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参考人(
金尚均君) 初めまして、京都から参りました
金尚均と申します。
私の方では、現在
審議されております
人種等を
理由とする
差別の
撤廃のための
施策の
推進に関する
法律、これに関しまして本
国会での成立を賛成したいというふうに
考えております。そういったような
理由から、以下、私の
参考意見を今後の
審議のために供したいというふうに存じております。
まず、その背景につきまして、
日本政府は一九九五年に
人種差別撤廃条約に加入いたしました。本
条約が一九六五年に国連で全会一致で採択されてからまさに三十年後の出来事であります。この間、
日本におきまして
差別問題はなかったのかというふうに問いますと、在日朝鮮人問題や被
差別部落の人々に対する
差別というものは依然として存在し続けたわけであります。しかし、国内法の整備はこの
条約に伴って整備されてこなかったんです。このような状況に対しまして、国連の
人種差別撤廃委員会から
人種差別禁止法の
制定が勧告されるといったような始末でございます。国際
社会の一員として、
日本におきましてグローバルスタンダードとしての
基本的人権の保障と
人種差別の
撤廃のために国内の立法作業が急務というふうに言えます。
人種差別を
規制する
法律がないという
日本の法事情の中、二〇〇〇年頃から外国人、とりわけ在日韓国・朝鮮人を標的とする誹謗中傷やインターネット上の書き込み、そして公共の場での
デモや街宣活動といったものが目立ち始めました。それは、従来の
差別事件のように公衆便所や電信柱などにこっそりと誰が書いたのか分からないかのように陰湿に
差別落書きなどをするといったものとは異なりまして、公共の場で行われる、まさに
差別表現であります。それは、自らの姿を隠すこともなく公然と拡声機などを用いて
差別表現を並べ立て、罵詈雑言並びに誹謗中傷を繰り返すのであります。その
表現は、例えばゴキブリ朝鮮人を殺せ、朝鮮人を海にたたき込めなどと攻撃的、凶悪的、排除的であります。しかも、駅前や繁華街などにおいて参加者並びに一般の人々に対して
差別をあおり、賛同者を集めようとする極めて扇動的な
差別行為であります。
日本社会におきますこのような
人種差別を象徴する事件といたしまして、京都市の南区にありました京都朝鮮第一初級学校に対する襲撃事件を挙げなければいけません。本件は、二〇〇九年十二月四日に起こった事件ですけれども、京都朝鮮第一初級学校前並びにその周辺で三回にわたり威圧的な態様で
侮辱的な
発言を多く伴う示威活動を行い、その映像をインターネットを通じて公開したといったようなものです。本件では、事件現場で司法警察職員がいたにもかかわらず、現行犯逮捕はおろか中止又は制止することもなく、漫然と
刑法上の犯罪
行為並びに民法上の不法
行為を静観していたというものです。警察のこのような態度が被害を深刻化させると同時に、
人種差別表現を
社会に蔓延させる決定的な要因になったということは否定できません。
被害者当事者によります民事訴訟の提起に対して、京都地裁と大阪高裁は次のように判示いたしました。つまり、一般に私人の
表現行為は
憲法二十一条一項の
表現の自由として保障されるものであるが、私人間において一定の集団に属する者の全体に対する
人種差別的な
発言が行われた場合には、上記
発言が、
憲法十三条、十四条一項や
人種差別撤廃条約の趣旨に照らし、合理的
理由を欠き、
社会的に許容し得る
範囲を超えて他人の法的利益を
侵害すると認められるときは、民法七百九条に言う他人の
権利又は
法律上保護される利益を
侵害したとの
要件を満たすべきと解すべきとし、それゆえ
人種差別を
撤廃すべきものとする
人種差別撤廃条約の趣旨は、当該
行為の悪質性を
基礎付けることになり、理不尽、不条理な不法
行為による被害感情、精神的苦痛などの無形損害の大きさという
観点から当然に考慮されるべきであると判示いたしました。そして、その判示により
名誉毀損と業務妨害を認め、
人種差別撤廃条約違反をその悪質さの根拠とし、加害者側に約千二百二十六万円の
損害賠償を命じたわけであります。
本
判決は、
人種差別表現が不法
行為に該当し、その違法性は通常の
