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参考人(
山本潤君) 本日は、
参考人としてお呼びいただき、本当にありがとうございます。
刑法性犯罪を変えよう!
プロジェクトの
山本潤と申します。
私がこの
プロジェクトに参加しているのは、
自分自身が父親からの
性虐待の
被害者であり、
日本の
性暴力を取り巻く現状を変えていきたいと強く願っているからです。私の
経験は一人の
経験ですが、私
たちに声を届けてくれた
人たち、声を上げることも難しい
人たちの思いを少しでもお伝えできればと思っています。
刑法性犯罪改正が話し合われる
法務委員会に、これまで
性被害者が呼ばれたことはあったのでしょうか。私
たち性暴力被害者の運命は、この
法律によって左右されます。
私は、二〇一五年から始まった
刑法性犯罪改正の
議論に少しでも
当事者の声を届けたいと、二〇一六年八月に、
性暴力と
刑法を考える
当事者の会を立ち上げました。届けたいと思ったのは、二〇一五年七月に
性犯罪の
罰則に関する
検討会で聞いた
法律家たちの
意見が非常に衝撃的だったからです。済みません、
当事者の会を立ち上げたのは二〇一五年です。失礼しました。
皆さんも
中学生だったことがあると思います。
中学生のときの
自分を想像してみてください。
皆さんにとって身近な大人、
生活全般を依存している人、
保護者、親が
皆さんの
布団に入ってきて
皆さんの体を性的に触るようになったら、どういう
感覚、感情を持つでしょうか。私に起こったのはそういう
経験です。
私の父は、私が十三歳のときに、寝ている私の
布団に入ってきて私の体を触るようになりました。初めはおなかや背中だったものが、次第に胸やお尻に移っていきます。なでられ、もまれ、性的な
行為を強要されます。話したらひどい目に遭うよ、家族がばらばらになるよと脅す
加害者もいますが、私の
加害者はそうではありませんでした。私に起こったことは、黙って入ってきて黙って触られ、これから何が始まるのかも何が起こっているのかも理解できない混乱する
経験でした。混乱と驚愕、私は、フリーズしてしまって抵抗することはできませんでした。
そして、そのときの私は、これが
性被害だということを理解することもできず、
性被害であり相談する必要がある
出来事なのだということすら発想もできず、誰にも
被害を訴えることはできませんでした。その結果、
被害は継続しエスカレートし、結局七年間
被害を受け、別件で母が父と別れたので、そこで私の
被害は終わりました。
終わったからといって終わりではなく、むしろ、
強迫症状や
退行現象、うつや
性的行動のコントロールの付かなさなど、様々な
トラウマ症状の始まりはそこからでした。結局、
被害を受けていた七年間の三倍の日数の二十一年間を、
トラウマ症状とそこからの回復に費やしてきました。
私のように誰にも
自分の
性被害を相談できない人は、
平成二十六年の
内閣府の統計で六七・五%であることが明らかになっています。そして、様々な
犯罪被害者支援計画が実施されているにもかかわらず、どこにも誰にも相談できなかったという人の数字は、
平成十七年から六〇%台と、ほぼ変わりはありません。
どうして
被害者は、
自分の
被害を友人にでも
相談機関にでも相談することすらできないのでしょうか。そこに
法律の定義は深く関わっていると思います。私の
ケースのように、
暴行、
脅迫がなくても
性暴力を振るうことは可能です。しかし、そのような
被害の
実態を
法律家がきちんと聞いてくれたとは思えません。
性犯罪の
罰則に関する
検討会では、
親子間でも真摯な同意に基づく
性行為が全く起こらないとは言えないのではないかという
発言がありました。たとえ
法律の
専門家であったとしても、
性暴力の
専門家ではないのだということを強く感じました。
親子の
関係で
性行為に同意することはできません。そもそもの前提である、
対等性を持ち、自由に
意思決定することができないからです。
法律と人間の権利の
