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参考人(
坂根正弘君) 今日はお呼びいただいてありがとうございます。
私の今日の話は──
手元の
資料でやりますから、電気つけていただけますか。
パワーポイントをやっていると時間を食っちゃいますから、
手元の
資料でやりたいと思いますので、電気を
お願いします。
私が今日
お話しする
中身というのは、かなり基本的なスタンスの
お話をしますので、本来なら、私が先にしゃべって
佐々木参考人の方が後の方が具体策があってよかったかと思います。
私の今日の話は、
デフレの原因がどの辺にあって、その結果どうなったかということと、
企業の例として私どもの
会社のコマツがどう取り組んできたか。それから、私は、この国はドイツに非常に似たところがあるのでドイツに学んだらどうかということをずっと主張しておりますので、この話。結果として、国としてどう取り組んだらいいか。私は
産業競争力会議と国家
戦略特区のメンバーをやっていますから、その中で私が主張している話を最後にしたいと思います。
まず、二
ページを御覧いただきたいんですが、
デフレが続いた原因は、何といっても需要サイドの社会構造が、東京一極集中がもう限界に来たと。地方は一次
産業を含んで疲弊して、何をやっても無駄な
投資というふうになっちゃう、
少子化は東京一極集中でどんどん進む、
女性の
活用も進まないということだと思います。一方の供給サイドは、この国の一番大きな問題でして、どの業界もプレーヤーがいっぱいいて、かつては切磋琢磨、今やもう消耗戦であります。
意外とみんな議論になっていないのが、ここに書いている、私は、この間接金融の問題、結構
日本は大きくて、
日本も直接金融、直接金融と言ってきたんですけれども、振り返ってみますと、
デフレの期間というのは九七年のあの金融機関がおかしくなり始めた機能不全の期間と一致しているわけでして、金融機関がリスクを取れなくなった、金融機関だけではなくて、この国全体、国も民間もリスクを取らなくなった、攻めを忘れたということだと思います。
攻めというのは、自分の強みを認識しない限り絶対に攻めの戦略は取れないわけでして、
自分たちに物すごく大きな強みがあるにもかかわらずその強みを忘れたということが、私どもの
企業の例で
お話を後でします。
それから、立法、行政の問題ですが、私ははっきり言って、総理大臣や外務大臣、財務大臣が一年のうち百二十日国会に拘束されて、毎年一回総理大臣が替わっている国が
デフレ脱却できるわけはないと、私ははっきりそう申し上げたいと思います。政治の安定というのは、今日は与野党の方おられますけれども、安定というのはなかなか難しい部分ありますが、それにしても、毎年毎年総理大臣が替わっていて
デフレ脱却できるのかということをあえて申し上げたいと思います。
その次に、
デフレの結果がどうなったかということを、これは私のオリジナルな分析なんですが、この三
ページであります。
左の二十年間というのはバブルまでの二十年間、一九七一年からです。右がバブル以降の二十年間なんですが。横軸が一人当たり総資本形成、民間
投資、公共
投資、あらゆる設備
投資とかいろんなものを入れた総資本
投資を一人当たりどれだけ使ってきたか。縦軸は、その結果、最後の年のGDPが一人当たりどうなったかということなんです。
左の
グラフは見事に、ジャパンと書いてあるところを見ていただきますと、世界とほぼ同じような相関に乗っておりますが、右に行きますと、一人離れたところにおります。ノルウェーもちょっと離れていますけれども、
日本が特に離れております。この差はどれだけあるかといいますと、一人当たり総資本を十万ドルたくさん使っています。その結果、GDPを二万ドル出せなかった。十万ドルというのは、一億二千七百万人だと千二百七十兆円、一ドル百円として千二百七十兆円たくさん使って二百七十兆円ぐらいGDPを出せなかったということを表しております。
この下の
グラフを見ていただきますと、左がよく
政府・日銀が発表する
実質GDPでありますが、過去二十年間、
日本は一・二一倍、ドイツ一・三二倍、アメリカ一・六三倍、あれだけのバブルを経験したこの国にとってはまあまあやっているなというふうに見えますけれども、右の名目を見ていただきますと、
日本一・〇八、ドイツ一・九四、アメリカ二・五ということで、これが我々の生活実態であります。
