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参考人(
井口秀作君) 愛媛
大学の
井口と申します。本日は
発言の
機会を与えていただき、ありがとうございます。
意見陳述の中でも、
レジュメの中でも、
日本国憲法の
改正手続に関する
法律を
憲法改正手続法と略して
発言をさせていただきたいというふうに思います。
今から七、八年前ですが、この
憲法改正手続法について、私自身、たくさんのところで
意見を述べる
機会を得ました。今振り返ってももう少し
考えておくべきであったと反省する点もあるわけですが、基本的な視点は変わっていないというふうに思っております。本日は、
憲法改正手続法全般ではなくて、
改正案を中心に、
レジュメに挙げた
三つの点で
意見を述べさせていただきたいというふうに思っております。
最初に、
投票権
年齢についてですが、まず、我が国の様々な法令が
年齢によって様々な区別をしているということは、これは周知のところです。この
年齢の区別というのは、当然のことですが、それぞれの法令の
趣旨、目的等に応じて定められるべき事柄であるはずです。したがって、
趣旨、目的が同じであれば一致するし、違うのであればばらつきが出るというのは、これは当然のことです。
公職選挙法を見ても、これが許されるかどうかは別にして、
選挙権は二十歳ですが、被
選挙権は衆議院は二十五歳、参議院は三十歳以上となっていますから、これ、恐らく
趣旨が違うから
年齢の差があっていいとお
考えになっているからだというふうに思うわけですね。このように、それぞれの
趣旨、目的に応じてそれぞれの
年齢による区別を付ければよいということになるわけです。
したがって、ある
法律とある
法律で
年齢をそろえるというのであれば、これはなぜそろえるのかという、なぜ同じにするかという原理原則が重要となるはずです。これが附則の三条に関わる問題であるというふうに思います。
ただ、これとは別に、今のは一致させるかさせないかという問題ですが、これとは別個に、その
前提として、そもそも
憲法改正手続法において
国民投票の
投票権
年齢をどういうふうに設定するかという
論点があったはずです。また、今でもあるはずです。これについては
判断能力で
考えるということなんでしょうけれども、
判断能力を厳密に検証して検討しても、これは余り
意味がないことではないかなというふうに思います。
先ほど、
小林先生のところは
先生の
教育がよく行き届いているということだったのですが、私のところは、多分行き届いていないからかもしれませんけれども、
学生は割と、少なくとも
自分の母親よりは私の方があると思いますよという十八歳、十九歳の
学生って結構いるんですね。そういうこともありますし、そもそも
投票権というのは、あるいは
選挙権もそうですけれども、一定の
年齢に達したら
判断能力鈍ってくるから外すという、こういう
議論をするわけではないわけですね。
若者だけ何か厳密に、
教育が足りないとか
判断能力が足りないとかどうだとかいう、こういう
議論をするというのは、ちょっと大人から見た、子供
たちにいじめかなというふうに私なんかは思うところがあるわけです。
そもそも、
判断能力は個々によって差異があるわけですから、おおよそのところ、一定の
年齢であればこれぐらいだという
判断をするという、こういうことを
前提に
制度設計ですべきであるというふうに思うわけですね。だから、余り
判断能力云々ということで厳密に、十八歳だったらどうかとか、こういうことをやってもしようがないのではないかなというのが私の思っているところです。
むしろ、重要なのは、これは
憲法との
関係であるというふうに思います。
レジュメの1の(2)の
法律事項と
憲法の要請というところですね。
憲法九十六条の一項は、国会が発議した
憲法改正案について、
国民の承認を経なければならないとなっているわけですね。
国民という言葉が使われているわけです。他方で、
憲法の十五条の一項は
公務員の選定、罷免権を
国民固有の
権利と呼ぶとともに、十五条の三項は
成年者による普通
選挙を保障するという、こういう
規定を置いているわけです。
この九十六条一項の
国民の範囲、あるいは十五条一項の
国民の範囲ですね。これは、
年齢については
