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柿沢委員 維新の党の
柿沢未途でございます。
冒頭、安保
法制について一言申し上げたいと思います。
私
たちは、近年の安保環境の変化に応じて、
日本が
我が国近隣のアジアや世界において新たに担わなければいけない、そういう
役割はあると思っています。そのための
法制度も一定程度
整備が必要だと思っています。ただし、
政府提出の法案の安保
法制の憲法適合性には、権威ある憲法学者から疑義が投げかけられているのも、これまた事実です。それについて説明責任を全うしないまま押し切るようなやり方では、私は、
国民の理解は得られないと思います。
先日、六月九日、取ってつけたように、合憲性に関する
政府見解のペーパーが示されましたけれども、これを読むと、「
我が国の
存立を脅かすことも現実に起こり得る。」「
我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限」、読めば読むほど、ではなぜこれを
集団的自衛権とわざわざ言わなければならないのか、首をかしげたくなるような文言が書かれています。
あくまで
我が国防衛だからということで合憲とする
政府の説明と、燃料不足でも
武力行使、サイバー
攻撃でも
武力行使、こういう拡大解釈の余地がどんどん広がっている新三
要件の歯どめのなさとの間で、説明があちこちで自己矛盾を起こしているように思います。それがまた
国民の不安にもつながっていると思います。
今後、私
たちも私
たちの考え方を示す予定でありますので、また各党の
皆さんともいろいろと
議論をしていきたいというふうに思っています。
ところで、もう来週、六月二十四日の会期末を迎えます。延長するんですか、しないんですかという話は、きのうの党首討論でお話をさせていただきましたので省きますけれども、私は、安保
法制成立のために大幅な会期延長をするということになると、いわゆる戦後七十年の談話を
国会の会期中に発表することになる、こういう運びになるんではないかというふうに思います。
この戦後七十年談話について一点お
伺いをしたいんですけれども、そもそも、この戦後七十年談話というものについては、もとをただせば、昨年三月なんですが、私が質問主意書を出しまして、それに対する答弁書で、「二十一世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」、こういうふうに答弁書が返ってきたことが
一つの、公にはきっかけになっています。
その後、
安倍総理及び
安倍内閣の歴史認識を明らかにするものとしてこの戦後七十年談話というのがどういうものになるのかということについて、予想以上の内外の注目を集めてきたと思います。
今、
総理の私的諮問機関として、西室座長、そして北岡座長代理で有識者懇談会が設置をされて、多角的な論点から
議論が進められています。北岡座長代理からは、
安倍総理に
日本は侵略したというふうにぜひ言わせたいと思っているとか、行き過ぎた謝罪の追及は
日本国内の反韓、反中意識を高め和解を難しくするとか、いろいろな、この談話の内容について北岡座長代理のコメントが語られているのが報道されています。
私は、
我が国が間違った戦争に出て、そして軍事的冒険を行って、それによってアジアや世界の国々に多大な被害と惨禍を及ぼしたのは、これは事実だと思います。しかし、
日本は悪かった、侵略国家だったということを謝らなければいけない、これを繰り返し繰り返し聞かされていたら、やはり
日本国民としては、そんな自虐史観みたいな話はたくさんだという気持ちになるのも、これまたわからない話ではないというふうに思うんです。平和国家として
日本は七十年やってきたじゃないか、こういうふうに
日本国民としても言いたくなる、こういうやむを得ない部分もあるというふうに思うんです。
一方、反省や謝罪を言わなければ言わないで、内外に向けて誤解を与えるメッセージ、シグナルを
日本がかえって発信することにもなりかねないというふうにも思います。
考えてみれば、戦後五十年でいわゆる村山談話が出て、それに続くいわゆる小泉談話は戦後六十年で出たわけですけれども、戦後七十年で
安倍談話を出すとすると、八十年、九十年と十年刻みに過去の戦争を振り返って談話を出し続ける、そういうことになるのかという話にもなります。過去の戦争についてどれだけ反省するのか、どれだけ謝罪するのか、逆に、どれだけそこから脱却するのか、
議論百出で、内外からあれこれ言われる
状況をみずからつくり出すことにもなります。
安倍総理、戦後七十年談話を強いて出してくださいと言っている国がどこかにあるわけではありません。どこかの国の首脳が強くそう求めているわけでもない。国内のどこかの党がこれを強く求めているわけでもありません。これは
安倍総理の御判断
一つにかかっている問題だというふうに思うんです。過去の談話を全体として引き継ぐ、こういうことを言われているわけですから、この際、そうであるとするならば、戦後七十年談話というのは、どっちにしたっていろいろな形で内外で取り上げられることになるわけですけれども、過去の談話を総体として引き継ぐということであれば、これは、私は出さないというのも
一つの手なのではないかと考えます。
ぜひ、戦後七十年談話、八月十五日が想定されていると思いますけれども、まだ時間もありますので、戦後七十年談話を、この際出すのかどうかということについてお考えをいただけませんでしょうか。御質問します。