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参考人(
佐々木信夫君)
佐々木信夫でございます。よろしくお願いします。
今、
井戸先生がいろいろ、道州制の話も比較的消極的な
お話を結論的にされましたが、
自己紹介という
意味で申し上げますと、「
人口減少時代の
地方創生論」という、本当は全員の方に財力があればお配りをしたかったんですが、第六章のコピーだけが実は付いておりますけれども、
メーンタイトルは「
人口減少時代の
地方創生論」なんですが、この中身は、実は「
日本型州構想がこの国を元気にする」というこちらが、サブタイトルが
メーンでございまして、
出版社が逆に付けたというだけでありまして、今の
地方創生論で皆さんは読んでくださるのかなということで付けたんだろうと思います。
廃藩置県以来の、あえてキャッチフレーズで申し上げますと、古い
システムにいつまでしがみつくのか、これは
問題提起でありますので。
九州だけでオランダ、
東北だけでスウェーデンと、これだけの
経済規模が各
地域にあるにもかかわらず、それがいわゆる
気付きの
社会になっていないという。
東北なら
東北、
九州なら
九州がこれだけの国に相当する活動をしているということがそこに住んでおられる
方々には気付く
仕組みになっていない、言われるのは
東京一極
集中と、こういうことで全部くくられるわけですが、実はそうでもないわけであります。
東京一極
集中はこれからの
日本の
最大のリスクと、こういうことも書いてございます。
挑戦的に
お話をするというわけでは全くございませんで、私は私の考えていることを述べさせていただきたいと思いますが、いただいたテーマは、どちらかといえば
市町村レベルの
広域行政について今どうなっているかということでありましたので、国の形を大きく変えるという
議論は、もし必要とのところで
議論できればと思います。そういう
レジュメは実は用意しませんで、
市町村レベルのいわゆる
広域化時代にどういう
仕組みが今あって、今、
地方制度調査会の
委員もやっているものですから、今日五時からもございますが、
人口減少時代の新たな
地方行政体制の
在り方という諮問をいただいておりますので、どうしたらいいのかなということを考えながらやっている、その中間の話みたいなものを
レジュメにまとめさせていただきました。
大きい
歴史で見ますと、二十
世紀は
人口が大変増えた、まあ二十
世紀だけが増えたと言ってもいいと思いますが、
明治維新の始まる前までの
日本というものは、八百年から一千年の間、大体一千万人。
農業国家でありますが、
交通手段も馬、船、徒歩の
時代でありますので、一千万人。
これが、
明治維新から
明治政府ができる、
内閣が
明治十八年、
国会が
明治二十三年、
都道府県制度が
明治二十三年、
市制町村制が
明治二十二年スタートですから、大体
明治維新から二十年たって
日本の
近代国家の
仕組みができ上がるわけですが、その間ざっと二十年ちょっとの間に
日本の
人口は三千五百万人に増えています。つまり、開国の
効果というか、
明治維新後の開かれた
日本の
効果というものは
日本の
人口を増やしていったと。
それから半
世紀たちまして、第二次
世界大戦で大きな失敗はありましたけれども、
人口も減りましたけれども、それでも
明治の半ばから半
世紀で七千万人という戦後の数字がございます。それから、今年、戦後七十年と言っていますが、
人口が減り始めて六、七年たっておりますが、おおむね六十年間で更に二倍になったと。一億二千七百五十万ぐらいで頭を打ったということではありますが、約一億三千万人になったと。
こういうふうに倍、倍、倍とこの二十
世紀の間に
人口が爆発をしてきたという、
アジア型近代化の
一つの特徴かもしれませんが、
大変人口が増えたと、こういう国でございました。
それが、いろんな予測が出ておりますが、どこまで減っていくのかですね。減っていくことが悲しいかどうかというのは、多分この二十
世紀が異常でありまして、
国会の中でも
是非議論、特に参議院の場合はじっくりとやっていただきたいんですが、
日本の国土に定員というのはないんだろうかと。乗り物でも建物でも学校でも、あるいは
保育所でも、一人当たりの子供はどれぐらいの面積が必要だと、こういうことを計算しているわけですが、七割が可住できない山林、山でくくられていますけれども、三割のこの
沿岸部に人が住んでいる
日本ですけれども、どれぐらいが
