○黄川田(徹)
委員 市町村の
取り組みということで、南三陸町の防災センター、あそこも残すか残さないかということで、結論を先に出さずに時間を置きましょうということで、たしか県の方でかかわったと思っております。それから、岩手の宮古の田老のホテルでありますけれ
ども、これは整備されて、今まさに、震災がどうだったのであるのかいろいろな
方々が来て、そして実際に三陸大津波の映像もありますし、かなり震災を風化させないような
施設もできておる、こう思っております。
ただ、この震災遺構なんでありますけれ
ども、これには保存か解体かということで、さまざまな議論がある
自治体もあります。具体的に私のところ、岩手の大槌町というところなんでありますけれ
ども、この庁舎、一部解体したのでありますけれ
ども、これをどうするかということで、それが選挙の争点になって、首長がかわったりとか、さまざまあります。
本当に、震災遺構を残す、残さないということで、さまざま悩ましいものがあるのでありますけれ
ども、まだ六年といいますか、やはり後世に伝えるということになりますと、その建物が歴史的なものとしてみんなに認知されるような形になるように、早目の決断というよりも、
地域のさまざまな思いが議会なり、あるいはまたいろいろな形で結果として出せればいいな、こう思っておるわけであります。
大臣は、神戸といいますか、関西の方に住まれておりますので、阪神・淡路大震災、もう二十年も過ぎましたし、また中越
地震も十年を超えました。そういう中で、例えば神戸であれば、震災を経験した
方々が神戸の
住民の何割かにというふうな形、発災したときは一〇〇%皆経験しているのでありますけれ
ども、そういうことになっている。そういう中で、どうやって風化させずにいこうかとか、さまざまあります。
そしてまた、新聞記事の斜め読みというわけではないのでありますけれ
ども、京都府に何か丹後市、なかったですか。(発言する者あり)京丹後市ですか。京丹後市、あの辺で九十年ぐらい前に大
地震があったんですかね。それを残さなきゃ、残さないとというか、
地震があったということを後世に残すということで記念館がつくられた。当時は県でつくったんだけれ
ども、町に、そのとき
自治体に払い下げしたか何かで、これが大分老朽化して、それが閉鎖されて四、五年になる。確かに九十年前の話ですから、かなり消えていくというところはあるのでありますけれ
ども。
我々が今、起工式を行いましたけれ
ども、どうやって、
施設は必ず老朽化していくわけでありますし、維持管理とかいろいろなさまざまな
課題があるのでありますけれ
ども、
全国どこでも大
災害が起きる時代にあって、そういう震災遺構
施設もなかなか大変な維持管理にあるというような
状況でもあります。
そういう中で、
大臣も、私、ちょうど当時は復興特別
委員会の
委員長をしておりましたので、答弁者は菅総理でありまして、菅総理も疲れていたんでしょう、本当に答弁が疲れた答弁で、
高市さんもかなり厳しい指摘をされて、私もかなり参っていましたので、やはりその答弁はないだろうということで、
委員長は余り言わないんだろうけれ
ども、総理の答弁はだめだ、もう一度しっかりやってくれということも話もしました。
だから、復興
大臣じゃないのでありますけれ
ども、あるいはまた、神戸とかにも暮らされたこともあるでしょうし、また、その復旧復興の中で
総務省の果たす役割も大きいわけでありますので、復興も進んできて、復興祈念公園のようなものも出てきたんだけれ
ども、こういう震災の記憶と記録がしっかり後世に残されるのかという私もさまざまな思いがありますので、これらに対する
大臣の所感といいますか、感想があればお聞きしたいと思います。