○平野
委員 大臣がおっしゃられた視点、これはもう
馳大臣がそう思っているということですから、中には、私もそのとおりだなというところはるるあるわけであります。
そういう中で、視点を見たときに、一番大事なことは何なんだろうかと思ったら、やはり人口動態ですよね。これはもう明らかに、三十年後、二〇五〇年前後については、今の統計、シミュレーションでいくと一億人を切る、こういうシミュレーションになっているんですね。一億人を切ってくるということは、
日本の活力というのは、人数が減るわけですから活力が落ちるということはもう間違いのない事実です。
だけれども、活力が落ちていくということは
日本の国力が落ちていくということにつながるわけですから、落とさないようにするためにはどんな
人材が要るんだろうかということは当然必要になってくる。
一方、人口動態ですから、若い人ばかりがふえている一億人なのか、いや、お年寄りがふえて、担い手となる次の若い人が少ないのか。
今、統計的にいったらどうなんでしょうか。お年寄りを支えている現役世代というのは、三人で一人を支える、これが、二〇五〇年ぐらいになると、一人の働き手が一人のお年寄りを支える、一、一で、肩車をして支えていく。今は騎馬戦で支えているというこんな状態なんでしょう、多分、想像するに。
そうすると、一、一で支えていくために、どんな
人材が一、一で支えられるんだろうかということをやはりしっかりと私は見据えておかないといけない。そういう意味で、私は、今、三十年先を考えましたが、今度は過去にさかのぼって、三十年前はどうだったんだろうかということをずっと見てみました。
三十年前というのは、例えば働く担い手の領域でいきますと、どのぐらい働いていたのかなということを考えますと、大体四千四、五百万人が労働人口でした、数字をちょっと調べたんですけれども。そのときに、非正規という働き方、どのぐらいの人が非正規なんだろうというふうに見てみました。そうすると、大体一五、六%でありました。
三十年後に近い今日はどういう状態になっているかというと、労働人口で大体五千三百万人ぐらいになっていますが、非正規が大体四〇%にふえていっている、こういう状態なんですね。
そうすると、この状態がこれから三十年後にどんな状態になっていくんだろうか。ここは、私はまだよくわかっていません。しかし、間違いなく、減るということにはならないんだろうというふうに思うんですね。その中で、正規の労働人口というのはほとんど三千万人ぐらいで、ほぼ一定ですよ。非正規が一六%から大体四〇%まで膨らんだ、このことをしっかり見ておかないといけないんだろうというふうに実は思っています。
そんな中で、私、三十年前というのはどうなんだろうと。三十年前といったら、
馳大臣、幾つのときですか、三十代ですか、三十ぐらい……(
馳国務大臣「二十代です」と呼ぶ)二十代。そのころはどんな
我が国だったんだろうな、こういうふうにちょっと調べてみました。ちょうど、八六年ぐらいというのは、バブルの……(
馳国務大臣「バブル全盛のころです」と呼ぶ)そうですね、景気の時期でした。
一方では、少子化が少しずつ出てきた、こういうときで、数年後の八九年ぐらいに一・五七ショックというのが出てきた時代なんですね、三十年前。
よく財務省と
文科省の闘いみたいにここはなっていますけれども、財政面で見たらどういうことかといったら、七五年ぐらいから特例公債を発行し始めたんですね。それまで発行していないんですよ。発行し始めた。それで、公債依存度がずっと高まってきたものですから、財政再建ということをうたわれたんですが、バブルが来たために公債発行がいっときはとまったんですが、また急激に膨らんでいった時代の変遷を経ているんですね。
先ほど、大臣、いみじくも言われた、
世界の
状況というのはどうなんでしょう。こういうことを見ますと、ソ連の崩壊を含めてアメリカ一国の秩序、こういうところ、あるいは紛争の拡散等々がずっと、
世界の動きがこの辺から動き出したことも事実です。これがちょうど三十年前ですよ。
したがって、今いろいろな問題が起こっている要因というのは三十年前にもう芽生えている、このことをやはりしっかり踏まえておかないといけないんだろう、こういうふうに思うんです。
一方、
日本の
生活様式、これも大きくやはり変わってまいりました。
特に、きょうは文教ですから
教育面について申し上げますと、その当時というのは学歴
社会でしたよ。
大学に行きなさい、行きなさいという発想で、進学率がどんどん膨らんでいった時代。あの当時の進学率で申し上げますと、三十数%だったんじゃないでしょうか。今、進学率は五十数%でしょう。こういう時代。また、
教育部門でいったら、詰め込みではいかぬぞというので、ゆとりという概念をそこへ入れていった。ゆとりを入れたんだけれども、どうしても学力が落ちてきたので、ゆとり
教育を転換してきた、こういう変遷をしていると思うんですね。
一方、大臣が二十代とおっしゃいましたが、この三十年間、特に、公
教育と言ったらいいんでしょうか義務
教育と言ったらいいんでしょうか、
教育というふうに言った方がいいのかもしれませんが、どのように、そういう変化の中で
教育に変化を求めてきたのか、あるいは
教育政策をそういう変化の中で追求をしてきたのか、推進をしてきたのか。あるいは、そのベースになる
基礎教育でいきますと、カリキュラムでありますとか
学校の
整備の関係をどういうふうにやってきたのか。
この三十年でどういうふうに時代が変わったのでこういうふうに
教育は変えてきましたというところは、大臣から見たらこれだとあれば、長くは要りません、二、三、言っていただいたらいいと思うんですが、どうでしょうか。