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北澤俊美君
民主党の
北澤俊美です。
私は、ただいま
議題となりました
国家安全保障戦略、
平成二十六年度以降に係る
防衛計画の
大綱及び
中期防衛力整備計画につきまして、
民主党・新緑風会を代表して
質問をいたします。
さて、
総理、耳障りなことも言うと思いますが、これから私が述べますことをどうか心に刻んでいただきたい、私はそう願っております。
冒頭、今は亡き元
日本興業銀行頭取西村正雄さんが、亡くなる直前の二〇〇六年、ある
月刊誌に載せた
論文について紹介をいたします。
西村さんは、故
安倍晋太郎元外相の弟であり、
安倍晋三現
総理の叔父さんに当たられる方であります。
西村さんは、まず、一九九八年八月に
小渕総理が就任したとき、唐の
太宗の
帝王学から、「
偏信を捨て兼聴せよ」という
言葉を贈ったと述べておられます。
偏信とは一人の言うことだけを信用することであり、兼聴は多くの人の率直な意見に耳を傾けることであります。
続いて、
西村さんは、
政治の
基本理念である経世済民の原点に立ち、
格差是正に心を致すことを次の
総理に望むと主張しておられます。けだし的を射た至言であります。そして
最後に、
西村さんは、
日中首脳会談の再開を強く望んで筆をおかれています。
この
論文は、
西村さんによる
我が国の
政治に対する
遺言であり、
自民党総裁選に出ることすら心配していたおいの
安倍晋三
総理への
遺言となりました。その中身は今日の
我が国の
政治にも通用するものと
考えます。お身内の警鐘をどのように受け止め、目の前の
政治にどう向かわれるつもりか、
総理の御所見をお聞かせください。
国家安全保障戦略から
質問をしてまいります。
国家安全保障戦略では、
積極的平和主義が強調されています。しかし、これがどうもうさんくさい。なぜうさんくさいのか。
総理は、戦後
レジームからの脱却をうたい、
国家主義、
軍事力への憧憬を隠そうとしていません。
総理の側近である
衛藤晟一補佐官は、
総理の
靖国訪問に失望したと述べた
米国政府に対し、こっちこそ失望したと述べています。さらに、
萩生田光一自民党総裁特別補佐の
発言などもあり、
幾ら積極的平和主義という
言葉を弄んでも、うさんくささが付いて回るのは当然であります。
総理に
質問をいたします。戦後
レジームから脱却した後にどんな
国家があるのでしょうか。新しい
国家像があるなら、是非語っていただきたいものであります。
外交・
安全保障は
国家存立の
中心であります。それは、
相手国との究極のリアリズムに立脚して構築されなければなりません。ところが、今日の
安倍政権は、
近隣諸国、なかんずく韓国、
中国とは本格的な
首脳会談も開けず、
同盟国米国に仲介の労を煩わせても展望が開けておりません。しかも、
自身の
靖国参拝をめぐってはその
米国からも失望したとのコメントを出され、また、ロシアとの間で活路を見出そうとしたものの、
クリミア情勢で身動きが取れず、まさに八方塞がりの
状態であります。
外務大臣には、現下の
日本外交に関する
基本認識を伺います。なぜこのような
状態に至ったのでありましょうか。
私に言わせれば、答えはまさに身から出たさびであります。今日、
安倍政権は、
総理の
個人的信条を優先させ、さらには、身辺の
ブレーンが偏狭なナショナリズムに基づいた
発言を繰り返しています。
安倍総理が
幾ら前言を翻し、
官房長官が
ブレーンの
発言を打ち消しても、
国際社会は
安倍総理の本心は別ではないかという疑心暗鬼を抱いています。
安倍内閣の
ダブルスタンダードは見抜かれているのであります。
〔
議長退席、副
議長着席〕
思えば、
吉田茂総理を始め、戦後歴代の
自民党内閣は苦労を重ね、大きな
戦略的判断として決めたのが専守
防衛と
平和主義でした。
先人たちは、忍び難きも忍びながら、それでも
我が国の
国益を見据えてぎりぎりの決断を下したのです。だからこそ、
国民の大多数はそれを支持し、
国際社会も
日本の姿勢を高く
評価してきました。
吉田
総理たちの根底にあったのはリアリズムであり、それは、忍耐、歴史に対する深い洞察力、そして心に響く誠実さに支えられていた。だからこそ、敗戦によって
主権を失った
国家と
国民を導き、戦後を乗り越える力となったのです。
一方で、
総理の
ブレーンやNHK会長や一部経営委員の歴史
