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2015-03-31 第189回国会 参議院 厚生労働委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十七年三月三十一日(火曜日)    午前十時一分開会     ─────────────    委員の異動  三月三十一日     辞任         補欠選任      木村 義雄君     太田 房江君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         丸川 珠代君     理 事                 大沼みずほ君                 羽生田 俊君                 福岡 資麿君                 津田弥太郎君                 長沢 広明君     委 員                 赤石 清美君                 石井みどり君                 太田 房江君                 木村 義雄君                 島村  大君                 高階恵美子君                 滝沢  求君                 武見 敬三君                三原じゅん子君                 石橋 通宏君                 西村まさみ君                 羽田雄一郎君                 白  眞勲君                 牧山ひろえ君                 山本 香苗君                 川田 龍平君                 小池  晃君                 行田 邦子君                薬師寺みちよ君                 福島みずほ君    国務大臣        厚生労働大臣   塩崎 恭久君    副大臣        文部科学大臣  丹羽 秀樹君        厚生労働大臣  永岡 桂子君    大臣政務官        厚生労働大臣政        務官       橋本  岳君    事務局側        常任委員会専門        員        小林  仁君    政府参考人        外務省国際法局        長        秋葉 剛男君        厚生労働大臣官        房審議官     谷内  繁君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○政府参考人出席要求に関する件 ○戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一  部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)     ─────────────
  2. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) ただいまから厚生労働委員会を開会いたします。  政府参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、厚生労働大臣官房審議官谷内繁君外一名を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  4. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案の趣旨説明は既に聴取しておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  5. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 自由民主党の大沼みずほでございます。  まず冒頭さき大戦において命を落とされた方、そして御遺族皆様弔慰を表したいと思います。  今年は戦後七十年の節目の年であります。まず、これまで国が戦没者遺族に対しどのような援護施策を講じてきたのか、また、特別弔慰金制度が制定された経緯についてお伺いいたしたいと思います。
  6. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  戦没者遺族方々に対します援護は、国の果たすべき責務としまして極めて重要なものであると認識しております。  議員質問の国が講じてきました具体的な施策としましては、まず、軍人軍属及び準軍属公務上の傷病及び死亡等に関しまして、その本人又は遺族の生活を支援するため、使用者の立場から、国家補償の精神に基づき、障害年金遺族年金等支給を行っております。加えまして、戦傷病者戦没者の身近な親族に対しまして、国として特別の慰藉又は弔慰を表すために、特別弔慰金各種特別給付金支給を行っております。  また、慰霊事業といたしまして、南方地域、旧ソ連地域等におきます戦没者遺骨収集帰還事業、また旧主要戦域遺骨収集帰還できない海域で戦没者を慰霊するための慰霊巡拝、さらには硫黄島と海外十四か所に戦没者慰霊碑の建立などを行っております。  次に、特別弔慰金制度制定経緯でございますけれども、この特別弔慰金制度昭和四十年に制定しております。当時、恩給法公務扶助料援護法遺族年金などを受ける方が死亡等により減少する中で、戦没者等遺族でありながら何らの給付を受けていない方が相当数に上ったと。そういった状況を踏まえまして、戦後二十周年に当たります昭和四十年の機会に、さき大戦公務等のため国に殉じた軍人軍属及び準軍属方々思いを致し、これらの遺族に対しまして国として弔慰の意を表するため、この特別弔慰金支給することとしたものでございます。
  7. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 ありがとうございます。  やはり、これまでの様々な施策の中でも、戦争を風化させないという意味では、この特別弔慰金制度というのは非常に意義があるものと私も考えております。  前回の改正の際に、しかしながら様々な問題点指摘されておりました。国会審議の中で、受給者高齢化していることから、国債償還日早期化について議論があったところでございますが、その後の厚生労働省取組について教えていただければと思います。
  8. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  平成二十一年の中間年に当たります特別弔慰金支給法改正法案審議におきまして、国債償還日を前倒しできないかとの御指摘をいただいたところでございます。  厚生労働省としましては、その御指摘を踏まえまして、財務省とも協議を行い、毎年の償還日が以前は六月十五日でしたけれども、四月十五日へと二か月前倒ししたところでございます。今回の改正に係る国債償還日につきましても四月十五日を予定しているところであります。
  9. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 ありがとうございます。  今日の審議の内容でも様々な意見が出されると思いますけれども、そういったことを踏まえて今後対応していただければというふうに思います。  次に、遺骨収集についてお尋ねいたします。  本年は戦後七十年の節目の大切な年でありますけれども、この遺骨収集帰還事業がなかなか進んでいないというふうに伺っております。遺族高齢化していく中で早急に対応しなければならない問題と考えておりますが、厚生労働省取組について教えていただければと思います。
  10. 橋本岳

    大臣政務官橋本岳君) お答えをいたします。  戦没者の御遺骨収容は国の重要な責務であり、御遺族高齢化する中、一柱でも多くの御遺骨早期に可能な限り収容できるように遺骨収集帰還事業を迅速に進める必要があると考えております。御指摘のとおり、今年、戦後七十周年ということでございまして、当時の状況を知る関係者方々も減少してきているという状況がございまして、御遺骨に関する情報収集を強化してまいることがまず重要であろうと、このように考えております。  このため、厚生労働省といたしましては、今後三年間の集中的な取組として、交戦国であったアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、オランダの国立公文書館等が所蔵する文書について、旧日本兵戦没者埋葬地等に関する情報の有無を調査し、旧日本兵戦没者埋葬地等の特定につながる有効な情報を取得、分析することとしております。そして、埋葬地等情報が得られた地域については迅速に現地調査を実施するとともに、遺骨収集帰還団を派遣することとしております。  また、あわせまして、海外における遺骨収容が円滑に進むよう、外務省を通じて相手国政府との交渉を行いまして、必要に応じて覚書を締結し、事業実施環境整備に努めるなど、遺骨収集帰還事業の促進を図っていくこととしております。具体的には、パラオ、インドネシアとそうした覚書を結び、また、フィリピンと今交渉をしていると、こんな状況でございます。  さらに、厚生労働省内遺骨収集帰還事業体制の強化を図るため、明日が四月一日でございますけれども、来年度からということで組織再編を行うこととしておりまして、担当の人員も増やさせていただくということもさせていただきます。  こうした取組によりまして、遺骨収集帰還事業の更なる推進を図ってまいりたいと、このように考えております。
  11. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 ありがとうございます。  今伺った国々以外でも、特に外交関係、今うまくいっていない地域もございますが、そこにも多くの御遺骨があるわけでございまして、そういった国々との情報連携もしっかりしていただければと思います。  次に移ります。  昨年秋、私も千鳥ケ淵戦没者墓苑にて行われた奉仕会主催秋季慰霊祭厚生労働委員会理事として参加させていただきました。戦没者の、無名戦士の墓として今存在しているこの千鳥ケ淵墓苑でございますけれども、千鳥ケ淵戦没者墓苑の性格はどういったものなのか、また、厚生労働省千鳥ケ淵戦没者墓苑でどのような行事を行っているのか、そして、各事業についてより多くの方に来ていただけるようにするためどのような取組をしているのか、伺いたいと思います。
  12. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  まず、千鳥ケ淵戦没者墓苑でございますけれども、昭和二十八年十二月十一日に閣議決定されました無名戦没者の墓に関する件に基づきまして、御遺族に引き渡すことができない戦没者の御遺骨を納めるために、いわゆる無名戦没者の墓として国が建立した施設でございます。  厚生労働省は、千鳥ケ淵戦没者墓苑で次のような式典を実施しておるところでございます。  毎年春に皇族の方に御臨席していただいた上で、千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式を実施しております。これは、海外で新たに収容した御遺骨のうち、身元が判明せず、御遺族に引き渡すことができないものの納骨を行うとともに、あわせて、墓苑に納められております御遺骨に対して拝礼を行うという趣旨の下実施しているものでございます。  また、年に数回、遺骨引渡式を行っております。例えば平成二十六年度では六回行っております。これは、政府が派遣いたします遺骨収集帰還団が持ち帰った御遺骨厚生労働省に引き渡す際に実施しているものでございます。  こういった式にどういう方に参列していただいているかといいますと、まず、拝礼式につきましては、御遺族戦友を始め、各政党代表の方、また厚生労働委員会に所属されておられる議員中心とした先生方遺骨収集帰還事業に協力いただいている国の大使の方、関係団体代表者関係省庁地方公共団体遺骨収集帰還事業協力者などに参列の御案内を行っているところでございます。  また、遺骨引渡式につきましては、関係団体代表者厚生労働委員会に所属されている議員中心とした先生方案内を行うとともに、民間協力団体から御遺族戦友にお声掛けをしていただきまして参列いただいているところでございます。  厚生労働省といたしましては、御遺族を始め関係者高齢化する中で、さき大戦の記憶を風化させることなく次の世代へ継承していきたいと考えており、特に若い世代方々にこれらの式典を知っていただく機会を増やしてまいりたいと考えております。その一環として、若い世代方々をこれらの式典へ招待することも検討していきたいと考えております。
  13. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 ありがとうございます。  私も、千鳥ケ淵の近くの学校に十二年間通わせていただきましたけれども、いろんなこういったイベントに近くの学校の方に声を掛けて、やはり若い世代に特に参加いただくことが私も重要ではないかなというふうに思います。  また、この桜が咲く時期に多くの方が千鳥ケ淵まで足を運んでくださるわけですが、なかなかこの戦没者墓苑までは来ていただけていないのではないかというふうに感じています。こうした時期に、戦争を風化させないように、パネル展語り部の会を開くなどのイベントを行って、そこに、千鳥ケ淵に、戦没者墓苑に来ていただくようなことはできないかと。  ちょっと今日お手元に配付する時間がなかったんですが、実はこの昭和館の方は、大体平均して一月、二月、三月は二万人から二万五千人の来館者数ですが、四月は六万人の方が来てくださっています。これだけ、倍以上の方が昭和館に来る、これは、お花見に来て、そして昭和館も行こうという方々であります。  でありますので、やはりこうした、敷地も結構広いですし、パネルを置くとかそこでのイベントを行うことで来訪者を増やせないかと思うんですが、それに対して厚生労働省のお考えをお聞かせいただければと思います。
  14. 橋本岳