専門家から、二度とこんな
性虐待を肯定するような
意見を聞きたくないと今でも思っています。
私のような
当事者から見れば、
性犯罪の
罰則に関する
検討会、
法制審議会という
性犯罪を
議論し
意思決定するメンバーに
被害者がいなかったことを疑問に思います。私
たちに非常に大きな
影響を与える
法律を私
たち抜きで決めないでほしいと思っています。
その後、
性暴力と
刑法を考える
当事者の会は、
法制審議会へ二回
要望書を提出し、お手元の
資料にも、後ろの方にありますが、「ここがヘンだよ
日本の
刑法(
性犯罪)」ブックレットを作成し、
日本弁護士連合会意見書への
反対の
要望書を行うなど、
活動を積み重ねてきました。
その間に、
刑法性犯罪改正は、
法務省から
国会に
議論の場が移りました。二〇一六年秋から私
たちは、明日
少女隊、
しあわせなみだ、
ちゃぶ台返し女子アクションとともに
刑法性犯罪プロジェクトを立ち上げ、ビリーブキャンペーンを展開してきました。
私
たちの
資料の表紙をめくった一枚目のパンフレットを御覧ください。こちらにありますように、届ける
活動として、
国会議員の
方々へ私
たちの
要望を伝えるロビーイングも行ってきました。
実際に
議員の
方々と面会してお話しすることで、私
たちが求める
暴行・
脅迫要件撤廃について、
性犯罪改正の問題について伝えることができました。成果は実り、先週、ついに
附則、
附帯決議が付いて、
刑法の一部を
改正する
法律案は
衆議院を通過しました。
附則は
法律となるので非常に難しいと言われていましたが、三年後の
見直し規定が取り入れられたことは、私
たちの
要望を聞いていただけたのだと感じています。
衆議院法務委員会で可決された先週六月七日には、
金田法務大臣に
刑法改正を求める三万筆の
署名を提出することができました。
オンライン署名は、その後一週間で二万人以上増え、五万四千人の
署名が現在集まっています。これほどに
刑法性犯罪改正を求める声は大きいのです。私
たちの
要望について、また
署名について、
資料の方に載せていますので御参照ください。
改正案は成立間近です。それでもまだ残る論点は多いです。
性的侵襲罪ではなく
強制性交等罪という名称でよいのか、
被害を受けているときに子供であったりして親告できない間に時効となってしまう問題はどうなのか、パートナーや
配偶者からのレイプはどのように扱われるのか、
集団強姦罪が
廃止されてしまったのはどうなのか、教師や上司のような目上の立場の人からその
地位や権限を利用された
性的強要が
被害だと認められにくい問題、十三歳以上は
暴行・
脅迫要件を満たさなければ
強制性交等罪にならない問題があると考えています。
様々な問題が積み残されていますが、私が最も大きな問題と感じているのは、やはり
暴行・
脅迫要件です。私が父から
性被害を受けていたとき、父は私を脅したり殴ったりはしませんでした。
暴行、
脅迫がない
ケースで、
強姦罪にも
強制わいせつ罪にもなりません。
ずっと私は、この
性暴力被害の
経験が私の
人生を大きく損なったものだと思ってきました。でも、それは違います。私
たちの
人生には様々なことが起こります。大きな
交通事故に巻き込まれる、いきなり通り魔に襲われる、そういう非常に困難で突発的な
出来事ではないかもしれないけれども、
自分の大切な人が突然失われてしまう、
自分自身が大きな病を抱えてしまう、そのような理不尽で困難で、
自分の力ではどうにもできない
状況というのは、誰の
人生にも一度は訪れるのではないでしょうか。そんなときに苦しみを聞いてもらえれば、誰かに助けてもらえれば、
法律や支援のシステムが整備されていれば、私
たちは、何とか前を向き、もがきながらも立ち上がることができるのではないでしょうか。
私には何もありませんでした。訴えることもできず、そのような手段があることも知らず、誰にも救ってもらえませんでした。私のような
家庭内の
性被害者たち、
暴行、
脅迫がなく、だまされたり、教師や上司という目上の立場の人から性を
強制された