この一・〇八が一・六とか七に本来なっていたはずなんですね。さっきの二百七十兆円というのは、GDPを五〇%、六〇%アップしてくれたわけです。ですから、私は、
投資した割にGDPが出ていない、
物価が
デフレでこういうことになっちゃったということだと思います。
〔
会長退席、理事西田昌司君着席〕
次に、
企業の
お話をしますと、コマツの例でありますが、何といっても我々の場合にはバブルが、最も恩恵を受けた業界であります。
建設機械というのは、バブルの頃は世界の
建設機械の四割がこの島国に売れておりました。それがどんどんどんどん右肩下がりで、もう今国内販売が一五パーから一七パーです。東京一極集中ですから、私が
会社へ入る前から本社は東京にありました。私が
経団連で会うと、月に何回石川から出てくるのと聞かれますけれども、そんなことはありません、もう東京にずっとおります。みんな東京に集まっちゃった。
もう
一つが
産業構造でして、この国の国内の業界再編、進みません。私どもの
建設機械メーカー五社、みんなで激しく競争していますが、ほかの業界と違うのは、我々はアメリカの第二位のメーカーを買収し、ドイツも二社、イタリー、
スウェーデンも買収して、
海外の業界再編を自らリードしてきました。ほかの
日本のメーカーもやっています。それでまあ何とか生き延びているということだと思います。
それから、私どもは
日本では少なくともトップメーカーですが、私が二〇〇一年に社長になって、どれだけ値段競争しても誰もやめないのならもう値段を上げるということで、この十年間で二〇%の値上げをしてきました。一時シェアを落としましたけれども、今また復活しております。
それから、何といってもこの国はボトムアップで成り立った国で、トップダウン力がなくて、事業をやめることができない。私は、世界一位か二位になれるもの以外全部やめたという宣言をして、今
売上げの半分が一位商品、二位まで入れて八八%になります。
それから、世界の競争で勝つためには、欧米の後追いでずっと来たわけですが、我々はビジネスモデルで先行するということで、
ICTを使ったビジネスモデルで世界に先駆けて今走っております。ビジネスモデルで先行して現場力勝負に持ち込んだら、我々
日本勢は負けないという自信を私は今持っております。
〔理事西田昌司君退席、
会長着席〕
そうはいっても、二〇〇一年に私は国内二万人の人全員に手紙を送って希望退職を募りました。子
会社への出向者も全部、
賃金差額を払って転籍をしていただきました。
雇用は物すごく大事なことです、この国にとって。というのは、労使の信頼関係があるから、二か月後からアメリカに行けと言われたら、はい分かりましたと行く、国内のこの
工場に行けと言われたら行くわけですが、それをとことんまで我慢したら全員で沈没することになる。だから、私は、一回だけ
雇用に手を付けさせてくれということで、一回二万人が一万八千五百に減りますが、今、
日本に自信を取り戻して新
工場は
日本に造っています。したがって、今二万二千まで人が増えております。終身
雇用はいいことがいっぱいあるんですけれども、ぎりぎりまで頑張っちゃうと全員で沈没することになる。この辺がこの国の難しいところだと。
それから、この国の最大の問題点は、
雇用に手を付けられないので、コストというと全部をひっくるめてコストというんです。アメリカでは、コストは変動費、その上にキャパシティーコスト、固定費がどれだけ乗っているか。できるだけ固定費は少なくして現場はしっかりしようというのがアメリカ流ですけれども、この国はそれを丼勘定で見るものですから、本来は間接部門、本社部門が肥大なのに、
工場の
競争力がないかのごとく思っちゃう。私は、
日本の変動費だけで見たときには
競争力はあるということで、
日本に自信を取り戻して、その代わり本社をスリムにし、無駄な事業を全部やめるということでやってまいりました。
結果的に、その次の五
ページを見ていただきますと、二〇〇一年に私が社長になったときの、左上が固定比率、売上高に対する固定比率、下が営業
利益率なんですが、この固定費が私どもがベンチマーキングしているアメリカの競争相手に比べて六ポイント高かったんです。常に六%重かったんです。その分だけ営業
利益が六%少なかったんですね。
ですから、私は、固定費さえ下げれば我々は収益出せるということで取り組んできて、その後、二〇〇七年度、二〇〇六年度で私が社長を退きますけれども、ここには競争相手のデータは書いてありませんが、逆転をします。その後の、私の次の社長がその差をずっと維持しておりまして、最後の年はほぼ一緒になりましたが、一ドル七十九円であります。今の百二円ですと、彼らはもう、つい最近決算発表していますが、営業