名誉毀損に比べて高いといたしました。本件は二〇一四年十二月九日をもって上告棄却され、確定いたしました。これにより、
日本におきましてヘイトスピーチが
人種差別であり、
人種差別撤廃条約に反すると初めて
判断いたしました。本
判決の
意義は、
日本におきまして
表現行為による
人種差別が違法であり、しかも重大であることを示したところにあります。
京都朝鮮学校に対する事件は
人種差別の問題を
社会と司法において顕在化させ、
人種差別を防止する立法の
必要性を明示させたのであります。本
判決が嚆矢となりまして、
日本社会において
人種差別を撲滅するための
社会的取組を改めて活発化させ、立法機関である本日の
法務委員会での
審議テーマとして
人種差別撤廃のための立法が
検討されるまでに至りました。
立法の
必要性につきまして、この京都事件では、
人種差別の認定に際しまして
憲法九十八条二項を介して
人種差別撤廃条約を間接適用いたしました。繰り返しになりますが、これは現在国内法が
日本において整備されていないからであります。間接適用とは国内法に直接の
法律がないことを
意味しており、その適用は極めて法技術的であり、法的安定性を欠き、それゆえその適用に際しても敷居が高くならざるを得ません。
人種差別を
撤廃するための
法律が
条約の国内立法のための法整備及び京都事件における司法府の
判断というこの二つの
意義を持つことに照らすならば、新たな
法律の第一条の目的
規定におきまして、
日本国
憲法第十三条及び第十四条はもちろんのこと、それにとどまらず、
人種差別撤廃条約、自由権規約なども
規定の中に盛り込む必要があるというふうに
考えております。
人種差別は、
社会において支配的な勢力を持つマジョリティーがマイノリティーに対して攻撃を行い、マイノリティーが人権の主体であり
社会の構成員であることを否定し
社会から排除するという、看過できない、まさに人間の尊厳の
侵害であります。これはまさに、
人種差別がなぜ許されないのか、しかもこれを
撤廃するための
法律が何のために必要なのか、そこでは何が保護すべきなのかということを明らかにしております。それゆえ、
条約を
規定に盛り込むことは、
法律を適用する際の明確な解釈指針というふうなものになり得ます。
この目的
規定を受けまして
差別を禁止する
規定を定めることが肝要でございます。
禁止規定を
制定することにより、司法、立法及び行政の三権の実務におきまして
人種差別による被害とその危険性の理解を促進することができます。さらに、実害と被害があるにもかかわらず適切な対応を取ることができないままでいた立法、法の適用及びその執行の実務の在り方を、人間の尊厳の保護の見地から見直す重要な契機となり得ます。
例えば、
差別団体による
人種差別を扇動する
デモが現在でも行われておりますが、これに対抗する人々も確実に増えております。
人種差別をやめさせようとする動きは確実に各地で活発になっております。しかしながら、
人種差別に対する明確な実定法がない状況で、
デモの交通整理をする司法警察職員がややもすれば
人種差別をする人々を擁護しているかのように見える場面も多々生じております。その一方で、
人種差別に対抗し平等を訴える人々に対して司法警察職員が強圧的な態度を取らざるを得ないという錯綜した状況も生じております。これはまさに、
差別禁止規定がない事情の下、中立と公共の安全の保持の名の下に道路使用許可を得ているか否かだけで保護
対象とそうでない者を割り切らざるを得ないことを表しております。
人種差別を
撤廃する実質的な担い手は
社会に生きている私たち人間であり、私たちで構成される
社会の自己
解決能力であります。この平等の
実現の追求を支えるのがまさに
法律であるというふうに
考えるべきでしょう。結果的に
差別をする側を擁護することになる行政実務を変えるためにも
法律の
制定が早急に求められるというふうに
考えていいかと思います。
なお、
人種差別禁止規定の
制定に関しまして、
特定個人に対する
人種差別に焦点を狭めるべきではございません。なぜなら、
人種差別はある属性によって特徴付けられる集団そのものに向けられるわけでありまして、たとえそれが
個人に向けられる場合であっても、それはその人の属性、すなわち集団を
理由に不当な扱いを受けるからであります。まさに、ヘイトスピーチがこれに当たります。