憲法は何も語っていないわけです。したがって、何歳以上にするのかというのは、基本的にはこれは
法律事項ということになるわけです。ただ、
法律事項だからといって、これ
法律で全く自由に決められるということではないことも明らかです。例えば、恐らく、
憲法改正手続法について
国民投票権の
年齢を三十歳以上にするとか、
選挙権の
年齢を、今二十歳以上ですが、これを二十五歳以上に引き上げるというようなことが、これ
法律事項だからといって自由にできるというものではないはずです。いずれも
法律で具体化されることが
前提とされているわけですが、一度
法律で具体化された場合、立法府による第一次的
判断があった場合には、それをベースラインにして
考えるということが必要になるのではないのかなというふうに思っています。
私の
意見ですけれども、
憲法九十六条の
国民と十五条一項の
国民は、これは、
主権者として
政治に参加する者の範囲という点でこれは一致しているというふうに理解をしています。九十六条の
国民と十五条一項の
国民というのは、これは一致しているというふうに
考えています。ただし、その両者の一致は、
レジュメにも書いたように、必然的に
憲法改正手続法の
投票権者と
公職選挙法の
選挙権者の
年齢についての一致を要求するわけではないはずです。
というのは、
憲法で
規定されて、この年以上という
考え方というのは、それ以外の者を
投票権者に含めてはいけないというところまでは
意味していないからです。例えば、十八歳以上に
選挙権を与える、
国民投票の
投票権を与えるというのが
憲法上の要求だとしても、別の観点から、
国民投票については別の考慮要素から例えば十六歳以上に
投票権を与えるとか、こういうことがあり得ないわけではないからです。
要するに、問題になるのは、
レジュメの1の(3)ですが、十八歳問題の位置付けというところですが、
憲法改正手続法の三条の位置付けです。この三条の十八歳以上という
規定が、
憲法九十六条一項の
国民の範囲を確定したのだ、立法府として
憲法九十六条一項の
国民の範囲として十八歳以上というふうに確定したというふうに
考えているのか、それとも、そうではないけれども、あくまでも二十歳以上でいいんだけれども、政策的に
若者にも
投票権を与えようということで立法政策的に追加したものだけという、そういうふうに位置付けるのかという、こういう点が必ずしも
議論の中で明らかにされてこなかったのではないのかなというふうに思っています。前者であれば
憲法の具体化の問題ですし、後者は立法政策の問題というふうになるわけです。
私の理解では、
憲法改正手続法の三条は、
憲法九十六条の
国民を受けて、十八歳以上の
国民を立法府の第一次的
判断として確定をしたという
意味を持っているというふうに思っているわけです。
憲法九十六条の
国民の範囲を、そのようにして一度、国会として十八歳以上というふうに本則で、三条で
規定をしているわけですから、これがベースラインとなって、それを後退させるということは原則としてこれは許されないというふうに
考えています。
現行の附則の三条は、
国民投票の
投票権
年齢は十八歳であるというふうに確定をした上で、三年間、公布から施行までの三年間の間に限って、他の法令の調整を行って、施行時点では十八歳以上となっているということを想定した上で、極限状態な例外的な条項として二十歳に読み替えるという可能性を認めていたという、こういう
規定であったかというふうに思いますし、これが
憲法手続法の制定時の立法者の意思であるというふうに思うわけです。
この附則の三条を削除して、新たにまた四年間二十歳というのは、制定当初から見るとかなりの
制度後退ではないのかなというふうに思っております。これは、
憲法改正手続法の制定時、
憲法九十六条の具体化法として
国民の範囲を確定をしているという、このことが余りにも軽視されているのではないのかなというふうに思うわけです。
四番目ですが、先ほど言いましたように、
投票権者の範囲の確定は、これはどういう原理原則に踏まえているのかということが
明確化されているということが必要なわけですが、恐らく、一応
改正法では施行後四年間は二十歳でというふうになっているわけですが、恐らく、その前に公選法等の
改正が済めば、もう一度これを
改正して、四年を待たずに十八歳でということもあり得るわけですから、これは要するに、
国民投票のときの