利益率において我々が五、六ポイント上回っています。
問題は、下の
グラフを見てください。
日本に自信を取り戻して、
生産を今、
日本で四八やっています。
海外に逃げ出しましたが、もう一度
日本に帰ってきて、今、
生産四八、このうち国内に売っているのが一七、そこから出た
利益が一二、
日本から輸出したのが三一、出てきた
利益が一一、これ一ドル七十九円です。今の百二円ですと、恐らく国内よりも圧倒的に
日本からの輸出が
利益がいいという
状況になります。
問題は、この一七が、
デフレが
あと五年続いたら一桁になります。そのときに、
日本の四八の
生産を頑張れるか。それがノーですね。ですから、一回自信を取り戻して
日本に帰ってきた私どもが、このまま
デフレが続いたら
日本を脱出せざるを得なくなる、これが私はこの国にとっての基本問題だというふうに思います。
次に、国としての
状況でありますが、私はドイツに学べと言っておりまして、あのドイツが、九〇年代、疫病神と言われた国が見事に復活した最大の理由は、あの
経済圏をつくっちゃった。決してまねできませんけれども、通貨統合をした。一方、我々にはアジアというもっと大きなポテンシャルがあります。もちろん通貨統合は無理ですけれども、通貨だってもう少し安定させる
方法があるんじゃないのか。
それから、
産業についても、
労働市場改革をドイツは思い切ってやりました。
法人税の話も、同じようなことを彼らは先行してやっております。ただ、三番に書いてありますように、お金が回らなくなったと、債務超過になりそうならもう、倒産申請という部分は、これ一見して倒産件数がアメリカの倍以上、
日本の五、六倍ということで、ひどいことになっているように見えるんですが、お金さえ注いだら健康体に戻れる状態で出ますから、私どももドイツの
会社を買収したのはこういうときに買収しております。どちらがいいかといったら、もう長い目で考えたら答えははっきりしていると思うんですが、恐らく
日本の場合には相当議論を呼ぶところだと思います。
それから、今、高付加価値商品・技術、これがドイツは産官学。国のお金で研究開発を使うときは必ず民間から三分の一お金を取れと、民間がお金を出したものには国もお金を付けてやるというような
やり方を取っております。
それから、最後まで
日本がまねができないのが地方主権だと思います。あの国は、第二次世界大戦のあのヒトラーの反省から、最初から憲法は地方主権でスタートし、我々は中央集権でスタートしました。高度
成長期は中央集権の方が圧倒的に効率良くて一回我々が勝ったように見えましたけれども、今になってみると、各地方都市に大きな
企業の本社が点在してそれぞれの町が強くなっているあの
状況というのが最後の姿なんだろうなというふうに思います。
それから衆議院、参議院の話も、彼らは参議院の方は各州
政府代表で成り立っております。これはまねできるのかどうか分かりません。
いずれにしても、私はドイツから再生エネルギーも含め学んだらどうかなと。一次
産業も、六〇年代は日独同じ自給率でありましたが、今や我々は四〇%、彼らは八〇%と差が付きました。森林面積も日独ほぼ同じでありながら、木材供給量は
日本の三倍になっております。
次に、じゃ、国としてどういうところに取り組むべきかということでありますが、私は、自信を失ったことに対して、第一、第二の
アベノミクスの矢というのは民間サイドにもう一度自信を取り戻そうよというメッセージでは非常に
意味があったというふうに思いますが、何といっても、民間がリスクを取る、これがない限り
デフレは
脱却できません。それから、先ほども申し上げましたが、毎年政権が替わるというのは、本当に国はどんなことを考えてもうまくいかないんだろうなと。
財政再建の話は、最後にちょっと
お話を申し上げます。
それから、
イコールフッティングについては、多くの要素が良くなってきております。
労働規制だって悪くはなっておりません。ですけど、エネルギーがそれを全て打ち消すほど非常に大きな問題になってきているというふうに思います。
私は言いっ放しが一番嫌いなものですから、私どもは石川県の小松市出身ということで、石川にもう一回帰ろうということで、今、新
工場を造ってみたり、農業、林業を手伝ってみたりやっていますが、
日本には四十年以上たった古い
工場が、コマツの場合には
日本に全部で八十、建屋がありますが、そのうちの四十が四十年以上たっていまして、一回この
