから、今度は自分が、母が亡くなったときに守って、必ず私が母の二代にならないように、同じようなことをしないように、何とか生きているうちに頑張って墓前に、母に連れていきたいなと、そういう気持ちがあって。それと、熊本県にいるのは私と主人しかいないんですよ。だから、帰ってきたときに私が病気をしていたら、もう見てあげたいという気持ちがあっても見れないわけですよね。それが一番また怖いし、かわいそうだなと思いますので、そういうことのないように、一刻も早く家族が帰ってくることをもう願いつつ頑張るしかないなという気持ちで今はおります。
  38. 武田良介

    ○武田良介君 ありがとうございます。  時間なので終わりにしたいと思いますけれども、今日の陳述でも、横田参考人が、人間らしい話合いの場が必要だということを、たしか午前中の衆議院の委員会の方でもお話しされていたと思いますし、顔の見えるところで会って話してほしいと、北朝鮮の側とですね、対話の場に着くということでお話があったと思います。日本でも世界のどこでも戦争があってほしくないという思いも、これも繰り返しお話があったというふうに思います。  本当に一刻も早く解決するために、経済制裁強めて対話の場に引きずり出すこと、どうしても必要だというふうに思いますし、そのために私たちも力を合わせて頑張っていきたいというふうに思っております。  ありがとうございました。
  39. 高木かおり

    高木かおり君 日本維新の会の高木かおりでございます。  本日は、参考人皆様におかれましては、国会におきまして貴重な御意見とそして切実なる思いをお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。  私は、この委員会に入らせていただきまして二年目になります。まだまだこの拉致問題は本当に深い、なかなか解決しづらい、大きな大きな、この日本の国にとっては本当に最重要課題ということで、まだまだ勉強中の身ではありますけれども、今年の五月に引き続いて今日は様々御意見思いをお聞かせいただきましたけれども、被害者の御家族皆様方の毎日毎日の生活、その中で田口八重子さん、それから横田めぐみさん、それから松木薫さん、皆さんの中でずっとずっと大きな範囲を占めて、それが頭から離れない生活というのは本当に想像を絶するなというふうに思いながらお聞きをしておりました。  本当に何の罪もない我が子、そして御兄弟、それがある日突然いなくなるというこの現実、なかなかこれは本当に受け入れ難い現実だったのではないかというふうに思っております。そんな中で、時間もないですので質問に入らせていただきたいと思いますけれども、まず飯塚参考人にお伺いしたいと思います。  今年の五月の委員会のときに、飯塚参考人からは、期限を区切って、もう先ほどから何度もこのお話は出ているかと思いますが、本年中に解決をしたい、強い意思を持って取り組む覚悟であるという御発言、伺ったかと思います。横田滋さんから家族会の会長、バトンタッチを受けて、三年なら代表としてやってもいいという覚悟を決められ、それがもう倍以上の七年にもなっている、三年たてば解決するんじゃないかという思いがあったけれども、どんどん日がたってしまっている、少しでも前に進んでいるという姿あるいは形が見えればもうちょっと頑張ろうという気になると、そういったこともおっしゃっておられたかと思います。  今、先ほどからもずっと出ておりますけれども、この拉致問題、御家族皆さん、また被害者皆さんの高齢化という問題、それから核やミサイルの問題、アメリカ始め国際社会の中で本当に強い圧力を掛けている今だからこそ大きなチャンスがめぐってきている。そういった状況の中で、今回、トランプ大統領と面会をされ、安倍総理大臣とも様々お話をする機会を持たれ、被害者の御家族の方、皆さん、少しでも今回前に進んでいるという思い、おありなんでしょうか。  それともう一つなんですけれども、蓮池薫さんがインタビュー等で答えられておられますけれども、国際社会がこういう今圧力を高めていて、経済政策、経済の圧力を今最大限に強めている、今まで中国なんかもやはりまだまだ北朝鮮寄りのようなイメージでしたけど、今回、国際社会の中でこちら側に立ったような状況の中で、そういったいわゆる日朝関係というのは北朝鮮にとって一つの突破口になるんじゃないかというようなこともお話をされている中で、この拉致問題の進展、北朝鮮にとってもこの拉致問題が前に進むということは利益になるんだというようなことを分からせる、そういった政府として努力をしていくということも必要だというような、インタビュー等で答えられておられました。  そういったこと、ちょっと二点で申し訳ないんですけれども、それについてお答えいただけますでしょうか。
  40. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) ちょっと質問が長くてどこがポイントなのかちょっと分からないんですが。  確かに今年は、本年中に何とかしようという意気込み、これは我々活動する側あるいはそれを受けてくれる側含めて、かなりの合意を得た感じで進んでまいりました。そのおかげで、いろんなイベントから始まった、インパクトを含めた内容も盛りだくさんあり、政府筋もそういった啓発啓蒙に対しての力も入れてくれた。それから、更に良かったのは、今お話に出た、この後半に来てトランプ大統領拉致問題に対する言及がはっきりとあった。それから、家族とも会って話をした。さらには、テロ支援国家の再指定をしてくれたと。この点については、この流れは私たちにとっては追い風だというふうに見ています。  今まで全く何の動きもない中にこういった話というのは非常に、まあ刺激的なんですけれども、いいチャンスであるというふうに捉えて、これを糧にどう生かしながら具体的な施策、戦略に結び付けていくかというような流れができつつあるわけですよ。したがって、今年この勢いで来年に是非続けていっていただきたいなという思いがあります。  あとは、それができるかどうかというのが問題なんですけれどね。単にそういう流れがあったよ、こういうイベントもやりましたよ、こういうインパクトも出しましたよというだけでは私たちは納得しません。要するに、そのやり方を踏襲したおかげで拉致被害者帰国に結び付いたと、これが結論、結果です。私たちはいつもそれを求めているわけです。ですから、ある意味、どういう手段であろうともという言葉があるんですけど、まあそんな戦争とか、そういうのはちょっと極端な場面ですけれども、私たちは想像も付きませんが、そういったことでは今後につながるというふうに思っております。  そして、もう一つ最後は。
  41. 高木かおり