投票権
年齢がまだ確定をしていないということになるのではないのかなというふうに思うわけです。
憲法九十六条は、国会は
憲法改正の発議をして、
国民に提案してその承認を経なければならないというふうに
規定しているわけですね。この提案している相手方の範囲を国会が明確に決めていないで、いかようにでも国会の処理の仕方で、十八歳でもできる、二十歳でもできるような体制にしておいて、
憲法改正の原案だけは審議する
手続を整えたいというのは、ちょっと提案する相手方の
国民に対して失礼ではないのかなというふうに思っているところです。
そのような点もありますので、今のような、要するに十八歳なのか二十歳なのかを曖昧にして、原理原則としてどういうものなのかというのを曖昧にして
国民投票ができるという体制が整ったというのはいかがなものかというふうに思うというのが私の見解でございます。
二つ目ですが、
公務員の
国民投票運動についてですが、これは
改正法の百二条の二に関わるところのみ
発言をさせていただきたいというふうに思いますが、この条項は、
レジュメに書いたように、純粋な
国民投票運動あるいは
憲法改正に関する
意見の表明は許容するものだという、こういうふうに言われているようでございますが、純粋かどうかというところは、結局のところ、これは
公務員法等の
規定に触れるかどうかということになるのではないのかなというふうに思います。
本文の
規定は、
政治的行為禁止
規定にもかかわらずとなっていて、ただし書が、ただし、
政治的行為禁止
規定により禁止されているときには駄目ですよと、こういうふうになっているわけです。結局のところは、先ほど申し上げたように、これ
公務員法の制限によるかどうかということになっているのではないのかなというふうに思うわけです。
レジュメの(2)のところですが、要するに、純粋な
意見表明等かどうかという、これを切り分けることの困難性というのは当初から言われていたはずです。結局、よく、許容される範囲を確定すべきだということをよく言われるわけですが、むしろ何が結局許されないのかということを
明確化しないと、これは
公務員の
政治的行為について萎縮的効果を除去できないというふうに思っています。
三番目の期間の限定というところですが、この百条の二のところは、実は「国会が
憲法改正を発議した日から
国民投票の期日までの間、」という
規定が置いてあります。これは、
憲法改正案というものが
存在して、それについて賛否を勧誘する運動やそれに関する
意見表明があるということを想定をしているものだというふうに思います。
しかしながら、今この時点であっても、
憲法改正に関する
公務員の
意見というのはこれはあり得るわけですね。純粋に
意見表明ということはあり得るわけですから、これが現行の
公務員法上問題ないのであれば別にこういう
規定は要らないということになるし、逆にこういうものが規制されるということであれば
公務員法自体の問題ということになるわけです。
括弧四番目のところは、
公務員法それ自体の問題を
考えるべきだというふうに私自身は思っているということですので、ちょっと省略をさせていただきたいと思います。
三番目で
最後ですが、この
憲法改正手続法の位置付けについてですが、現在の
政治状況に関連して、これ、
憲法改正手続法を整えているにもかかわらず、こんな
手続法要らずに
憲法改正したのと同じような効果を導き出すことができるかのごとくの
政治状況があるということですね。これは看過できない事柄であるというふうに思います。その点で、国権の最高機関であり、かつ
憲法改正の発議権を独占をしている国会として、しかるべき
判断をすべきだというふうに思っております。
一番
最後になりますが、
レジュメの3の(2)のところに、
憲法改正手続法の制定時の法案提出者の説明を書いておきましたが、
国民主権の確立だという、こういう
議論があったわけですが、むしろ、この
改正手続法ができたにもかかわらず、現在の
政治状況というのは
国民の手からむしろ
憲法が奪われつつあるのではないのかなというのが私の感じているところであります。それは私だけではなく多くの
国民が感じているところではないかなというふうに思いますので、そのことも踏まえて審議をしていただければというふうに思っております。
以上で
意見陳述を終わらせていただきたいと思います。