認識は、私に言わせれば、今だから言える的な浅はかなものであります。そこにはリアリズムを見出すことはできません。そんなものでは戦後を乗り越える力とはなり得なかったし、現代を乗り越える力にもなり得ません。
総理に助言するとしたら、今やこの袋小路から抜け出すための第一歩は、
政府の
方針と異なる
発言を繰り返す
ブレーンを更迭することであります。さきに引用した別の週刊誌のインタビューでも、晋ちゃんは人がいい、人がいいから他人に利用されやすい、偏狭なナショナリストと離れろ、
国家を誤らせる偏狭なナショナリストとは一線を画すべきじゃないかと述べております。
総理のお
考えを伺います。
三日前、
安倍内閣は、
防衛装備移転三原則を閣議
決定しました。これにより、従来の武器輸出三原則が持っていた平和
国家としての
基本理念を踏み外すことになるのではないかと私は心配をいたしております。私の心配は杞憂でしょうか。例えば、新しい仕組みの下では、現在紛争の当事国になっている国、例えばイスラエルに対し、
我が国の
防衛装備品等が移転しないことをどうやって担保するおつもりか、菅
官房長官にお伺いをいたします。
次に、
防衛大綱、
中期防について
質問します。
本日
議題となっている
防衛大綱は、昨年十二月に
安倍内閣の下で制定されました。その三年前の
平成二十二年十二月、当時の菅内閣は、通称二二
大綱と呼ばれる
防衛大綱を制定し、私もその任に当たりました。連日連夜、
防衛省内及び
政府内で激論を繰り返したことを今もはっきり覚えております。
当時の我々の
問題意識は、冷戦時代の
安全保障体制の残滓を乗り越え、新しい時代にふさわしい
防衛体制を打ち出すことにありました。その結果が、三十四年間続いた基盤的
防衛力構想から
動的防衛力構想への大転換でありました。極東ソ連軍を念頭に置いた
態勢から、南西重視を打ち出し、厳しい財政
制約の下での
防衛力の実効性を高めるため、
情報力と
展開力を
強化することとしました。今思えば、
防衛大綱を通じ、新時代の
国家安全保障戦略を提示していたのだと自負しております。
以上を念頭に置いて今回の
防衛大綱を読んだ感想は、一言で言えば肩透かしであります。
安全保障環境の変化に
対応したといううたい文句にもかかわらず、北朝鮮のミサイルも、
中国の海洋進出も、災害
対応の
重要性も、そして複合
事態への
シームレスな
対応や
統合運用の
重要性も、全て二二
大綱に盛り込まれていました。
今次
大綱の目玉である
統合機動防衛力も、我々が打ち出した
動的防衛力と何が違うのか。少なくとも、名前を変えなければならないほどの違いを見付けることはできません。
民主党が作った
大綱だから面白くない、せめて看板だけでも掛け替えたいという子供じみた思いが透けて見えます。現に米軍は、呼び方は変わってもその前と変わらないと解釈している、そう聞き及んでおります。
戦略環境その他の事情に重大な変化がない限り、
防衛政策は継続性、安定性が重要であります。
総理を始め、関係閣僚にはこのことを肝に銘じていただきますようお願いを申し上げたい。子供じみた発想より、当時政権を担った
民主党が
大綱を作ったことで、
我が国政治勢力の八〇%以上が
日米同盟とともに
防衛政策の継続にコミットした
重要性こそ意を用いるべきではないでしょうか。
防衛大臣に対し、二二
大綱で掲げた
動的防衛力と今次
大綱の
統合機動防衛力はコンセプトや
戦略的背景の面で何がどう違っているのか、
質問をいたします。
新
中期防衛力整備計画では、二十四兆六千七百億円の経費総額となっており、一つ前の
計画より一兆円を超える増額だと
安倍内閣は胸を張っているようであります。ところが、この二十四兆六千七百億円は仕掛けがあり、
まとめ買いなど
調達改革を通じて五年間で七千億円もの
合理化を実現することが前提となっています。いわゆる真水の額は二十三兆九千七百億円にとどまるわけで、あとは
自衛隊が毎年平均で千四百億円もの
合理化努力をしなければ、新
計画は絵に描いた餅になるわけです。
防衛大臣に伺います。
自衛隊は、
調達改革等を通じて本当にこれだけの巨額の
財源を捻出できるのか、現在どのような
取組を行っているのか、また今後行う
予定であるのか。効果ごとの具体的な見込額も含めて明らかにしていただきたい。
残りの時間は、現在、
安倍内閣で
検討している安保法制の
見直しについて
質問をいたします。
先般、集団的自衛権行使について
民主党の見解をまとめました。我々は三つの原則に立ちます。第一は立憲主義による