    高木かおり君 済みません。  今で大枠お答えをいただいたかと思うんですけれども、最後、蓮池薫さんのインタビューの中で、そういった経済制裁を強めていく中で、それが突破口にして拉致問題の解決にしていくということはどうですかという。
  42. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) じゃ、一言。  経済制裁については安倍総理も推奨して今いますよね。これは当然ながら国際社会とも共同でやっていることですし、安倍総理も自信を持って制裁という圧力を今掛けています。これによって考えられるのは、北朝鮮がそれによってこちらに向くということを狙っているわけですよね。完全に白旗揚げてもうどうにもこうにもいかないという場面も想像されますけれども、そうなる一歩手前で、北がこっちを向いて実質協議に入ってくれる、こっちは引っ張り出せるというような場面づくりを是非してもらいたいなというのが私たち気持ちです。単に制裁制裁だけでは、やっぱり最終的には話合いが必要ですから、話し合える場を有利にするために制裁をしていくという考え方ですね。
  43. 高木かおり

    高木かおり君 ありがとうございます。  今、飯塚参考人おっしゃっていただいたように、やはりその結果が伴ってこなければ、今いろいろなことを言われていても、御家族皆様からすれば、御家族の方から、やはりお嬢さんであったり御兄弟が帰ってくる、そこが最終目標ということだと思います。  時間がございませんので、最後に、申し訳ありません、横田参考人にお聞きしたいんですけれども、先ほどから何度も、これからの子供たちにとって、日本においてこの拉致問題の解決、これをやっぱりしっかりと救出するということを見せていかないと、本当にこの国はどうなんだというようなことをおっしゃっておられたかと思います。  この拉致問題というのは、本当に今、日本全国で知らない方はいないぐらい皆さんに周知はされていると私は思います。私の小学生の娘もこの拉致問題は学校で習ったということで拉致問題については知っているんですが、本当に知っているで終わらせてはいけないなと。これを今の子供たちにしっかりと、この日本の国は日本人を救えるんだということを見せていくために、やはり先ほどの飯塚参考人のおっしゃっていただいたことも含め、我々議員、それから政府としてもこれからもう本当にしっかりと頑張っていきたいなというふうに思っております。  これについて一言お願いします。
  44. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) 本当に長い期間、本当に長い間、今日お会いしています議員先生方も、本当に何年も何年もこうやってお話を聞いていただいたり、お話合いをしたりしてきました。本当に有り難いことだと思っております。  本当に、こんなに恐ろしいことが、戦後、非常に苦しい時期を越えて、日本では本当に食べるものもなくて、私たちはもう本当に飢餓で大変苦しんだ時期がありましたけど、そういう中を通って、今はもう非常に裕福になって、もう豊穣で、もう何もかもがそろっていて、もう何にもないぐらい裕福な時代になっていて、平和だな、良かったなとみんなが思っているこの長い期間の間に、とんでもないことが行われていたわけですね。誰も知らないで、誰も見えないで、たくさんの人が連れていかれていて、そういうことが本当日本国家であっていいんでしょうかという思いを私は持ったわけです。  だから、必ず、このような大変なことは、皆様方がもう本当に一致団結していただいて、救出する、連れていかれた子供を必ず取り返すという、そこにもう焦点を置いていただいて、いろんな形で御相談をしていただいたり知恵を出していただいたり行動を起こしていただいたり、総理を筆頭にしていろんな良い人材の方々を、ふさわしい方を選んでいただいて、きちっと向こうに行って、この方は言える人だ、この人は脅威を与える人だ、この方は柔和に話せる人だと、いろんないい方がいらっしゃるはずなんですね。そういう方をちゃんと組んで、きちっと向こうに対していけるような外交方針というのもいいのではないのかなと前からお願いしているんですけれども、難しいことは私たちは分かりませんので、本当皆様方の、プロの方々がしっかりと進んでいただけたら有り難いと思っております。
  45. 高木かおり

    高木かおり君 ありがとうございます。  斉藤参考人にもお聞きしたかったんですけれども、お時間の方がなくなりまして申し訳ありません。  本日はありがとうございました。
  46. 中山恭子

