○室井邦彦君 おおさか維新の会の室井邦彦です。
私も、四月十五日に
益城の方に、
熊本空港から
益城町の方に、しっかりと現場を視察、また見てまいりましたけれども、私が翌日、
熊本空港から
益城町まで約八キロほどあるわけでありますけれども、空港から一キロほどは車が進んだわけでありますけれども、約七キロほどは、もう渋滞で全く、自衛隊の車、救急隊の車、渋滞で前に進みませんでした。我々はそこを六キロ、七キロ歩いて
益城の現場を、
益城だけでありましたけれども、視察をしてまいりましたけれども。
私も、阪神・
淡路大震災、これの
被災者でもございますし、我が家も中壊ということで公費解体ということになりましたけれども、
現状、やはりすごい悲惨な状態でありましたし、そこにお住まいの、五十年も六十年も住んでおられる高齢者の方は、もう
余震が来ると家が恐らく倒壊するだろうと分かっていてもその家から出ようとされないというそのお気持ち、これもよく、私も阪神大
震災で見てまいりましたし、理解もするところであります。本当に悲惨な状態で、悲しい
状況を再び見てまいりましたけれども。
ちょっと
大臣には申し上げていないのでお答えいただく必要はないんですけれども、私が今日テレビで見ていますと、千百三十九回ということでありました、
余震が、
震度一以上が。事務所に入ったのが八時過ぎですか、そうすると、千百今度は四十三回ということで、私が今質問している間にまた
余震か何か起きているのかなという、非常に不安な思いでもありますし、
馬場議員の心配な悲壮な思いを私も手にとって理解できる立場の者でありますが。
原発は一旦稼働するともう止められないのか。四十年で停止ということを言っておられて、また再稼働されておられますけれども、一番
九州の方々に
安心感を与えるためには、ちょっと様子を見て、川内原発は止めるというふうにしてあげた方が、非常に
九州の方々はこの不安定な思いの中で、またどのような大きな
余震が来るのかも分からないという、そういう不安の中で、もう体が
揺れを覚えていますので、ちょっとした
地震でもさっと察知するというか自然体に体で
揺れを覚えるという、こういうことになります。
私も随分、一年間、二年間、いまだに、麹町の大きな建物でありますけれども、
揺れが来ると、もうトラウマになっておりまして、あのときの記憶がよみがえるわけでありますけれども。むしろ、そのように一時様子を見る、止めると、そしてまた落ち着けば、終息すれば再稼働されてもいいんじゃないのかなという、そんな思いがあります。一言申し上げておきたいなということで、質問に入ります。
この自然
災害というのは、もちろん想定外のことが、人間には想像できない想定外のことが起きるということは、我々も大きな
地震を経験して教訓を得ました。しかし、なかなかその教訓を生かされていないな、こんな思いもありますし、その原因は、やっぱり国と地方との
情報交換のパイプといいますかそういうことを、いわゆる自然大国といいますか、活動している火山が百以上まだあるという
現状で、日本列島の中には、二千という方もおられるし二千五百の活断層が走っているということも言われていますし、島国だからいつ海外から大きな
地震で津波が襲ってくるかも分からないという、三百六十五日そういう構えをしておかなくちゃいけないんじゃないのかなと、私はもうそう思っております。
そう考えたときに、やはり国と地方との
情報交換、パイプというものがまだまだなされていない、徹底されていないんだなと。くどいようでありますけれども、想定外のことが起きると、この自然
災害は、それを十分にまた踏まえていただきたい、このように
被災者の経験者としてくどく申し上げておきたいと思います。
そこで、今回も、このようなことがありまして、
本庁舎を司令塔としておったんだが全く
機能していない、
機能しなかったということで、
庁舎機能を移すということまで思ってもしていなかったし考えてもしていなかったという、こういう話がありました。
そこで、国交省としてというか、国交省じゃございません、お聞きしたいんですけれども、
市町村において、非常時あらゆる事態を想定したところで
業務継続を可能とするという、その体制の準備を考えておられるのか、されるのか、そういうことを考えたときにどのような整備
状況であるのか、その辺を、
加藤内閣府政策統括官がお答えするということになっておりますけれども、どうなんでしょうか。