その証拠に、京都地裁
判決では次のように判示しております。すなわち、一定の集団に属する者の全体に対する
人種差別発言が行われた場合に、
個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、
人種差別がなされたというだけで裁判所が当該
行為を民法の七百九条の不法
行為に該当するものと解釈し、
行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じるというようなことは、不法
行為に関する民法の解釈を逸脱していると言わざるを得ず、新たな立法なしに行うことはできないと判示しております。
同時に、この京都事件を扱った司法府は次のようにも判示しております。
本件示威活動における
発言は、その
内容に照らして、専ら在日朝鮮人を我が国から排除し、
日本人や他の外国人と平等な立場で人権及び基本的自由を享有することを妨害しようとするものであって、国籍の有無による区別ではなく、民族的出身に基づく区別又は排除であり、
人種差別撤廃条約一条一項に言う
人種差別に該当するものと言わざるを得ないと判示いたしました。
これら二つの判示からうかがえることは、
個人の名誉のみを保護する
現行法の
名誉毀損と、
特定の集団に向けられた極めて有害な
人種差別表現に対応する手段がないという、いわゆる現在の法の間隙又は法の不備を認め、立法による早急な対応、つまり集団に向けられた
人種差別表現に対する
禁止規定の
制定を司法府は促しているわけです。
次に、被害実態調査につきまして述べますと、
社会における
人種差別思想を正確に把握し、適切な立法並びに
施策を
推進する前提として実態調査を制度的にかつ定期的に実施すべきであります。
日本政府は国連の
人種差別撤廃委員会で次のように述べております。
我が国の現状は、既存の法制度では
差別行為を効果的に抑制することができず、かつ、立法以外の
措置によってもそれを行うことができないほど明確な
人種差別が行われている状況にあるとは認識しておらず、
人種差別禁止法などの立法
措置が必要であるとは
考えていない旨を
発言しております。
しかし、このような
日本政府の所見は、まさに政府レベルにおける
人種差別事案に関する実態把握をしておらず、そのため客観的なエビデンスがないということを証左するものであります。さきに述べました国連の認識と
日本政府の認識の乖離を回避するためにも被害実態調査の定期的実施をするための立法が必要と言えます。
最後に、
人種差別は一定の集団とその構成員である諸
個人を
社会から排除ないし否定しようと仕向けるものであります。
人種差別は
個人に対する
害悪であるだけではなく、
特定の集団そのものの否定、つまり
社会における共存の否定であります。
私たちは、二〇一五年七月から九月の間、高校生を
対象に被害実態調査を行った結果、ヘイトスピーチなどの
人種差別が生身の人間の心身を傷つけることを再確認することができました。さきに述べた京都朝鮮学校事件では、裁判を通じまして、
人種差別の標的とされた集団が沈黙、無力化し、ひいては自尊心を喪失させられ、
社会への参加が困難になる事態にもなりかねない、そのような深刻な被害の実態、現実が明らかになりました。
人種差別は、人間を傷つけるだけではなく、
社会そのものも傷つけるということを私は改めて強調しておきたいわけです。一定の集団又は構成員に対する
差別と排除によって、その構成員の人権の享受を阻害し、しかもこれを同時に正当視、当然視する
社会環境を醸成する、このような危険な事態が
人種差別なのであります。
他方で、
人種差別は私たちこの
日本社会の民主政をも損ないます。民主主義という決定システムは、一人一人の
個人が
社会の構成員として対等かつ平等な地位が認められ、
社会の諸決定に参加するということが保障されなければいけません。
人種差別を野放しする
社会は、
社会の構成員の中の一部の人々を不当に排除し、二級市民扱いし、ひいては人間であることを否定する、そういったことで、多様性や差異を認めない
社会となり果て、共に生きる
社会、すなわち共生
社会を否定することになります。これはまさに私たちこの
日本社会の民主主義の自壊であるということを忘れてはなりません。
以上です。