    中山恭子君 希望の党の中山でございます。  今日は、貴重なお時間、こちらにお越しいただきましてありがとうございます。  拉致の問題、アメリカの州によっては、州法で、殺人よりも拉致の方が重い罪が科されるという州法があると聞いております。いかに残酷な問題なのかということを、長い年月苦しまれてきて、本当言葉もないわけでございますけれども、希望の党は先日、安倍総理にお目にかかりまして、希望の党としての考え方をお伝えしてまいりました。  その中で、私どもはやはり、政府も、それから国会も、この長い年月日本人が拉致されて、それを取り戻せない政府、国会の責任というのは非常に重い。しかも、これまでのやり方について両方ともしっかり反省すべきではなかろうかと、失敗だったということをしっかり認めて反省すべきではないかということを安倍総理にお伝えいたしました。それは、一つには、政府の中にも日朝国交正常化を優先すべきであるという考え方で事が進められてきていた。拉致被害者救出ということを最重要そして最優先で行わなければならないということを主張してくださったのが安倍総理だったと思っております。  そういった意味で、国会の中でも拉致被害者救出を最優先で行うということについて必ずしも意見が一致しているわけではないという状況がございますので、それは、日本の国として、やはり国民が他の国に拉致され監禁されているということについては、しっかりとした認識の下に、国交正常化を進める前に拉致被害者を救出するということを国会の中でもしっかりと意思統一をした上で北朝鮮に対峙しなければ、政府も同じだと思っておりまして、安倍総理には、総理直轄の救出チームをつくってくださいというお願いをいたしました。  私自身は、安倍総理は今でも内々で救出の仕事をしてくださっているというふうに信じております。まだ結果が出ておりませんけれども、必ず安倍総理の下で救出作業が行われているであろうと考えているところでございます。その形をもっと目に見える形で進めてもらえたら、かえって被害者の御家族皆さんも、私たちも安心して今の政府を応援、支援していくことができると考えているところでございます。  参考人方々からはいろいろ御意見、お考えをもう既にたくさん述べていただいておりますけれども、もう一度、救出ということについて焦点を当てて、政府、国会が動くべしということに関してはどのようにお考えか、感想でも結構でございます、お三方から御意見を伺えたらと思っています。飯塚参考人からお願いいたします。
  47. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) 今、中山先生の方からもお話があったとおり、この拉致問題の解決方法、取組、考え方はこれでいいのかという反省の下に、政府意見書ですか、出していただきまして、私もその内容についてはほぼ賛成という立場でございますけれども、そういった有効な御意見が生かされないと何にもならないということになりますので、そういったことを論議する、討議する組織といいますか、そういうグループというか、そういうものがやっぱり必要だなというふうに思いました。直接安倍総理意見具申をしてもいいんですけれども、皆さんいろんな考え方もありますし、方法論もあります。したがって、反省すべきところはやっぱり反省しなきゃいけないということではこれは急がなくてはならないと思いますが、要は、そういった有効的な意見と動きはどうやったらまとめていけるのかということを私は素人ながら思っております。  したがって、この問題は、当初から言っているように、超党派で取り組むべき問題だということをも考えております。各党各党がいろいろ問題解決のための委員会やらも催して、具体的な要請書だとか法律を変えようとか、いろいろ動きがあります。そういったことでは、当然それが有効につながっていくというふうに思うんですけれども。  もう一つは、午前中の衆議院の中で議員外交をもっとやったらどうかという話もちょっとありまして、その一つの例が、まあアントニオ猪木のことを言われたんですけれども、私たちはあの人は眼中にないとはっきり申し上げました。というのは、はっきりとした役割、任務がないままただ動いているというだけで、ああいう形は良くない。もしやるんならば、きちっとした任務を与えて、それの活動をしていただいて、その対策なりを帰ってきて練っていくとか、つながっていかないんですね。  