○
阿部委員 民進党の
阿部知子です。
前回に引き続いて二度目の
質疑のお時間を頂戴して、ありがとうございます。
私からは、きょう冒頭は、昨日の新聞の
報道にございましたが、
名古屋大学病院で
医療ミスが二〇一五年の七月にあったということを
病院側が報告して謝罪するという
事案の
メディア報道がございました。
甲状腺がんを切除したときに
出血多量で気管を圧迫したという
事案で、これまでも
同様事案があってガイドラインがあった、でもそれが守られなかったということで、大変残念ですが、と同時に、やはり、隠さず、逃げず、ごまかさず、こうしたことをきっちりと明らかにして、謝罪もする、また遺族へのさまざまな補償も今後あると思います。そうしたことが
医療界で定着していくことをまず何よりも願って、
質問に入りたいと思います。
もともと私が
医療分野から
国会議員になろうと思った理由を、きょうは少しお話しさせていただきます。
私は、一九九八年、私の勤める神奈川県下の
病院で、五百床以上ベッドのある、また非常に人気のある
病院でしたが、兄が脊髄の
手術の後にいわゆる
エコノミー症候群というのになって、足から飛んだ
血栓が肺に詰まって、発見されたときは
心肺停止というか、翌朝、冷たくなって発見をされました。
私は、
自分が医学の
分野にいながら、まして
自分の働く
病院で、
肺塞栓症というのは当然今は予知され避けられる
疾患で、背骨の、脊椎の
手術などは下肢が動かなくなるので、今は足にマンシェットというのを巻いて
血栓予防に努めるわけですが、当時はそのことが必ずしも普及しておらなかった。ましてHCUから出る前日で、兄は非常に状態がよかったために、全部のモニターが、よく眠れるようにと取ってありまして、その結果、アラームが全く鳴らずに、恐らく夜十時過ぎに別れて、朝六時は冷たくなっておりました。
その
事案を私が、
事案というか私の身に起きたことですが、考えたときに、やはり私のいる
医療現場は大変に忙しくて、本当に何台もの
呼吸器の間を
看護師さんが走り回る、そして必死にやってもこうしたことが起こるということは、まず
医療現場の
労働条件と、そして
安全管理に対するそれこそ文化をもっと定着させねばいけない、そのためにはやはり国の
医療政策を変えねばならないと思って立候補して、そのことを一生懸命有権者にも話して、今日、十七年目の
国会活動をしております。
その中で、この
医療事故調査の問題あるいは
特定機能病院のことを考えますと、一番は、この前も申しましたが、起こった
事故を、その後訴訟とかお互い争い合うのではなく、
未然防止、とにかくもっともっと
事前の
段階で
防止できれば、どんなにか
医療現場もよくなり、
患者さんの悲しみも少ないかと思うもので、その
観点から、せんだっての
女子医大の見学というのは大変私には
参考になりました。
特定機能病院の中で二度も取り消されたって、本当に前例のないことで、その後の取り組みをしっかり見せていただきたいと思って、
塩崎大臣のおっしゃるガバナンス、特に院長がさまざまな権限を持った
体制に組みかえていく。センターが何カ所にも分かれますから、
女子医大の場合。そういうトータルを見なきゃいけないということもあって、このガバナンスを持った院長の登用というのは、私は大きな一歩前進であると思います。
同時に、先日の
質問でも申し上げましたが、院長がそういうことを実際に実施していくための、実動を担っていただく医師というものがどこから供給され、どのように持続的であるかということが、私にとっては大きな課題であります。とにかく現場が忙しい。安全文化に配慮できる余力がない。でも、他者の目で見れば、あそこは危ないよ、そこでとまって、みんなで何とか大きな
事故にならないようにしましょうということが一番大事と思っております。
きょう、お手元の一枚目、実は、
特定機能病院の取り消しは、群馬大学と
女子医大、両方ございましたが、群馬大学の方、これは分厚い報告書が出ておりまして、なかなかよくできた報告書でありますが、その中から拾ったもの、これくらい厚い報告書で、外科学会の力もかりながらできた群馬大学の報告書でありますが、その中から抜いてきたものであります。
群馬大学では、もともと、二〇〇二年に
医療安全管理室というものを設置してあって、事件が起きたのはその後ですが、二〇一四年の十二月、これはいろいろな死亡事例を受けて、この
医療安全管理室を部に昇格いたしました。ちなみに、
女子医大では、科、
医療安全科。
医療の中では、室、部、科となるほどに全体の位置づけが上がってまいります。せんだって伺った
女子医大では、
医療安全科というのをつくって、教授を選任しておられました。
まず、この群馬大学の
事案でございますと、見ていただけばわかるように、二〇〇二年にできたときは兼任の室長がいて、兼任とは、業務の五〇%にもいかないところを、安全にかかわる業務をするということですが、やっと二〇一四年になって、専従、業務の八〇%を占めると。医師はずっと、その下にいる医師は兼任、兼任、兼任だけれ
ども、今はいない。今現在、また置かれたかもしれません。主には
看護師さんにかかっていて、これも、専従とはいうものの二名という
体制、薬剤師さんも一名という
体制で、院内に起こる
事故を未然に防ぐ、
情報を収集する、対策を練るって、すごく大変だなと私は今も思います。
女子医大の方は、せんだって皆さんと一緒に視察をしましたので、医師の室長と、その下はおられませんが、
看護師さん四人、薬剤師さん、臨床工学士おのおの一名、事務三名という
体制で、比較的小さなお部屋で一生懸命
情報を集めて、三十件から四十件、毎日上がるインシデントに
対応しておられました。
塩崎大臣には、きょうの
質問は、
医療安全科という科は、いわゆる、医学の世界で、標榜科としては認められておりません。私は例えば小児科、岡本先生は内科かな、医師が私はこれこれの科よというときの標榜、看板を掲げて
医療法上で宣伝をできるわけですが、
医療安全科というのは標榜科には今なっておりません。
でも、私は今回、女子医に行ってみて、本当に思いました。
医療安全科という科の存在を標榜科として位置づける、そして、よいものは普及していく、各
病院で
医療安全科ができるように、標榜科となるように願っておりますが、
大臣のお考えをお
伺いいたします。