    大臣政務官橋本岳君) 今御指摘をいただきました。また、そして審議官が答弁をいたしましたけれども、厚生労働省といたしましても、次世代への継承というものは大変大事なことだと思っておりまして、若い世代の方に是非千鳥ケ淵戦没者墓苑のことを知っていただきたい、訪れていただきたいと、このように思っているところでございます。  そして、桜があの辺りはきれいでございまして、これもお話がありましたように、たくさんのお客さんが来られるわけですけれども、昭和館において毎年写真展を開催しておりまして、というのは今お話があったとおりでございますが、こうした写真展の一部を例えば千鳥ケ淵戦没者墓苑の方でも同時に開催をして、御案内もちゃんとして、お花見に来られる、あるいはその近くに来られるような若い世代方々にも是非寄っていただけるようなことも考えられるんだろうというふうに思っております。  せっかく御提案もいただきました。様々な手法を検討してまいりたいと思います。
  15. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 ありがとうございます。  特に、さき戦争を知っている方がどんどんどんどん少なくなっている時期に、だからこそそういった取組を強化していくということを厚生労働省の方でも力を入れていただければと思います。  次に移ります。  千鳥ケ淵戦没者墓苑で行われておりますこの御遺骨引渡式は、冬場に行われる、一月、二月、三月なども実施されているわけでありますが、戦没者の御遺族高齢化されている中で、こうした冬場の寒い時期に行われるこの引渡式において、御遺族負担を軽減するために今現在厚生労働省が行っている取組についてお聞かせいただければと思います。
  16. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  冬場に行われる引渡式でございますけれども、今年で申し上げますと、一月下旬から三月中旬にかけまして三回にわたりまして御遺骨引渡式を行ったところでございます。  議員指摘の、参列される御遺族負担を軽減するために主に防寒対策といたしまして次のような対策を行っているところであります。まず、遺族着席位置ストーブを六台から八台を設置する、さらに前屋を風よけ用の幕で覆う、さらに参列者遺族の全員の方にカイロの配布を行ったり、膝掛けの貸出しを行っているところでございます。さらに、急病人の発生に備えまして救護所を設けまして、医師及び看護師を配置しているところでございます。
  17. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 ありがとうございます。  今現在でも様々な取組をしていただいていると思いますけれども、御遺族の方から、特にこの冬場は大変つらいという御要望をいただいている中で、私も山形県選出の議員ですので、例えば、高速道路開通式などは寒いところで行われるんですが、かなり防寒に対しましては、前はビニールで透明ので見えるようになっているんですが、後ろはかなり大掛かりなテントで、かつ、ストーブも万全なものを置いて、外に出た十分ぐらいテープカットのときに我慢すれば後は暖かくて済むというぐらいの仕様のものがございます。  やはり、特に御遺族方々にとって、そこで一時間ぐらい行われる引渡式の中で、十分な防寒対策というものは、これから特に高齢化が進む中で、平均年齢も七十代から八十代後半に移っている中でしっかりと講じていただきたいと思うんですが、厚生労働省のお考えをお聞かせいただければと思います。
  18. 橋本岳

    大臣政務官橋本岳君) 大変大事な御指摘をいただいたと思っております。  参列者の方の御意見も伺い、また墓苑の管理を行っているのは環境省でございますので、そちらとも御相談をさせていただき、更なる対策としてどのようなことが可能か検討したいと考えておりますので、是非山形ではどうなのかとか、お知恵をまたいただければ有り難いと思っております。
  19. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 では、私の方も山形の業者を探して御提案できるようにしていきたいと思います。  最後に移ります。やはり、この千鳥ケ淵戦没者墓苑で行われております拝礼式、また御遺骨引渡式について、現在は余り広く周知されていないのかなというふうに思っております。実際、私が秋の秋季祭に参加したときも、政党代表以外で参加した国会議員は私一人だけでございました。  そうした意味で、多くの方に来ていただいてこれを継承していく意味でも、全ての政党国会議員に呼びかけるとともに、今年は戦後七十年の節目でもございますので、マスコミ等にも周知を行って、その瞬間の、引渡式自体がニュースにならなくても、それを使った例えばドキュメンタリー制作の一部でも使っていただくというようなことでも周知度が上がっていくと思います。  一般方々へ、また多くの国会議員に参加いただくための対応を、広報の部分でございますが、どのような対応をすべきか、また、こういったことに対する今後の厚生労働省取組についてお伺いいたしたいと思います。
  20. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  まず、拝礼式についてでございますけれども、先ほど申し上げましたように、幅広い層に御案内を申し上げているところでございますけれども、皇族の方に御臨席いただいていること、さらに、現在でも五百人から六百人の参列をいただいております。会場の物理的な制約や警備上の観点から、更に広く一般方々を招待することは困難であることは御理解いただきたいと思います。  また、遺骨引渡式につきましては、先ほど申し上げました団体案内を申し上げているところでございますけれども、今後とも幅広く国会議員の方に御案内するとともに、マスコミを通じまして一般方々に広く周知を図っていきたいというふうに考えておりますし、先ほどの繰り返しになりますけれども、若い世代方々をこれらの式典へ招待することも検討していきたいと考えております。
  21. 大沼みずほ