制約、第二は法治主義に基づく限界、第三は法的安定性
確保の要請、この三つであります。
内閣自らが憲法解釈を変更する余地は、いかに諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請があったとしても、従来の解釈との整合性が図られた論理的に導き得る範囲に限られ、内閣が便宜的、意図的に変更することは、立憲主義及び法治主義に反しています。集団的自衛権の行使について、憲法第九条に違反し許されないという内閣の解釈を正面から否定し、集団的自衛権の行使一般を容認する解釈に変更することは許されない、こう集約いたしました。
以上の見解をまとめた我々にとって、
総理が集団的自衛権の行使に関わるような重大な憲法解釈の変更について、最高の責任者は私だ、私
たちは
選挙で
国民から審判を受けると述べられたのは、まさに聞き捨てならない一言です。
総理大臣であっても従来の解釈と整合性の取れないような変更を加えることは立憲主義に反します。また、
選挙は様々な争点で戦われるのであり、
選挙結果をもって自分の憲法解釈が
国民に信任されたと言うのは、
たちの悪い強弁であります。
また、内閣の判断次第で
我が国の武力行使が許される範囲が恣意的に伸縮、変化し、過去に適法であったものが将来違法と
評価されるといった
状況が起きるということになれば、武力の行使という極めて重い任に当たる
自衛隊員にとっては死活問題となります。端的に言えば、ある内閣が唐突にやってもよいと決め、その命令に基づいて行った
隊員の行為が、後の内閣によって否定され、糾弾されかねないのであります。そんなことは絶対に許されません。
最近、砂川判決を集団的自衛権行使の根拠にする説が出ています。しかし、これは個別的自衛権について述べたものであり、集団的自衛権を正当化することはできません。しかも、その後の
政府見解で、集団的自衛権は保有すれども行使せずと明らかにしており、既に決着済みであります。
今、憲法審査会では
国民投票法について与野党の協議が進み、その成立が視野に入ってきました。大変喜ばしいことだと思います。集団的自衛権の行使について、
国民投票法に基づいて史上初の憲法改正を
国民に問うのであれば、その内容にもよりますが、
総理は
政治指導者として王道を行くと言ってもよいでありましょう。しかし、
選挙での勝利に酔い、有無を言わせずに解釈変更を進めるのであれば、あなたは
政治指導者として覇道、邪道を行くことになる。よもや与党がそのようなことを認めるとは
考えたくありません。
以上述べた上で、
総理にまとめて
質問をいたします。
ここまで申し上げても、
総理は、憲法解釈は自分がやろうと思えば好きにできると開き直り続けますか。
政府が行う解釈変更には限界があり、このようなおそれを生じ得るような法的安定性を損なう解釈変更は許されるべきではないことに同意されませんか。そして、集団的自衛権の行使について、なぜ憲法改正でなく解釈変更でやろうというのでありましょうか。
私は、戦前に生を受け、終戦時は小学校の低学年でありました。ゆう子ちゃんのお父さんが戦死した、富夫ちゃんのお兄さんが戦死した、匡ちゃんのお父さんはシベリアへ連れていかれたらしい。それぞれの家庭に押し寄せる悲しみと貧しさも記憶しております数少ない国
会議員の一人であります。
その私がつくづく思いますには、
国家が戦争をしないための
最後のとりでは国会であります。
安倍総理が委員長の議事整理権を無視し、半ば切れかかった調子でやじを黙らせる行為を見るにつけ、過去の国会の自滅、
国家の崩壊の歴史が脳裏をよぎります。宰相に求められる泰然自若の風格と謙虚さを備えた
総理の成長を切に願うとともに、我々議会人も責任の重さを改めて自覚したいものであります。
今生きる私
たちが悲惨な歴史の教訓を忘れないために、
最後に、戦争の非情を伝える二つの歌を紹介して、私の
質問を終わります。
「我が妹は母しなければとつぐ今日誰が帯結び粧いするらむ」、「我が妹は母しなければとつぐ今日誰が帯結び粧いするらむ」。松本光憲。上智大学生、
昭和二十年五月十五日戦死、享年二十五歳。「きけわだつみのこえ」より。
「出征きて還らぬ友垣十四人並べて齢は二十二なりき」、「出征きて還らぬ友垣十四人並べて齢は二十二なりき」。小口凪海。同級生中一人だけ生還した胸中を詠む。松本市在住、現在九十二歳。信濃毎日新聞より。
御清聴ありがとうございました。(
拍手)
〔
内閣総理大臣安倍晋三君
登壇、
拍手〕