○石上俊雄君 民主党・新緑風会の石上俊雄です。
ただいま議題となりました
行政不服審査法案、行
政不服審査法の
施行に伴う
関係法律の
整備等に関する
法律案、
行政手続法の一部を
改正する
法律案について、
会派を代表し
質問をさせていただきます。
この行
政不服審査法は、
行政の違法又は不当な処分に対し、簡易迅速な手続を通じ、
国民の権利
利益を救済することを
目的として、私の生まれた昭和三十七年に制定されました。しかし、それから半世紀、その
内容は本質的な
見直しが一度もなされず、
国民から、手順がばらばらで
理解できない、不服の申立ても、審査を処分したのと同じ人が行うので救済見込みがないと、その驚くべき審理構造から同じ穴のムジナとやゆされ続けました。私もこの
法律も今年で五十二歳になりますが、こちらはすっかり中年になったものの、一方はいまだに生まれたままという究極のアンチエイジング状態であります。
それはさておき、さきの民主党政権では、このテーマに正面から取り組み、
国民目線の
行政に大転換することを念頭に、
平成二十三年十二月、
行政救済
制度検討チーム取りまとめを策定し、法制化に着手し、政権
最後の
通常国会への
提出を目指しました。しかし、衆議院の解散・総選挙などもあり、残念ながら
実現しませんでしたが、その骨子を一部紹介させていただきます。
一つに、新たな審理官
制度を立ち上げ、審査の公平性、
中立性を抜本的に向上させる。審理官は、外部登用を基本とし、処分官庁から
分離、一括の採用とする。二つに、審理官
制度を創設する以上、審査の二段目の諮問に当たる第三者機関は不要とし、救済までの手続を徹底的に合理化する。三つに、不服審査と裁判は、
国民が自由に
選択できるように審査請求期間は出訴期間と同じ六か月とする等でした。
我々の民主党は、霞が関の
判断に間違いがないとのおごり高ぶった
行政の無謬性で泣き寝入りする
国民の手に、当たり前の
行政、当たり前の救済権利を取り戻すのだとの政治信念を今でもしっかり持ち続けておるわけであります。今回の
審議に当たり、私自身、その政策集団の一員として、その矜持を懸けて全身全霊、
政府の見解を伺わせていただきます。
まず、
制度が分野ごとにばらばらで分からないという点についてお伺いします。
現行法は、その第四条で一般概括主義を掲げながら、例外を三百六十一本もの
法律で認めています。そのため、一般原則を定めたはずの行
政不服審査法の関与する不服申立ての割合は、
平成二十三年度において全体の僅か一・九八%、まさにばらばらの極みであります。
今回の
法改正で、
政府は、
制度の基本を審査請求に一元化し、例外を許してきた全ての
法律について行
政不服審査法と同等以上の手続
水準の
確保を基本に、個別法の
趣旨を踏まえた
改正を行うとして、行
政不服審査法整備法案を
提出していますが、不服件数の特に多い国税通則法、
社会保険審査官及び
社会保険審査会法、労働保険審査官及び労働保険審査会法の三
法律に関しては、またもや原則適用除外として、その上、用語の整理など形式的な
改正のみとした
法律は実に二百五十八本、全体の七割に及んでおります。半世紀ぶりの大
改正と称しながら、この
改正の
内容で
国民の権利救済の
実効性はどれほど向上するのでしょうか。
基本法たる行
政不服審査法に服さず自らの縄張を謳歌する各省所管の
法律に、総務省として今後どれだけ切り込んでいく決意をお持ちなのか、新藤
大臣、その
気概についてお聞かせいただきたいと思います。
なお、今後の
質問については、全て新藤
大臣にお伺いさせていただきます。
次に、本
法案の
目的に関する
政府の基本姿勢についてお伺いします。
行政不服審査
制度は、
国民の権利
利益の救済に対する簡易迅速性と公正性という両立し難い
課題を目標とする一方、
現行法、
改正案共に言及するように、
行政の適正な運営も
