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参考人(
石川元也君)
弁護士の
石川でございます。
私は、
部落差別問題を始め多くの人権問題に関わってまいりました。今年で
弁護士六十年を迎えますが、
部落問題にほぼ五十年近く関わってまいりました。その経験とその中で闘った
裁判の結果、そして、その
裁判の結果が
政府機関である
地域改善対策協議会、地対協の
意見書に反映し、今も紹介がありました
政府の
啓発推進指針、そういうものになっていって、そして、とうとう平成十四年、二〇〇二年に三十三年に及ぶ
同和事業が終了した、その経過の中の問題点を御紹介し、それが、今の
状況をどう見るか、そして新しい
法案が本当に必要なのかどうか、そういうことに対する材料を提供いたしたいと
思います。
私の
意見陳述の要旨、お手元にございますので見ていただきたいんですが、
部落問題と
同和問題、よく議論にはなりますが、実質は同じことですが、ちょっとミスがありますので訂正しますと、水平社宣言まではいわゆる特殊
部落という言葉を使ってきて、それがその後、被圧迫
部落あるいは被
差別部落と言われ、あるいは、戦後は未解放
部落、被
差別部落という言い方もされましたけれど、戦争中の昭和十六年に、それまでの
融和事業と言われていたのが
同和奉公会という、大政翼賛会の一翼を担うんだという形で
同和という言葉が使われて、戦後はずっと
行政側は
同和ということでやってきた。
しかし、これは、いずれにしましても、一般の集落を意味する
部落、通常のといいますか、普通の
部落と区別したのをどう考えて、どう
解消していくかという、言葉の中でいろいろ言われてきたのでありますが、この
同和事業として戦後続いてきたものも全てこの
部落差別の
解消を
目的とするものであったということは言うまでもないことで、この
同和事業の成果と弊害、到達点、問題点を見る、そのことを今日は
中心にお話をしてみたいと
思います。
昭和四十四年、一九六九年に
同和対策特別法が十年の時限法で始まりました。この始まる少し前に
大阪で矢田中学
事件という問題が起こっています。これがこの糾弾の始まりであり、その後、吹田二中
事件、八鹿高校
事件、その他
全国の高校で学校に糾弾という
事象が持ち込まれた、その
最初の年でありますが、昭和四十四年の矢田
事件が起こって、それが
裁判でどう見られたか。お配りしています「
部落問題に関する基本的判例」の一番を御覧いただきたいと
思います。
これ、刑事
事件は一審無罪ということでありましたけれど、検事控訴の結果、二審で有罪になり、最高裁でも有罪が確定しています。
この刑事
事件と民事
事件の違いというものを簡単に申し上げますと、刑事
事件は被害者側の告訴などによりますけど、検察官が公訴を提起し公判を維持します。そして、被告側の弁護団、被告の防御権というものがあるわけでありますけれ
ども、被害者側は当時この
裁判に一切関与する道もなかった。検察官は事実関係の立証だけでありますけれ
ども、弁護側としてはその
背景事実、正当性の主張をいろいろやる。そういう中で、
裁判所の方として、有罪としても執行猶予を付すような場合には執行猶予になる
理由を
裁判所として挙げるわけですね。そういう中から、被告に同情的な判決がある
程度出てまいります。
しかし、これから挙げます吹田二中あるいは八鹿高校
事件など、刑事
事件としても厳しく有罪認定されました。
矢田
事件は何かというと、その年の二月に行われた組合の支部の役員選挙に立候補した中に、進学のこと、
同和のこと、いろいろ重要な問題があって私
たちの仕事が夜遅くまでやらなきゃならぬ、上の方から管理的な締め付けもあると、そういう中でどうして労働条件守るか、こういうことを訴えた役員の立候補の挨拶状、はがきにやった短いものが、この
同和のことというのが
一つ入っているのが
部落差別を助長するものだ、あるいは助長するおそれがあるものだと言って、学校で勤務中の
先生を連れ出して公民館に運び、十数時間にわたって暴力的な監禁をやった、これが逮捕監禁
事件として刑事
事件になりました。
大阪市教委は、この
解放同盟の言い分をそのままのみ込んで教員らを別の学校に配転し、さらに教壇に立てない、引き離すように
教育研究所というところへ閉じ込めて数年もその
状態が続いたのであります。
それについて民事
事件の方で私
たちが原告側の代理人となってやった判決がここに紹介しておるものでありますが、問題は、この市教委などが言う、
同和教育の
推進あるいは
同和問題の
解決を阻害するおそれのある文言を記載したものだと、こういうものが
差別文書であると言うけれ
ども、元々何が
差別であるかということを一義的に捉えることは極めて難しいんだと。しかし、この被告側が言っておるこれがそうだということにはならない。
同和教育の
推進あるいは
同和問題の
解決を進めるについて様々な
意見や理論的対立が
存在することが考えられるが、特定の思想なり
運動方針に固執する者が右のような
差別文書の定義を採用するときは、容易に
反対の
意見を封ずる手段として利用され、
同和教育の
推進あるいは
同和問題の
解決に対する自由な批判、討論が不活発となり、この問題に対する開かれた自由な雰囲気がなくなって、ついにはそのような考えを持つ者の
存在をも許さないことになる。
まさに自由な
