○福山哲郎君 それでは、日印の
原子力協定について
質問いたします。
今日は、すごく僕は複雑な思いでこの場に立っています。なぜなら、私は、この
原子力協定、二〇一〇年六月、日印首脳会談で、交渉開始を決めたときの首脳会談に、私はカナダで総理の横に同席をしておりました。ですから、私は、この
原子力協定については交渉開始をしたときの一人ですので、責任の一端を感じております。
まず、二〇一〇年のその交渉開始の一月前に、私は国連本部で、
NPT運用検討会議の首席代表として、追加議定書を伴った包括的保障
措置が
IAEA保障措置の基準となるべきと
考えますと、
NPT未加入国に対し、非
核兵器国としての
NPT加入を引き続き求め、
NPTの普遍性を実現することが重要ですという
日本政府の
立場を発表しました。ですから、
NPT未加盟の
インドと
原子力協定の交渉を始めることに抵抗がなかったと言えばうそになります。相当葛藤がありました。
その二年前の二〇〇八年、
NSGの
インド例外化の
決定にも当時大きな矛盾を感じていたことも事実です。私の上司であった岡田
外務大臣も非常に深く悩まれていました。
今日、お手元に資料をお配りをさせていただきました。実はその二〇一〇年の五月の
外交防衛委員会、実は私の横に今お座りいただいている浜田先生、それから山本
委員長が当時も
質問されて、この日印の
原子力協定について
質疑をされて、私は実は向こう側に座っておりました。岡田大臣もいらっしゃいました。
実は山本
委員長の
質疑のやり取りは、実は今日、済みません、資料としては用意していなかったんですけれども、山本
委員長も、ひょっとしたら
インドとの交渉が始まるかもしれないというので、
インドは非常に政治、経済で重要だと、しかし
NPTに加盟していない懸念もあると正直に、当時、山本
委員が言われていて、そして、最後に、すごいんですよね、やっぱり。モラトリアムの
継続を約束させるとか、IAEAの保障
措置を
条件、一定の施設への
条件として
締結させるとかいろんな
考え方があると思うんですけどと言って岡田大臣に
質問されています。山本予算
委員長のそのときの定見というか、その方向で今これが進んでいるわけですが。
さらには、山本
委員は、当時の
委員は、岡田大臣に向かって、
インドに
原子力発電所を造るという大きな流れの中で、世界中が、
日本だけが孤立するのはいかがなものかという前向きな姿勢を示されたと、岡田大臣の姿勢を前向きだと山本
委員は言われました。それに対して実は当時の岡田大臣が、私の先般の
答弁を前向きというふうにおっしゃっていただいているのですが、果たして前向きと言うべきかどうかということでもあると思いますと正直に、当時の岡田大臣が、これ交渉開始の直前ですけど、前向きかどうかとやっぱり悩まれているんです。
で、浜田先生なんです。浜田先生、
NSGに対して、山本
委員からは、右側見てください、今後、
インドとの
原子力協定、
日本とも
考えるべきじゃないかみたいな、積極的な
意見もあったんですが、私はもう少し慎重な
意見なんですと浜田先生はおっしゃっているんですね。当時野党ですが、その
NSGの時代は与党でいらっしゃったわけです。それで、やっぱり
NPT体制のダブルスタンダードをつくったんじゃないかという
NSGに対する批判があるということについて、浜田先生も懸念をされています。
面白いのは、岡田大臣が、いろんな
議論があるんだと思います、ただ、この米
印原子力協定を
NSGで合意したというのは、これは政権交代の前の政権の時代の話でありますと。次です。ですから、それは私がどういうふうに言っても、それは批判に受け止められたり、必ずしも客観的に評価することになりませんので、むしろ
委員の方からお聞かせいただいた方がいいぐらいではないかと思っていますと言って、自民党さん、当時の与党が
NSGを合意したからといって、批判に取られるから自分は発言を控えたいと言われたんです。済みません、ちょっと皮肉を言うと、今のように、何かあれば民主党政権が悪いんだといって引っ張り出してきているどこかの総理とはえらい違いです。