目的に掲げ、その文言を各種学術書では、
行政にとって自己反省の
機会と解説しております。ここまではよいのですが、永田町、霞が関かいわいでは、更に一歩進めて、自己反省なのだから自らが反省する、自らなのだから審理手続への外部登用は本筋でないとのへ理屈も仄聞します。
この
制度は、
行政がどれだけ
国民の目線に立てるか、納得感を得られるかが眼目であり、
行政の適正な運営も、それが
国民の権利
利益の救済に資するがゆえに
目的となると私は
理解しておりますが、
大臣も誠に同感とのお気持ちであるというふうに思いますが、念のため御確認させていただきたいと思います。
次に、民主党案と
政府案の優劣に関わる核心に入っていきたいと思います。
政府案における審理の主宰者の公平性、独立性についてお伺いをします。
政府案では、審理の主宰者は、原処分の決定に関与した者以外と
規定されています。この意味は、処分の所管部局に所属するか否かの外形的基準になるんでしょうか、それとも実質的に処分に関与したか否かの実質的基準になるんでしょうか、お教えいただきたいと思います。
また、
政府案では、審理の主宰者は、審査庁に所属する職員から指名と
規定されていますが、常勤職員に限らず、非常勤、任期付職員、外部登用もあり得るのでしょうか。
中立性や公平さ、市民感覚への期待からは、外部登用を主とするべきというふうに思うのですが、お
考えをお聞かせいただきたいと思います。
さらに、昨年の六月、総務省取りまとめ、
行政不服審査
制度の
見直し方針によると、審理員は内部基準等に拘束されるとのことであります。審理員が
法律の解釈基準や裁量基準の示される通達等にがんじがらめになるならば、例えば、不服申立人が法令解釈で争いたい場合、救済される余地が本当にあるのでしょうか。
一方、この
見直し方針によると、審理員は内部基準等に拘束されるが、一定の独立性も有するとの記載もあるわけであります。内部基準に拘束されながら一定の独立性とは何を意味するのか、また
国民の救済においてそれはどのような意義を発揮するのか、明確にお答えをいただきたいと思います。
次に、民主党案への評価をお伺いします。
冒頭申し上げましたとおり、民主党案は、公平性、独立性の高い審理官
制度を創設し、外部登用、処分官庁からの
分離、一括採用を基本とする、いわゆるセントラルパネル方式を取っております。
行政不服審査
制度は、
行政訴訟と異なり、違法性のみならず不当性の審査も行うため、審理の主宰者が自らの所属組織に対して属人的な気兼ねをすることなく、独立して職権行使ができるサポート体制や、
国民目線の救済におのずと力が入るインセンティブが
制度化されてしかるべきであります。そうならば、主宰者の身分保障は、職務によりいかなる不
利益の扱いも受けないと
規定し、独立性を
確保するには、審理の主宰者は法令と良心のみに拘束されると
規定した方が、より
国民の皆さんの信頼に応え得る
仕組みになるのではないでしょうか。
大臣、この案をどのように評価されますか、お聞かせいただきたいと思います。
次に、
政府案の審理プロセスにおいて特に不可解な三点についてお伺いします。
まず一点は、審査請求期間についてであります。
政府案は審査請求期間は三か月でありますが、なぜ
行政訴訟法の出訴期間と同じ六か月にしないのでしょうか。訴訟は可能だが審査請求はできないというのでは、訴訟か不服審査かを
国民の自由
選択とする
制度の
趣旨を貫徹できないというふうに思います。
二つ目は、不服申立人の
質問権についてであります。
法案では、口頭
意見陳述に対し、申立人は、審理員の許可を得て処分庁等に対して
質問を発することができるとありますが、処分庁に回答の
義務はありません。なぜでしょうか。また、審理員が不服申立人の発する
質問を不許可にするのはどのような場合なんでしょうか。これもお聞かせいただきたいと思います。
