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江田(憲)
委員 今
安倍総理がおっしゃったことは、まさにこれまでの
日本政府がとってきた解釈でありまして、これがいかに
国際法的に言うと必要以上に狭く解していた、
日本特有の解釈だったということをちょっとこれから御
説明したいと思います。
国際法上の学説がありまして、一番目が通説。これがニカラグア判決が採用している、
国際法学界でも通説ですけれども、集団的
自衛権というのはあくまでも他国を
防衛する権利だ。これはあたかも刑法、
国内法でいえば刑法の正当
防衛のところを読んでいただければわかりますが、これは、自己または他人を
防衛する権利として正当
防衛なんですね。したがいまして、これが集団的
自衛権なんですよ。
今、
総理がおっしゃったのは、実はこの二なんですね。少数説。死活的利益
防衛説というのがありまして、これは他国への
武力攻撃の結果、自国の死活的利益が害された場合に
行使できる、これを集団的
自衛権だと解するのがこの第二説なんですが、これは、残念ながら少数説なんですね、通説じゃないんです。だから、今回の
存立危機事態に書いてある
要件というのは、まさにこの二を体している。よく似ているんですね、これは。ホルムズの問題だってそうでしょう。
ですから、要は、この二説を採用して集団的
自衛権だ
自衛権だと言うのは、これは間違っているというのは一点申し上げたいと思います。
こういう学説、通説に基づいて私は
議論しております。
それで、
国際法の概念は、簡単に言うとこういうことなんですね。自国を守るための権利が個別的
自衛権、他国を守るための権利が集団的
自衛権。
国際司法裁判所というのは、御承知のように、言うまでもなく、
国際法の有権解釈をする唯一の機関ですから、これに異を唱えることは
日本もできない、
日本政府といえどもできないわけであります。
それで、わかりやすくかどうかわかりませんが、こういうことなんですね。この
パネルを見ていただくように、
日本政府は、いろいろな事情はあったんですよ。私も政府にいましたからね。やむを得ない事情で、自国が攻撃されたか、他国が攻撃されたかという現象面を捉えて、自国が攻撃された場合は個別的
自衛権、他国が攻撃された場合は集団的
自衛権と言ったんですが、
国際法的、司法裁判所的理解は、他国が攻撃されたといっても、結局それが自国を守るために発動されるものであればそれは個別的
自衛権だというのが、これは確固とした
国際法上の解釈なんですよ。
以上のように、これは、
安倍総理、私も、湾岸戦争、
PKO法案で三日三晩徹夜したときも官邸におりました、
国会への対応として。
周辺事態法のときも、
橋本龍太郎
総理は非常に御熱心で、執務室に外務官僚、
防衛官僚を呼び入れて、逐条でやりました。私も携わらせていただきました。
なぜこういう
日本政府の解釈になってきたかというと、それは、一番大きいのは
憲法解釈ですよ。
私は、大学時代、芦部信喜先生という、宮沢俊義先生、
憲法の大家の一番弟子で、
憲法の大家、芦部信喜先生に
憲法学を教えてもらいましたけれども、今でも
憲法学界の通説は、
自衛隊は違憲ですからね。文言解釈上は違憲だというのが通説なんですね。それは
安倍総理には釈迦に説法ですけれども、二項で戦力不保持や交戦権の否認がある。ですから、形式文言的なところは、私も、
自衛隊というのはこれだけ
国民に定着して、愛されて、しかもリスクをとって頑張っていただいている、こういうところをちゃんと位置づけていかなきゃいかぬと思っていますけれども、しかし、結局違憲だというところを、戦後の歴代
内閣が知恵を絞って、必要最小限の
自衛の
措置だということでやってきたわけですね。
ですから、こういう
国際的な相場観からすると、スタンダードからすると、大変狭く解釈してきたということはやむを得ない面もあったと私は思っているんですね。
ですから、維新の党というか、私は、今までの
憲法解釈との論理的整合性というのであれば、最高法規の
憲法解釈、
憲法の法的安定性というのであれば、やはり今までとってきた、個別的
自衛権は必要最小限認めるけれども集団的
自衛権は認めないというその法理、この論理的整合性を逸脱しちゃ絶対だめだと思っているんですよ、絶対、絶対。
その限りにおいて、我々維新の党は、個別的
自衛権を必要以上に狭く解していたところを、さっき申し上げましたね、核・ミサイル技術の進展とか軍事オペレーションの変容によって、通常兵器しかない時代とは格段に変わっているわけですから、そのための万全の