    大沼みずほ君 ありがとうございます。  特に若い世代、特にその周辺の学校の生徒さん始め、そこの代表の方でもいいと思いますけれども、に参加いただいて、しっかりと、さき大戦において命を落とされた方々に対する、また御英霊に対する、その考える時間というのも非常に、私も自分自身が参加して毎度思うところでございますので、取組を強化していただければと思います。  少し早いですが、これにて質問を終わります。ありがとうございました。
  22. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 民主党の津田弥太郎です。  先週木曜日の大臣所信に続きまして、本日も質問を行わせていただきます。  本日の議案は、既に御案内のとおり、戦没者遺族に対する特別弔慰金支給法改正案ということでございます。御案内のとおり、既に衆議院では我が党を含め全会一致の賛成により法案は可決をされております。  また、私事で大変恐縮でございますが、私のおじサイパン島で戦死をいたしております。おじ名前も私と同じ弥太郎と申しまして、何で私がこんな古めかしい名前かというと、祖父が、長男がサイパン島で戦死をしたので、娘の生まれてきた子供が男の子だったら弥太郎名前を付けてほしいと言って祖父が死んだものですから、私は運命的に弥太郎という名前をもらわざるを得ないというのが私のルーツでございました。  私自身さき戦争で散華された英霊皆様に対する思い委員各位と共通したものであります。その上で、本日は、質疑流れの中で多少私が悪者になるような場面もあることをあらかじめ断っておきたいというふうに思います。  まず、冒頭にお尋ねをしたいと思います。  大臣、そもそも戦没者遺族等への援護施策厚生労働省担当している経緯につきまして、御説明をしてください。
  23. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 厚生労働省におきましては、引揚援護、それから戦傷病者戦没者遺族、未帰還者留守家族などの援護及び旧陸海軍の残務の整理に関する事務、これを所掌しているわけでございまして、その経緯としては、昭和二十一年、終戦に伴う引揚援護対応するため、厚生省の外局として引揚援護院というのが設置をまずされました。その後、昭和二十三年に、旧陸海軍省の後身であります復員局を吸収をいたしまして引揚援護庁と一旦なりました。集団引揚げの完了とともに、昭和二十九年、内局たる引揚援護局になったわけでございます。  また、引揚援護が一段落してくるとともに、戦傷病者戦没者に対する補償要望が強くなりました。そこで、昭和二十七年四月の戦傷病者戦没者遺族等援護法、これが成立をいたしまして、受けて、戦後初めて戦没者遺族等に対してその年に補償を行ったわけでございます。  その後、今日に至るまで戦没者遺族等への援護施策厚生労働省担当している、こういう流れでございます。
  24. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 るる今御説明をいただきました。  それでは、こうした厚生労働省のこれまで行ってきた援護施策に対して、国民及び遺族遺族会等関係者、こういう関係方々はどのような評価をされているのか、大臣の御見解をお伺いします。
  25. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今御説明申し上げましたように、厚生労働省としては、これまで戦没者遺族等に対する援護戦没者に対する慰霊事業などを行ってきているわけでございますが、戦没者遺族等に対する援護、これにつきましては、例えば今般の特別弔慰金の継続そして増額をいたしましたが、これに関しては日本遺族会からも評価をいただいているというふうに認識をさせていただいているところでございます。  また、戦没者に対する慰霊事業、こちらの方につきましては、遺骨収集帰還事業を実施しているわけでございますけれども、これに参加していただいている特に若い世代方々からは、遺骨が戦地に取り残されていることすら若い人は知らない、国民全体が遺骨収集について情熱を持たなければならないということを言っていただいたりして御意見を頂戴をしているところでございます。  さらに、平成二十五年、二十六年度に慰霊巡拝に参加をされた御遺族からは、九割以上の方々から満足をしたということでアンケートに御回答をいただいているところでございまして、厚生労働省としては、引き続いて、関係者の御意見等を踏まえて、関係者を始めとした国民方々から評価いただけるような援護施策を講じてまいりたいというふうに思います。
  26. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 私も、与党時代は社会・援護局担当政務官を務めさせていただきました。その際、八月十五日の政府主催戦没者追悼式にも出席させていただきましたし、硫黄島で遺骨収集作業に当たる特別派遣団結団式でも激励の挨拶もさせていただきましたし、硫黄島にも私自身行かせていただきました。そうした過去の経験を踏まえましても、これまで厚労省援護施策については、国民及び関係者から一定の評価を得ていると私も考えております。  その上で、本法案によりまして、十年後の戦後八十年まで特別弔慰金としての交付国債支給されるわけです。今この場でどうしても行わなきゃいけないのは、その後どうするかという対応についての議論であります。  私は、三月二十日に行われました衆議院の厚労委員会における議事録を確認させていただきました。通常、戦傷病者あるいは戦没者遺族等への援護関係法案審議される際は、極めて短い質疑時間であるにもかかわらず、質問者は時間を持て余して他の分野に関する質問に時間を費やすという姿が一般的でした。十年前、本委員会もそうでした。私、出ておりましたので分かっております。ところが、今回の衆議院委員会質疑では、手続の簡素化、あるいは新たな受給権者の把握及び制度の周知、あるいは請求漏れ防止策等々について非常に熱心な議論が行われ、これまでとは異なる状況が見受けられました。  中でも最も注目したのは、与党である自由民主党の大岡敏孝委員質問であります。大岡委員は、特別弔慰金支給の目的や根拠とその実態との整合性ということで、次のような発言しているんです。これ、重要な発言です。ふだんは何の連絡もないし、遺族としての活動もしていない、ただ、この給付の時期になりますと、施設に入っているおじいちゃん、これが対象者だとすると、その子供から、どうやったらおじいちゃんの弔慰金がもらえるんだという問合せが山ほど来るというのが実態なんですね。こういうお話をされているわけでございます。  大臣厚労省としても、これ大臣所属の自由民主党の大岡委員の御発言と認識は同じということでよろしいでしょうか。
  27. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今御指摘の大岡委員の発言でございますけれども、そこにございますような、言わば代理請求というものがあり得るということは私どもとしても思っているわけでございますが、具体的な事例はどういうふうになっているのかということについてはつぶさには存じ上げませんけれども、代理請求自体はあるというふうに思っております。
  28. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 これ、大臣、ある程度そういうこともあり得る可能性があるというふうに大臣お認めになりました。与党から見ると、大岡はそんなことを言ったのかよというふうにお思いかもしれませんが、大岡委員地域にちゃんと根っこのある議員でありまして、滋賀一区の小選挙区で勝ち上がった当選二回の衆議院議員です。言ってみれば、もうびんびんやっているわけですね。  大岡委員自身質問の中で、地元の遺族皆様と話をされているというふうにお話をされているわけであります。多少誇張された面はあるかもしれませんが、あながち事実無根ではない。大臣もそのことをお認めになりました。すなわち、弔慰金の対象者である遺族が生存されていたとしても、例えば認知症で施設に入られたりしていた場合は、大岡委員の発言のような余り望ましくない事態が生じるということであります。  実は、私の母がその対象者でございます。今年九十歳になります。死んだおじの家族は全部亡くなりまして、残っているのは、兄弟姉妹の私の母が一人だけ残っています。今、七年前に脳梗塞で倒れて、要介護三で特養に入っております。ふらちなのは私ということになるのかもしれませんけれども、母は昭和元年に生まれた軍国少女でございました。私は母から軍歌をいっぱい教わりました。塩崎大臣ももしかしたら同じぐらいかもしれませんけれども。  今回、衆議院の維新の党が提出をされました修正案、これ我が党も賛成したんですけれども、その提案理由に述べられましたように、国債により特別弔慰金を受給した者が死亡した場合には、その国債戦没者等遺族ではない相続人が相続することができるわけでありまして、戦没者遺族弔慰の意を表すという法律の趣旨に必ずしもそぐわないものとなる可能性があるわけでございます。  この相続の場合には、そうしたことが可能性として起こり得るということは、大臣、お認めになりますね。
  29. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 特別弔慰金につきましては、今、津田先生から御指摘がございましたとおり、特別弔慰金を受領した者が亡くなられたりしますと、その国債戦没者等遺族ではない相続人が相続するというケースは起こり得ると考えておるところでございます。
  30. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 そうなんです。  現在、戦傷病者戦没者に関する様々な施策が行われております。例えば、戦争で負傷あるいは病になった、障害の状態になった軍人さんに対して、その方が生きておられる限り、最後のお一人まで国として年金を支給する、これ理解できます。あるいは、戦争中に命を失った軍人等の奥さんに対して、一定の要件の下に最後のお一人まで年金を支給する、これも理解できます。さらには、戦争でただ一人のお子さんやお孫さんを失って子孫が途絶えた父母や祖父母の方に対して同様の対応を行う、これもよく理解できることであります。  しかし、今回の特別弔慰金については、先ほども指摘しましたように、必ずしも法の趣旨にそぐわない方にも支給されてしまうことを考えると、政治家がどこかの時点で制度の廃止を含めた抜本的な見直しを提案すべきであります。そのタイミングが、私は、戦後八十周年に向けてということなのではないかと、私は考えるところであります。  その上で大臣にお尋ねをしたいんですが、広辞苑で弔慰金というのを引きますと、弔慰の気持ちを込めて遺族に贈るお金というふうに書かれております。それでは、弔慰とは何かということでございますが、これについては、広辞苑によりますと、死者を弔い、遺族を慰めることとされているわけでございます。つまり、広辞苑が正しいとするならば、国としての弔慰は亡くなられた戦没者御本人とその遺族の双方に示されているという理解でよろしいでしょうか。
  31. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 特別弔慰金は、国として、今日の我が国の平和と繁栄の礎となった戦没者の尊い犠牲に思いを致して、死者を弔い、遺族を慰める弔慰の意を表するために支給するものでございます。その弔慰の意は、戦没者御本人とそしてその御遺族の双方に示しているものと考えます。
  32. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 同意をしていただきました。ありがとうございました。  そこで、まず、亡くなられた戦没者の観点で考えてみるならば、そもそも英霊となられた方は誰のために戦地に赴いたのかということであります。恐らくは、間違いなく自分のためなどではなく、今大臣がおっしゃったように、この国の未来のためだと私は考えます。そうであるとするならば、現在の我が国において様々な深刻な問題が生じている中で、本当に英霊方々はこの法律が十年後において更に延長されることを望んでいるのかということであります。  余り比較すること自体はどうかということはありますが、どうかということを前提にして申し上げますけれども、今回の法律に基づき年間六百十五億円が計上される見込みでありますが、この金額は、自民党、公明党両党とも力を合わせて取り組んだ生活困窮者自立支援法におけるホームレス対策の年間予算とほぼ同額であります。  冒頭に、私は、厚労省援護施策に関する関係者評価を伺いました。一般的に民間では、近親者がお亡くなりになって三十三回忌とか、まあどんなにやっても五十回忌までやったらすごいことになるわけでございます。まず五十回忌をやるというのはまれだと思うわけでありますが、この特別弔慰金においては、戦後八十周年までそのスキームが確保されたことになるわけであります。しかも、今回は償還額について二五%の増額も行いました。恐らく、制度の抜本的な見直し論議を開始をしたとしても、戦没者御本人からは私は一定の理解をいただけるのではないかな、私も先ほど申し上げましたように戦没者関係者の一人、まあ転給者ではありませんけれども、そう思うわけでございます。  また、国としての弔慰のもう一つの示され先であります御遺族の観点で考えるならば、そもそも戦没者の子と戦没者のおいやめいとではその重みに違いがあるとするのが常識的な考え方ではないでしょうか。そのことは、この法律が制定されて最初にスタートしたのが昭和四十年、そのときには子供だけだったんです。子供だけでスタートしたんですね。その後、拡大をされたわけでありますけれども。  この件について、先ほどの衆議院において大岡委員はこのように発言されました。十年後においては、戦没者を弔い慰める、戦争の記憶を風化させないということが、この国債を発行して毎年償還するということで果たして達成できるのかということになってくるわけです、お金がどうのこうのというよりも、やはり戦争の記憶あるいは戦没者思いが風化してしまうことの方が怖い、これ、まさに私は大岡委員と見解を同一とするものであります。  大臣、そこでお尋ねをしたいと思います。  戦後八十周年に向けて、戦没者遺族の心情等を踏まえつつ、国としての弔慰の意を表する方策について新たに検討を行い、国民の理解と支持を得た上で必要な措置を検討する決意を示していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  33. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今回御審議をいただいておりますこの法律の改正によりまして、戦後七十周年の特別弔慰金、これが支給された後に、十年後の制度をどうするかということにつきましては、制度の趣旨や、そして今、津田先生からいただいた御意見なども踏まえて、御遺族の心情も勘案しつつ、今回の特別弔慰金が最終償還を迎えることになります十年後、これを見据えて改めて検討をしてまいりたいというふうに考えております。
  34. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 分かりました。  この制度の見直しに関して、これも衆議院における委員会審議の際、永岡副大臣が次のような発言をされております。今回の法改正によって戦後七十周年の特別弔慰金支給された後、遺族の方たちの心情なども勘案しながら、今回の特別弔慰金が最終償還を迎えることになっております十年後を見据えまして、また新たに検討していきたいと考えております、という発言をされております。  私も、事前にレクをしておって、多分これはまあ大体役人がこういう原稿を書くのかなというふうに思うわけでありますが、これだと、十年後に同じ内容の法案が出され、また十年間延長されるということが私は確実ではないかと思うわけであります。私が提起をしておりますのは、制度廃止を含めた抜本的な見直しであり、そのことは恐らく厚生労働省事務方ではできないんです。これ、政治家が決断する課題だと私は思うんです。  これ、政治家としての塩崎大臣にお伺いしたいと思うんですが、今回のこの法案が成立をし、支給作業が一段落した時点、遺族関係者は当然のことでありますが、国民各層の代表を加え、廃止を含めた抜本的な見直しを行い、中間年のちょうど二〇二〇年、この時点を目途にその方向性を定めていく。つまり、余り直前になって制度を見直すと、これ、率直に言って、生活費の一部にしようという人も現実にいるわけでありますから、この弔慰金にそういう意味で期待している人に迷惑が掛かってはいけない。そういう意味で、ある程度早い段階で見直し内容を周知をしていく、そのことが重要であると思いますが、大臣の決意をお伺いします。
  35. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 十年後の特別弔慰金制度をどうするかという問題については、先生今お話がございましたように、ぎりぎりになって議論を始めるようなことではいかがかなというふうに思っておりまして、それなりのやっぱり時期に検討を開始するということが必要ではなかろうかというふうに思っております。  この検討の進め方も含めて様々な考え方があり得ると思いますし、今年は七十年、そして、これからこの特別弔慰金の制度を御審議をいただいた上で成立をして実施する中で、これから先生の御意見も含めて、いただいた御意見をしっかりと踏まえて検討をしかるべき時期から始めなければならないなというふうに思っております。
  36. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 ありがとうございました。  さて、私は、今日の我が国の平和と繁栄の礎となった戦没者皆様方の尊い犠牲に思いを致すということが大変重要であると考えております。同様に、戦後七十周年を迎えた今、さき大戦の記憶が風化しつつある現状、これもう本当に風化しつつあると、もう本当にリアルに思うわけでございますが、当時の記憶と教訓を次世代に継承していくということ、このことが最も重要であるというふうに考えるわけであります。  その意味で、国の施策において大きな役割を果たすのがこうした観点に立った学校教育の充実であるというふうに思うわけであります。そのことは、本日の議題となっている戦没者特別弔慰金支給法案の本来の目的にも私はつながることになると思うわけであります。  本日は、文科省から丹羽副大臣出席をされておりますが、文科省としての決意と考えられる具体策をお示しください。
  37. 丹羽秀樹

    ○副大臣(丹羽秀樹君) 戦争が未曽有の惨禍をもたらしたということを児童生徒に理解させ、二度と悲惨な戦争を繰り返すことのないよう、平和で民主的な社会の実現に努めることの重要性を教えることはとても大事なことであると思います。  現在、学校教育においては、学習指導要領に基づきまして、小中学校、高等学校を通じまして、主として社会科等において、例えば第二次世界大戦において各地への空襲や沖縄戦、広島、長崎への原爆投下など、国民が大きな被害を受けたことや、日本国憲法の平和主義と我が国の安全、国際協調と平和の重要性などについて学習が行われております。  文部科学省といたしまして、今後ともその学習指導要領の趣旨周知することにより戦争や平和に関する指導が適切に行われるよう努力していきたいと思っております。
  38. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 どうぞしっかりした取組をお願いしたいと思います。  同様に、援護行政を担う厚労省としても、学校教育の充実に向けて文科省に対してどのような要望を今後行っていくつもりなのか、また、国民各層に対する啓発や広報等について、これまでももちろん行ってきているわけですが、戦後七十周年という機会を捉えて、更なる取組の強化についてどのような考えを有しておられるのか、あわせて、永岡副大臣から答弁をしていただきたいと思います。
  39. 永岡桂子