工場というのを電力をどこまで削減できるかやってみようじゃないかというので、三・一一の後取り組みました結果、自信を持って今、新
工場を造り始めましたが、何と電力削減九割です、九〇%減。エアコンは全部地下水、太陽光を使う、それから、四十年前の
工場は七メーター置きに柱がありますけれども、今は三十二メーター置きに柱ができるので、
工場内がもう本当に変わります。
多くの伝統的大
企業が
日本に古い
工場を、償却し終わった
工場でやっていますが、私どもがやってみたら、結構
日本も、新しい
工場でゼロからスタートしたらいけるなというふうに思いますが。実は、私どもは電力多
消費型の
産業じゃありません。したがってこういうことができましたけれども、電力多
消費型
産業は、恐らくこんなに電力料金が高くなった国にゼロから
投資をするという気にはならないというふうに思います。
それから、下の方に行っていただいて、下から二つ目です。まず、業界再編の前に
企業内の事業の選択と集中、これぐらいやれよというのが、私は
産業競争力会議、
経団連の中でも言っております。
企業内の選択と集中ができない
会社が業界再編できるわけないと。
それから、この後
お話ししますが、
社会保障費とかいろんな業務効率。
会社もそうですけれども、およそ業務に掛けるコストを考えない国です。マイナンバーを
導入することによっていかに業務が簡素化されるかということだと思います。
最後、私は、この国の
改革のキーワードは、ここに書いておりませんが、二つだと思います。何といってもボトムアップで成り立ってきた国です。
あとはトップダウンだと言われているのが民間であります。国は逆なんですね。トップダウンで来た国で、今や本当に地方がしっかりしてボトムアップをする国に、来ております。もう
一つは、縦社会と自前主義、これがこの国の特色で強さだったんですが、この縦社会、自前主義は知恵の結集ができません。ですから、個々には力を持っていても、結集できないからこの国は今弱っているということだと思います。
私が
産業競争力会議、国家
戦略特区で強調している点をここに八つ挙げましたが、六番目を見ていただくと、私は、
社会保障費も、国家予算が九十五兆円で
社会保障費が百十兆円ですから、国民みんな、
社会保障費、もうとんでもない金額だなとは思っていますけれども、いざ選挙になると、みんな
プラスアルファを要求するのはなぜか。
私は、出身地の島根県の浜田市と石川県の小松市の
社会保障費を尋ねました。おたくの市では
社会保障費幾ら使っているのと。まずびっくりしたこと、データを出すのに一か月掛かりました。要するに、常時分かる仕組みになっておりません。浜田市、年間一般会計予算三百六十億に対して年金総額三百三十億、
医療、介護を入れて四百五十億。小松市、一般会計予算四百六十億、年金、
医療、介護を合わせると六百六十億です。
私は、そういう数値を各市町村が見せられたら、これは大変だなというふうに思うはずなんですね。ですから、私は、見える化させることで国民の意識を変えることがまず第一歩だと、急がば回れだというふうに思います。
それから、私は今
少子化対策
会議にも出ておりますが、私がここでつくづく思ったのは、我々はつい
社会保障費の話ばかりしますが、有限な財源があって、この財源を、
消費税をちょっと上げるだけでこれだけ議論を呼んでいるわけですが、財源は有限なんですよね。それを人のために使うとしたら
社会保障費が圧倒的なんですが、それは中高年向けです。もう
一つ、次世代のために使うお金があるじゃないですか。
少子化対策、子育て、教育、このバランスがいかに大事かということを申し上げたいんですね。
スウェーデンが必ず出てきます、
社会保障費になると。うちは
スウェーデンの
会社を買収して持っていて、
日本人を何人か派遣しています。彼らは絶対にこんな国にいたくないと言っています。何だと思いますか。予防保全の、人間ドックなんかで病院に入れてもらえないんですね。がん患者も、初期なら一か月、二か月待ちは当たり前。要するに、もう命に関わることだったら徹底して面倒を見てくれるけれども、いざとなるまではそんなに面倒を見ない。一方で、
少子化、子育てにはお金を使うということですよね。
ですから、私は、この国の今の
財政問題の中で
社会保障費だけ議論するんじゃなくて、余りにも次世代に対するお金の使い方がこんなにひどくていいのかと、どんな国も民族も次世代にお金を使わない国が発展するんでしょうか。
私は、そのことを申し上げて、終わりたいと思います。