適正規模なんだろうかと。
つまり、一億二千五百万が望ましい
人口規模なのか、それとも今後の予想で、
中位水準を見ると大体二一〇〇年で八千万人ぐらい、
政府は一億人で止めるんだと言っていますが、それは
人口学者からいうとなかなか難しい
お話をしている話なんですが、仮に八千万人だとして、それでも
明治の
政府ができたときから見ますと、三千五百万人に対して八千万人ですから、二倍以上の
人口がありますね。
同時に、現在が一番の天井でありますので、約一億三千万人が暮らしやすい道路なり様々な
社会資本なり、あるいは個別の住宅を用意していますので、多分GDP五百兆円をハイテクによってこれから七十年、八十年維持できていくとすれば、もしかして八千万人の国が
世界で一番豊かな国になる
可能性があると。
今生きている人は多分二一〇〇年のそういう状態を見れる方はなかなかおられないので勝手なことを申し上げますが、必ずしも
人口が減っていくということは、政治家の
方々は、
兵庫県知事さんは分かりませんが、
人口が減ることは大変悲しいことで、そういう計画を作ることは望ましくないというのがどこの首長さん方でもそうでありまして、今、五か年の
地方創生論を各
地域で
政府の求めに応じて作っていると思いますが、多分足し算をしますと二億人ぐらいになる。
これ実は、十年前の
日本の
市町村計画と
都道府県計画の我が県、我が市、我が町の将来の
人口はという推計を書いてある計画書を見ますと、これも二億人ぐらいになるわけでありまして、ほとんど
意味のない数字を、科学的でない数字を言いながらそれぞれやっているわけでありますが。
急激に
人口が減ることのひずみであるとか、あるいは、非常に能力の高い
日本人だと思いますので、
人口減イコール経済が落ちていくという話にはならないんじゃないかと、
日本の場合ですね。やっぱり、そうならないようにできる能力が実はあるんじゃないかと思いますので、私は、急激に減ることのひずみというものについてうまく
対応していけるなら、仮に我が国の
人口が八千万人であるというような計算ができ上がったとすれば、この一億三千万人が暮らしやすい様々な
社会資本を八千万人で使っていくということは一番豊かな国に実はなるのじゃないかというふうにも
一つ考えているわけであります。
そこで、時間が二十分というふうになっておりますので、この二十
世紀の
人口爆発の
世紀は、実は
日本にとっては、農村
国家から都市
国家に大きく変貌していった国であったと。したがって、統治の
仕組みというものも、これだけの世の中の
変化、
人口が増えてきましたので、これまではともかく、農村
国家から都市
国家に変わっていった、この都市
国家の
時代における新たなやはり統治の
仕組みなり
行政の
仕組みというものを今構築をしていく時期ではないかと。そういう
意味では、長らく続いてきたことを大切にする
部分と、やはり
効率性、
効果性もきちっとにらんだ上でこの統治の
仕組みをリセットするという両方の視点が実は必要ではないかと思います。
レジュメをあと十分ぐらいでさらっと、皆さんの頭を整理していただくために作ってきたものを御紹介をしますと、この国と
地方の
関係、
広域行政という資料でありますが、
住民基本台帳で出している数字、一億二千六百四十三万人と。これ、最近数字が発表されましたのでもうちょっと減っていますね。大体、細かな数字はともかく、今、
日本は百二十五万人亡くなって百万人生まれているという、こういう状態でありますね。これがあと二十年ぐらいたちますと、二百万人亡くなって百万人生まれてくると。まあ、この生まれてくる方は増えるかどうか分からないんですが、なかなかそう簡単でもない。そうすると、今二十五万人ずつ
人口が減っていますが、そのうち百万人ずつ
人口が減るという、特にこれは、私もそういう年代ですが、団塊の世代、戦後ベビーブーム世代が七十五歳を過ぎていくあと十年後辺りから急ピッチで亡くなる方が増えていく、そうすると急激に
人口が減っていくと。
人口の変動要因については、
日本創成会議という、昨年五月に発表した、消滅
可能性自治体と、消滅
自治体とは必ずしも言っていないんですね。増田寛也さんは親しい方ですが、売らんがための私の本に似たようなタイトルの付け方かもしれませんが、
人口が
市町村で半数以下になっていく、二〇四〇年に半数以下になっていく。ですから、二十五年後をにらんで、
市町村で
人口が半減するところを消滅
可能性自治体というふうに名付けたようであります。もちろん、限りなくゼロになるところもあるわけでありますが、半数以下。