意見交換ができなくなるような
社会であっていいのかというのがこの判決なのでありまして、先ほどちょっと紹介しました
啓発推進指針が
新井参考人の
資料で配付されていますから、ちょっとその部分を紹介したいと
思いますから御面倒でもこれを見ていただきたいと思うんですが、初めから五枚目ぐらいのところに大きい字で
地域改善啓発推進指針、昭和六十二年三月の総務庁の長官官房
地域改善室長の都道府県知事、政令指定都市に対する通知がありますが、これは、その次にいろいろ目次が出てくるわけでありますが、どういうもので作られたかといいますと、昭和六十一年に、それまでの
同和行政の振興やそれに関する多くの
裁判例が出た、これから後紹介しますが、そういう中で、これまでの
同和行政を見直す必要があるということで、六十一年に地対協基本問題検討部会というものがつくられて、これは専門家、主に学者の
人たちで、
運動関係や役所も入らずに、専門家で基本問題検討部会がやると。これがその年の十二月に
意見具申、全体協議会の
意見具申となりました。
これを受けて、
政府はそれまでの
地域改善対策を終了させて、ごく特定の
地域改善の財源を確保するという
法律に変えていくんですが、その際に
同和行政について根本的な見方を変える必要があるということでこれを出したものなんです。
その基になった基本問題検討部会
報告書の中でどういうことが言われているかということをちょっと紹介いたしますと、こういうことを今の判例を引用しながら言っている。判例の
名前は書きませんが、検討部会
報告書の中で、
差別行為のうち、侮辱する意図が明らかな場合は別としても、本来的には何が
差別かというのは一義的かつ明確に判断することは難しいものである、民間
運動団体が特定の主観的立場から恣意的にその判断を行うことは、異なった
意見を封ずる手段として利用され、結果として異なった理論や思想を持った人々の
存在を許さない独善的な閉鎖的な
状況を招来しかねないことは判例の指摘するところであると。この判例の指摘するというふうに地対協
意見が言ったのが、今言った矢田
事件の
大阪地裁の判決なのであります。
そしてまた、この同じような学校への糾弾
事件は、次の、この判例の二ページの三番目の吹田二中
事件というものを見ていただきたいんですが、これは矢田
事件の二年後の昭和四十七年、三年になりますか、八鹿高校
事件の二年前に起こった、起こされた
事件でありますけど、これは解同、
解放同盟の支部の推薦を受けて、支部の指導に従いますという一札を入れて
教育委員会から採用をされたという極めて教員採用に関わる不可解な事案でありますが、その女教師が実際に勤務に就いてみると、
解放同盟の言われるような形で学校の授業をやっていくわけにはいかないということで、それから離れるということを、それを支持する教員も出てきました。そうすると、学校へ押しかけて、これらの教員を罷免しろと、辞めさせろということで学校へ二週間にわたって大量動員をして授業ができなくなる、こういうふうな
事件があり、その中で、教師に対する暴力
事件は刑事
事件として起訴され、有罪になりました。その教員
たちを、同じ吹田市内ですけど、別の学校へ不当に配転したということで、その配転取消しの訴訟が
大阪高裁の判決で認められました。
この判決の中身をちょっと読んでみますと、解同支部が公的な場所、しかも中学生の
教育現場に二週間も大量動員をして糾弾闘争をし、生徒を巻き込み
教育現場に大混乱を発生させた、これは現行の法秩序から見れば暴挙と言うべきである、市教委及び校長は毅然として支部に学校からの退去を求め厳重に抗議すべきであった、抗議が聞かれないときは秩序回復のため警察力の導入も要請すべきであったというふうに、学校秩序に対する侵害という事態についての
裁判所の判断を示しました。
ついでに言いますと、最高裁は、同一市内の配転というものは教職員の
裁判で訴える利益はない、法的利益はないから却下せざるを得ない、しかし、この却下の判決であるのに、二審の判決の事実認定を延々と援用して、そして、その後ろに、原判決がこういうふうに判断したことは首肯できないでもない、つまりそれは是認することができる。つまり、最高裁として、当時この矢田
事件、吹田二中
事件がいずれも最高裁へかかって、同じ部にかかって判決が一週間後になされました。当時、私
どもは、
調査官に早く判決をと要請している中で、最高裁として
同和問題について座りのいい判決を今考えておられるということを漏らされたことがあります。つまり、最高裁も却下の判決だけしたのでは、この事案の問題点について判断をしないことになる、だから二審の判決をということであります。
かなり時間をオーバーしてしまいました。簡潔に、結論になります。
八鹿高校
事件については、皆さん既にこの
委員会審議の中で紹介されているというので、まとめますが、民事の判決では、この学校が解放研、
解放同盟が指導する学内の研究会を置くというようなことは、
教育上それは許されないのは当然だということを言っております。
そういうふうなこれらの
事件を受けて、
啓発推進指針に至る地対協の基本問題検討部会やあるいは地対協の
意見書において、
教育現場におけるそれはもちろん、新たな
部落問題の
解決に障害が生じた、それは民間
運動団体の著しい介入が
行政の主体性を奪ったということを言っています。
あと、私のメモの方に戻りまして、簡潔に
あと二分ぐらいで終わりにします。