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吉良よし子君
地方自治体が自主的に、それぞれが判断するんだということで、どういうやり方か、それぞれがお決めになることだという
お話なんですけれ
ども、問題は、こうしたツタヤ図書館というところが、いわゆるですけれ
ども、ツタヤ図書館が武雄だけじゃなくてもう全国展開されようとしているわけですよ。海老名や多賀城、周南など、そうして広がっているというところがやはり私、問題だと思うわけです。
もちろん自主事業という
意味で、
先ほどコーヒー店などの例を挙げましたけれ
ども、もちろん市民の憩いのための軽食スペース、これがある図書館というのはそうじゃなくても全国にあるわけで、それを私、否定しているわけじゃないんです。でも、それらはあくまでも、知の拠点として、教育機関としての役割を図書館が果たしているという前提に立った上でのことなわけですよ。商業施設の中に図書館という名の貸本スペースが設けられているという形では、公の施設の目的、
先ほど水準
確保ということをおっしゃられていましたけれ
ども、それを達しているとは言えないと思うわけです。
例えば、武雄と同じくCCCに委託された多賀城の図書館のコンセプトを見てみると、食事もお酒も楽しめるスペースづくりがうたわれているわけです。いつから教育機関であるはずの図書館が食事もお酒も楽しめるような商業スペースとなってしまったのでしょうか。
私、この間、長年図書館で働いていた方から
お話を伺ったんです。そもそも図書館とはどうあるべきかと。そもそもは持ち寄り文庫などが発祥の図書館であり、だから、図書館の財産である蔵書というのは市民の共有の財産なんだ、それを市民の税金で維持管理して、そして誰もがその知識を享受できるように図書館とは無料
サービスを基本としているわけですと。こういう成り立ちから見れば図書館というのはそもそも利潤追求とは相入れないんだという話なんです。
そして、働いている皆さんが強調されていたのが、図書館で大事なのは、その
地域で二十年後にも読まれる蔵書をつくることなんだという
お話なんです。とっくに廃刊になってしまったような古い本、これを孫に読ませたいと言って来る
利用者さんがいるとか、郷土史の資料を探しに来る
利用者さんがいるとか、そうした
利用者のために普通の本屋には売っていない資料も蔵書として保管することで、二十年、三十年、
地域に根付いた知の拠点としての図書館の役割が果たせるということを言っておられた。そうした蔵書づくり、知の拠点としての役割がいわゆるツタヤ図書館では後回しにされてしまっているのではないでしょうか。それは、武雄において市民の利用が減っている、その事実を見ても明らかなのではないかと思うわけです。
こうした経過の中で、先日は小牧市で住民投票が行われて、CCCに図書館の管理を委託しようという計画に市民が住民投票でノーの審判突き付けたわけです。
市民だけじゃないわけです。三月二十二日にこの問題で伺ったときに、
総務省からは、図書館を含みます社会教育施設につきまして、
地方公共団体からは、教育機関、
調査研究機関としての重要性に鑑み、様々な
意見がありまして、結果として、実態としては、現在のところ、
指定管理者制度の導入が余り進んでいない
状況でございますとの答弁があったわけです。
各
自治体において図書館の指定管理制度の導入が今余り進んでいないという
状況、これこそが、私、図書館は指定管理になじまないという
自治体からの結論だと思うわけですが、その点いかがでしょうか、
大臣。