議員外交といっても私よく分かりませんが、難しいことだろうと思うんですけれども、その前に党の中できちっとこの問題についてはもう既に論議していただいています。ですから、それを是非生かしていただきたいというのが私たちの願いであります。  それから、こうした衆議院のレベル、参議院のレベル含めて、あらゆるところで論議した有効な御意見を、何とか一本にまとまらないかなという考えでもおります。それが結果的には、その考えに基づいて動いた結果、被害者帰国ということに結び付くということになるだろうと思うんですね。私たちは単純ですから、そのことが帰国にどうやって結び付くのと、この問いしかないんですね。  そういうことでは、全てその見方によってあらゆるもとを見ておりますけれども、国会の先生方におかれましても、当然ながら大事なお仕事一つとして、この日本が抱えている重要課題、最優先課題は何としても解決させなければいけないという意気込みを是非示して、今までもやっていただいていますけれども、もっともっと示していただいて、何というんですか、オールジャパンという言葉もありますけれども、一つの大きな力として示していただきたいという、ちょっと勝手ながら思っております。
  48. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) ありがとうございます。  もう今、皆様方がおっしゃったように、本当にこれは北朝鮮国家犯罪による拉致問題でありまして、金正日氏の指令によって、日本人の若者たち拉致をしてきなさいということで工作員がよこされて、そして、あっちこっちでもう本当に知らない間に闇に紛れてたくさんの人たち向こうの国に連れ去られているということだったわけですね。  その初めの頃からそういうことが、小さい女の子が北朝鮮拉致をされているようですよということは韓国は知っている方がいて、脱北した人か何か分かりませんけれども、それを韓国の上の方の人に知らせたので、韓国がすぐに日本の警察に、若い子が連れていかれているようですよという通知があったにもかかわらず、警察の方はそんな人はいませんということで返して、もう一回、二回それが来たことがあったようですが、それでも、いえ、ないですよということで返されたということは石高さんなんかも皆御存じですけれども、聞いておりますので、この問題は、今だけじゃなくて、もう何年も前のそのような頃から、そういうことに関わらない、もうあちらのことには関わらない方がいいというような、そういう独特な何か日本の中の恐怖心というんですかね、何か私も分かりませんけれども、そういう排他的な、向こうを寄せないような形のものがあったのではないのかなと。  それが、次の議員さんの、いろんな方たちの訪朝によって、金丸さんのこともありましたし、いろんな方が次々行かれたのをずっと見てきましたけれども、そういう積み重ねがやっぱり今も何となく何となくどこかにくすぶっていて、何となくがっと一気にできないようなものがあるのではないのかなという思いがいたします。  めぐみのときは偽遺骨が返ってきましたね。あのときに、どうしてこんなものをはいって受け取ってこられるんだろうなと私は不思議な気がいたしました。何の証拠もないのにですね。これはめぐみさんの遺骨ですと言われたときに、こんなものは遺骨と思っておりませんと言ってすぐにお返ししましたけれども、そのことに対して調べた結果がそれは偽の遺骨だったということがもうはっきりと分かっているにもかかわらず、やっぱり普通だったら、何ということをするんだって、よくもこんなことをするってもう議会全体が怒りでこうなって、日本の民族をばかにしているのかというぐらいにがあっとなっていくのが本当だと思っていたんですね、私は。親だけが怒るんじゃなくてですね。そういうこともなく、何となく偽遺骨だったということでざあっと流されて、何もかもがそういう形で流れていくという現実を見てきましたので。  北朝鮮は、確かに手ごわい国ですし悪事にたけています。そして、悪事に対しては物すごく利口ですし、とてもなかなかあそこまで知恵が働かないほど考えている国だと思いますから、本当に、これはもう今世界中がそれを分かるようになったということは大きなことで、本当に今こそ、それこそ戦争にもならないように、北朝鮮自身がもっといい国に変われるように、みんなが力を合わせて外交を展開していっていただきたいともう本当に心から願っておりますので、よろしくお願いいたします。
  49. 斉藤文代

