○小西洋之君 ありがとうございました。
既に、さきに、昭和四十七年
政府見解以前にも、そういう限定的な
集団的自衛権が憲法九条によって許容されているということを明示した国会答弁や
政府見解は
一つもないというふうに言っております。前にもなくて、今答弁いただいたように後にもない。つまり、あるというふうに安倍内閣の方が言っているだけなんですけど、これだけなんです。昭和四十七年
見解しかないわけです。
つまり、この昭和四十七年
見解が限定的な
集団的自衛権を法理として認めていると読めなければ、安倍内閣の解釈改憲というのはもうその瞬間、根っこから倒れるわけです。
安保法制も全部倒れる。
国民の憲法をじゅうりんしたわけですから、当然内閣は総辞職です。
アメリカの議会であのような従属演説をなさっているわけですから、私は従属演説だと思っている、
日米安保の価値を安売りしていると思っていますけれども、当然、その国際責任も取って総辞職。二か月後にはそういう火の海の世界が現れると私は思っていますけれども、そうでなければ
日本は法治国家ではないと思いますけれども。
では、これ国会で取り上げ、もう何度もこの
委員会でやらせていただいたことですが、もう一度
中谷大臣に、その読み直しが本当にできるのか、できるわけがないというふうに思いますけれども、できないんじゃないかということを確認をさせていただきます。
この資料の三ページをおめくりいただけますでしょうか。吉國長官の議事録ですね。
政府が昭和四十七年
政府見解を作るきっかけになった、作る約二、三週間前ですけれども、に行った参議院の決算
委員会での議事録です。この議事録自体も既に御紹介をさせていただきました。
真ん中、下の方に「外国の侵略に対して」という太い文字がありますけれども、この辺りから進めさせていただきますけれども、局面というのは外国の侵略が
日本に発生しているときです。「外国の侵略に対して」、「外国の侵略」、もう
一つ言葉がありますけれども、その外国の侵略が防げなかった、その侵略が現実に起こった場合に、「「生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利」が根底からくつがえされるおそれがある。その場合に、自衛のため必要な
措置をとることを憲法が禁じているものではない、というのが憲法第九条に対する私どものいままでの解釈の論理の根底でございます。その論理から申しまして、集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が──
日本とは別なほかの国が侵略されているということは、まだわが
国民が、わが
国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではないということで、まだ
日本が自衛の
措置をとる段階ではない。
日本が侵略をされて、侵略行為が発生して、そこで初めてその自衛の
措置が発動するのだ、という
説明からそうなったわけでございます。」。そうなったわけというのは、海外派兵は、つまり
集団的自衛権の行使はできるのかという質問ですので、できないというふうに答えているわけですね。
中谷大臣に伺わせていただきます。
これは昭和四十七年
見解の、安倍内閣の皆さんが行った、
中谷大臣は着任前ですから
大臣には罪はないわけです、
大臣は官僚の皆さんにだまされているわけです、そんな読み直しが絶対できないというもう核心中の核心の部分です。よろしいですか。
この「「生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利」が根底からくつがえされる」、四十七年
見解、また七月一日の閣議決定、新三要件の文言ですね、前回申し上げましたけど、ここで初めて出ているんですね。
日本の議会でこの言葉は一度も言われたことがないんですね。ここで初めて言われたことを四十七年
見解に盛り込んでいるんですね。
そうすると、その下の灰色、書いているところですけれども、その生命などが根底から覆されるというのは、論理の流れからすると、外国の侵略や武力攻撃が発生して、そこで初めてそういう覆されるおそれが生じて、それを防ぐための必要最小限の自衛のための必要な
措置、「自衛のため必要な
措置」という言葉も四十七年
政府見解の文言と軌を一にしていますね、それができるんだと。それが憲法九条の解釈の論理の根底なんだ、よろしいですか、その論理ですよ、論理。その論理からして、次ですね、「他国が──
日本とは別なほかの国が侵略されているということは、まだわが
日本国民が、わが
国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではない」というふうに言っているんですね。
ところが、昭和四十七年
見解の読み直しはどういうことでしょうか。ここの一番上のページですね。外国の武力攻撃の前に、同盟国等に対するという文言を入れて、同盟国等に対する外国の武力攻撃によって、
日本国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される、つまり、覆されることがあるというふうに勝手に
認識することなんですね。
ところが、吉國長官は、
日本とは別なほかの国が侵略されている、それだけの状況であれば、
日本国民の、言葉は順番入れ替わっていますけれども、幸福追求の権利や生命や自由というのは侵される状態ではないと言っているんですね。結論として、「
日本が自衛の
措置をとる段階ではない。」、昭和四十七年
見解の安倍内閣の読み直しというのは自衛の
措置がとれる段階でそれが限定的な
集団的自衛権だと言っているんですけれども、自衛の
措置はとれないというふうに言っているんですね。
中谷大臣に伺います。
昭和四十七年
見解を作り、決裁した
法制局長官が、その作るきっかけとなった
質疑で、
日本以外の他国に武力攻撃が発生している、それだけの状況では
日本国民の生命、自由及び幸福追求の権利は根底から覆ることはないと言っているのに、それが覆ることがあるというふうに四十七年
見解を勝手に読み替えるというのは、便宜的な、
意図的な、恣意的な法令解釈、許されない行為ではありませんか。