    ○副大臣(永岡桂子君) 津田委員、大変御質問ありがとうございます。  先生おっしゃいますとおり、今年で戦後七十年を迎えます。もう先生も私も、ちょっと古手の、大臣もですけれども、本当に戦争のことは直接知らないのが私たちの世代でございます。お母様からまたおじさんのことなどをきっと津田先生もお聞きになっていらっしゃると思いますけれども、実際に私たちは経験していないわけで、このさき大戦の記憶というものを風化させるということをしないで次の世代に伝えるということは大変重要性が高まっているとともに、これ、政治家みんなの責務であると考えております。  また、厚生労働省といたしましては、戦中戦後の苦労を次の世代に継承していくために、昭和館、しょうけい館、これを設置をしておりまして、より多くの若い世代の方たちに見学をしていくように取り組んでいるところでございます。  具体的には、小学生、中学生、高校生、これ、修学旅行でありますとか、あとは社会科見学の訪問先として検討していただくなど、都道府県等の援護部の方たちにお願いしまして、文部科学部門ですね、教育部門の方と連携をしていただくように依頼しているところでございます。  文部科学省に対しましても、この取組につきまして小中学校への周知をしていただくようにお願いしたいと考えております。
  40. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 しっかりした取組をお願いをしたいというふうに思います。  思い起こせば、私の祖父は、私が生まれる三か月前に亡くなったんですけれども、そのときは母に、次に男の子が生まれたら弥太郎と付けろと言って死にました。実は、祖父は、長男がサイパン島で戦死をしたというのを聞いて、昭和二十二年に長男だけの墓を建てました。あとは津田家の先祖代々の墓があって、あとはその他大勢はみんなその墓に入るんですが、おじだけは独自の墓。その当時は国からお金も何もいただかない。祖父は自分の働いてためたお金で長男の墓を建てたわけでございます。そして、その墓をずっと母が守り、その母が今もう九十歳で要介護三になっておりますので、あとその墓をどうやって守るか。それはすなわち、その当時の三百二十万人という英霊が亡くなったあの大戦の言ってみれば記憶をしっかり後の世代に伝えていくということがその墓を守っていくということと私はつながるのではないのかな、そんなふうに思うわけでありまして、お金じゃないんですよ。はっきり言って、そんな弔慰金もらわなくても、私は、やることはきちっとやっていかなきゃいけないことだ。かつてはそうじゃないときがあったのはそのとおりだと思うんです。昭和四十年にスタートしたときには、やはり様々な形でそういうこの制度が必要だったんだと思うんです。  しかし、この七十年を契機にして、やはり時代が大きく変わってきたということを我々政治家はしっかり認識して取り組んでいくべきだということを最後にお訴えを申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  41. 長沢広明

    ○長沢広明君 公明党の長沢広明です。  今年は戦後七十周年という節目の年であり、かつ、今回のこの特別弔慰金制度が創設して五十周年ということになります。特別弔慰金は、さき大戦により亡くなられた戦没者等の御遺族方々に対し、昭和四十年以降、戦後何十周年という節目を捉えて、国として弔慰の意を表すため支給してきたと、こういうふうに承知をしております。  この特別弔慰金制度は、戦没者等の御遺族方々に国として弔慰を表すものとして大変重要なものであり、制度としても五十周年という長い歴史があるということですが、この五十年というものをもう一回、今、津田委員からもいろいろな意味で見る必要があるというような御趣旨の発言ございましたが、これまでの弔慰金の受給者数はどのように推移をしてきているのか、そして今回の受給対象者はどの程度と見込んでいるか、これをまず確認させてもらいたいと思います。
  42. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  これまでの戦没者等遺族に対する特別弔慰金受給者でございますけれども、まず、スタートであります昭和四十年、戦後二十周年のときに約六十六万人、戦後三十周年のときに約百一万人、戦後四十周年のときに約百三十万人、戦後五十周年のときに約百三十八万人、そして平成十七年、戦後六十周年のときに約百二十七万人となっております。また、今回の改正によります平成二十七年の特別弔慰金受給者数につきましては、約百二十三万人と見込んでいるところであります。
  43. 長沢広明

    ○長沢広明君 五十周年をピークに下がってくるという形になりますけれども、改正案について一刻も早く成立をさせて、高齢化している御遺族方々には安心していただけるようにすることが重要であるというふうに考えております。  今般の改正案では弔慰金の額が引き上げられております。この額について、戦後二十周年のときには額面三万円だったというふうに思います。戦後三十周年のときに二十万円、戦後四十周年に三十万円、五十周年には四十万円に引き上げられております。  今般の引上げは、平成七年の五十周年のときからちょうど二十年ぶりの引上げと、こういうことになりますが、今回、弔慰金の額を引き上げることとした理由は何か、お示しいただきたいと思います。    〔委員長退席、理事福岡資麿君着席〕
  44. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  厚生労働省におきましては、戦没者の御遺族から、高齢化が著しい戦没者遺族は孤独な生活境遇にある者が多く、戦没者遺族に国は戦没者を忘れないというあかしを是非示していただきたいとしまして、戦後七十周年に当たりまして特別弔慰金の継続、増額の御要望をいただいております。  厚生労働省といたしましては、こうした御遺族皆様の声を最大限受け止めまして、改めて今日の我が国の平和と繁栄の礎となった戦没者の尊い犠牲に思いを致しまして、戦没者の御遺族に一層の弔慰の意を表するために、平成二十七年は制度創設から五十年目に当たる大きな節目であること、また御遺族がかなり高齢化されていること、また償還額が据置きとなっております平成七年以降の社会経済情勢の変化などを総合的に勘案しまして年額五万円に増額することとしたところでございます。
  45. 長沢広明

    ○長沢広明君 特別弔慰金制度、今まで十年償還の国債を一回交付というふうにしてきたと思います。で、毎年償還を受けていただくと、こういう仕組みだったと思うんですが、今回は、特別弔慰金を増額して、なおかつ五年償還の国債を二回交付するというふうにちょっと仕組みが変わっていますね。この変わっている理由を伺いたいと思います。
  46. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  今回、五年ごとに国債を二回交付することといたしましたのは、先ほど述べましたように、御遺族の御要望を踏まえまして、戦没者の御遺族に対して弔慰の意を表する機会を増やす観点から行ったものでございます。    〔理事福岡資麿君退席、委員長着席〕  なお、これまで、戦後何十周年の節目の年以降に新たに支給要件を満たすこととなった御遺族に対しましても、特別弔慰金支給できますよう、中間年におきまして法改正を行っておりましたけれども、今回の法改正によりまして、このような御遺族につきましても、二回目の平成三十二年の支給によりまして、中間年での新たな法改正を必要とせずに特別弔慰金を受けることが可能となるというものでございます。
  47. 長沢広明

    ○長沢広明君 特別弔慰金は受給権者自らが請求をしなければ受給することができないということがあります。  そのため、いかに請求漏れを防ぐかということが大事になりますので、今般の改正により、従来一回の請求で済んでいた方が二回請求する必要があるということになります。弔慰金の趣旨を踏まえれば、御遺族お一人お一人に確実に支給できるようにするべきでありますが、また、御遺族高齢化しているということを踏まえますと、国や地方自治体において支給に関する周知を行うことが重要であると思います。これまでは一回でよかったのが、五年償還の国債を二回交付するという仕組みに改めたことによって二回請求しなきゃならなくなるという問題はあるので、請求漏れを防がなければいけないということがあります。  この法改正による請求漏れがないように、今後どういう周知を行っていくか、伺いたいと思います。
  48. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  国といたしまして戦没者等遺族方々弔慰を表するためには、遺族方々に確実に特別弔慰金を受給していただくことが重要であると考えております。  そのために、次のような対策を実施することとしております。  具体的に申し上げますと、現在、特別弔慰金を受給されておられる御遺族につきましては、ほとんどの方が毎年お近くの郵便局において国債の償還金を受け取っておられるという実態がございます。そのような実態を踏まえまして、当該国債の最終償還の際、今年の四月若しくは六月でございますけれども、その際に、全国各地の郵便局の職員が、そういった償還に来られた際には請求期間を明示したリーフレットを手渡ししまして制度をお知らせすると。また、都道府県や市区町村職員が、当然請求窓口がございますので、そういったところに来られた御遺族の方につきましてはきちっとお知らせを行うこととしております。  また、今回新たに特別弔慰金支給対象者となられる方につきましては、新規の対象となる可能性があります恩給法援護法遺族年金等の失権届を提出した御遺族に対しまして、総務省からも恩給法の失権届出者に関する情報提供を受けまして、個別に制度の御案内を行うことを予定しております。  また、これに加えまして、政府広報も活用しました新聞やラジオなどによります広報、また、都道府県や市区町村の請求相談窓口等におきますポスターやリーフレットによる広報などを実施することとしております。さらに、日本遺族会に対しましても制度の周知依頼などを行っているところでございます。  改正法案が成立した暁には、これらの対策を早急に実施しまして、特別弔慰金を確実に受給していただけるようにしていきたいと考えております。
  49. 長沢広明

    ○長沢広明君 せっかくの国からの弔慰が受給権者の方々にちゃんと届くように周知をしっかりお願いしたいと思います。  最後の質問ですが、これは今、津田委員からもあった話ですけれども、私も重ねて伺いたいと思います。  戦後七十年という、こういう節目でございます。戦没者の御遺族高齢化しておりますし、戦争を体験した世代が今後ますます少なくなっていくという中で、この大戦の記憶を風化させないということは大変大事なことであるというふうに思います。戦没者方々、あるいは、私の父は軍人でしたけれども、戦後生きて帰ってまいりました。しかし、その戦争の体験をなかなか私自身聞く間もなくその後亡くなりましたので、私自身はそんなにたくさん直接父親から聞いたことはありません。それだけに、やはりこの戦争の記憶の風化を防ぐということは様々な角度からの取組が必要だろうというふうに思っておりますので、戦後七十周年における厚生労働省としてどう取組をしていくのか、最後に伺って終わりたいと思います。
  50. 永岡桂子

    ○副大臣(永岡桂子君) 長沢先生、ありがとうございます。先生のお父様からの伝承も、なかなか戦争のことというのは伝えにくいということを今伺わせていただきました。しかし、やはり次の世代への、戦争、どういうことがあったのかということをしっかりと伝えていくというのは重要でございます。  毎年八月の十五日に政府主催で実施しております全国戦没者追悼式には、十八歳未満の若い世代の御遺族の御家族を御招待いたしまして、その代表に献花をしていただくことにしております。また、昭和館、しょうけい館の展示内容につきましても充実をしまして、また、地方での展示会の開催なども通じまして、小中学生、高校生などに来ていただけるように、来やすいようにという、そういう取組もしております。  また、戦傷病者方々の戦中戦後の御苦労を後世に残すために、証言映像の収録、これを迅速化をすることにしております。傷病者の方々はもう当然九十歳近い、また以上の方が多いので、これはやはり早急に映像でいろいろ収録をさせていただきたいというふうに考えております。  また、まだ多くの戦没者の御遺骨収容が行われていないという現状がございます。これを踏まえまして、一柱でも多くの御遺骨をできる限り早期収容ができますように、海外の公文書館の集中的な資料調査など遺骨情報の収集の強化を図ってまいりますし、また、戦没者遺骨収集帰還事業、この促進を図ることとしております。  もう一つございます。これは、洋上慰霊の実施などもさせていただきたいと思います。この慰霊巡拝事業、これもしっかりと強化をさせていただきます。  以上です。
  51. 長沢広明