    参考人斉藤文代君) 私、先ほども申しました、今月の十日に人権問題で、北朝鮮問題で講演をさせていただいたところ、トランプ大統領安倍総理お話をちょっとさせていただいたんです。そのときに、終わった時点で、私に話したいことがあるという講演を聞きに来られた方が、ある方に、お話をさせてくださいということだったらしいんですけど、その日は、斉藤さんちょっと忙しいのでということで聞かなかって、どんな御用ですかと言ったら電話番号と名前と教えてくださって、私が住んでいる菊陽町の者だということも分かったんですけれど、一言言いたいということだったんですよね。だから、どんなお話って言っていましたかって言ったら、安倍さん安倍さんと斉藤さんは言っているけれど、さっきのアントニオ猪木さんのお話が出たんですけれど、何で斉藤さんたちはアントニオさんにお願いしないのだというお話を言いたくて、そのお話をさせてくれということだったらしいんですけど、次の日に電話が掛かってきて、終わった次の日、そういう話を聞きましたから、ほっといてくださいって私は言ったんですよね。  だから、ほっとけばまた言ってくるとは思うんですけれど、少し私が感じましたのは、何年か越しなんですけれど、ちょっとこういう日本の動き、ちょっと見えてくると、そういう方が必ず私のところには何だかんだ言ってくるのあるんですよ。だから、少し国がこういう動きを見せたらそういう、どなたが動いているのか私は分かりませんけれど、拉致問題ももしかしたらこれがいい方法に向いていって早めることもできるかもしれないねというような独り考えはしておりますけれど、その方たちの訴えがどんなんであろうと私はめげずに拉致問題に取り組んでいきたいという考えがありますので、いい方法に考えて拉致問題が解決していくことを願っておりますので、どうぞ皆さん、よろしくお願いいたします。
  50. 中山恭子

    中山恭子君 貴重な御意見、いろいろありがとうございました。  日本が独立国家であるとしっかり認識した上で、国民が他の国に拉致されていることについて、一刻も早く被害者を救出するということを政府も国会も一体となってもう一度しっかり認識し直してこの問題に当たらなければならないということを痛感したところでございます。  ありがとうございました。
  51. 伊波洋一