それを見ますと、
日本のほぼ、今千七百十八
市町村ですけれども、半分、半数が実は半数以下の
人口減になっていくと。その要因は、生まれないということもありますけれども、同時に、生まれにくい大都市
地域に、出生率の低い
地域に若い人たちが集まってきてより
人口が減っていくと、この二つのメカニズムを説き明かして問題を提起したと。
もう
一つ、
レジュメにはありませんが、今は一生懸命解説をする仕事が多いものですから、テレビ、新聞でやっていますが、統一
地方選挙が今行われて、前半が終わって、後半が日曜日から始まって今度の日曜日投票ですが、昨晩もNHKのニュース9でやりましたけれども、無競争当選が
一つのキーワードになってきていまして、私はゼロ票議員、ゼロ票議会と、こういう言葉を使った方がいいと言って、NHKも使っていましたけれども、政治的正当性が失われている議会あるいはそういう議員というものが、実は県議会議員のレベルでも二一・五%に今回なったと。これはもう戦後一番大きい数字であります。町村長でも四〇%になっていると。町村議員でも、まあ終わってみないと分からないですが、ただ締め切っておりますので、無競争については三〇%を超えていると。
国会、県議会、それぞれ、市区町村議会がありますけれども、その議会というものが、実は
地方分権を進め、さらに
地域で自ら決定をし自ら
責任を負うという
仕組みをつくりながら、一方で政策の決定者である議会というものがそういう
状況になってきていると。さらに、議員のなり手がなかなかなくなって、辞めるなら後任を探して辞めてくれというのが、少なくとも小
規模の一万人以下の
市町村の実態のようであります。
それはもう皆さん御承知のことかもしれませんが、これはやっぱり今後の
地方の
行政体制を考えていくときに
一つ大きい
課題かなと。単なる
行政をやるというわけではありませんので、やはりそこで展開されるいろんな決定なり民意を吸収をして政策をつくるということを
自治体がやろうとしますと、そこの草の根の
部分が非常に危ない
状況になってきていると。
それで、
レジュメですが、
行政対応の
仕組みと。いろんな
仕組みが、
井戸先生は旧
自治省にもおられた方でありますので、旧
自治省がいろいろな
仕組みをつくってきたものも、今使われているものもございますが、大きく五つぐらい、一ページの下の方ですが、あとは各論で、その中身はどういうものですかということを説明したものでありますが、仮にここで申し上げますと、
一つは
規模を拡大をするという、これは言葉を換えますと
統治機構の一元化と。これは
明治の大
合併、昭和の大
合併、
平成の大
合併と。
明治の大
合併は七万一千の町村を一万五千の
市町村に変えて
明治時代が始まったと。それから、昭和の大
合併はそれが三千五百になったと。昭和二十八年から三十六年、
日本の法律でやったと。小学校を持てる
規模が
明治の
時代、中学校を持てる
規模の八千人が昭和の
合併の
一つのメルクマールと言われましたけれども、
平成の大
合併は三千二百三十二
市町村が千七百十八になっている。しかも、地図で落としてみますと、西高東低
状況で止まっていると。もちろん、
東北でも秋田とか岩手とか、青森はどうか分かりませんが、
合併を盛んとしたところもございますし、福島のように余り
合併をされなかったところもありますが、いずれにしてもほぼ
市町村数が半分になっております。
この、いわゆる
規模を拡大しながら
行政サービスを充実させるという手法はイギリス、ドイツ、スウェーデン、
日本が比較的得意とするところというか多くやってきたところでありまして、
規模が大きいところを割っていくというアメリカ型の
やり方もあります。まあ
日本の場合は、
規模を大きくしてきたと。
広域化に
対応する方法として、その次に一番使われてきたのが一部
事務組合という、特定のテーマについて、ごみ処理であるとかガス、火葬場の経営であるとか、そういうものをそれぞれお金と人を出し合って組合をつくって処理をすると、こういう
やり方。それを少し広げて、府県レベルの
広域連合というのは珍しいわけですが、
市町村レベルで、例えば介護保険とか、そういう
広域連合というものもその後使われてきております。
ここから先が少し新しいというか
合併などと違う
やり方で、これから売りにならないかなと
地方制度調査会などでも盛んとこの辺が
議論の
中心ですけれども、母都市との