    ○長沢広明君 終わります。ありがとうございました。     ─────────────
  52. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) この際、委員の異動について御報告をいたします。  本日、木村義雄君が委員を辞任され、その補欠として太田房江君が選任されました。     ─────────────
  53. 川田龍平

    ○川田龍平君 維新の党の川田龍平です。  まず、さき大戦により命を奪われた方々、そして戦没者遺族方々弔慰の意を表させていただきます。  質問に入ります前に、一言、B型肝炎訴訟の新たな合意について。  これまで給付金の支払対象外だった発症後二十年を超えて提訴を行った原告も救済することを、先週の二十七日に全国原告団、弁護団との間で合意されたことについて、一歩前進と評価をいたします。しかし、救済の金額にはまだ差があるなど課題は残されており、和解の道を選択せず、判決や裁判所の所見を求める原告もおりますので、今後とも厚生省は、差のない解決に向け真摯に原告弁護団に対応していただきたいと思います。  質問に入ります。  戦後七十周年の節目の年に、戦没者遺族の方に対して国として弔慰の気持ちをお示しすることは大変重要なことだと思います。今回、そのやり方をこれまでの十年物の国債から五年物国債に変更することで高齢化した御遺族状況対応するとのことですが、これに対し衆議院では、我が党は毎年現金で支給する修正案を提出いたしました。しかし、毎年、難病受給者証などの申請に煩わされている私の身としては、御遺族が毎年申請しなくてはならなくなる御負担は決して軽くないと考え、参議院では提出しないこととしました。  とはいえ、年を経るごとに本来弔慰の意を表すべき方ではない方に相続されてしまう可能性は高まるので、次の節目の年までに弔慰の意の表し方の見直しをよく検討していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  54. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今回の法改正によって、戦後七十周年の特別弔慰金支給された後、先ほども大分議論が出ましたけれども、十年後の制度をどうするんだと、こういうことについて考えなければいけないと思います。  特別弔慰金の制度の趣旨をやはり踏まえて、御遺族の心情などにもこれ勘案をしなければいけないというふうに思いますし、今回の特別弔慰金が最終償還を迎えることになるのが十年後ということでありますので、それを見据えて、先ほど時期もございましたが、時期を選んで改めて検討をしていく必要があるというふうに思っているところでございます。
  55. 川田龍平

    ○川田龍平君 ありがとうございます。  さき大戦で被害に遭われた方は軍人軍属に限りません。東京大空襲などで銃後の守りに着いていた多くの一般民間人が命を落とされ、残された家族は大変な御苦労をされてきました。空襲被害については援護法制定を求める超党派の議連が二〇一一年六月に設立されていますが、政府は裁判で解決済みとの姿勢を崩していません。  他方、黒竜江省ハルビン郊外の方正県には、中国で唯一の日本人公墓というものがあります。国交回復前の一九六三年、中国政府が建立したもので、満州開拓の民間人を中心に五千人くらいの方の埋葬がされているそうです。二〇一〇年十一月には丹羽大使が献花をされています。  この方正日本人公墓の存在を塩崎大臣は御存じでしたでしょうか。他国の政府が我が国の一般民間人戦災者のためにもこうしてお墓を建立し、維持管理してくれている事実について、個人としてどのような感想をお持ちでしょうか。
  56. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 中国での遺骨収集帰還というのは中国国内の国民感情などを理由にできないということになっておりまして、今先生から御指摘がございました日本人公墓、これにつきましては、事務方から聞いてそのような公墓があることを私も初めて知ったところでございます。中国政府で維持管理をされているということであれば、そのこと自体は大変有り難いというふうに考えているところでございます。
  57. 川田龍平

    ○川田龍平君 この中国以外、ロシア、モンゴル、アジア太平洋などでかつて戦地に厚労省が建立をした戦没者慰霊碑は、軍人軍属だけではなく現地の人も含め、一般民間人死亡者も対象となっているとのことです。御遺族に対する支援について軍と民間とで大きな差が出ている状況塩崎大臣はどのように思われますでしょうか。
  58. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 厚生労働省が所管をしておりますこの戦傷病者戦没者遺族等援護法は、対象は国と雇用関係にあった軍人軍属や雇用類似の関係にあった準軍属、そして公務等による傷病により障害の状態になり又は死亡された場合、それから国が国家補償の精神に基づいて使用者の立場から補償を行うというものがこの法律の対象となっているわけでございまして、このため、国家が強制的に戦地における戦闘行為や軍需工場における就労等に参加をさせたという事情のない一般戦災者については、この法律の対象とはしていないところでございます。  御質問一般戦災者に対する補償は、厚生労働省の所管ではなく、直接コメントする立場にはございませんで、この点については答弁は差し控えさせていただければというふうに思います。
  59. 川田龍平

    ○川田龍平君 これは通告しておりませんけれども、海外で受難した民間人は慰霊をするのに、国内で戦争に巻き込まれた民間人、空襲被害は厚労省担当ではないとする立場は、これは大臣、矛盾しないでしょうか。
  60. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 先ほどお話が出たように、この法律は国会で議論の末に作られ、そしてこの対象となる方々は、今申し上げたようなことで対象が定められたわけでございます。  そういう中でこの補償が行われているわけでありまして、今お話一般の戦災者、このこと自体は大変我々にとってはつらい悲しいことであるわけでございますけれども、それとこの法律の対象とすべき範囲が違うということについては、これは今後、やはりもし考えるということであるならば、国会で御議論を賜って、法律で定めた上でどうするかということを決めなければいけないというふうに思います。
  61. 川田龍平

    ○川田龍平君 これは日本政府として、やはりこういった、海外では、戦災に遭われた方たち、現地の人も含めて、民間人も含めてこういった碑を建てているわけですけれども、国内においてはそれができていないということなんですね。  そういったことをやっぱりしっかり考えていただいて、戦後八十年に向けて、この戦後という言葉ですけれども、もはや戦後ではないのではないかという思いも、私も危機感を感じております。日本が戦後という言葉を、この八十年後ということになるのかどうかも含めて、遺族の方も亡くなっていくわけですし、一日も早く遺族の方への弔慰を表すということが私は必要ではないかと思っています。この一般民間人の戦災者の御遺族に対する支援や弔慰の意を何らかの形で表すことも厚労省として是非検討していただきたいと思います。  次に、遺骨収集についての質問に移ります。  海外戦没者二百四十万人のうち百十三万柱の御遺骨が御帰国されていません。うち二十三万柱は、中国や北朝鮮、ウズベキスタンなど、相手国の事情により収容困難とされていますが、ほかにも治安が悪く収集が進んでいない激戦地があります。  その一つがミャンマー、旧ビルマ奥地の少数民族が割拠している地域、紛争地域において二〇一二年から地道に遺骨調査を続けている民間人の方がいらっしゃいます。井本勝幸さんという方ですが、本日付けで、チェンマイ総領事館及びヤンゴンの日本大使館にこの二年半の活動を、成果を報告書にまとめ提出されると聞いております。私もその報告書案を拝見させていただきましたが、百柱以上もの御遺骨の存在を写真やGPS情報、地元住民の証言などを交えて報告いただいています。  この情報が風化する前に、一刻も早く政府調査団を派遣し、これまでできなかったミャンマー奥地での遺骨収集を進めるべきと考えますが、いかがでしょうか。また、その際は井本さんにも同行を求め、井本さんのネットワークを最大に生かすべきではないかと考えますが、いかがでしょうか。
  62. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  議員指摘のミャンマーにおきます遺骨収集でございますけれども、日本政府におきましては、昭和三十年から今年に至るまでに十六回にわたって遺骨収集をやっておるところでございます。そして、民間団体等から遺骨情報を得ているところでございます。  今後の遺骨収集でございますけれども、平成二十七年度におきましては、ミャンマー政府の了解を得まして、安全を確認した上で、これらの情報を活用して遺骨調査を行い、御遺骨が確認された場合には遺骨収容を行う予定でございまして、そういった民間団体からの情報も大切にして今後とも遺骨収集を行ってまいりたいと考えております。
  63. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 川田委員、時間でございますので、おまとめください。
  64. 川田龍平

    ○川田龍平君 はい。  大変すばらしい活動をしている方と是非、来年度の早い時期に派遣すべきと考えますので、是非お願いいたしたいと思います。  最後に、シベリア特措法が制定されてこの六月で五年になります。この五年間でどれくらいの進捗があったのでしょうか。昨年七月末現在の取組状況が公表されていますので、その後の進捗の主な内容について短くお教えください。そして、今後の取組についても御答弁ください。
  65. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 川田委員、申し訳ございませんが、時間になりましたので、質問を終了させていただいてもよろしいですか。
  66. 川田龍平

    ○川田龍平君 先ほど委員の異動があって、ちょっと時間が延びていたと思うんですけれども。
  67. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) じゃ、ごく短くお願いします。
  68. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  シベリア特措法に基づく実績でございますけれども、平成二十五年度までの実績としましては、日本側資料から推計されます抑留中死亡者約五万五千人のうち三万八千二百八十人を特定するとともに、合計一万七千八百一柱の御遺骨収容したところでございます。
  69. 小池晃

    ○小池晃君 日本共産党の小池晃です。  戦没者遺族に対する特別弔慰金は一九六五年に制定されて、日本共産党は制度創設以来賛成をしております。戦後七十年、遺族高齢化しております。戦後の皆さんの労苦考えたときに、引き続き戦没者遺族等に対する援護施策全体、充実が必要だと考えますが、大臣の基本認識を伺います。
  70. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今年は戦後七十年という大きな節目でございます。これを迎えて、戦没者遺族高齢化をされているわけでありまして、さき大戦の記憶を風化させることなく次の世代につないでいくということが極めて重要だと思っております。  先ほど永岡副大臣からも御答弁申し上げましたけれども、今年の八月十五日の全国戦没者追悼式に若い人、十八歳未満の御遺族を招待をして献花をいただこうとか、あるいは小学生、高校生、こういう方々昭和館やしょうけい館を通じてこの記憶を共有してもらう、あるいは証言映像を今のうちにしっかりと撮ってこれをつないでいくというようなことをやっているわけでありますけれども、いずれにしても、今充実すべきということでありますが、一柱でも多くの御遺骨をできる限り早期収容できるように、私どもとしても、海外の公文書館の集中的な資料調査など、あるいは遺骨情報収集の強化を行って、戦没者遺骨収集帰還事業の促進も図らなければならないと思っております。また、洋上の慰霊の実施などの慰霊巡拝事業も強化をしなければいけないということで、こういった形で援護施策を充実をすべきというふうに考えております。
  71. 小池晃