で、浜田先生が、面白いんです、これ。勝手に
外務省がやった、はっきり言って、そういう
状況ですよと浜田先生、このいつも冷静な、温厚な浜田先生が大分お怒りなんです。私、そこで聞いていたのでよく覚えているんですね。
当時の佐野
参考人が、
外務省の方がいろいろ言われたら、浜田先生が、右側ですけど、余りうその
答弁しない方がいいですよと、まず、外交部会で、こういうことを
承認するなんて、あなた、しゃべらなかったよと。それでその後、佐野さんが何か言ったら、浜田先生が、
日本が最後の最後まで頑張れ、これ、
NSGについて了解するなということだと思いますが、軽々と乗っちゃったのはあなたじゃないかと、それをもう、そういう事実を変えるような
答弁はやめてほしいですねと浜田先生がおっしゃっているんですね。
その後、次、続きがあるんですけど、保障
措置の対象の問題についてやっぱり言及されているんです。
実は今回の
日印原子力協定って、与野党替わっていますが、
NPT非加盟の
インドと
被爆国である
日本が本当に
協定を結んでいいかという本質的な問題について言えば、実は
状況は余り変わっていないんです。先ほど
阿達委員が
意義があるかどうかという御
質問をされました。それは、
インドとの
関係でいえば
意義があると私も思います。だって私は、交渉のスタートを、悩みながら、仕方がないなと思ったからです。だけど、そのときに
阿達先生、
NPTの未加盟の問題については余り言及をされませんでした。
私は、やっぱりこの問題は本当に難しいと思います。当時は今と違って、
原子力ルネサンスとずっと言われていました。原油価格は一バレル百ドルを超えていました。東芝はウェスチングハウスを買収して、世界中に
原発を輸出する準備をしていました。我々の政権も、成長戦略に
原発輸出を組み入れていました。今思えば至らなかったと思います。
日本製の部品を
インドに輸出するニーズが出てきていました。具体的には、フランスのアレバが
インドに
原子炉を造る際に
日本のメーカーを使いたいということでした。こういう時代でした。それでもこんなに葛藤があったんです。浜田先生の葛藤も、僕は真っ当な
議論だったと思います。山本
委員の御
意見も、当時でいえば真っ当な
議論だったと思います。
でも、今、
原子力ルネサンスなどとは全く言われなくなりました。いまだに
福島では十万人以上が避難されて、廃炉まで気の遠くなるような歳月を要します。
世界各国では脱
原発の動きも出ています。世界の設備容量は再生可能エネルギーが
原発を抜きました。
この
状況で、なぜ今なのか。安全保障上でいえば、
北朝鮮の核の開発、朝鮮半島の非核化が
日本にとっても最大の今安全保障上の課題だと思います。核の不拡散は
日本にとっては至上命題です、
被爆国として。そして、イランの問題もあります。そして、韓国や中国は再
処理に向けて今非常に関心を強く持っている。
NPT体制の堅持、
NPT体制が不安定化していると言われている中で、
NPT体制を堅持することは
日本としてはどうしても引き下がれないライン、それが、こういうアリの一穴を
日本がやることが、フランス、
アメリカがやるのはそれはそれで結構ですが、そのときと
状況も変わってきた。その中で、なぜ今なのか。ましてや、北がミサイルを何発も撃ち込み、
核実験をするかもしれないと言われるときに、なぜ今なのか。そして、何でこんなに時間が掛かったのか。
我々のときに交渉は中断しました。
外務省は中断というのは言い方嫌みたいなので、それは表現の仕方いろいろありますが、三・一一の後、さすがに
原発事故の後に
インドとの
原子力協定の交渉はできないということで、二〇一〇年の十一月の交渉から二〇一三年、安倍政権まで実は交渉は止まっていました。じゃ、これからこの三年間、それからの三年間、何を交渉して何を担保して、そしてこの環境の変化に対してどういう対応をして、
外務大臣、意思
決定されたんですか。
そもそもの話をして恐縮ですが、僕は非常にこの日印の
原子力協定というのは本質的な問題だと思うので、大臣、お答えいただければと思います。