三点目は、資料の閲覧、謄写についてであります。
法案で新たに資料の閲覧、謄写が認められるのは、これはすばらしい前進だというふうに思います。しかし、その対象に審査庁の職員自らが処分庁に出向き収集した
調査メモ等が含まれるのでしょうか。
行政手続法第十八条には、文書等の閲覧では、
行政庁に対し、当該事案についてした
調査の結果に係る調書その他の当該不
利益処分の原因となる事実を証する資料の閲覧を求めることができるとの
規定があり、
調査メモは閲覧対象に明確に含まれております。
事前の救済法である
行政手続法では認められていて、事後の救済法である行
政不服審査法で認められないというのでは、
制度の釣合いは取れておらず、全く
理解ができません。
以上三点について、その御所見についてお伺いしたいと思います。
次に、
政府案における審理の二段目、諮問を行う第三者機関、
行政不服審査会についてお伺いをさせていただきます。
政府案の基本設計は、審理員による審理、審査会による諮問と二段構えで、
制度的には重装備、また官僚の天下りポスト
確保をもくろんだ
行政肥大化ではないかとの批判があります。審査会が受け持つ案件から国税や
社会保険などは外されましたが、そのほか
行政の全般を扱うこととなり、毎年数万件もの不服申立て件数のうち、一体何件、何分野を担当することになるのでしょうか。
総務省の悲願とも伝え聞くこの
行政不服審査会の設置でありますから、よもや百や二百
程度の微々たる数の案件だけのためにあるとも想像できず、予定する委員九人の体制で本当に大丈夫なのか。私の杞憂でしょうが、データのある直近の一年などを事例として、審査会にどの
程度の案件が持ち込まれるのか、具体的に示しつつ、審査会の対応可能性についてお答えいただきたいと思います。
また、
法案では、審査会の委員は、審査会の権限に属する事項に関し公正な
判断をすることができ、かつ、
法律又は
行政に関して優れた見識を有する者のうちから任命するとありますが、選考過程においては、経歴や肩書を表面的に見るのでなく、例えば裁判官や弁護士ならば裁判で下した判決や弁護の
内容、学者ならば執筆した論文の
内容、また職員OBならば過去における組織防衛の行動の有無、権利救済への関心の強弱等、
国民救済の
観点において本質的な
内容審査に注力すべきだと
考えますが、御所見をお伺いしたいと思います。
最後に、不服審査の最終
段階である裁決についてお伺いします。
法案では、審査庁の裁決書に、主文が審理員
意見書又は
行政不服審査会等若しくは
審議会等の答申書と異なる
内容である場合には、異なることとなった理由を含む事項を記載する旨の
規定が置かれております。
しかし、裁決とは、そもそも、それまでに得られた
意見書や答申書の
内容を十分に参酌して行うべきものであり、この基本精神がないがしろにされるおそれがあるならば、本
法案に参酌
規定をしっかりと明記するべきではないでしょうか。多大な政策資源を投入する以上、そのメリットを刈り取らなければ意味がないというふうに
考えます。この参酌
規定に関しても
行政手続法に明文化されているわけでありますので、行
政不服審査法も倣うべきと
考えますが、御認識をお聞かせください。
以上、つまるところ、
政府案が真に魅力的であれば
国民は
コストの掛かる裁判よりも審理員、審査会のプロセスを進んで
選択するはずであります。不服審査と
行政訴訟の間には、ある種の
制度的競合関係があり、行
政不服審査法が
国民の負託に応えられなければ、その優劣は必ずや明確な統計といった形で敗者にノーを突き付けることになります。
政府におかれましては、
行政における法の支配の
重要性を真摯に受け止めていただきまして、率直で明快な
答弁を求め、私の
質問とさせていただきます。
御清聴ありがとうございました。(
拍手)
〔
国務大臣新藤義孝君
登壇、
拍手〕