    ○小池晃君 平和遺族会という団体がございまして、そこが特別弔慰金の問題で厚生労働省要請やったときに、たまたま同席した人が、その場でのやり取り聞いて、初めて自分が対象だったということを聞いたということがあったんですね。この方は木村康子さんといって、毎年一万人以上の人が集まる日本母親大会の実行委員長も務めてこられた、そういう方なんですよ。この方は、幼い頃に両親が離婚して、お父様戦死していたけれども詳しいこと分かっていなくて、知らずにその厚生労働省交渉に参加していたら、あっ、これ、自分も対象だということを知ったと。この方は、この給付金はまさに父の命を懸けたあかしだと、自分が父の子供であったというあかしだと、これは大切にしたいと、それで申請されました。  私、これ、七年前の当委員会でこの実例紹介したんですが、その後この方どうなったかというと、受け取ることができた。平和遺族会の「ふみづたえ」という機関誌の中で、七十三年目の父と題してこう言っています。九か月後、私の住む日野の市役所から一通の封筒が届きました、開けると戦没者等遺族に対する特別弔慰金受領交付通知書でした、やった、ほかに誰もいないのに私は声を出して叫んでしまいました、うれしかったのですと。こういう気持ちで受け取っておられる遺族の方は少なくないと思うんですね。  私は、戦後七十年、改めて国としての弔慰を表すという意味で、いま一度こういう制度があるということを本当に徹底して知らせていくべきだというふうに思っておりますし、同時に、今回の改正でも申請期間三年という条文残っているわけで、五年ごとの申請になったけれども、時効になってしまうと、その期間は短くなったとはいえ、次の申請まで待たなければならない。御高齢の方多いわけで、もっと柔軟に支給漏れないようにする努力、一層求められていると思います。  大臣周知徹底、運用の改善、ちょっと時間短いのでコンパクトに御答弁お願いします。
  72. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今、時効の問題をお触れになられましたけれども、一定期間継続したこの事実状態を尊重して法的安定性を図るために設けられているわけでありますので、特別弔慰金に限って特例的に時効を廃止するというのはなかなか難しいなということ。  それから一方で、請求漏れを防ぐために制度の周知を図り、遺族方々に確実に特別弔慰金を受領していただくことは、これは当然重要であって、具体的な方法として、現在、特別弔慰金を受給されている御遺族に対しては、先ほどお話あったように郵便局でちゃんと周知をする、あるいは都道府県や市区町村の職員が請求窓口においてリーフレットによりお知らせをするというようなことで、また、新たに特別弔慰金支給対象者となる方については、新規の対象者となる可能性がある恩給法援護法遺族年金等の失権届を提出した御遺族に対して、総務省からも恩給法の失権届出者に関する情報提供を受けて、個別に制度の御案内を行うことを予定しておりまして、それぞれの持ち場で更に徹底をしなければならないというふうに考えております。
  73. 小池晃

    ○小池晃君 私はこれ、時効の問題は、やっぱり議員立法も含めて解決すべき問題ではないかなというふうに思っております。  実際の実務のことをちょっと聞きたいんですが、窓口は身近な市町村です。これ事務費については、厚生労働省から特別給付金等支給事務委託費、来年度予算では三・九億円と聞いております。これはどういうふうに使われるのか。来年度以降予定されている財政措置なども今考えられているようですので、それも含めて簡潔に御答弁ください。
  74. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  特別弔慰金につきましては、戦没者等の本籍地の都道府県に対しまして、請求に係る審査及び裁定事務をお願いしております。また、請求者の居住地の市区町村に対しましては、請求受付事務をお願いしています。  これらの事務に必要な経費として、議員指摘のように、平成二十七年度予算では三・九億円を計上しているところでございますけれども、その具体的な内容は、裁定の補助を行う賃金職員の人件費、さらに、都道府県と市区町村間などで請求書類等を送付する郵送料、都道府県が管内の市区町村に対して説明会を実施するための経費などとなっているところでございます。  また、この事務委託費につきましては、平成二十七年度から三十年度までの四年間を想定しておりまして、合計では十二億円の予算が必要になると現時点では見込んでいるところでございます。
  75. 小池晃

    ○小池晃君 岩手県奥州市の我が党の議員団が予算要望をやっていまして、奥州市というのは、これ水沢市とか江刺市とか五つ合併してできた五十七キロ、三十七キロという広大なところです。  十年前には五つの市町村合計で二千二百件、今回も二千件下らないと。合併で職員が減らされていてぎりぎりなんで、臨時職員をこのために六人雇用するというんですね。そのために市は来年度予算に、賃金で七百五十一万円、社会保険、雇用保険で百二十三万円、計八百七十四万円、これ予算計上していると。これに対して、奥州市に来るのは、十年前の実績だと一年で十万円程度、三年間だと三十万円程度だと。  これ、結構大変なんですよ。市町村は住民からの請求を都道府県に上げて、支給が決まると請求者に通知書を交付して、国債は市の担当者が銀行に取りに行って、請求者に対して窓口に来てくださいと通知するって、二回通知しなきゃいけない。これ結構、郵送料だけでもばかにならないと。国からの委託費だけでは到底賄えないという実態があります。  やっぱり、これ実務を担う現場は大変ですから、大臣、これ一層のやっぱり財政支援、財政措置とるべきじゃないですか。
  76. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 特別弔慰金については、今御説明少しありましたけれども、戦没者等の本籍地の都道府県に対して請求に係る審査とかあるいは裁定事務をお願いをし、請求者の居住地の市区町村に対して請求受付事務をお願いをしているということになっております。  このようなことで、都道府県それから市区町村の事務負担としてあるわけでありまして、今先生御指摘がございましたけれども、必要な事務委託費の確保には更に努めてまいらなければならないというふうに考えます。
  77. 小池晃

    ○小池晃君 これは充実すべきだと思います。  最後に、東京大空襲、大阪空襲などの被害者らが国に謝罪と賠償を求めて提訴していた訴訟で、原告側は要するに、法の下の平等に反すると、憲法に反すると、軍人軍属に対しては補償があるのに空襲被害者には援助がないのは不当だというふうに主張していました。  これは、原告の訴えは裁判では退けられました。しかし、大阪空襲判決では、憲法上の平等原則に反することもあり得るというふうにしましたし、住民に逃げることを禁止した防空法制、この歴史的事実も認めました。それから、東京大空襲の判決では、原告らが旧軍人らとの間の不公平を感じることは心情的には理解できるけれども、どのような援助をするかは立法を通じて解決すべきだというふうにしました。  今これ超党派で、先ほども議論ありましたけど、鳩山邦夫議員なども参加をして、やっぱり立法が必要だという動きもあります。  大臣、これはやはり、空襲被害者に何の補償もされない状態、このままでいいのか、解決すべき問題だという認識お持ちですか、お答えください。
  78. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 塩崎大臣、時間が来ておりますので、簡潔にお願いします。
  79. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 先ほど申し上げたように、この戦傷病者戦没者遺族等援護法を所管をしている厚生労働省としては、対象は法定をされている中にあって補償をしていると、こういうことでありまして、一般戦災者、これに対する補償については厚生労働省としては所管をしている立場ではないということで先ほども答弁は差し控えさせていただいたわけでありまして、やはり私どもとしては、厚生労働省としては法の執行をするということでありますので、法の執行者としてはこの範囲内での執行をきちっとやることであり、あとはやはり国会の中で御議論をいただいて、立法があればそれに従うということだろうというふうに思います。
  80. 小池晃

    ○小池晃君 空襲被害者援護法は、やはりこれは国会の責務として各党各会派で実現すべきだと私は思いますので、そのことを主張して、質問を終わります。
  81. 行田邦子

    ○行田邦子君 行田邦子です。よろしくお願いいたします。  戦後七十年という節目の年を迎え、そしてまた本法案審議に当たりまして、改めてさき大戦でお亡くなりになりました全ての方々思いを致し、そして御遺族皆様弔慰の意を表したいと思います。  質問に入らせていただきます。まず初めに、政府参考人に伺います。  特別弔慰金の対象件数は、平成二十七年四月一日時点で百二十三万件の見込みということでありますけれども、この対象者別の内訳件数はどのようになっていますでしょうか。
  82. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  今回の改正によります平成二十七年の特別弔慰金受給者につきましては、今議員指摘のように、約百二十三万人と見込んでいるところでございます。  その内訳についてでございますが、戦没者等との続柄別に見てみますと、兄弟姉妹が最も多くて、五割の約六十七万人。次に多いのがお子さんでありまして、四割の約四十七万人。そのほかは、戦没者などと一年以上の生計関係を有するおい、めいなどの三親等内の親族などが約六万人と見込んでいるところでございます。
  83. 行田邦子

    ○行田邦子君 時がたつにつれて徐々に、戦没者からすると遠い御遺族の方の受給も増えているかと思います。こうした中で、特別弔慰金国債は、これは相続がされるということであります。  そこで伺いたいと思いますが、法定相続人への相続だけではなくて、遺言などによる指定相続もできるのでしょうか。
  84. 谷内繁

    政府参考人谷内繁君) お答えいたします。  特別弔慰金受給者国債を受領後、償還の終了前に死亡した場合には、既に特別弔慰金受給者の財産となっていることから、民法の規定に基づきまして当該受給者の相続人に相続されることになります。したがいまして、議員指摘のように、指定相続も可能でございます。
  85. 行田邦子

    ○行田邦子君 私は、これ遺言などによる指定相続ができるということは、つまり血のつながっていない方も相続ができるということでありますので、これは特別弔慰金趣旨、国として戦没者の御遺族の方に弔慰の意を表するという趣旨と沿わないのではないかなというふうに思っていますが、大臣、いかがでしょうか。
  86. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 先ほど来このお話何度か出ておりますけれども、特別弔慰金は、国として今日の我が国の平和と繁栄の礎となった戦没者の尊い犠牲に思いを致しながら弔慰の意を表すると、そのために戦没者遺族に対して支給をするものだということでございます。  戦没者の御遺族は、国債を受領後、償還の終了前に亡くなられた場合であっても、御遺族が存命中に特別弔慰金として国債がお手元に届いているということから、特別弔慰金の目的である御遺族への弔慰を表するということは果たされているというふうに思いますので、それを果たした時点が弔慰を表したということになるというふうに理解をしております。
  87. 行田邦子

    ○行田邦子君 国債が交付されたことで、その時点で弔慰を表するという御説明だったと思いますけれども、私はもちろん特別弔慰金については賛成でございますが、また、この度の法案についても賛成でございますけれども、十年後の戦後八十周年という次の節目のときまでに、いかに御遺族の方に弔慰を表する、その適切な特別弔慰金の在り方について御検討していただきたいというふうに思っております。  御遺族の方も高齢化をしています。そうした中で、新たに特別弔慰金の対象者となる方が請求が自力では困難な方ということも増えてくるかと思っております。  そこで、政務官に伺いたいと思いますけれども、請求の書式記入の際に疑問が生じたり、また自力での請求が困難な方へのサポート体制はどのようになっていますでしょうか。
  88. 橋本岳