措置をとるために個別的
自衛権の範囲を
国際標準に合わせて適正化をするということで、辛うじて、今までの
憲法解釈との論理的整合性を図っていくということなんです。
それで、次、私が言っていることが維新の党だけが言っていることじゃないということで、よく私が引用させていただくのが、東大大学院の
国際法の権威である
中谷教授が書かれた見解なんですね。
端的に言えば、現在のそういう軍事オペレーション下においては、個別的
自衛権と集団的
自衛権というのはくっきりはっきり区別できないんだ、通常兵器の時代には分かれていた概念が、一部その外縁が重なる
部分があるというのが
中谷教授の見解です。
ここに書いてあるように、まさに
安倍総理もよく例を出される、例えば、
日本を守るために、あるいは警戒監視のために
日本海に
派遣されていた、例えばイージス艦、これに対して朝鮮半島から短距離ミサイル砲が放たれて当たったというときに、これは同時にノドンミサイルも二百発以上、これはもう、こういう
アメリカのイージス艦を攻撃するということは、とりもなおさず在沖
米軍から猛烈な反撃を受けるというのは当然発射した方にもわかっているわけですから、ノドンが二百発以上向いているとなれば、同時に発射するか、もしくは後に発射される蓋然性が極めて高いというふうに
判断せざるを得ないんです、危機管理の責任を持つ
総理大臣としては。
ですから、これは、ちょっと次の図を絵で描きましたので、今の
説明をわかりやすく言うと、確かに通常兵器の時代は、例えば対艦砲しかなかった、大砲しかなかった。それが、例えば
アメリカの艦船が
日本海に浮かんでいるとしましょう、そこの
アメリカの艦船に大砲の弾がぼんと当たった。しかし、その弾は
日本には届くはずがない時代ですから、この米艦船を守りに当時の
日本の軍隊、戦前でいいですよね、守りに行くのは、これは明らかに集団的
自衛権です。
しかし、今、核・ミサイルの時代で、さっき言いましたね、短距離ミサイルで例えば
アメリカのイージス艦が攻撃をされる、そうすれば、同時に、あるいはすぐ後に、ノドンで、
日本本土に届くミサイルが二百発以上あると言われているわけですから、当然、
日本本土に対する
武力攻撃が切迫しているとも言えるわけです。
これは、現象面だけ見れば、米艦船を守りに行くのは集団的
自衛権の
行使とも言えるし、一方で、それは
日本を守るための、
武力が切迫したときの、ある
意味で米艦船への攻撃が
日本への
武力行使の着手だとみなして、それでそれに応戦するのが個別的
自衛権の
行使だとも言えるわけです。
これは、実は秋山
法制局長官時代に
法制局の
答弁があって、二〇〇三年五月十六日の衆院安保
委員会の秋山
法制局長官の
答弁を読み上げますと、
我が国を
防衛するために出動して公海上にある米国の軍艦に対する攻撃が、
我が国に対する
武力攻撃の端緒、着手として
判断されることがあり得ると。これはもう政府見解として出ているわけでございます。
ですから、私どもは何を言いたいかというと、我々はあくまでも、従来の
憲法解釈の論理的整合性を図るために、個別的
自衛権は認めるという中の枠組みはしっかり歯どめとして維持した上で、その個別的
自衛権の範囲は、当然、武器技術の進展、軍事オペレーションの変容によってこれは変わり得る、現代的に。それは何よりも
国民の生命財産を守るために必要なんですから。
武力攻撃が切迫している、切迫していないという
判断も、さっき言ったように、対艦砲しか持っていない時代と、今、核ミサイル、弾道ミサイルを持っている時代と、全然その切迫
判断は変わってくるわけですから、それに対して
自衛権を
行使するというのは、座して死を待つわけにいきませんからね、こういう時代に。ですから、それは我々は個別的
自衛権の
行使だという理解をして、これからは認めていこう。
ただし、それは、輪っかで描きましたけれども、我々はあくまでも個別的
自衛権の範囲で認めるんだけれども、それは一見、一見、今までの政府の必要以上に狭い解釈からすれば集団的
自衛権にも踏み込んだと見られるようなケースかもしれません。だけれども、しかし、我々はあくまでも個別的
自衛権の範囲内で認めるということで、これまでの
憲法解釈の論理的整合性、さらには最高法規たる
憲法の法的安定性を
確保するという立場なんです。
私は非常にロジカルに
説明させていただいたと思いますけれども、
安倍総理、ロジカルにもし反論があればお願いします。