連携を強化する。母都市といった場合に、資料は、オリジナルというよりは、いろいろ総務省、国交省等が作った資料を使わせていただいておりますが、七ページ、右の下の方に、横長の資料編で七ページに地図が出ておりますが、おおむね
連携都市圏の
中心となり得る都市と。
人口が二十万以上で、そこと隣接する
市町村を広げて三十五万ぐらいで
一つの都市圏ができないかと。そこで
連携協約を結んで、なるべく小
規模なところも同じ
サービスの水準を担保できるようにしようと。
これが、少し前ですとそういうところが
合併をして担保しようとしたわけでありますが、そうではなくて
連携の
方式によって担保しようと、こういう話。
一つ、母都市との
連携強化という
方式。
連携中枢都市圏というのはこれから一生懸命財政支援もしながら法的な
仕組みをつくっていくという、こういう動きであります。全国で広げてみても百はできないんですが、今六十幾つと。
もう
一つは、委託をする、
連携をするというよりは母都市に個別に委託をしていくと。これとこれとこの仕事については例えば
中心都市、二十万都市にお願いをすると、こういう、いわゆる
地方の中枢拠点都市と思われるところに委託契約をして個別に委託をしていくという。
これはしかし、ある程度二十万都市とかいうところがあるところの話でありまして、そこから相当距離があったり、更に中山間
地域とか離島とかいわゆる条件不利
地域というところもあるものですから、そういうところでは、実は五万人ぐらいの定住自立圏あるいは小さな拠点、拠点制をつくっていくというのはいかがなものかという
井戸先生の
お話ではありましたが、私の感じですと、都市
国家の
時代というのは結局都市に人が集まると思うんで、農村
国家の
時代のように、つまり生産の場と消費の場が同じ場であるという活動ならそれぞればらばらに暮らすはずなんですが、そうではなくて、働く場と住む場を分けたり遊びの場が町の中にあったりしますと、どうしても大、中、小、こういう都市ができていくというのが都市
国家の特徴だろう、その流れというものはある程度自然ではないかと。それを見ながら
行政の
仕組みを考えるということしかないんだろうと思いますが、実は定住自立圏とか小さな拠点のところでは府県が補完をするしかないじゃないかという形で、自立できないところは、委託もできなければ
連携もできないとすれば府県が補完
機能を果たすと。ここまでは
議論としてはございます。
六番目は、これはまだ
議論としてはないんですが、問題だけ提起しておきますと、市の
制度でも、政令指定都市、中核市、一般市と、町村は
一つ。町村と言っていますが、これは第二十七次の
地方制度調査会で
平成の大
合併を進める頃
議論されてそのまま葬り去った特例町村制という、つまり、全部一律に、千人の村でもフルセットで仕事をお願いをするという
やり方は限界があるんじゃないかと。そこで、仕事を
住民に密着した
部分だけに絞り込んで、あとの
部分は実は府県なりあるいは隣接の大きいところが補完をするという
やり方で、町村というものを二種類にしたらどうかという
一つの提案であります。これは、市が三種類なら三種類あるのと同じような
発想でありまして、何か特別なものじゃないと。
それからもう
一つ、この管理
自治体というのも、もう言葉は今はありませんが、実はこの
人口の予測を見ますと、二〇四〇年ぐらいになりますと二割ぐらい
住民がいない
地域が出てくる、空白
地域が出てくると。しかし、そこには道路がありますし、元々の公共施設もありますし、空き家もあるかもしれませんが、人が全く住んでいないところを
自治体というふうに言えるかどうか分からないんですが、そういう
人口がいなくなったところを誰が管理するかと。こういう
時代は
日本ではまだ想定されていませんが、これはどこかにお願いをするしかないんじゃないか。
つまり、Aという市とBという市の間にXという町があったときに、その町が完全に空白になった場合に、AとBの間に道路があるわけでありますので、例えばその道路をきちっと管理するのは、
市町村道路ですと町がやっていたはずなんですが、それをどうするかとか、そういう公共のインフラが
中心かもしれませんが、ただ
地域も、農村でも山林でもほったらかしますと、一年もたちますと獣の山のようになりますので、今はイノシシとタヌキとキツネと戦っているところがいろいろありまして、特に鹿ですね、
地方の
自治体では鹿を捕ってくれる方を一生懸命、六千円ぐらいで一日日当でお願いをして鹿撃ちをやっていますが、農村を荒らしに来ているわけでありまして……