    大臣政務官橋本岳君) 国の方では、戦没者遺族の福祉の増進を図るために、遺族方々の相談に応じ、必要な指導、助言を行うことを目的として、戦没者遺族相談員という方々を任命しております。この相談員の皆様におかれては、従来から、特別弔慰金請求時の請求手続が分からない御遺族に助言をしていただくなど請求のサポートを行っていただいているところでございまして、今回の特別弔慰金支給においても御協力をお願いしたいと考えております。平成二十六年三月末現在で千四百八人の方を任命をしているところでございます。  また、今回の特別弔慰金支給に際し、きめ細かな対応に配意するように請求受付窓口である市区町村に対してちゃんと要請をしていくとかいうこともしなければならないと思いますし、また、特別弔慰金の請求につきまして、請求者御本人が市区町村窓口に出向いて手続を行うことができないという場合も当然あると思われますが、そうした場合には、所定の委任状によりまして請求者本人に代わって代理人の方が請求手続を行うことができるようにもしているところでございます。  このような対応を通じまして、請求者の方々特別弔慰金を円滑に請求をしていただけるように今後も取り組んでまいりたいと考えております。  以上です。
  89. 行田邦子

    ○行田邦子君 引き続き、交付国債を御遺族の方が的確に受け取ることができるように、またそして償還金を受け取ることができるようにサポートをしていただきたいと思います。  それでは、最後の質問にさせていただきます。  全国戦没者追悼式について伺います。全国戦没者追悼式は、国を挙げて御遺族とともに戦没者に哀悼をささげるというのは、これはもちろんのことでありますけれども、それだけではなくて、戦争体験者に直接接する機会も減りがちな若い世代に対して、戦争の記憶を受け継ぐ機会として、私は国費での参列者枠をもっと柔軟にして、また、かつ増やすべきと考えていますけれども、大臣の御所見を伺いたいと思います。
  90. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 平成二十七年度はちょうど七十年の節目ということもあって、御指摘のように、御遺族を始め関係者高齢化する中で、さき大戦の記憶を風化させることなく次の世代へつないでいくということの重要性がますますこれ高まっているわけであります。  そこで、二十七年度の全国戦没者追悼式においては、各都道府県の国費参列遺族数、これにつきまして一都道府県当たり五名増員した上で、これ五十名から五十五名でございますけれども、国費参列遺族の対象範囲を撤廃をいたしまして、都道府県に選考を委ねるということにいたしました。その選考の際、国費参列者のうちお一人は少なくとも十八歳未満の御遺族から選考するということとし、その代表式典で献花をしていただくということにしているわけでございまして、新たな対応としてそのようなことを決めておりますが。  いずれにしても、柔軟にということでございますが、今回、若干ではありますけれども、五名増員を各都道府県させていただいたということでございます。
  91. 行田邦子

    ○行田邦子君 大臣も若干ではありますがとおっしゃっていましたけれども、五名枠を増やされたということですが、私はこれ、もっと増やすべきではないかなというふうに思っております。天皇、皇后も御臨席の下の全国戦没者追悼式ですので、御遺族の方も参列の希望も多いかと思いますし、また高齢化されていることも考え、そしてまた次の世代さき大戦の記憶を継承していくという機会に捉えて、国費での参列者枠をもっと増やすことを要望いたしまして、私の質問を終わります。
  92. 薬師寺みちよ

    薬師寺みちよ君 薬師寺みちよでございます。  先ほど津田委員よりも教育について質疑があったかと思いますけど、私も、それに引き続きまして、どうやって次世代に継承していくのかということについて、これからしょうけい館のことをお尋ねをしていきたいと思います。  お手元に資料を準備をしていただいてお聞きいただきたいんですけれども、このしょうけい館、実は、昭和館、平和祈念展示資料館がある中で、とても面白い存在だと私は思って見学に行ったこともございます。あえてこの戦傷病者に特化したような記念館を造られた目的について、副大臣、御説明いただけますでしょうか。
  93. 永岡桂子

    ○副大臣(永岡桂子君) 戦傷病者やまたその御家族の方々につきましては、戦中戦後において多くの御苦労の経験をしていらっしゃいまして、これを次の世代に語り継いでいくということが重要であるわけでございます。  既存の施設におきましては、戦傷病者の御苦労を断片的にしかこれを展示されておりませんので、戦傷病者の方とその妻、奥さんが戦中戦後において体験した数多くの苦労を次の世代に承継するとともに、高齢となった戦傷病者の長年にわたる御苦労を慰藉することを目的といたしまして、平成十八年三月に国が設置したものでございます。  以上です。
  94. 薬師寺みちよ

    薬師寺みちよ君 ありがとうございます。  このしょうけい館って、一つ見ましても、あれ、これ戦争関係あるのかなとなかなかイメージが湧かないと思うんですけれども、この館名について、そこにも説明がございます、受け継ぎ、語り継ぐという意味でございます。  このしょうけい館ですけれども、そのパンフレットを御覧いただいたらこれ一目瞭然だと思います。我々医療者にとっても、本当に貴重な様々な戦時中の医療について語られた部分がございます。義足だったり義肢だったり、トリアージのカードのようなものももう既にそこにありまして、下に挙げておりますのが実はこれ三角巾なんですね。この三角巾というのは、戦時中、素人さんでも臨時で応急手当てができるというもので、ここに詳しくもう印刷がされておりまして、このように使ってくださいねというものでございました。  実はここに、全国唯一の施設でございました旧箱根療養所、いわゆる脊損の療養所の資料も展示がなされております。  このように、医療、介護という視点からも、しょうけい館、大変学ぶものが大きいと考えておりますけれども、永岡副大臣、いかがでございます。
  95. 永岡桂子

    ○副大臣(永岡桂子君) 先生おっしゃいますように、しょうけい館は、戦傷病者の方、その奥さんが体験した戦中戦後の労苦を次世代に伝えていくための施設でございます。  戦傷病者方々を救護した軍医でありますとか従軍看護婦の皆さん方の医療活動に対します資料、先生おっしゃいますとおり、多く集めて保存をしております。施設も医療用具も整っていなかった大変困難な状況の中で医療活動を行っていた先人の方々の労苦を学ぶことは、これ現在の医療従事者の方々の心構えにもなる、影響を与えることがあるのではないかと、そう考えてもおります。
  96. 薬師寺みちよ

    薬師寺みちよ君 ありがとうございました。  先ほど御紹介しました三角巾でございますけど、今、春の企画展というところで「一刻も早く」ということ、三角巾をどうやって使ったらいいか、実際に看護大学の先生方がレクチャーをするような講座も開かれておりますので、是非皆様方も一度こういうものに触れてみられるのも、昭和館に行かれる方は多いんですけれども、なかなかこのしょうけい館いらっしゃる方が少ないものですから、お願いをしたいなと思っております。  ところで、このホームページも拝見いたしておりましたら、これ平成二十六年度、大学から小学校という、いわゆる学校単位で六十一校見学をなさっているんですね。まさにこれ子供たちの未来にも大きな影響を与えるかと思うんですけど、このしょうけい館から子供たちというのはいかに何を学んでいくのかということについて、もし、副大臣、何か調査結果などございましたら教えていただけますでしょうか。
  97. 永岡桂子

    ○副大臣(永岡桂子君) 平成二十六年度におきましては、二十一の小中学校団体でしょうけい館を見学しているところでございます。小学校が三団体、そして中学校が十八団体となっております。  しょうけい館を見学した小中学生のアンケートによりますと、けがをしてつらい思いをしても前向きに社会復帰を目指している人はすごいなと思ったとか、あとは、体験した人たちのことを忘れずに平和を願って生きていきたいですとか、そういう感想などが寄せられておりまして、本当に、戦争でけがをしたり病気になった方たちの戦中戦後に体験した労苦でありますとかまた平和の尊さ、そういうことについて学んでいただいていると考えております。  引き続きまして、しょうけい館の運営を通じて、さき大戦の記憶を風化させることなく次の世代につなげていくために、より多くの若い方たちの世代に見学していただけるように取り組んでまいりたいと思っております。
  98. 薬師寺みちよ

    薬師寺みちよ君 ありがとうございます。  現在、第二回しょうけい館の運営有識者会議というものも三月に行われたということで、私ちょっと拝見いたしておりましたら、展示物の公平性を保つという意味の運営委員会であるというふうに御報告もいただいたんですけれども、是非、どうやったら魅力的に子供たちにこの展示物というものが見せられるのかというような形でも、会議の方、是非是非、御意見をいただいていただきたいなと考えております。  大臣の方にもお伺いしてみたいと思います。  実は、私どもも戦争というものを知りません。我々大人、私もここに行きまして本当に大きな学びがございました。私ども大人もこのしょうけい館から何を学ぶべきだというふうにお考えなのか、お聞かせいただけますでしょうか。
  99. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 私自身が政治というか戦争とかそういうことを考えるきっかけは、広島の原爆記念館に小学校のときに行ったのがきっかけでありました。ですから、このしょうけい館も、さき大戦でどういう御苦労を、戦闘中あるいは病に倒れて戦傷病者方々が今なお心身共に深い傷を残しておられるかというようなことを実際に今肌で感じてもらう、目で見てもらう、そういうことが大事なんではないかなというふうに思っていますし、また、そういった御苦労こそが今日の我が国の繁栄あるいは平和、これを言ってみれば可能にしているんだということを感じてもらって、その御苦労を知るとともに、同じことを繰り返さないように自分たちとしても苦労を重ねながら努力をしていかなければいけないということを学んでもらうことが大事なのかなというふうに感じております。
  100. 薬師寺みちよ

    薬師寺みちよ君 ありがとうございます。  本当に私どももこういうところから学ぶものも多いんですけれども、実は一点お願いがございます。  戦没者追悼式の在り方でございます。私ども国会議員は、車で目の前まで着けて、少し歩いたらその中に入れます。多くの御遺族皆様方というのは、車で暑い中に来た、でも遠くの駐車場まで歩かなければなりません。そして、一番メーンのところを我々が座ります。足が悪いのに階段を上がっていらっしゃる方もいらっしゃいました。こういう式の在り方一つについても、やはり私ども国会議員として反省すべきではないかと思っておりますが、大臣、一言いただけますでしょうか。
  101. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今頂戴した御意見、よく吟味して、生かせるように努力をしてみたいと思います。
  102. 薬師寺みちよ

    薬師寺みちよ君 ありがとうございます。  是非御検討いただきまして、本当に高齢の皆様方、もう暑い中いらしてくださいます。そういう中で、私どもも敬意を持ってしっかりと接していきたいと思っておりますので、これからもよろしくお願い申し上げます。  以上で終わります。ありがとうございました。
  103. 福島みずほ