人たち、人間として最も困難である
状況を味わった
人たちを
日本の
刑法は守ってくれません。
被害者は苦しみ、
加害者は許され、何の
処罰も受けない。大きな
被害を受けながら何もなかったことにされたことこそ、
刑法が
暴行、
脅迫がなければ
強姦罪ではないと言っていることこそ、私にとっての困難でした。
法律家たちは
ケース・バイ・
ケースだと言います。適正に裁かれている
ケースもあると言います。適正に裁かれていない
ケースがある以上、そんな理屈は通用しないと私は考えています。
今回、やっと
監護者性交等罪が入りました。それはとても評価できるところだと思っています。しかし、十八歳以下で親などの
監護者から
性交された人は
加害者を罪に問えますが、相手が年上の兄弟やおじや祖父、教師やコーチの場合、
監護者性交等罪で罪に問うことはできません。
暴行・
脅迫要件は必要だ、外形的に見える指針が大事だという
議論がされます。私は、そうは思いません。
暴行、
脅迫が必要だと考えていること自体、
性暴力の本質を理解していないことだと考えています。先進国では、明示的な同意がなければレイプと定義されている国が多いです。どうしてでしょうか。それは、
性暴力の加害の定義を見れば分かります。
お手元にありますパンフレットをめくって、二枚目の
性犯罪に
暴行脅迫要件は不要という
資料の二番目、
性暴力加害とはというところを御覧ください。
性暴力は、性的欲求のみではなく、
加害者が攻撃、支配、優越、
男性性の誇示、接触、依存などの様々な欲求を性という手段、行動を通じて自己中心的に充足させるために
被害者を物として扱うことです。
性暴力の本質は、人を物として扱うことなのです。
私は子供でしたけれども、
意思も夢も希望もありました。それを全て無視されて、物として扱われました。
被害者の
意思を無視すること、人間として扱わないこと、そうすることで
加害者は
自分が上だ、おまえには何の権利もないと
被害者に知らしめることができます。
被害者の力を奪い、無力化したことが
加害者の勝利です。
加害者の勝利は私の苦しみです。私が人間であるならば、どうして
意思が聞かれなかったのでしょう。どうして希望を聞いてくれなかったのでしょう。その選択をしたのは
加害者です。その人の
意思も希望も踏みにじり、物として扱ったのは
加害者なのです。そのとき、私
たちは心を、魂を殺されるのです。
百十年ぶりの
改正にもかかわらず、
日本の
刑法はいまだに明治時代の亡霊を振り払えていません。
暴行・
脅迫要件ではなく、人を物として扱った
加害者の責任を問う必要があると思っています。そのために、そこに相手の明示的な同意があったかということを中心とする
構成要件を組み立てる必要があるのではないでしょうか。三年後の検討で
暴行・
脅迫要件が
撤廃されなければ、
被害者の
意思を無視することが繰り返されることになります。
これまで、私
たち被害者の声を
法律は聞いてくれませんでした。私も、
自分の声が聞かれるとも
状況を変えられるとも思っていませんでした。でも、今、
皆さんは聞いてくれています。それは希望です。このことが、
加害者が無視した私
たちの
意思を聞き、私
たちが話を聞く価値がある人間であるということを示してくれているからです。
性被害者がこのような思いをしているということは、
皆さんにとっても思い掛けないことかもしれません。
意思を聞かれなかったこと、人間として扱われなかったことは私
たちの血肉に刻まれています。だからこそ、声を上げるのは怖いのです。また同じようにたたき潰されないかと恐怖におびえているのです。だからこそ、
被害者を強力に保護し、支援するシステムが必要なのです。それができてこそ、
性被害の
実態を把握し、
実態を反映した
法律の
改正、システムの構築ができると思います。
私
たちは、声が聞かれることを、
法律にも
被害者の声が届くことを示していただきました。共に
被害者が
性被害を訴えられる社会になるように、今回の
法改正がその後押しとなることを心から願っています。
ありがとうございました。