    ○伊波洋一君 沖縄の風の伊波洋一でございます。  今年は確認されている北朝鮮による拉致が発生してから四十年、それから日朝の交渉北朝鮮拉致を認めてから十五年、そして五名の方々が帰ってこられましたが、その後の進展がほとんどないという中で、拉致被害者家族皆さんが今年に懸けた思いというのは先ほどの御発言からも強く感じました。しかしながら、今日、大変、世界情勢の中で北朝鮮が注目はされておりますが、拉致そのものの進展が見られない中での今日の委員会の開催でございますが、本当に御三名、御参加いただきましてありがとうございます。  私は最後の質問者ということになりますが、やはり今日のお話を聞きまして、御三名の参考人、あるいはまた拉致被害家族皆さん思い拉致被害者の帰還の実現に尽きると、このように受け止めています。今年はそれを、糸口をつかむことができなかったわけですが、来年に向けて、国会やあるいは政府に対して、飯塚参考人横田参考人斉藤参考人、それぞれの、何度も今日はお話質疑があって言っておられると思いますけれども、私はもう最後の質問なんですけれども、この質問で質問を終わりますが、皆さん思いを是非語っていただき、そして私たちは来る通常国会、来年度の取組の一つの指針としたいと、このように思いますので、よろしくお願いいたします。
  52. 飯塚繁雄

    参考人飯塚繁雄君) 安倍総理におかれましては、我々の状況あるいは一人一人家族思い、これはもう十分把握していると思います、理解もしていると思います。その上に立ってどうしようかというのが今の段階だと思うんですけれども。  ですから、私たちは、更なる思いはたくさんあるとしても、あとはそれにのっとった実行がどうされていくのかというのを注視していきたいんですが、ただ、これも、あれどうなったこれどうなったということはちょっと質問はできない状況ですので、やはり総理は総理の考え方で具体的に戦略を練って実行していると思います。ですから、今後も今の状況が変わらない以上、安倍総理に対しての信頼と期待を持ちまして、これは家族会全員の意見です、そういった中で進展というか、この話が前へ進んでいるなという感触を何とかつかんでいきたいなというふうにだけは今思っています。
  53. 横田早紀江

    参考人横田早紀江君) 本当に今日はありがとうございました。  私たちは、本当子供に会いたいだけなんです。もう元気な間に一言、めぐみちゃんお帰りなさいと、本当に御苦労掛けて済みませんでしたと言ってあげたいだけなんです。自由にしてあげたいんです、あの国から解放されて。本当に、外の空気を吸って、広い日本のきれいな景色の中で寝転がって、ああ良かったって言わせてあげたいという思いだけなんで、もうそのために、皆様がお子様をなくしたらこうするだろうなって、私だったってこうするだろうなって、みんな、お父様、お母様、議員方々が思ってくださって、あの子のためだったらこうしているだろうなという思いで動いていただければ、それが結集すれば必ず解決に向かうと私は前から願っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
  54. 斉藤文代

    参考人斉藤文代君) 私も、皆、二人の御意見のとおりでありまして、何にも、どんな嵐が来ようとも助け出すまでは、やはり自分の体も家族もみんな守りながら迎え入れてあげたいという願い、再会したいという願いがありますので、どうか皆様方も、この気持ち皆さん一緒になって取り組んでいただけたらと思っております。  今日はありがとうございました。
  55. 伊波洋一

    ○伊波洋一君 ありがとうございます。  今日のお話の中でも、超党派の取組含めて多くの課題、国会にもあったと思います。  私は沖縄から出ておりまして、沖縄の風という会派をつくっておりますが、沖縄も米軍基地という問題を、国と国との問題を抱えておりまして、なかなか解決ができません。やはり大きな壁があります。そういう意味では、その中でやはり、でも解決しなきゃならない。拉致被害家族皆さん思いも同じだと思います。諦めるわけにはいかないということをしっかり私も受け止めさせていただき、そして皆さんの課題をしっかり解決できるよう取り組んでまいりたいと思いますので、一緒に頑張ってまいりたいと思います。  ありがとうございました。終わります。
  56. 山谷えり子

    委員長山谷えり子君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言お礼の御挨拶をいたします。  本日は、長時間にわたりまして御出席を賜り、貴重な御意見をいただきました。誠にありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時四十五分散会