    福島みずほ君 社民党の福島みずほです。  社民党も本案には賛成ですし、まず冒頭に当たって、戦争の犠牲者の皆さん、それから御遺族の皆さんに追悼とお見舞いを本当に申し上げたいと思います。  まず、お聞きをいたします。  東京、横浜、名古屋、大阪、福岡、長岡、富山などの大空襲は、人道に対する罪に当たるのでしょうか。中国重慶への爆撃は人道に対する罪でしょうか。沖縄一〇・一〇空襲は人道に対する罪に当たりますか。
  104. 秋葉剛男

    政府参考人(秋葉剛男君) お答えいたします。  人道に対する罪が法的拘束力のある文書において初めて規定されましたのはニュルンベルク国際軍事裁判所条例第六条においてでございますが、現在の国際刑事裁判所規程において確立されているような十分詳細な定義が定められていたわけではなく、当時の国際法上十分に確立した定義があったとは承知しておりません。したがいまして、お尋ねの個別の事案につきまして確定的にお答えすることは困難でございます。  なお、ニュルンベルク国際軍事裁判所におきましては、ナチスの犯罪が人道に対する罪に該当すると判示された一方で、ほぼ同様な規定を有しておりました極東国際軍事裁判所におきましては、その罪名の下で処罰を受けた事案はなかったということでございます。
  105. 福島みずほ

    福島みずほ君 軍人軍属に関する皆さんたちには、戦後、五十兆円以上、総計五十二兆円ですか、払われているんですが、国会の中で取り上げてきたものに、空襲による被害者の皆さんへの補償の問題があります。これは議員連盟もありまして、私も所属をしておりますし、社会党の時代もこの立法に向かって努力をしてきたわけですが、まだこれは実現しておりません。  二〇〇八年四月の第百六十九回参議院のこの厚生労働委員会において、私の質問に対して舛添厚生労働大臣は、我が国には民間の、例えば外国の軍隊による空襲の被害者についての特別の措置はございません、こういうものについてどうするか、これはきちんと議論をすべき課題であると思います、福島委員の御提案も受け止めさせていただいて、これは厚生労働省というよりは、国会議員として、政治家としてきちっと議論を重ね、最終的に戦後処理をきちっとやりたいというふうに答弁していただいているんですね。  厚生労働省、これをどう受け止めていらっしゃるでしょうか。
  106. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 舛添大臣が真摯に受け止めるというような趣旨のことをおっしゃったと理解をしておりますが、それは、当然私どもも、この戦争による被害というものについては真摯に受け止めなければいけないと思っています。  ただ、私ども政府の役所は、法律に基づいて法律を執行するということでございますので、それをどうするかということは、まさに先ほどもお話が出ましたけれども、国会で御議論をいただくことだというのが、先ほど小池先生からも、最後の結論でございましたが、やはりここのところは国会の中でもしっかり御議論をいただいた上で皆で考えていくことではないかなというふうに思います。
  107. 福島みずほ

    福島みずほ君 議員立法でも頑張りたいと思いますが、厚労省もこの点については、やはり法の下の平等の観点から是非議論を開始していただきたい。いかがでしょうか。
  108. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 厚生労働省としてそれについてお答えをする立場では今はないんではないかなというふうに、今の御質問であれば、と思います。
  109. 福島みずほ

    福島みずほ君 舛添大臣はせっかく受け止めてやりたいというふうにおっしゃったので、是非引き継いでください、いかがでしょうか。
  110. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) まあ舛添先生は舛添先生ということでございまして、趣旨はよく分かりますが、それは所管というものもございますので、そこは私が一人で政府代表するというわけにはなかなかいかないというふうに思います。
  111. 福島みずほ

    福島みずほ君 戦後の補償の問題に関して、やっぱり極めてゆがんでいると思うんですね。  沖縄では、一九八一年からは六歳未満の児童も対象としました。これはすごい努力の結果で、ただ、沖縄の空襲あるいは地上戦の犠牲者全てではないんですね。六歳未満であったり、あるいは二十項目に該当する人というので極めて限定はされておりますが、国と雇用関係にある者とそれに準ずる者という基準は実際当てはまらないというふうに考えますが、いかがでしょうか。
  112. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 今、六歳未満の子供を戦闘参加者としてみなして対象としているのはなぜかという意味合いのことをおっしゃったかと思うわけでございますけれども、戦傷病者戦没者遺族等援護法、この対象となる準軍属の類型として、軍の要請に基づいて軍事行動に参加させられた戦闘参加者が位置付けられております。具体的には、地上戦が行われた沖縄等の地域におきまして、軍の要請などによって弾薬や食料の運搬、炊事、道案内など戦闘を幇助する軍事行動に参加した者が戦闘参加者とされております。  御指摘の六歳未満の者については、沖縄の場合などについて、保護者に抱かれて戦闘に巻き込まれた実態がある場合には戦闘参加者とするという運用をしているものだというふうに思います。
  113. 福島みずほ

    福島みずほ君 たくさんの戦争経験者、それから空襲に遭った人たちからたくさん話を聞いております。  裁判にもなりましたが、杉山千佐子さん、名古屋大空襲に遭われて、一九一五年生まれですから今九十九歳、一九四五年三月二十五日未明、名古屋空襲で左眼球が破裂し、顔面に大やけどを負った方ですが、この一九八一年四月二十一日の参議院の社労委員会においてやはりその切情を訴えています。「女が顔をなくしたとき、人生をなくしたのと同様です。」と言って、国による援護を切々と訴えています。横浜市港北区で空襲により顔に大やけどを負った女性も、戦後十数回、足の皮膚を移植するなどして繰り返しておりますが、これはもう全部費用は本人の借金でやっています。一九四五年三月十三日、大阪空襲で母親と小学一年の弟を失い、自身も顔や手に大やけどを負った伊賀孝子さんも、戦後三年目ぐらいまでは電車の中でも、大変やったね、頑張ろうねと声を掛けてくれる人がおりましたが、日がたつにつれ、ケロイドを残した顔や手を見ては汚いものでも見るような視線が返ってくるようになりましたというふうにおっしゃっているんですね。  何が言いたいか。軍人軍属の方ももちろん大変だったわけです。でも、沖縄地上戦では、六歳以下の子供だけではなく、やっぱり大変だった。そして、東京での空襲、全国での空襲も、それはそれは皆さん大変な目に遭って、しかも一円もお金は出ない、費用は全部自分で治療しなければならなくて、大変な人生を歩いてこられます。  ドイツにおいては、空襲や戦後の地雷等による被害も援護補償の適用対象になっております。また、イギリスにおいても、空襲等により人又は財産に与えられた衝撃に起因する身体上の疾病に対して各種の給付が行われております。日本の現状はこのような国際基準と大きく乖離しており、是正すべきではないでしょうか。
  114. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) 何度も申し上げておりますけれども、今回御審議を賜っておりますこの戦傷病者戦没者遺族等援護法の対象というのは、もう繰り返しませんが、定まっているわけであります。この戦没者遺族への援護施策として国がどういう措置をとるべきかというのは、その国の言ってみれば歴史的な事情等によってまたそれぞれ異なってくるわけでありまして、今先生から御指摘のあったようなケースを含めて、今回の御審議をいただいている法律の対象かどうかということから見れば、対象である場合には当然我々は責任を持たなきゃいけませんけれども、そうではない場合には、なかなか私どもの立場としてコメントをするという立場にはないのかなというふうに思います。
  115. 福島みずほ

    福島みずほ君 極めて残念で、そういうことも含めて政治の場面で、国会でもですが、厚労省でも議論していただきたいというふうに思っております。  この犠牲は物すごくやっぱり大きくて、それを今でも現在進行形で持って、苦しんで、しかも戦後それのために大変な苦労をされた人たちがたくさんいるわけです。その人たちは、一円もお金は出ないし、治療も全部自分でやってこなくちゃいけなかった、今もそれを訴えているわけですね。他方、戦争で被害だと、大将が一番例えば金額も大きいし、位に応じてやっているわけですし、それから、今日、冒頭、津田理事からもありましたが、じゃ、私たちはどうやってこれを、あと十年後までにどうするかという議論もしなければならない。そういう中で、一切、被害者なのに受けられていない人たちがいるというのは極めて問題で、見直すべきだというふうに考えております。  是非この件について、日本でも空襲被害者に対してどうしていくのか。これはシベリア抑留者や、まあ少しずつ、差は物すごく、法の下の平等ではありますが、少しずつ前進してきましたが、唯一残っているのが実は空襲被爆者なんですね。是非このことについて、国会でも取り組みますが、厚労省としても取り組んでくださるように心からお願い申し上げ、質問を終わります。
  116. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 他に発言もないようですから、質疑は終局したものと認めます。  これより討論に入ります。──別に御意見もないようですから、これより直ちに採決に入ります。  戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  117. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  この際、津田君から発言を求められておりますので、これを許します。津田弥太郎君。
  118. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 私は、ただいま可決されました戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案に対し、自由民主党、民主党・新緑風会、公明党、維新の党、日本共産党、日本を元気にする会・無所属会、無所属クラブ及び社会民主党・護憲連合の各派共同提案による附帯決議案を提出いたします。  案文を朗読いたします。     戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、本法の施行に当たり、次の事項について適切な措置を講ずるべきである。  一、特別弔慰金支給に当たっては、遺族高齢化等を踏まえ、手続の簡素化に努めるとともに、新たな受給権者の把握及び制度の周知等の請求漏れ防止策に努めること。  二、特別弔慰金支給については、年六百億円以上の予算を計上する見込みであること、受給者国債を相続した者が特別弔慰金趣旨に照らして真に国が弔慰の意を表すべき者とは必ずしも限らないこと等に鑑み、戦後八十周年に向けて、戦没者等遺族の心情等を踏まえつつ、国として弔慰の意を表する方策について検討を行い、国民の理解と支持を得た上で必要な措置を講ずること。  三、戦後七十周年を迎え、先の大戦の記憶が風化しつつある現状に鑑み、当時の記憶及び教訓を次世代に継承していくため、学校教育の充実並びに啓発及び広報等の取組の更なる強化を図ること。   右決議する。  以上でございます。  何とぞ委員各位の御賛同をお願い申し上げます。
  119. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) ただいま津田君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行います。  本附帯決議案に賛成の方の挙手をお願いします。    〔賛成者挙手〕
  120. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 全会一致と認めます。よって、津田君提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  ただいまの決議に対し、塩崎厚生労働大臣から発言を求められておりますので、この際、これを許します。塩崎厚生労働大臣
  121. 塩崎恭久

    国務大臣塩崎恭久君) ただいま御決議になられました附帯決議につきましては、その趣旨を十分尊重いたしまして努力いたす所存でございます。
  122. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  123. 丸川珠代

    委員長丸川珠代君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午前十一時五十九分散会