○熊谷大君 先般行われました
委員会視察につきまして、その
概要を御報告申し上げます。
去る二月二十四日、
法務及び
司法行政等に関する
実情調査のため、宮城県の塩竈市及び仙台市を訪れました。視察
委員は、魚住
委員長、三宅理事、有田理事、真山理事、足立
委員、矢倉
委員、
仁比委員、田中
委員及び私、熊谷の九名でございます。
まず、仙台市からバスで塩竈市を訪れました。車中、
法務省より、
法テラス被災地出張所における
業務内容、震災
特例法の下における
東日本大震災の
被災者支援の円滑、迅速な
実施及び
技能実習制度の
概要について説明があった後、現地において、佐藤塩竈市長、協同組合連合会塩釜水産物仲卸市場の大井専務理事及び視察先である三波食品株式会社の代表取締役でもある宮城県水産加工業協同組合連合会の内海会長と、
東日本大震災からの
復興への
取組と現在における
課題等について懇談する機会を得、お話を伺いました。
次に、水産加工品の製造販売業を営む三波食品株式会社を訪問いたしました。同社は、
外国人技能実習の
実施機関ですが、同社の
監理団体である塩釜魚市場水産加工業協同組合の代表理事組合長でもあります内海代表取締役と同社松本専務取締役から塩釜の水産加工業における
外国人技能実習の実情等について説明を伺った後、工場内を視察いたしました。
三波食品株式会社からは、塩釜魚市場水産加工業協同組合として
平成四年から
外国人技能実習生の
受入れを開始し、当初、
技能実習実施機関として十社が登録、これまでの実績として中国人を六百十三名、インドネシア人を十三名受け入れていること、
受入れ開始をした当初の三年間ほどは日本と中国との
歴史、文化の違いに苦労したものの、その後は特に大きな問題もなく、入国管理局の指導を受けながら、組合としても
監理団体としてかなり厳しく取り組んできたこと、
東日本大震災当時は中国人
技能実習生がほとんど帰国してしまい、インドネシアから
技能実習生の
受入れを開始したこと、三年間の
技能実習を終えた実習生からは、また来日したいという要望もあること、中国
国内は、二十年前と比べ
生活水準が上がっている上、従来の中国における一人っ子
政策の影響もあり、
子供を来日させたくないと考える親もいるため、
人材確保が難しくなってきていること、そのため、最近は、ベトナム大使からの要請もあり、ベトナムからの
技能実習生の
受入れも
検討していること、来日した
技能実習生に対しては、日本で三年間、高度の技術とともに
歴史、文化、習慣を学んだ上、母国に帰って日本との懸け橋にならなければいけないと伝えていること、日本で技術等を習得した
技能実習生が、帰国後、大手企業に就職し、通訳も兼ねて仕事を行っており、かなり重宝されていること、三年という実習
期間は
人材を育てるという点では短いのでもう少し長くしてほしいし、また日本に戻ってきて更に技術を磨いた上、その技術を現地に持ち帰ってほしいと考えていること等の説明がありました。
次に、塩竈市からバスで仙台市に戻りました。車中、仙台
法務局より、同局管区内における
東日本大震災の発生に起因する
登記所備付け
地図の修正その他の復旧・
復興事業の
概要とその過程における様々な困難な
課題について説明があった後、宮城
刑務所を訪問いたしました。まず、
刑務所内の医務棟、病棟、収容棟、工場などを視察した後、松村宮城
刑務所長、新妻医務部長から、
矯正医官を
確保する上での
問題点等について説明を聴取いたしました。
宮城
刑務所からは、
医師不足のため
医師が不在となっている施設も多く、その場合、
医師会に御
協力いただいたり、宮城
刑務所から応援に行くこともあるが、
医師が日替わりで来るため、治療方針がなかなか一定しないといった苦労があること、大多数の施設は
医師の配置が一名のため、一人で診療を行わなければならず負担となっていること、
医師としての能力を向上させたいと考えても、外部での研修の機会がなかなか取れないこと、兼業やフレックスタイム制が可能となれば、
医療技術の
維持、向上を図ることができるし、
地域医療にも貢献できると考えていること、
矯正医療について外部委託を行うことも考えられるが、そもそも受託先の
医療機関がほとんどなく、委託費は国が
運営するよりも高くなってしまう上、外部の
医師では判断できないような
刑務所特有の事情もあるため、
矯正を
理解している
医師が必要であること、離島手当のような
矯正医官への手当の交付を含めた給与水準の改善、六十五歳という定年年齢の引上げを
検討してほしいこと等の説明がありました。
以上が
調査の
概要であります。
最後に、今回の
調査に当たり、御
協力をいただきました
関係各位に対し、厚く御礼申し上げ、報告を終わります。